違和感を感じたところやセリフは修正してたりするけど自己満足目的で投げます。
短編完結は…したい(願望)
壁の外は、呼吸していた。
グランヴェインの第三防壁を抜けた瞬間、鳴神司はいつもそう感じる。大地の脈動。空気に混じる甘い腐臭。足元の地面がわずかに、生き物のように沈む感触。ここはもう、人間の領域ではない。
与えられた任務は単純だった。侵食域C-17区画の生態変異データを採取し、帰還する。単独潜入、四時間以内。それだけだ。
司は黒いコートの襟を立て、侵食因子の流れを皮膚で感じながら歩いた。体の奥で何かがざわめく。これが侵食だ、と彼は冷静に認識する。第二段階に片足を突っ込んだ自分の体は、この世界と会話するように微細な情報をやり取りし続けている。気持ち悪い、とは思わなくなって久しい。
――思わなくなった、というのは嘘か。
ただ、慣れた。慣れてしまった。
三十分ほど進んだ頃、司は足を止めた。
前方の廃ビル群の中に、動くものがいた。
人型。
しかし、人間ではない。
オレンジ色の髪。薄く焦げたような肌。琥珀色の目が、崩れかけたコンクリートの陰からこちらを見ていた。口元には、無邪気とも無感情ともとれる笑みが浮かんでいる。
掃除屋の主。ティニーと自らを呼称する存在。
正確には、その複製体のひとつだろう。だが司にとって、それは関係のないことだった。
「……また来たのか」
声が、思ったより平坦だった。怒りは確かにある。ただそれは、長年かけて研磨されて、今や刃物に近い形をしていた。
ティニーは首を傾けた。
「あれ〜?、知ってる顔。司くんだっけ」
「覚えてたのか」
「捕食した情報は共有されるから。本体も、他の子たちも、みーんな知ってるよ〜」
さらりと言う。司の両親を食ったのがこの群体のどれかであるという事実も、今の彼女の口調には一切引っかかっていない。悪意がないのは知っている。だからこそ、腹が立つ。
体内の侵食因子が動いた。司は右腕に意識を集中させ、黒い繊維状の組織を皮膚の外へと滲み出させ、剣のような状態にする。これが俺の武器だ。人類圏では危険視されている代物だが、ここでは使わなければこいつらに喰われて死ぬだけだ。
「任務の邪魔をするつもりか」
「ん〜、邪魔じゃなくて、観察。司くん、面白いから。侵食因子を自分でコントロールしてる人間って珍しいんだよね」
ティニーは廃墟の縁から飛び降り、ゆっくりと近づいてきた。足音がない。液状の何かが人の形を保っているだけだ、と司は思い出す。
「近づくな」
「怖い?」
「警戒してだけだ」
ティニーは立ち止まり、また首を傾けた。今度は反対側へ。
「ねえねえ、司くん。聞いてもいい?」
司は答えない。それを肯定と受け取ったのか、ティニーは続けた。
「なんで戦うの。もう
静寂。
廃ビルの壁面を、生体組織の蔓がゆっくりと這い上がっていく音だけが聞こえた。
「お前に答える理由がない」
「理由がないのに戦う理由もないじゃない?」
「俺にはある」
「俺が戦うのは、お前たちが調整と呼んでいるものの中に、人間がいたからだ。名前があって、声があって、笑ってた人間が」
ティニーの笑みが、少しだけ変わった。消えたわけではない。ただ、何かを考えるような間があった。
「……循環したよ。みんな、ちゃんと世界の一部になった」
「それが答えのつもりか」
「答えだよ。正しい答え。何か間違えた事でもあった?」
司は動いた。
速い。侵食による身体強化が限界まで出力される。ティニーは液状化して回避するが、司の斬撃は軌道を変えて追う。侵食因子を媒介にした直感的な読み。第三段階の境界に足をかけているからこそ使える、人間には本来不可能な感覚だ。
ティニーの腕が弾け、オレンジ色の液体が飛散した。
が、次の瞬間には再生していた。
「痛くはないけど」とティニーは言った。「それ、結構うまくなったね」
「……」
「でも、勝てないよ。司くんが完全に循環したとしても、私は増え続けるから」
司は息を整えた。わかっている。今日も、今日も勝てない。それでも。
「わかってる」
侵食組織を収め、一歩引く。任務はデータ採取だ。ここでこいつと消耗するのは合理的ではない。たとえこいつに家族を奪われていたとしても……
「また来るの?」とティニーが聞いた。
「ああ」
「何回来ても同じだよ」
「それでも来る」
ティニーはしばらく司の背中を見ていた。その目に何が映っていたかは、わからない。ただ彼女はぽつりと、独り言のように言った。
「……やっぱり面白いね、人間って」
司は振り返らなかった。
壁の向こうで、グランヴェインの灯りがかすかに見えた。帰れる。今日も、帰れる。
それだけが、彼にとっての勝利だった