春の風が紅魔館の庭を撫でていく。湖面に反射した光が揺れ、門の前に立つ少女の頬を照らした。
――今日も、いい天気だ。
門番としての仕事は、もちろんある。
だが、美鈴にとってこの時間は、ただの“サボり”ではなかった。
空を眺めて心を整える、大切な儀式のようなものだ。
「ふぁぁ……。あ、いけない。ちゃんと起きてないと
そう言いながらも、目元はまだ眠たげだ。
けれどその表情には、どこか“場を和ませる”柔らかさがある。
紅魔館の空気は、いつも少しだけ張りつめている。
レミリアの気まぐれ、パチュリーの繊細な魔力、咲夜の完璧主義。
そのどれもが美鈴にとっては大切なものだが、同時に“重さ”でもあった。
だからこそ、美鈴はゆるく笑う。
自分のゆるさが、館の空気を少しでも軽くできるなら、それでいい。
そんなときだった。
「おーい、美鈴ー! 今日も元気にサボってるかー?」
聞き慣れた声が空を切る。
魔理沙だ。
美鈴はぱちりと目を開け、にこっと笑った。
「魔理沙さん、こんにちは。今日はお茶しに来たんですか?」
「いや、今日はパチュリーの新しい魔導書を――」
「盗みに、ですね?」
「……借りに、だよ!」
魔理沙がむっとする。
美鈴はくすっと笑った。
この軽い掛け合いが、彼女は結構好きだった。
「でも、今日はちょっと通せませんよ」
「えっ、なんでだよ。いつもは“まあまあ、どうぞどうぞ〜”って感じじゃんか」
「今日はレミリアお嬢様が、珍しく“絶対に静かにしておけ”って言ってたんです。
なんでも、紅魔館にとって大事なお客様が来るとか」
魔理沙は眉をひそめた。
「大事なお客様、ねぇ……。怪しいな」
「まあまあ、そう言わずに。今日は本当にダメなんです」
美鈴の声は柔らかい。
だが、その足は一歩も動かない。
魔理沙は知っている。
普段どれだけゆるくても、美鈴が“ここは譲れない”と決めたときの強さは、本物だ。
「……本気なんだな?」
「はい。ごめんなさい」
魔理沙は肩をすくめた。
「しょうがない。今日は引き下がるよ。でも、後で絶対理由教えてくれよな」
「もちろんです。お茶でも飲みながら」
魔理沙が飛び去ると、美鈴はほっと息をついた。
――よかった。争いにならなくて。
彼女は争いが嫌いだ。
誰かが怒鳴る声も、誰かが傷つく姿も、見たくない。
だからこそ、今日の“門番としての責任”は、いつもより重かった。
「……さて。お客様って、どんな人なんでしょうね」
そのときだった。
紅魔館の奥から、冷たい風が吹き抜けた。
魔力の気配が、空気を震わせる。
美鈴はゆっくりと目を細めた。
――ああ、これは。
ただの客じゃない。
門の向こう、湖の上に“何か”が現れようとしていた。
美鈴は深く息を吸い、姿勢を正す。
普段のゆるさは消え、門番としての“芯”が静かに立ち上がる。
「……紅魔館へようこそ。
でも、通すかどうかは、あなた次第ですよ」
その声は、春の風よりも静かで、しかし揺るぎなかった。