とある幻想入りした男の話。   作:烏兎 満

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対よろ。


プロローグ

 夏を知らせる蝉の鳴き声が鬱陶しいほどに大学内に響き渡る。

 7月も終わりに差し掛かり、大学では前期の期末試験やら期末レポートに追われる時期であり、全大学生が嫌いな時期だと思う。しかし、これを乗り越えた先には、二ヶ月の長期休み、夏休みが待っている。友達と旅行に行くもよし、恋人と花火大会に行くもよし、家にこもって何も考えずにゲームをするのもよし、お金を稼ぐためにバイトするもよし。大学生の夏は、腐るほど時間があり、自由な時間だ。

 俺もそんな夏休みを心待ちにしている大学生の一人だ。

 

「ふぅ、やっとテスト終わったー」

 

 大きな伸びをしてから、俺の隣を歩く友達が解放されたように晴れやかな顔で話しかけてくる。

 

「これでようやく夏休みだな。夏休みは何しよっかなー。やっぱり海外に留学でも行こうかな」

 

 そんなふうにぼやく友達は、夏休みの時間をどのように使うか楽しそうに語り始める。

 

「海外留学ね。楽しそうだけどどこかいきたいとこでもあんのかよ」

「そりゃ、アメリカとかヨーロッパとか、あ! 東南アジアもいいなー」

「お前英語全然喋れないのに、よくそんな海外に行きたいと思えるな。てか、今からだともうそういうツアーの予約終わってんじゃないの?」

 

 やべ、確かにそうじゃん、と頭を抱える友達。

 そんないつも通りのくだらない会話をしながら、キャンパスの最寄りの駅を目指す。

 

「恭介は夏休み何すんのさ。サークルももう行ってないんだろ?」

「…………確かに、俺は何したいんだろな」

「あんなに夏休みが楽しみって言ってたのに、何も考えてなかったのかよ。あ、一緒に海行こうぜ。ビーチでナンパとかしてさー」

 

 友達のいつもの軽いノリに適当に相槌を打ちながら、俺は夏休みの計画について考えてみる。

 大学中、いつも早く夏休み来ないかな、と考えていた俺にとって、考えてみると夏に何かをしたいから早くきて欲しいと願っていたわけじゃない。ただ、面倒な課題や授業から逃れることができる期間だと、認識していただけだ。いざ、実際に夏休みを考えてみると、俺は一体何がしたいのかわからなくなっていた。

 

 駅につき、友達とは帰路が逆方向だから、いつもこの駅で別れている。

 電車を待っている間、ホームでなるべく人がいない場所を見つけて、ポケットから携帯電話を取り出す。特にゲームをするわけでもなく、適当にネットの海に思考を投げる。膨大な情報が頭の中に入ってきては、流れていく。

 ふと、その情報の中で夏休みに関する記事を見つける。

 

『大学生必見! 夏休みにやるべきこと十選!!』

 

 先程の友達との会話を思い出し、時間潰しがてら軽く記事を読んでみる。記事の中身は、誰もが思いつくような、海外留学や資格勉強など、確かに自由な時間を有効に使う手段が面白おかしく書かれている。

 しかし、そのどれにも俺は一切心が惹かれなかった。

 

 小さい頃、もっと夏休みは充実していただろうか。

 きっと、小さい頃の自分の方が夏休みの楽しみ方を知っていたと思う。

 いや、つい二年前まで知っていたはずだ。俺は高校三年までサッカーをしていた。あんなに暑い芝生の上で、全力で走っていた。それは時に苦しかったけど、何よりも充実していて楽しい時間だった。

 

 電車が到着する。室内からは夏の外のジリジリとした暑さとは打って変わって、心地のいい涼しい空気が肌を冷やす。

 適当に空いている席に座り、窓の外を眺める。いつもだったら、なんとも思うはずもない外の景色が今日はなんだか、不思議と遠くて、眩しく感じた。

 

 今の自分は、一体どうしてしまったのか。

 あまり面白くない大学の講義を受け、働きたくないのに日々の生活費を稼ぐためにバイトに出向く。空いた時間には、将来のための資格勉強や大学の課題をこなす。たまに友達やバイト先の先輩たちと飲みにいく。どこにでもいる大学生を俺は謳歌できているはずだ。

 でも、それでも、なぜか前より自分の中の熱は冷めていて、俺の中身は蝉の抜け殻のように、空っぽだと感じていた。

 

 電車から降りて、いつも通りの帰路に着こうとした時、小さな声が聞こえてきた。

 

「こっちにおいで」

 

 周囲を見渡してみても、ただ駅を利用している通行人しか目に入らず、俺を呼んでいる声は見当たらない。しかし、あまりにも鮮明にその声は俺に話しかけていた。これは自意識過剰とかじゃなく、明らかに俺へと向けられた声だった。

 今までにない感覚に戸惑う。

 不思議な声は、またも聞こえてくる。

 

「ほら、こっちこっち」

 

 声の主は見当たらない。でも、なんとなく、呼ばれている方向がわかる。本当に不思議だが、訳のわからないこの体験に、俺が久しく忘れていた好奇心が心をくすぐる。

 

「そうそう、こっちだよー」

 

 俺は平然を装いながらも、少し急いで声のする方へ歩いていく。

 いつもの帰宅の道とは大きく逸れて、閑散とした住宅街を通り抜け、気づけば小さな森の中にいた。

 いや、本当に驚いた。だって、比喩表現とかじゃなく本当に気がついたら森の中にいたのだ。歩いていた記憶はあるし、どこをどのように歩いたかも覚えているはずなのに、俺の周りの時間だけが高速で動いていたかのように、気づけば森の中にいた。

 

「ふふ、あともうちょっとだよ」

 

 さっきまでは小さかった声も、今ではかなり鮮明に聞き取ることができる。最初はわからなかったが、俺を呼びかけてくる不思議な声は少女のように聞こえる。

 改めて周囲を見渡すと、明るい日差しが木々の葉の間を通り抜けて温かな木漏れ日となって降ってきている。後ろを振り向くと、すでに人が作った道は途絶えていて、ゴタゴタとした地面の上には雑草が生い茂っている。

 そこまで、周囲を観察していると、なんとなく不安を感じてくる。そういえば今日バイトが夜あった気がする。大学が早く終わったからと言って時間を無駄にはできない。バイトまでの時間に、資格の勉強をしないといけないし、洗濯物も取らないといけない。今日の夜ご飯だって買っていない。

 

「俺、帰らないと」

「どうして?」

「やることがあるからさ。君にだってあるだろ?」

 

 姿は見えないはずなのに、声の主は目の前にいる気がする。幽霊なのか、それとも俺は幻覚でもみているのか。しかし、この不思議な体験を前に俺はそんな細かいことを気にするのもバカらしくなっていたため、気軽に目の前の不思議な存在に声をかけた。

 

「私にやることなんてないよ。私はやりたいから君を導いているの」

 

 やりたいから。単純だが、俺が忘れてしまったものがなんだか少し分かった気がした。

 何かをしなければならない。サッカーを辞めてから俺はずっとそんな焦燥感に駆られて生きてきたんだと、今気づいた。だが、気づいたからといってやりたいことがすぐに見つかるはずもないのだ。 

 

「今更だけど、今どこに向かってるのかわかる? もしかして、適当に歩いてたりしない?」

「本当に今更だね。ここまできといて今から帰りますって言い出すからびっくりしちゃったよ。それで、どこに向かってるかだよね」

 

 声は、楽しそうにくすくす笑い出す。

 目の前の空間が少しぼやけて、うっすらと声の主の輪郭が見え始めてくる。

 

「楽園だよ。私たちの、そしてあなたの」

 

 声の主は、再び進み始める。

 ここが最後の分岐点だと直感でわかる。もし、この先に進むのなら、もう2度とこちらの世界に帰ってこられないような気がした。そんな気がしても、今は見て見ぬ振りをすべきなのかもしれない。不安は拭えない。でも、今俺は夏休みにやりたいことが見つかった。

 バイト先に連絡しないと、洗濯物を取り込まないと、資格の勉強をしないと。そんなつまらない義務は放り投げて仕舞えばいい。やりたいことを前に、そんなものは捨ててしまえ。

 

 今の俺は多分ちょっとハイになってる。この先にどんなことがあるのか、何が待ち受けているのか、ワクワクと好奇心が抑えられない。こんな気持ちを抱いたのはいつぶりだろうか。

 

 俺は振り返らずに、声の主についていく。

 たとえ、その先が地獄だったとしても、俺は後悔しないだろう。

 

 




幻想郷っていいよね。
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