静かなる門番と歪む運命   作:肩幅ひろし

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第2話 湖上に立つ影

 湖面がざわりと揺れた。

風ではない。魔力の波だ。

 

 紅美鈴は門の前に立ち、静かに呼吸を整えた。

普段のゆるさは影を潜め、ただ一点を見つめている。

 

 湖の中央に、黒い影が立っていた。

 

 人影――だが、輪郭が揺らいでいる。

まるで霧が人の形を取ったような、不確かな存在。

 

「……お客様、ですか?」

 

 美鈴が声をかけると、影はゆっくりとこちらを向いた。

 

 その瞬間、空気が変わった。

冷たく、重く、押しつぶすような圧力。

 

――これは、ただの来訪者じゃない。

 

 美鈴は確信した。

 

 影は、湖面を歩くようにして近づいてくる。

足音はない。

ただ、魔力の波紋だけが広がっていく。

 

「紅魔館の門番か」

 

 低く、乾いた声だった。

男とも女ともつかない、不気味な響き。

 

 美鈴は微笑んだ。

 

「はい。

ご用件をうかがってもよろしいでしょうか?」

 

 影は答えず、ただ美鈴を見つめる。

 

 その視線は、まるで“価値を測る”ようだった。

 

「……なるほど。

 この館の“最初の壁”にしては、ずいぶん柔らかい気配だ」

 

「よく言われます」

 

 美鈴は肩をすくめた。

だが、足は一歩も引かない。

 

 影はさらに近づき、門の前で立ち止まった。

 

「通してもらおう。

 私はこの館の主と話がある」

 

 美鈴はゆっくりと首を振った。

 

「申し訳ありません。

 今日は“どなたも通すな”と命じられています」

 

 影の輪郭が、わずかに揺れた。

 

「命令、か。

 では、お前は命令に従って私を止めるというのか?」

 

「はい。

 でも……できれば争いたくはありません」

 

 影は笑った。

音のない、冷たい笑い。

 

「争いたくない?

 なら、どけ。

 それで済む話だ」

 

 美鈴は静かに目を閉じ、そして開いた。

 

 その瞳には、ゆるさも眠気もなかった。

 

「……どけません」

 

 影の気配が一瞬で変わった。

湖面が爆ぜ、空気が震える。

 

「門番風情が、私を止めると?」

 

「はい。

 私は、紅魔館を守るためにここにいます。

 それが“私のやり方”であっても」

 

 影が手を伸ばした。

黒い霧が渦を巻き、美鈴へと迫る。

 

 だが――

 

 美鈴は動かなかった。

 

 ただ、静かに立ち続けた。

 

 霧が触れた瞬間、ぱん、と音を立てて弾けた。

 

 影が目を細める。

 

「……ほう。

 ただの門番ではないらしい」

 

 美鈴は微笑んだ。

 

「よく言われます」

 

 影はしばらく沈黙し、そして言った。

 

「名を名乗れ」

 

「紅美鈴です」

 

「……覚えておこう。

 紅魔館の“最初の壁”としては、悪くない」

 

 影はふっと霧散し、湖の向こうへ消えた。

 

 美鈴はその場に立ち尽くし、深く息を吐いた。

 

――怖かった。

でも、引けなかった。

 

 自分のためではない。

 紅魔館のため。

 レミリアのため。

 咲夜のため。

 パチュリーや小悪魔のため。

 

 そして何より――

 

「……みんなが、平和でいられるように」

 

 そのためなら、どれだけ怖くても立ち続ける。

 

 それが、美鈴の“静かな強さ”だった。

 

 館の奥から、咲夜が駆けてくる。

 

「美鈴! 今の魔力は……あなた、大丈夫なの?」

 

 美鈴はにこっと笑った。

 

「はい。ちょっと怖かったですけど、なんとか」

 

 咲夜は息をつき、そして言った。

 

「……ありがとう。

 あなたがいてくれて、本当に助かるわ」

 

 美鈴は照れくさそうに頬をかいた。

 

「いえいえ。門番ですから」

 

 だがその笑顔の裏で、胸の奥に小さな不安が残っていた。

 

――あの影は、いったい何者だったのか。

 

 そして、なぜ“紅魔館の主”に会おうとしたのか。

 

 美鈴は空を見上げた。

 

 春の空は、どこまでも青かった。

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