翌朝。
紅魔館の庭には、まだ夜の冷たさが残っていた。
美鈴は門の前に立ちながら、胸の奥に沈む“ざわつき”を振り払えずにいた。
――お嬢様は、私に嘘をついた。
そう断言するほどの確信はない。
だが、昨日のレミリアの表情は、明らかに“何かを隠している者”のものだった。
「知らないままでいてほしい」
その言葉は優しい。
けれど、美鈴の心には小さな棘のように残っている。
――私は、本当に知らないままでいいの?
そんな思いが、青空の下で静かに膨らんでいく。
「……はぁ。考えても仕方ないですよね」
美鈴は軽く伸びをした。
その瞬間――
空気が揺れた。
風ではない。
魔力の波でもない。
“視線”だ。
誰かが、門を、そして美鈴を見ている。
美鈴はゆっくりと目を閉じ、気配を探った。
――湖の上。
昨日と同じ場所。
美鈴は目を開けた。
湖面に、黒い影が立っていた。
「……来た」
影は昨日よりも輪郭がはっきりしている。
まるで、この世界に馴染み始めているかのように。
影は声を発した。
「紅美鈴。
昨日はよく立っていたな」
美鈴は一歩前に出た。
「今日も、通すわけにはいきません」
影は笑った。
昨日と同じ、音のない笑い。
「通るつもりはない。
今日は“観察”に来ただけだ」
「観察……?」
「お前の運命を、だ」
美鈴の背筋が震えた。
影は続ける。
「紅魔館の主は、お前に真実を隠している。
それは、お前が“鍵”だからだ」
美鈴は息を呑んだ。
「鍵……?」
「そうだ。
紅魔館の未来を変える鍵。
そして――滅びを呼ぶ鍵でもある」
美鈴は首を振った。
「そんな……私が、滅びを呼ぶなんて」
影は静かに言った。
「お前は自覚していない。
だが、お前の運命は“流れを乱す”。
存在するだけで、運命の線が揺らぐ」
美鈴は言葉を失った。
影はさらに続ける。
「紅魔館は、運命を歪める器。
その中心に立つのは、本来レミリアではない」
美鈴の心臓が跳ねた。
「……じゃあ、誰なんですか?」
影は答えなかった。
ただ、美鈴を見つめる。
その沈黙が、答えそのものだった。
美鈴は震える声で言った。
「お嬢様は……私を守ろうとしているんです。
だから、真実を隠しているんです」
影は首を振った。
「違う。
レミリアは“恐れている”のだ。
お前が真実を知り、運命を変えてしまうことを」
美鈴は胸を押さえた。
――私が、運命を……?
影は湖の上で揺らぎながら言った。
「紅美鈴。
お前は、いずれ選ばねばならない。
“紅魔館を守る運命”か――
“紅魔館を壊す運命”か」
美鈴は震える声で言った。
「私は……壊したりしません。
紅魔館は、私の大切な場所です」
影は静かに告げた。
「ならば、真実を知れ。
レミリアが隠した“未来”を」
その瞬間、影の輪郭が大きく揺れた。
「……時間だ。
また来る」
影は霧散し、湖面に溶けた。
美鈴はその場に立ち尽くした。
胸の奥で、何かが軋む。
――私は、鍵?
――お嬢様は、何を恐れているの?
――紅魔館の未来って……?
答えはどこにもない。
ただ、青空だけが広がっている。
美鈴は拳を握った。
「……知らないままでなんて、いられない」
その言葉は、誰に向けたものでもない。
だが、確かに“決意”だった。
その瞬間、紅魔館の奥で、レミリアが小さく息を呑んだ。
まるで、美鈴の決意を感じ取ったかのように。