86-エイティシックス-DIE NEUE THESE 作:ふそう
〈ミニ・ヒストリカル・ドキュメンタリー〉
"第二條"
"清國政府ハ奉天省南部ノ地及ビ海南島還付ノ報酬トシテ庫平銀八千萬兩ヲ明治二十八年十一月十六日即光緒二十一年九月三十日迄ニ日本國政府ヘ拂入ルコトヲ約ス"
"日本国外務省外交資料館所属 「遼東半島及び海南島還付条約」より一部抜粋"
◇
"第Ⅰ条.ロシア帝国海軍が中国北部沿岸に確固たる拠点を確保するため、清朝皇帝は旅順港、大連湾及び遼東半島周辺海域をロシア帝国に租借することに同意する。
ただし、この租借は清朝皇帝の当該領土に対する統治権を侵害するものではない。
"西暦一八九八年三月二十七日 光緒二十四年三月初六日,ロシア歴一八九八年三月十五日 北京"
"「旅順・大連租借に関する露清条約」"より一部抜粋"
◇
"Ⅰ.清朝皇帝は、フランス共和国が海南島の租借権を得る事に同意する"
"Ⅱ.清朝皇帝は、フランス共和国が湛江から徐聞とを繋ぐ鉄道敷設権を得る事に同意する"
"西暦一八九八年七月二十三日 光緒二十四年六月九日,北京"
"「海南島租借に関する仏清条約」より一部抜粋"
西暦二〇二四年五月三十一日の夜。
楊文理は急な頭痛と吐き気に見舞われた。
其れは忽ち四十度近い高熱へと変わり、翌日から暫くの間、彼は学校を休まざるを得なくなる。
小学校入学以来、体調を崩して学校を休んだのは片手で数えられる程度であったが、ここまで酷いのは初めてだった。
一週間経って漸く熱から回復した楊文理。
両親や双子の姉は安堵の息をついたのもつかの間、すぐに彼等は息子(弟)の身に重大な異変が生じた事を知る。
それまでの陽キャな性格は物静かだが相手から関わりを持ってくれば誰とでも気さくに対応する穏やかなそれに。
端正な顔立ちに何時も浮かんでいた勝ち気な表情は、見る者に安心感を与える様な柔らかいそれに様変わりしたのだ。
十二歳の小学六年生だとはとても思えない、推定精神年齢三十代前後の大人の様に冷静かつ温和な人柄の少年が、其所にはいた。
授業に復帰した彼の姿に、クラスメイト達は驚きを隠せなかった。
以前の楊文理なら休み時間や放課後にもなれば自分から仲の良いクラスメイトを誘ってと校庭でドッジボールや野球やサッカーをしたり、自宅に誘った或いは友達の家に誘われた先でゲーム機で楽しそうに遊んでいたのに、復帰後はそれをしなくなった。
相手から誘われれば気さくに応じたが、基本的には友達と外でワッと遊んだりするよりも、此れまでは見向きしなかった学校図書館に通って歴史漫画や偉人の伝記を読む事を好むようになったのである。
だが何より周囲に強い衝撃を与えたのは、自他共に認める短気で頑固者だったあの楊文理が、まるで別人の様に丸くなった事だ。
"俺"という一人称こそ変わらなかったが、聴いていて攻撃的かつ威圧的に感じる口調は姿を消し、不快感を感じない、優しげでお人好しさを感じるかの如き穏やかなそれが。
不敵で勝ち気な笑みもまた、優しげで爽やかな好少年とでも言うべきそれが取って変わった。
こうした楊文理の変貌ぶりに、先の問題児グループのメンバー達は尋常ならざる薄気味悪さや恐怖を感じたらしい。
彼等は、度々睨み付けてきたりあからさまに舌打ちする以外は殆ど関わって来なくなった。
此幸いと、以降楊文理は他人との目立った衝突を起こす事なく、至極平穏の内に残りの小学校生活を過ごしていった。
◇
変貌の影響は楊文理の私生活にも及んでおり、彼の趣味嗜好は一変した。
大好きだったジュースや炭酸飲料には好んで手をつけなくなり、紅茶、しかも本格的なティーメーカーで淹れた紅茶が取って変わった。
ワイン、ビール、ウイスキー、ブランデー、日本酒等の銘柄や酒の歴史に興味を持つ様になった。
歴史という分野に対して特に熱心な関心を持つ様になり、それは日を追う毎に強まっていった。
NHKの地上波で流れる大河ドラマや、BSで流れる歴史ドキュメンタリーはもとより歴史をテーマにした番組は本放送再放送問わず欠かさず録画しては何度も見返した。
YouTubeやニコニコといった動画共有サイトに投稿された歴史をテーマにした解説動画も好んで見る様になった。
司馬遼太郎原作の同名歴史小説をドラマ化した「坂の上の雲」の再放送を視聴した後には旧海軍の軍艦に興味を抱くと、夏休みと両親の出張を利用して、各地に保存されている
神奈川県横須賀市の海軍記念公園にある記念艦〈三笠〉、記念艦〈ながと〉に、伊四百型潜水艦の〈くろしお〉。
広島県呉市の有名な所謂〈大和ミュージアム〉と、隣接する海軍史料館の記念艦〈むつ〉。
京都府舞鶴市の重巡洋艦〈とね〉。
長崎県佐世保市の、〈日華相互防衛援助条約〉に基づく同盟国である中華民国から里帰りした記念艦〈雪風〉等々。
但し、雪風を見に行った時は、前の年に公開されて世界的大ヒットを記録したゴジラの新作映画のロケ地だった事もあって国内外から見学客が殺到しており、流石の楊文理も艦内見学は断念したが。
自室の本棚に大量にあった少年漫画の類いは押し入れの段ボールの中に姿を隠し、代わりに明らかに大人向けの青年漫画や歴史書、ノンフィクション小説の数々が名を連ねる様になった。
歳相応のアニメ・マンガ・ゲームへの興味を完全に失い、より年齢層高めの、明確に大人向けな作品ばかりを見る様になった。
『あの日を境に、本棚に並ぶ漫画が、急に子供騙しの落書きの見える様になってしまった。極最近迄、クラスメイト達と共に熱中していた筈なのに』
とは、後に楊文理が秘密裏に
アニメは見なくなった訳ではないが、大人向けの作品、〈コードギアスシリーズ〉や〈ガンダムシリーズ〉や〈マクロスシリーズ〉、〈タイタニア〉といったSF作品を好む様になった。
中でも特に気に入ったのが、西暦一九七四年に制作され、大人が楽しめる作品として人気を集め、日本アニメ史の転換点とも言われるアニメシリーズ作品〈宇宙戦艦ヤマト〉をリメイクした〈宇宙戦艦ヤマト二一九九〉と、そのシリーズ作品の数々だった。
両親が祖父母の代から揃ってヤマトファンである事から影響を受けた楊文理だが、作品の見方が此れまた小学生にしては風変わり極まるもので、映像は勿論、出版された記録集に記載された設定資料、SNS上で展開されるファンによる考察や解説等、劇中の歴史背景や艦の性能、特に戦略や戦術面からヤマトという作品に興味を向けていたのである。
其の姿は正に、前世で数百万から数千万の兵員の命を預かって来た軍人の、冷徹な戦況分析と戦史研究そのものだった。
更に彼は実際に、モデルになった戦艦のもとにも幾度となく足を運んでいる。
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少し、歴史の話をしよう。
そもそも、宇宙戦艦ヤマトの"ヤマト"とは、〈アジア・太平洋戦争〉中に実在した旧日本海軍の大和型戦艦一番艦"大和"から名がとられている。
西暦一九四五年四月、米軍は二つの島に対する大規模上陸作戦を敢行した。
一に、同年十一月に予定されていた〈
その一方面たる中国大陸南部上陸の〈
二に、翌西暦一九四六年三月に予定されていた中国大陸寧波半島上陸の〈
作戦の検討段階では、当初米軍の攻略目標は沖縄本島が候補に上がっていたのだが、沖縄本島には欧米列強から"極東のオアフ"と称された大規模な日本軍永久要塞や海軍の中城湾警備府が明治時代から存在しており、此の事が最終的に八重山諸島が攻略目標として決定される一つの要因になった。
西暦一九四五年四月六日、八重山諸島への特攻を命令された大和型戦艦一番艦〈大和〉を旗艦とする第一遊撃部隊と大和型戦艦二番艦〈武蔵〉を旗艦とする第二遊撃部隊は山口県沖から出港し、一路八重山諸島を目指した。
しかし途中、鹿児島県の坊ノ岬沖で米軍の偵察機に発見された後、米軍空母艦載機部隊と交戦。
後世〈坊ノ岬沖海戦〉として知られるこの戦いで戦艦大和は妹たる武蔵を残し、多数の艦艇と共に東シナ海の海底深くに沈んだ。
宇宙戦艦ヤマト二一九九は、その時沈没した大和型戦艦一番艦〈大和〉の残骸に偽装しつつ建造された宇宙戦艦の物語だ。
「ヤマト」、「ガンダム」、「マクロス」、「タイタニア」。
これらの作品の多くには、ある共通点がある。
"宇宙艦隊"の存在である。
前世ヤン・ウェンリーが青い軍服をその身に纏い、艦橋の指揮卓の上で胡座をかいたり立て膝で座った姿で指揮を執っていた宇宙艦隊。
それが登場するこれらの作品に興味を持ったのも、前世での宇宙艦隊司令官としての経験が無意識の内に今世に影響を及ぼしていたのかもしれない。
まだ完全復活前だった小学六年生の楊文理は、一人で地下鉄と"ゆりかもめ"を乗り継いでは、お台場の有名な〈むさし〉を何度も見に行く程であった。
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現存する唯一の大和型戦艦であり、旧大日本帝国海軍から防衛海軍へと受け継がれた〈むさし〉。
西暦一九五〇年に勃発した、サハリン島と北海道北部を領土とする極東共和国による北海道南部侵攻、日本側呼称で所謂〈北海道戦争〉では、日本の戦勝と北海道全土回復に多大な貢献をもたらし、激動の昭和の終わりと共に退役が決まった彼女《むさし》の安住の地には、幾つかの都市が名乗りを挙げた。
大和型戦艦の発祥の地と言える広島県呉市。
旧海軍時代から新海軍時代を一貫して母港とし続けた神奈川県横須賀市。
北海道新幹線の誘致の一環として名乗りを挙げた歴史ある軍港都市である北海道室蘭市。
彼女の生まれ故郷たる長崎県長崎市。
そして、艦名の由来になった"武蔵国"の領域を引き継ぐ首都、東京都。
最終的に彼女が〈防衛総省・海軍省〉が所有し、東京都と品川区から一部資金援助を受けた「海軍永久保存連合会」と南極観測船「宗谷」や青函連絡船「羊蹄丸」で有名な近隣の〈船の科学館〉による共同管理のもと、東京湾に浮かぶ人工島"お台場"(正確には品川区東八潮)に西暦一九七四年に開園した〈十三号地公園〉を前身として、東京湾岸道路を境とする北地区を浚渫工事を含む大規模な整備を施した〈都立むさし公園〉として、南地区を〈都立潮風公園〉として開園させる事で、永遠の安住の地を与えられたのは、西暦一九九五年八月五日の事だった。
開園三ヶ月後には新交通システムゆりかもめが新橋~有明間で開業し、最寄の台場駅は新橋から乗って来た見学客でごった返したという。
ゆりかもめは其の後、翌年にりんかい線が新木場駅~東京テレポート駅間で開業する迄、唯一の鉄道アクセス経路だった。
以来彼女は現在に至る迄、旧海軍時代に菊花紋章を戴いた艦首を皇居の方角に向けた姿で係留・一般公開されている。
甲板や艦内は絶えずエレベーターやタラップから乗り込んでくる国内外からの多くの見物客で賑わい、夜は煌びやかにライトアップが施され、年に何回かの夜間開放日には、近隣のキジテレビ球体展望室やお台場海浜公園と共にレインボーブリッジ越しに東京の光輝く摩天楼を見渡す夜景スポットと化す。
楊文理が、社会科見学の一環で乗艦したのは此の年の十月十三日の事。
国会議事堂を見学し、羽田空港を見学しに行く前に、錦華坂小学校六年生一行が"むさし"に立ち寄ったのは、今や彼女が東京都に暮らす小学生にとって定番の社会科見学先となっているからだ。
自由時間におけるクラスメイト達の過ごし方は思い思いだった。
昼食を食べたレストハウスで買った"むさしラムネグミ"を摘まみ、飲み終えた"むさしラムネ"の瓶からビー玉を取ろうとしたり、当時を再現したアイスクリームを食べる班。
スマートフォンを手に、退役当時の姿を残す右舷甲板上の対艦・対空・対地巡航誘導弾発射筒と誘導弾のレプリカの写真を撮る班。
左舷甲板上に忠実に復元された戦争末期の対空兵装展示エリアで実際に触って動かせる九六式二十五粍機銃やシールド無しの八九式十二糎七高角砲のレプリカに群がって遊ぶ班。
大和型戦艦を象徴する四十六センチ三連装主砲や艦内に展示されている本物の菊花紋章の前で記念写真を撮る班。
戦時中に搭載していた零式水上偵察機のコックピットや退役当時搭載していた哨戒ヘリコプターのコックピットを再現したフライトシミュレーションを体験する班。
大和型戦艦を舞台にした映画で実際に使用された衣装や台本、アニメとのコラボ企画ブースを見物する班。
艦尾の展望スペースから見える、東京港トンネルの換気塔と、宗谷を残して噴水広場に移設されて、今や船の科学館の事実上の本館と化した羊蹄丸の更にその背後に浮かぶ、東京国際クルーズターミナルに停泊した羊蹄丸よりも遥かに巨大な豪華クルーズ船や、対岸の品川埠頭に停泊する巨大貨物船を見物する班。
円筒状の塔型艦橋を、かつての士官用エレベーターや、体力に自信のある者は階段で昇って行く班。
そんな中、甲板を散策し、巨大な砲身と聳え立つ艦橋を見上げる楊文理の目は、まるで何かを悟ったかの様に物思いに耽る遠い目をしていた。
当時の事を、楊文理は後に秘密回想録の中で次の通りに記している。
『彼女の姉、アニメの中のヤマトは、作中の有名な台詞を引用するなら"無限に拡がる大宇宙"を、"静寂な光に満ちた世界"を、時に勇ましく、時に優雅に進んでいた。
だが、私の眼前で鎮座する彼女の姿は何処までも重苦しく、地球の重力に縛り付けられていた。
学校の紺の帽子を頭に被って彼女の上を歩くと、常にスニーカー越しにではあるが、木材或いは鉄を踏み締める感触を感じる。
案内をしてくれるスタッフと引率の先生達に連れられ、展示品の数々を見物しながら鉄で覆われた艦内を歩いていた時、私は何故かは分からなかったが、ある種の懐かしさを感じていた』
『人間という生物は、何故『死と破壊の為の道具』を此れ程迄に美しく磨き上げてしまうのだろう。
確かに彼女は二度と一発の主砲弾も対空砲火も誘導弾も撃つ事は無い。
名の由来となった武蔵国の海で記念艦として、其れ自体が一つの博物館として大勢の見学客を出迎え、年がら年中何かしらの催し物が行われ、夜になれば煌びやかに彩られる彼女の姿は、ある意味では平和で幸せな隠居生活を送っている様に見えなくもない。
だが、その平和は偶々運が良かっただけの危険極まる均衡の末に訪れたものなのだというのが、当時の私が抱いた感想だった。
歴史の事実として、彼女の木製の甲板の上で、或いは全周囲を鉄で囲われた艦内で、かつては数千人の乗組員達が息をつき、寝食を共にし、命令一つで大海原へと出撃し、多くが血を流し、遺体は海へと葬られていった。
正に今、自らの足で踏みしめる甲板の上で。
当時の私は、其れと全くおなじ光景を嫌と言う程良く知っているような気がしてならなかった』
書いていてあまりにも子供離れし過ぎたと思ったのか、本人の手で封印された其れは、前世で数えきれない数の敵艦を沈め、敵味方問わず数えきれない数の将兵を死なせてきた男の、血反吐交じりの陰鬱極まる独白であった。