86-エイティシックス-DIE NEUE THESE   作:ふそう

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第Ⅰ章 Ⅲ話

 

〈ミニ・ヒストリカル・ドキュメンタリー〉

 

"◼第Ⅰ条:スペイン王国は、グアム島を除いたマリアナ諸島の全主権と領有権を大日本帝国に譲渡する"

 

"◼第Ⅱ条:大日本帝国は、前条の領土譲渡の対価として、スペイン王国政府に対し八百万ペセタを支払う"

 

"日本国外務省外交資料館所蔵 「大日本帝國及ビ西班牙両國間ノ領土譲渡ニ関スル条約」"

 

 


 

 

〈大阪・関西万博〉が開幕した西暦二〇二五年四月。

 

十三歳の誕生日を迎えた楊文理は、千代田区立神保中学校の中学一年生となった。

彼の双子の姉も此処の出身である。

 

中学校に上がると、必然的に学校生活には大きな変化が生じる。

六年間だった小学校生活が中学校生活では四年間になる。

通学範囲が拡がり、登下校の時間が伸びる(各々の自宅からの距離によるだろうが)。

授業の時間が延びる。

科目毎に担当の先生が変わる。

先輩と後輩の上下関係が出来る。

テストの難易度が上がる。

私服(中には制服がある小学校もあるかも知れないが)での登下校が制服即ち学ランになったりと、変化は様々である。

当然、楊文理もその洗礼を受けた。

 

楊文理についての魅力的な逸話を聞き付けた、各々の部活動への勧誘を受けたのである。

毎日何処かしらの部活から勧誘の声が掛かった。

上級生達や同級生達から声をかけられる度に楊文理は、親切な誘いを断る事に少なからぬ罪悪感を抱きながらも、相手を傷つけたり怒らせたりしないよう細心の注意を払いながら謝絶の意を伝え、その都度各部活は無念の玉砕を強いられ、一つ、また一つと、各部活は勧誘戦線を離脱していった。

そんな中、楊文理の足を掴んで離そうとしない諦めの悪い部活が一つだけあった。

 

〈千代田区立神保中学校野球部〉である。

 

東京都区部の公立中学校としては全国的に見ても一位二位を争う程に運動系の部活動が大変盛んな学校として知られている神保中学校。

特にサッカー部、バスケットボール部、柔道部が男女共に関東大会優勝、全国大会出場常連の強豪として全国にその名を馳せる水準にあった。

そんな強豪揃いの中にあって、例外的に弱小と言わざるを得ない水準に留まっていたのが野球部だった。

 

嘗て、公立中学校の野球部としては東京都内最強と吟われていたのも今は昔の話状態。

 

その末裔たる今の野球部員達が楊文理に羨望の眼差しを向ける様になったのは、瓊音英樹の兄から聴いた話がきっかけだった。

あの、小学六年生の楊文理が対決した瓊音英樹の兄は神保中学校の生徒で、シニアリーグと野球部を掛持ちする二刀流の人物だった。

つまり楊文理は、本人の知らない内に勧誘の最優先目標だったのである。

 

 

"楊文理を、どうしても野球部に欲しい"

 

西暦二〇二五年六月に開催された球技大会は、野球部員達に楊文理勧誘に向けた決意を更に強めさせるきっかけになった。

毎年六月、体育祭とは別に開催される球技大会。

参加したい球技を事前にアンケート用紙に記入する仕組みであるのだが、スポーツに興味が無い楊文理は"お任せ"の欄に丸を書いて担任に提出した。

 

その結果として、野球をやる事になった。

 

大会の規定上所属する部活とは異なる球技に参加していた野球部員達。

球技大会当日、彼等は体育の授業で着る学校の紫のジャージに身を包んだ楊文理が、同じ錦華坂小学校出身で、野球クラブチームに所属していた同級生、現在は〈助っ人部〉なる部活に所属している斉城立羽(さいきたては)と、同じく助っ人部員となった瓊音英樹相手にホームランを決めた姿を、一様に羨望の眼差しで見つめていた。

 

運動神経の良さやホームランの件も勿論そうだが、中学一年生当時の楊文理が身長一七三センチ、斉城立羽が一七三センチ、縫戸英樹に至っては一八〇センチと、三人揃って十三歳日本人男性の平均身長を上回っていたのも魅力的だった。

野球というスポーツは背が高ければ高い程試合で有利になるとされている為である。

そんな三人を何としてでも取り込みたい野球部の勧誘活動は大変熱の入ったものとなった。

縫戸英樹と斉城立羽に関しては助っ人部との兼部という形成功したが、楊文理に関してはそう上手くいかなかった。

 

野球というスポーツは背が高ければ高い程試合で有利になるとされている為である。

そんな三人を何としてでも取り込みたい野球部の勧誘活動は大変熱の入ったものとなった。

縫戸英樹と斉城立羽に関しては助っ人部との兼部という形成功したが、楊文理に関してはそう上手くいかなかった。

 

「ウチの野球部、髪型は自由だぞ」

 

そう言っても、楊文理は首を縦に降らなかった。

 

「背も高くて体つきもシュッとしてるし。いい体力と運動神経を持っているのに、本ばかり読んでるなんて勿体無くないか」

 

此の言葉に対する楊文理の返事は次の通りだった。

 

「俺は皆の役には立てないよ。もし俺が小さい時から何かしらスポーツをやっていたなら、誘われなくても自分から入っていただろうね。でも俺はそうじゃない。俺は文系の水を飲んで育った。飲み馴れない水(体育会系)を飲むと、身体を壊すと言うよ」

 

"小学校の時、あれだけ運動神経良かったのに何言ってんだ・・・"

 

等と突っ込みを受けながらも、楊文理は同級生や上級生からの親切な誘いを断る事に少なからぬ罪悪感を抱きながらも、相手を傷つけたり怒らせたりしないよう細心の注意を払いながら謝絶の意を伝えて場を切り抜け続けた。

 

其れでも野球部員達は決して諦めなかった。

 

LINEグループでは"楊文理を野球部に"をスローガンに、先輩後輩の上下関係問わず"どうしたら楊文理を野球部に取り込めるか"についての作戦会議の場が毎週持たれ、其処で考え出されたアイディアを基に勧誘作戦が行われたが、その後も楊文理の勧誘成功の切り札になりそうな物は得られず、唯々時間だけが過ぎていった。

 

ふと気付けば、楊文理に粘り強く積極的な勧誘を続けているのは野球部のみとなっていて、其れは野球部勧誘を巡る争いが楊文理対野球部の持久戦に突入した事を意味していた。

この争いに終止符が打たれたのは、西暦二〇二五年十月。

楊文理の身長が更に伸びて一七五センチに達したある日の事だった。

 

 

 

西暦二〇二五年十月最初の月曜日。

 

その日、一日の授業と放課後の掃除当番を全て終えて家に帰ろうと下駄箱で上履きから外靴に履き替えていた楊文理は、突如としてユニホーム姿の野球部員達八人に取り囲まれた。

数数多あるスポーツの中でも、着るもの履くもの着ける物が特に多いのが野球であるが、楊文理の所属した区立神保中学校野球部の場合は強豪時代の名残が色濃く残った代物である。

 

黒を基調とし、学校名を略した「JINBOU」の金糸の刺繍が入ったユニホームシャツ。

左右両サイドに黒の縦線が入ったユニホームパンツ。

黒のハイネックタイプのアンダーシャツ。

神保中学校の校章が相手から見て正面に見える位置に金糸で縫われた、今時かなり珍しいであろうハイカットタイプ(くるぶしより上の部分が大きく開いて下のアンダーソックスが良く見えるタイプのストッキングの事で、神保中学校の物は脛の中間辺り迄くり抜かれている)の黒いストッキング。

練習試合や公式戦時用の白いアンダーソックス。

校章入りの黒いスパイク。

 

以上からなるユニホームに身を包んだ彼等の中には、助っ人部と野球部を兼部する縫戸英樹と斉城立羽の姿もあった。

一体いつの間に着替えていたのかは兎も角、その陣容を前にして、遂に実力行使に出たかと楊文理は思った。

 

それもその筈で、この時野球部は危機的状況に陥っていた。

 

九月末で四年生が引退してしまった影響で、元々人数が多くなかった野球部は試合に出れる最低人数を下回っていたのだ。

どうにかして部員を増やさなければならないが、もし部員集めがうまく行かなかったら試合には出れなくなる。

それどころか、今練習で使っているグラウンドを強豪サッカー部や陸上部に取られてしまう事だってあり得た。

 

その様な状況下にあっても、楊文理は相変わらず勧誘の最優先目標であり、今更ながら万策尽きたと感じた野球部は、楊文理相手に野球部入部を懸けた一か八かの真剣勝負を挑む事を決意したのである。

 

バッティング勝負だった。

 

これに野球部が敗れたら勧誘は諦めるが、逆に楊文理が勝負に敗れたら、楊文理には四年生の秋に引退するまで野球部に尽くしてもらうというのが勝負の内容だった。

この時の野球部は、自分達が勝利した場合を想定してなのか、副部長を務める三年生の手元には学校が在庫として保管していた野球部の練習用と試合用のユニホームが一式入った紙袋が携えられていた。

 

楊文理は一度大きくため息をつくと、野球部からの宣戦布告を受けた。

 

学ランを脱いで腰に巻き、ワイシャツの袖を捲り、野球部からヘルメットとバットを借りて挑んだ勧誘戦争始まって以来初の実戦勝負。

結果は、楊文理の勝利で終わった。

 

 

勝者となった楊文理。

だが其の目の前では、野球部員達がまるで大切な試合に負けた時の様に本気で悔しがっている。

其の姿を見て、これで勧誘から解放されるであろう事への安堵と罪悪感が入り交じるなんとも複雑な思いに駆られた。

 

"いやはや、どうしたものかな・・・"

 

楊文理が困った顔をしながら頭を掻いていると、突然後ろから声を掛けられた。

 

振り替えると、そこにいたのは四年一組の担任で野球部の顧問とコーチをしている歴史教師だった。

四十代後半の男性で、彼自身中学生から高校生時代にかけて野球部に所属し、高校球児達の聖地たる甲子園大会にも出場した経験の持ち主でもある。

 

彼は野球部員達が勝手に勝負を挑んで迷惑を掛けたであろう事を謝罪すると、同時に楊文理に今一度中学野球部入部を再考して欲しいと懇願し、頭を下げた。

彼もまた、内心では楊文理を野球部に取り込みたいと切望していたのである。

 

野球部員達も"お願い!"と言わんばかりに頭を下げ、縫戸英樹は「一緒に野球やろうぜ」と言わんばかりにニカっとした笑みを浮かべて楊文理の肩に腕を回し、斉木立羽も説得を試みてきた。

 

部長に至ってはいつの間にやら用意していたらしい入部書類の紙を両手で突き出しながら深く頭を下げている。

 

これには彼も暫しの黙考を余儀なくされた。

 

頭を掻いたり、頭を抱えたり、時には腕組しながら空を見上げたり。

遂に楊文理は小さいため息と共に結論を下した。

 

"降参するか・・・"

 

楊文理は勝負に勝ったにも関わらず、野球部入部に同意した。

そして其の場で野球部入部の書類にサインをし、野球ユニホーム類が一式納められた例の袋を手に取り、正式に野球部員の一員に名を連ねたのである。

 

人生で初めて"野球少年"としての四年間の第一歩を踏み出した瞬間であった。

 

この後、同じ錦華坂小学校出身の同級生である蘭鶍も、登校班が同じだった中学二年生の新井亜理子(あらい・ありす)と、引退した元野球部員の友人から話を聞きつけた中学四年生の姉に放り込まれる形で渋々ながら入部した事で、神保中学校野球部は試合に必要な最低人数を辛うじて上回った。

 

 

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