魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
11月初旬――。
ミーラは、市場の屋台の隅で、いつものように野菜を並べていた。
ミーラは生まれも育ちもエ・ランテルだった。かつては、リ・エスティーゼ王国の首都として栄えていたあの街も、魔導国による統治が始まってからというもの、目まぐるしく姿を変えていった。
初めて号外が配られたあの日のことを、今でもたまに思い出す。幼いトトの手を引き、震える手で「学校」「水道」という文字を追った、あの日のことを。
正直、恐ろしくないと言えば嘘になる。王国を滅ぼした絶対者が、本当に理想郷など建設するのか――固唾を飲んで見守っていた。
だが、蓋を開けてみれば――。
新首都ノヴァリアが建設されるや、エ・ランテルの住民の多くが、その輝かしい街へと移り住んでいった。ミーラたち親子も、その波に乗った一人だった。
そこには、水道があった。学校があった。安全があった。交通網があった。
広く綺麗な家。ゴミ一つ落ちていない清潔な街並み。
かつては考えられなかった暮らしが、当たり前のようにそこにあった。
「母ちゃん! 母ちゃん、見て!」
息子のトトが、学校帰りに、息を切らして駆け込んできた。
手には、一枚の紙が握られている。
「なあに、そんなに慌てて」
「これ! プレゼント引換券だって!」
トトが誇らしげに掲げたそれには、金色の縁取りと共に、こう記されていた。
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《 アインズマス・プレゼント 引換券 》
アインズマス・イブ(12月24日の夜)に、
チャンタクロースが子どもたちのために、各公園へプレゼントを届けます。
お近くの公園に、この引換券をお持ちください。
※ 公園に待機しているノヴァリアの職員に、この引換券を渡してくださいね。
――――――――――――――――――――――――――
「先生が言ってた! イブの夜に、空からチャンタクロースが来て、プレゼントをくれるんだって!」
ミーラは、そっと目を細めた。
(この子は、王国が燃えた日のことを知らない)
それだけで、胸の奥が温かくなるのを感じた。
その時、頭上を、巨大な影が横切った。
見上げると、白い骨でできた、途方もなく大きな鳥の姿がある。
「あ、また飛んでる!」
トトが目を輝かせて指差した。
「あれがボーン・アルバトロス・エアラインってやつ?」
「そうみたいね……」
一週間前から、あの巨鳥――飛行船は、この市場の上空を定期的に飛ぶようになった。今やすっかり魔導国の食卓に定着した鶏肉が、隣国へも輸出されるようになったらしい。泡立つ黄金色の葡萄酒が、ノヴァリアの市場にも次々と並び始めている。
「アインズマス・チキン、入荷したよぉ! 今だけの特別価格だよぉ!」
精肉店の主人が声を張り上げる声が、市場に響いていた。
ミーラは、精肉店を覗いてみた。
「おいくらかしら、アインズマス・チキン」
「モモン様、一枚!」
「ニ千エンもするの?! ……贅沢、かしらね」
「いいじゃないか」
女主人が、笑いながら口を挟んだ。
「一年に一度くらい。それに、ほら」
彼女は、見慣れない銀色の硬貨を取り出した。
「アインズマス記念貨幣。うちの人が並んで手に入れてきたのよ。使うんじゃなくて、家に飾っておくんだって」
「まあ」
「あと、これも」
女主人は、色鮮やかな券をひらひらと振ってみせる。
「アインズマス宝くじ。当たったら、新しい自動車でも買おうかって、うちの人ったら毎晩それだけが楽しみでねぇ」
ミーラは、小さく笑った。
どこもかしこも、同じような話で持ちきりだった。
◇ ◇ ◇
夜。テレビからは、今日もあの曲――『アインズマス・イブ』が流れていた。
窓辺に灯る 街の明かりが 静かに揺れる
会えない夜も 悪くはないと 自分に言い聞かせて
Ainzmas night, holy night すこし遅れて 街に降る雪
Ainzmas night, holy night 届くといいな この祈りが
カンデーズの三人が、しっとりとした旋律に乗せて歌う姿が、画面いっぱいに映し出されている。これまでの明るい曲調とは違う、どこか切なさを帯びたメロディー。それでいて、一度聞けば耳から離れない、不思議な中毒性があった。
「またこの歌だ」
トトが、夕食のスプーンを咥えたまま、画面を見つめている。
「毎日流れてるね」
「そうねぇ……」
ミーラも、いつの間にか、口ずさめるようになっていた。
歌詞の意味は、正直よく分からない。けれど、その歌声を聞くたびに、なぜか胸の奥が、きゅっと締め付けられるような気がした。
番組がニュースに切り替わる。
アナウンサーの声が、興奮気味に響いた。
「ノヴァリア百貨店より、全支店にて『アインズマス・セール』が開始されました」
画面いっぱいに、色とりどりの飾り付けが施された百貨店の外観と、開店と同時に押し寄せる客たちの映像が映し出された。
「わあ……」
ミーラは、思わず声を漏らした。
どの階も、天井から吊るされた青白いガラス飾りと、金の紐で彩られている。
子供向けの玩具売り場には、すでに長い行列ができていた。
「今年は、玩具コーナーの目玉商品として、動く骨のドラゴンのおもちゃが登場!」
画面の中でリポーターが、はしゃいだ様子でおもちゃを掲げてみせる。
「あ、あれ知ってる!」
トトが画面を指差した。
「クラスのみんなが、あのドラゴンのおもちゃ欲しいって言ってた!」
「そうなの?」
ミーラは苦笑しながら、値札のあたりに視線を走らせる。少し値は張りそうだが、それでも――。
「今年は、買ってあげてもいいかしら……」
トトの目が、期待に輝いた。
「ほんと!?」
「約束はできないけどね」
――あと、48日。
指折り数えるまでもなく、街のあちこちに掲げられたカウントダウンの看板が、それを教えてくれる。
ミーラは、トトの頭を優しく撫でながら、ふと、王国が滅びたあの日のことを思い返した。
あの日、誰もが、次は自分たちの番かもしれないと思った。けれど――。
「トト」
「なあに?」
「今年のアインズマス、楽しみね」
「うん!」
トトは、満面の笑みで頷いた。
窓の外には青白い光が灯る。
祝祭の足音は、この名も無き親子の元にも、確かに近づいていた。