86-エイティシックス-DIE NEUE THESE 作:ふそう
〈ミニ・ヒストリカル・ドキュメンタリー〉
"第二章 領域"
"第二条(A):日本国は、朝鮮の独立を承認して、朝鮮に対する全て権利、権原及び請求権を放棄する。"
"第二条(B): 日本国は、クルーゼンシュテルン海峡以北の千島列島並びに日本国が西暦一九〇五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太島及び此れに近接する諸島に対する全ての権利、権原及び請求権を放棄する。"
◇
"第三条(A):連合国は、東シナ海自由地域連邦政府委員会が管轄する南山道島、耽羅島、南西諸島、及び此れ等に附属する全諸島が日本国に帰属する事に同意する。
"第三条(B):日本国は、孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島、北真理亜納諸島を含む。)並びに沖の鳥島、中鳥島、南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。"
◇
"第五章 請求権及び財産"
"第二十二条:日本国は第二章三条(A)の規定について、東シナ海自由地域政府委員会を構成した連合国に代償金を支払う事に同意する"
"日本国外務省外交資料館所属「日本国との平和条約」より一部抜粋"
区立神保中学校野球部は、活動日を月曜日、火曜日、木曜日、金曜日に定めている。
此の手の部活としては珍しく土日は休みで、活動時間は放課後二時間である。
野球部に尽くす事になった楊文理だが、野球少年となっても尚、端整な顔立ちながらスポーツ少年らしくない文化部系の見てくれには何ら変化はなかった。
強いて野球部員らしさを見出だすなら、其れは服装であった。
野球ユニホームという物は、着るもの履くものが多い。
当然、着替えにも色々手間が掛かる。
其の面倒を可能な限り省く為に、楊文理は部活の日になると制服の下に予め野球用の下着、黒のアンダーシャツとアンダーソックスを着込んで登校する事にしたのである。
学ランを脱いで、捲ったワイシャツの下から露になるアンダーシャツ。
放課後になれば、グラウンドには野球ユニホームを身に 身に纏った彼の姿が見られた。
癖毛の多い黒髪を靡かせながらグラウンドで白球を追いかけ、部活が終わればジャージに着替えて帰宅の途につく。
そんな日々を送る楊文理の姿は、彼が確かに野球部員だという証だった。
とは言え、彼の野球部に取り組む姿勢は真面目さが感じられるとはお世辞にも言えないものだった。
居残っての自主練習はやらない。
練習の合間の休憩中にはベンチに寝転がって本を読んだり、野球帽を顔に被せて昼寝したり。
だが、これらの行為が問題視された事は無い。
そんな"些細な事"よりも、部員達の注目は練習試合や公式戦での活躍にばかり向いていた。
楊文理、斉城立羽、瓊音英樹、蘭鶍。
確かな運動神経の持ち主である彼らがが入部してからというもの、万年敗北続きだった神保中学校野球部は練習試合で大きな戦果を残す様になった。
二度目の札幌五輪が開かれた西暦二〇二六年には、千代田区の大会で何十年か振りの優勝を果たした。
その活躍ぶりは、他の野球部員達の想像を優に越えていた。
まさに英雄的活躍であった。
こうして彼ら四人組は、入部から極短期間で仲間達は勿論他校の選手からも"奇跡の四人組"の異名で呼ばれる様になり、楊文理はその一人たる"奇跡の楊"の異名で知られる文句無しのエース選手の一人へと成長する。
だが言うまでもなく、野球部の躍進は彼らだけの功績ではない。
四人組の活躍を見て負けじと練習に取り組む新入部員達の努力あってこその快挙だ。
楊文理は特にそれを自覚していたから、学校の同級生は勿論、周囲の大人達や自分の親兄姉弟妹に対しても自分の活躍を鼻にかけたり、つけあがったりする様な事は絶対にしなかった。
そんな彼の人柄も、端正な容姿と共に周りから好意的に高く評価された。
小学生時代は図書委員を務め、今でも暇さえあれば難しい本を読んでいる自他共に認める文系男子な楊文理が、今や野球部で背番号一番を背負うエース選手であるというギャップも魅力の一つだった。
加えて、四人揃って俗に言うイケメン揃いな物だから、
区大会優勝から間もなくクラスの女子達の間では、"楊文理ファンクラブ"や"瓊音英樹ファンクラブ"なるものがLINE上で結成され、結果的に全校生徒の野球部への関心は高まる一方だった。
特に、ヘルメットや野球帽を被る前の、黒髪の前髪をかきあげた楊文理のオールバック姿は女子達から"カッコいい"とクラスのLINEグループでは専ら話題となっていた。
尤も当の本人達はこの事実を知らないのだが。
◇
楊文理の家族は、彼が"奇跡の四人組"の一人に名を連ねる程の野球選手になった事をどう思っていたか。
例えば母。
学生時代はバレー部のスポーツ少女で、インターハイ出場経験もある彼女は、暇さえあればベッドやソファーに寝転がって本ばかり読んでいた息子楊文理が中学校で野球部に勧誘を受けている事を知るや入部を薦めたが、本人からああ言えばこう言うで其れを否定され続けた。
だが、いざ楊文理から野球部入部を引き受けたと聴かされるや、野球部で仲間達と身体を動かして汗を流すという歳相応の学生らしい青春の日常を過ごす事に大感激。早速人気韓流アイドルグループの写真が貼られたスマートフォンでネット通販のサイトを開くや野球用品の類いを買い漁った。
別の意味で入部を喜んだ人間もいた。
二人の双子の姉達である。
長女の名前を
当時は大学一年生だった。
中学高校とバスケットボール部で活躍したスポーツガールな彼女達だが、プライベートでは大のアニメ・漫画・コスプレオタクという共通の趣味を持っている。
双子揃って"イケメン系女子"と周囲から持て囃されていた彼女達はコスプレ界隈のSNSではかなりの有名人であり、毎年江東区有明の東京ビッグサイトで夏と冬に開催される超有名大規模イベントでは高クオリティなコスプレ衣装を披露しては話題を集めていた。
余談だが、彼女達の得意分野は男装コスプレである。
そんな彼女達だが、自分達でコスプレして楽しむのも勿論好きなのだが、それ以上に他人(特に男性)がコスプレしているのを撮影するのが大好きだった。
楊文理も中学生になるや、姉達の趣味に付き合わされる様になる。
彼が人生で初めて着させられたコスプレは、ガンダム・シリーズの数多くのキャラクターの一人であるシン・アスカというキャラクターの軍服だった。
姉達曰く、楊文理の声とシン・アスカの声は良く似ているらしい。
この時のコスプレが思いの外好評だったからか、これ以降楊文理はシン・アスカを演じたのと同じ声優が演じているキャラのコスプレを多くさせられる様になった。
ある週は〈宇宙戦艦ヤマトニ一九九〉シリーズの島大介。
ある週は〈マギ〉の夏黄文。
ある週は〈銀魂〉の沖田総悟(正確には作中で彼が所属する真撰組の隊服を着て、バズーカ砲を担いだだけ)。
等々、姉達の趣味に週に一回ペースで付き合わされ続けた楊文理が野球部に入ったのは、丁度姉達が〈ダイヤのA〉という野球漫画に登場する松原南朋というキャラの野球ユニホームを楊文理に着させようとしたのと同じタイミングだった。
コスプレ衣裳のそれではない、本物のユニホーム姿を撮影する機会を逃す訳がない。
あの日、野球部入部書類にサインを済ませ、着替え分も含めたユニホーム一式が入った紙袋を携えて帰ってくるや、楊文理は早速姉達の命で野球部のユニホームに着替えさせられた。
そしてその後一時間近く、彼は姉達の趣味に付き合わされたのである。
◇
〈横浜花博〉が無事閉幕し、西暦二〇二七年も終わりに近づきつつあった九月。
区立神保中学校三年生になっていた楊文理は顧問兼監督と四年生の野球部部長から直々に、次期野球部部長就任を打診された。
野球部では四年生の引退時期を九月末と定めている為、必然的に次の部長を選ばないといけない訳だが、当時の部長が楊文理を次期部長就任を打診したのは、試合での活躍は勿論だが、何よりも彼の人柄を重要視しての事だった。
楊文理は最初此れを丁重に謝絶した。
たが、間もなく引退する四年生と残される部員達の全員一致の推挙に押される形で、最終的には野球部の新部長就任要請を受諾した。
やがて年は改まり、ロサンゼルスで五輪が開かれる西暦二〇二八年を迎える。
四月には楊文理も十六歳の中学校四年生になった。
肝心の前世の記憶については、相変わらず楊文理は綺麗に喪ったまま。
依然として完全復活の兆候は表立っては見られなかった。
だが、本人の知らぬところで"その日"は着実に近づいて来ていたのである。
切っ掛けは、此の年の五月に起きたある事件だった。
◇
西暦二〇二八年五月二十八日の日曜日、区立神保中学校に通う生徒達が世間に大きな衝撃を与える事件を起こした。
"千代田区立神保中学校サッカー部集団窃盗事件"。
強豪として知られる神保中学校サッカー部員約五十人の生徒による、組織的な万引き事件であった。
犯行を主導する主犯格、リーダー格を担っていたのは、嘗て小学校時代にいじめを働いた事で変貌前の楊文理に成敗された過去を持つ、中学校ではサッカー部部長の地位にあったA少年率いる件の旧虐めグループだった。
彼らは自分達を頂点として、部活動内部での先輩後輩の上下関係を利用した組織を作った。
そして、コンビニ、スーパーマーケット、ショッピングモール、個人商店を標的に万引きをしては盗んだ商品をスマートフォンのフリマアプリで転売したり、盗撮写真や動画を販売して現金収入を得ていたのである。
当時の区立神保中学校の全校生徒数が凡そ五百人だったから、実に一割近い生徒が事件に関与していた事になる。
部活動そのものが犯罪組織と化していた、正に前代未聞の大事件だった。
事件発覚のきっかけは、JR秋葉原駅ホームでの盗撮がバレて街中を追われながら散り散りになって逃げていたサッカー部員の一人(以下、B少年)を、偶々野球部が休みだった楊文理が捕まえた事だった。
B少年は、神田川に掛かる万世橋の南、都電城東線の始発駅である須田町電停がある交差点の横断歩道を渡っていた楊文理の前方から、声を張り上げながら追いかけてくる大人達を嘲笑うかの様な笑みを浮かべて此方に走って来た。
"誰か、ソイツを捕まえてくれ!"
其の声が楊文理の耳に届いたと思えば、彼は無意識の内にB少年を仰向けに倒して馬乗りになり、彼の腕を後ろで組み伏せて完全制圧していた。
目撃者曰く、"良く訓練された軍人の様な動き"でB少年の腕を掴んで投げ飛ばし制圧したのだと言う。
何故自分がこんな事をしているのか、何故自分がこんな制圧術を知っているのかさっぱり分からなかったが、万世橋署から警察官が駆けつけてくる迄の間、B少年が逃げ出さない様に取り押さえておく事に集中した。
間も無くB少年は連行され、楊文理には警視庁から犯人逮捕への感謝状が贈呈された。
SNS上では楊文理への称賛の声と共にサッカー部の件が大炎上。
学校側には抗議の声が殺到し、記者会見やら緊急保護者会等の対応に追われた。
しかしながら、結局A少年達サッカー部員達が家庭裁判所に送致される事はなかった。
案の定、A少年の両親から圧力が掛かったという噂である。
サッカー部についても、廃部ではなく無期限の休部に留まった。
世間ではこの決定もA少年の祖父と両親からの口添えによる物ではないかという意見が多数を占めているが、此方の真相は不明である。
一方、当の楊文理の興味はあの日の自分の行動に向けられていた。
◇
感謝状が授与された日の夜、楊文理が自室で寝転がりながらスマートフォンでYouTubeを見ていると、ある一本の動画に目が留まった。
自分がB少年を取り押さえている様子を須田町電停で都電を待っていた客の一人がスマホで撮影した動画だった。
何故かこの時、この動画が気になって気になって仕方なかった楊文理は、ふと再生ボタンを押してみた。
五秒間の広告が終わり、動画がスタートする。
そして、目を疑った。
動画に映る自分は私服姿ではなく、青いベレー帽と青いジャケット、白のズボンと褐色のハーフブーツという、何処かの国の軍服とおぼしき服を着ていたのだ。
自分の目が可笑しくなったのかと思って、一度手で両目を擦って改めて動画を見返してみると、今度はあの日着ていた私服に戻っていた。
「いやはや、何だったんだ今のは・・・」
ほっと一息ついた楊文理。
と、同時に、彼はあの青い軍服に何処か馴染み深い、懐かしさを感じていた。
"俺は、あの服が一体何なのかを知っている・・・?"
"いや、でも、俺はあんなの見たことも無いし、着たことも無い"
"だとしたら、この変な懐かしさはなんなんだろうか・・・?"
・・・その謎が解けたのは、この奇妙な体験をした三日後だった。