86-エイティシックス-DIE NEUE THESE 作:ふそう
長々と楊文理ことヤン・ウェンリーの話にお付き合い頂きありがとうございました。
地球衰亡の記録に残された謎
"前世のヤン・ウェンリーが、子供の頃に抱いていた疑問がある"
千年以上前の太陽系。
人類が未だ地球という一つの惑星のみを生存圏としていた時代に迄、時を遡る。
時に西暦二〇三九年、当時地球人類を大きく二分する勢力のであった〈アメリカ合衆国〉を中心とする西側諸国と〈ソビエト社会主義共和国連邦〉を中心とする東側諸国の敵対的対立構造は、遂に人類に一つの結末をもたらした。
〈十三日戦争〉。
NATO、ワルシャワ条約機構両軍の通常戦力による全面戦争が十三日目を迎えたその日に始まった熱核兵器の応酬は、両陣営の大都市群を熔けた金属と焼けた木材と粉砕されたコンクリートと無数の骸が横たわる原野に変え、放射性物質や化学物質によって汚染し尽くした。
両陣営が自らの武力の濫用によって壊滅した後も、戦乱の時代は続いた。
北米大陸からユーラシア大陸にかけての北半球を割拠した軍閥・残存都市・政党・部族・氏族・教団等による自称小国家群は、終りの見えない戦乱の時代を短縮させるのに何の役にも立たなかった。
信仰や政治思想の相違は諸勢力間はもとより、個人レベルにも偏見と憎悪、陰謀論と排他性、被害妄想の種を撒き散らしては至る所で殺人に次ぐ殺人、虐殺に次ぐ虐殺を繰り広げ、生存者達を更なる破滅の深淵へと追い立てたのだった。
疲弊の極みに達した十億人足らずの人類が史上初の統一政体〈地球統一政府〉を誕生させたのは、十三日戦争から実に九十年の歳月を経た西暦二一二九年の事だった。
南半球にあって戦乱の被害が少なかったオーストラリア大陸東北部の大都市ブリスベンを首都とし、人類は再建の道を進んだ。
破壊された都市を再建し、新たに都市を建設し、荒野を緑化した。
大小の事業に取り組む熱意は、人類を新たなフロンティアに駆り立てるエネルギーにもなった。
〈宇宙〉という名の新たなフロンティアにである。
◇
十三日戦争以前の宇宙における人類の足跡は火星迄に留まっていたが、西暦二一六六年には木星の衛星イオに開発拠点が設けられるに至った。
宇宙開発を主導した〈宇宙省〉の本部は戦前からの月面都市に置かれ、西暦二二〇〇年代には其の人口が首都ブリスベンを凌駕する。
「ブリスベンは地球の首都だが、月面都市は全太陽系の首都だ」
以上の言葉が、宇宙省発行の"宇宙白書"に載ったのは此の頃である。
其れから暫くの間、人類の生存圏は太陽系内部に留まっていた。
西暦二二五二年には、史上初の恒星間探査船が、かつて太陽系に侵入した恒星間移動天体の名を冠した〈オウムアムア〉が、ケンタウルス座α星を目的地として進発したが、彼等が帰還する事は遂になかった。
アントネル・ヤノーシュ博士を長とする宇宙省技術部門が、人類の恒星間航行を容易足らしめる三美神、即ち亜空間跳躍航法・重力制御・慣性制御の技術に実用化の目処を立てたのは西暦二三六〇年。
完全な実用化に成功したのは西暦二三九一年の事だった。
西暦二四〇二年、三美神の力を得た探査船団により、カノープス星系に居住可能な地球型惑星が発見され、人類は恒星間移民時代を迎えた。
そして此れが、地球を中心に据えた"単一の権力"体制に亀裂を生じさせる始まりとなる。
西暦二四〇四年、自動機械による入植地建設が一段落し、第一次移民船団が太陽系を進発した時、首都ブリスベンでは統一政府の首脳陣は、あまりに遠く離れた入植地に、どの程度の自治権を認めるのかについての討論を延々と続けていた。
◇
西暦二六三〇年代当時、地球統一政府軍は宇宙軍の一軍種のみで構成される所謂〈一軍制〉を採用していた。
地球統一政府が全宇宙における唯一の政体である以上外敵は存在し得ない。
にも関わらず成立した宇宙軍は生存圏拡大のスピードを上回る勢いで際限なく肥大化し、その組織内部も、其れを統率する地球統一政府の機構も、地球人達自身の精神もまた、著しい退廃を続けていた。
資源が枯渇した地球は殖民惑星の産業を金融と資本力で支配し、殖民惑星から利益と資源を独占的に吸い上げていたのだ。
其れに対する不満を抑え込む手段が、宇宙軍だった。
だが、抑え込むだけでは殖民惑星の地球本国への反感は強まるばかりである。
西暦二六八二年。
忍耐の極みに達した殖民惑星は団結して自治権の確立を求めた。
此の動きに憤慨した地球側は直ちに行動を開始した。
反地球派殖民惑星の急先鋒だった惑星シリウス。
彼等は地球に取って変わって人類社会の頂点たらんとする野心があるとの陰謀論を宣伝し反地球派殖民惑星間の連帯を妨害工作を図った。
しかし此の工作活動は皮肉にも、反地球派のみならず中立寄りだった殖民惑星をもシリウスの下に結集させてしまう結果となった。
業を煮やした地球は遂に実力行使に踏み切り、地球統一政府宇宙軍の大艦隊は合同演習の名目でシリウスに集結していた殖民惑星の宇宙軍を壊滅させ、シリウスの首都星ロンドリーナは占領された。
十三日戦争と九十年戦争という、末世的で世紀末的状況下を経た人類社会においては、宗教的価値観は其の影響力を殆ど喪い、其れが道徳や倫理観の深刻な退廃を招いた。
占領下のシリウスでは、腐敗の極みに達していた地球軍によって非戦闘員の大量虐殺、略奪、誘拐、強姦等の残虐行為が横行。
中でも、最も悪名高く、最大規模の残虐行為が行われたいのが、惑星ロンドリーナ最大の都市であったラグラン市であった。
機械化野戦師団十五個、空中攻撃師団四個、都市型戦闘師団六個からなる地球軍地上部隊が、敗残兵狩りの名のもとに市内に突入。
事実上の無差別殺人を公認する過激極まる命令の下、地球軍はラグラン市全域を舞台に常軌を逸した殺戮と、暴行と、掠奪と、破壊の限りを尽くした。
ダイヤモンド原石の研磨工場、金銀プラチナ等の加工工場が集中し、惑星ロンドリーナの豊富な天然資源・鉱物資源の生産及び集散の中心地だった市内北地区では、宝石目当てに殺到した地球軍部隊は労働者達や責任者達を虐殺すると、残された膨大な量の宝石を巡って地球軍部隊同士が同士討ちをするという醜態を晒した。
"染血の夜"
後世においてそう呼ばれる十時間に及ぶ大虐殺によって殺害されたラグラン市民の数は、実に九十万人を越えた。
此れに更に、"同市内に依然として潜伏する抵抗勢力"の殲滅を名目とした再掃討作戦での死者を合わせて、実に百三十万人近い市民達が死者の葬列に加わる事を強制された。
殖民惑星の人々が地球に対して恐怖と憤怒と憎悪の念に駆られる一方、地球市民は身分を弁えない未開な殖民星人に鉄槌を以て教訓足らしめてやる決断を下した政府と地球軍に歓呼と称賛の声を高々に叫んだ。
だが、地球による一連の蛮行の中から、殖民諸惑星が待ち望んだ希望が生まれた。
〈ラグラン・グループ〉である。
◇
"染血の夜"を生き延びた、面識も無ければ職業も年齢もバラバラな四人の男達。
彼等が初めて一同に会したのは、中立地帯を称していたプロキシマ系第五惑星プロセルピナでの事だった。
反地球統一戦線に参加した彼らの役割分担は、後世"適材適所の模範"と称された。
地球軍による所持品検査を拒否した事で銃床で乱打され、意識不明の重傷を負ったが奇跡的に生還した、元テレビ局報道記者のカール・パルムグレンは、理念と言論によって支持を拡げ、反地球統一戦線の政治的指導者の地位を確立した。
泥酔状態の地球軍将校に母親を射殺され、それのみならず母親殺しの容疑者に仕立て上げられて逃亡を余儀なくされた、元鉱山の会計係で労働組合の書記のウィンスロー・ケネス・タウンゼントは、会計係時代は埋もれていた卓越した行政処理能力の才能を開花させて反地球陣営の経済基盤を整え、同時に経済改革によって各惑星の生産性を飛躍的に向上させた。
恋人に性的暴行を働いた地球軍兵士を殺害した結果、逃亡者となる事を余儀なくされた、シリウス軍士官学校卒業後は軍医科大学で薬草学を学ぶ医学生だったジョリオ・フランクール。
彼もまた、埋もれていた純軍事的才能を開花させて各殖民惑星の残存軍隊を反地球統一戦線の軍事部門である〈黒旗軍〉に統合。
自ら総司令官に就任し、急ごしらえ感の否めなかった黒旗軍を統一された精強な軍隊へと育成した。
親代わりに育ててくれた姉夫婦を地球軍の無差別攻撃で殺された、音楽学校で作曲を学んでいたチャオ・ユイルン。
彼もまた、本人も驚く程の謀略家としての才能に目覚め、反地球統一戦線では情報収集や謀略、破壊工作を担当。
下級悪魔も鼻白むと言われる程に悪辣な謀略を繰り返す事で巨大な地球統一政府と其の軍隊を弱体化させ、結果地球軍は黒旗軍の手で次々に撃破されていった。
〈第二次ヴェガ会戦〉と呼ばれる、シリウス戦役における最後の艦隊戦では、軍内部での権力闘争や派閥抗争には長けた才能を持ち合わせつつも、肝心の戦闘指揮能力や横の連携に欠いていた将校達によって指揮される六万隻の地球軍艦隊が、僅か八千隻の黒旗軍艦隊に敗れる醜態を晒し、地球統一政府軍宇宙艦隊は事実上全滅。
此処に、組織的抵抗力を喪った地球の敗戦は確実なものとなったのである。
◇
宇宙空間における組織的戦闘力を喪った地球の末路は悲惨を極めた。
とうの昔に農業・漁業生産力を放棄して地球は、黒旗軍が築いた包囲網と徹底的な通商破壊戦によって食糧の輸入を完全に絶たれてしまった。
膨大な備蓄食糧もあるにはあった。
だが、それらは全て地球統一政府や軍、彼等と関わりの深い経済界の重鎮達、政府が選抜した
配給に際して、見捨てられた市民達による略奪の類いは起きなかった。
選ぶ側、選ばれた側の地球人達は皆、第二次ヴェガ会戦の最中に既に、かの有名なヒマラヤ山脈の地下に築かれた、百万人を収容可能な地下都市へと避難していたからだ。
例の備蓄食糧も予め其処に収められ、その情報は完全な国家機密であったから、見捨てられた側の地球人達は知るよしもなかったし、仮に知っていたとして奪おうにも奪えなかったのである。
二ヶ月後、地球の全大陸は餓死者の骸で埋め尽くされつつあった。
此処で漸く、黒旗軍は動いた。
無論、救済の為にではなく、報復の為に。
小惑星帯に無数に存在する小惑星にラムジェットエンジンを取り付けて、亜光速に迄加速させ、勢いのままに地球の全地表に叩き込む其の攻撃は、地球という惑星を丸ごと一つ破壊せんとする勢いの苛烈極まるものとなった。
ブリスベン、アデレード、メルボルン、シドニー、ウェリントン、ジャカルタ、シンガポール、ブエノスアイレス、リオデジャネイロ、ケープタウン・・・。
十三日戦争と九〇年戦争の二つの戦禍を逃れた歴史ある都市が消えていった。
ニューヨーク、ロンドン、パリ、ローマ、モスクワ、ワルシャワ、東ベルリン、テルアビブ、カイロ、テヘラン、北京、ソウル、東京・・・。
地球統一政府の北半球再建計画によって蘇った都市も、全て消えた。
ラグラン市の惨劇を百倍にして再現したとも言われる大破壊と殺戮の締めくくりとして、地球統一政府及び軍部の関係者は末端レベルに至る全員が即決裁判を経て処刑。
残された十億人余の地球人達も、消滅が宣言された地球統一政府と汎人類評議会に代わる組織として発足した〈汎銀河暫定統治機構〉が決定した"太陽系無人化"の方針に従い黒旗軍によって強制連行され、地球軍の攻撃で荒廃した反地球派諸惑星の復旧復興作業に従事させられる事になった。
斯くして、権力と権威が劫火の中で焼き払われた地球は、汎銀河暫定統治機構が反地球のイデオロギーのみを以て人類を纏め挙げる為のスケープゴート以外に利用価値の無い辺境の無人惑星へと堕ちてしまった。
だが、地球が無人の惑星だった期間はそう長く続かなかった。
汎銀河暫定統治機構最高委員長の座に就いたカール・パルムグレンが病に倒れ、後を継いだウィンスロー・ケネス・タウンゼント第二代最高委員長主導のジュリオ・フランクール軍事委員長暗殺と故郷のラグラン・シティに帰って音楽学校を開いたチャオ・ユイルンの暗殺。
そしてタウンゼント自身も何者かの手によって暗殺された事でラグラン・グループは内部崩壊。
其れと同時に始まった内戦の混乱に乗じて、地球人達の一部が地球への帰還を決行。
百万人弱程の地球人達がカンチェンジュンガ山を中心にしたヒマラヤ山脈周辺一帯に降り立ち、再び母なる故郷の土を踏む事が出来た。
彼等が此の地を降下地点に選んだのは、ヒマラヤ山脈の地下には百万人を収容可能な地下都市があるからだった。
宇宙空間からの攻撃を想定して設計され、先の大戦中には地球統一政府や軍、彼等と関わりの深い経済界の重鎮達、政府が選抜した
地球帰還を成功させた数百万人の地球人達は、其処を仮住まいとし、やがて組織化された教団として確立された〈地球教〉の本部とした。
そして数百年後、最後はローエングラム朝初代皇帝ラインハルトが差し向けたアウグスト・ザムエル・ワーレン提督の軍隊による地球教討伐作戦の末に自壊し、其の存在をヒマラヤ山脈の膨大な土砂と岩石の下に永遠に消し去ってしまった。
此処までは、ローエングラム朝時代には小学校高学年向けの教科書にも載っている話だ。
さて、子供の頃のヤン・ウェンリーが抱いた疑問というのは、件のヒマラヤ山脈地下都市に関するものだ。
人類史上初の恒星間文明を築き、天文学的な迄の膨大な富を貪欲に集め続けた地球統一政府に、宇宙軍に、政財界にコネクションを築いた特権階級。
そんな彼等が、如何なる天変地異が起きようとも、如何なる戦乱が起きようとも、自分達だけの泰平を謳歌し続ける為に築き上げた地下都市。
果たして其れが、ヒマラヤ山脈という地球全体から見れば氷山の極々一角に過ぎない辺境の地にしか存在しなかったのだろうか。
アンデス、アルプス、ウラル、ロッキー、ドラケンスバーグ、エルズワース、首都ブリスベン至近のグレートディバイディング山脈。
そういった場所には、ヒマラヤの其れと同様の施設は果たして本当になかったのだろうか。
そして何より、もし仮にそれらの地下都市が存在したとして、其処にいた人々は、其処にあった施設は、一体何処に行ったのだろう?