竜骨の学者 ──スカイリム漂流記 作:スカイリム愛好家
末蒔月の陽は、リフトの森を赤銅色に灼きながら沈んでいく。
南東の谷あいに抱かれた街、リフテン。山々の冷気の代わりに、運河を渡る風が水と腐った藻と、そしてどこからか漂う甘ったるい蜂蜜酒の匂いを運んでくる。木組みの家々が運河の両岸にせり出すように建ち並び、軋む板張りの通路が水の上を縫っている。あちこちの窓に灯がともり、夕餉の煙が紅葉した木立の上へ細くのぼっていた。
マサは石造りの正門をくぐったところで、一度足を止めた。
帝国の整然とした石畳とは、何もかもが違う。ここには秩序の匂いがしない。市場の屋台はもう半分が店じまいを始めているが、その隙間に、用もなさそうに壁へもたれて通行人を眺めている男たちが何人かいる。値踏みするような視線。旅装の懐の重みを測るような目つきだ。サイノッドの講堂で感じた、地位と権勢を計算する視線とはまた違う、もっと剥き出しの——獲物を選ぶ獣の目に近かった。
「よう、旅の人」
声をかけてきたのは、門のすぐ内側に立っていた革鎧の男だった。腰に剣を吊り、態度だけは衛兵めいているが、その顔には品がない。
「初めて見る面だな。リフテンに入るなら、入場料を払ってもらわなきゃならねえ。一人五十ゴールドだ。……街の安全を守るためのな」
男の口元が、にやりと歪む。背後で、壁際の連中がこちらの出方をうかがっているのが、視界の端に映った。明らかな、たかりだった。
マサは表情を変えなかった。背の荷を担ぎ直しもせず、ただ静かに男の目を覗き込む。
「そんな話は聞いたことがないが」低く、抑揚のない声が夕暮れの空気に溶けた。「——それに、だ」
言葉を切ると、彼は片手をわずかに持ち上げた。指先で、ほんの一瞬。ぴり、と空気が焦げた。爪の先に蒼白い火花が走り、夕闇の中でそれははっきりと見えた。次の瞬間にはもう何事もなかったかのように消えていたが、匂いは残った。雷の前触れのような、鉄錆びた焦げ臭さ。
「俺が魔術師だと分かったうえでやっているのか? それならそれ相応の報いを受けてもらうことになるぞ?」
男の顔から、にやけた余裕が音もなく剥がれ落ちた。喉が、ごくりと上下する。背後で壁にもたれていた連中が、急に己の足元の板きれが気になりだしたように、そろそろと視線を逸らしていく。
「お……おいおい、待てよ、旦那」男は両手を胸の前で広げ、一歩退いた。引きつった笑いを取り繕う。「冗談だよ、冗談。新顔をちょいと試しただけさ。リフテンってのはな、誰が誰だか分からねえと商売もできねえ街なんだ。……魔術師だってんなら、なおさら歓迎するさ。さあ、通った通った」
彼は大げさに脇へどき、門の奥を顎でしゃくった。それから声を一段落として、半ば己の面目を保つように、半ば本音らしく付け足す。
「……忠告だ。この街じゃ、財布も、人の言葉も、見た目どおりじゃねえ。蜂蜜酒の甘さに騙されるなよ、旦那」
マサは無言で男の横を通り過ぎた。運河の向こうから、夕餉の喧噪と、酔っ払いの濁声がかすかに流れてくる。橋を渡った先、ひときわ明るい窓に〈蜂と鉤亭〉の看板が揺れていた。
軋む扉を押し開けると、暖気と喧噪が一斉に肌を撫でた。
酒場の中は、外の黄昏とは別世界だった。天井の低い梁から吊られた鉄の燭台、囲炉裏で爆ぜる薪、そして立ちこめる蜂蜜酒と焼いた川魚の脂の匂い。詰めかけた客はノルドの労務者が大半で、卓を叩いて笑う声、賽子の転がる音、誰かの下手な吟が入り混じっている。
給仕に回っていたのは、鱗に覆われた女だった。アルゴニアン。黄金色の瞳が、入ってきたマサを素早く値踏みする。
「いらっしゃい。空いてる卓ならどこでも」抑揚の乏しい、わずかに嗄れた声。「うちはキーラヴァ。注文か、宿か、どっちだい。先に言っておくが、もめ事を持ち込むなら別の店を当たりな。ここはもう、面倒の在庫が十分すぎるんだ」
その背後で、同じく鱗を持つ男が酒樽から杯を満たしながら、こちらに会釈めいた視線を寄越した。穏やかな目をしている。
「あまり邪険にするな、キーラヴァ。……旅の方、蜂蜜酒はうちのが一番だ。ブラック=ブライアのとは比べ物にならない——とは、大きな声じゃ言えないがね」
最後のひと言は、声をひそめての冗談だった。
囲炉裏端から、誰かの酔った声が流れてくる。
「——だから言ったろうが、西の方じゃ本当に飛んでるんだとよ、翼の生えたでかいのが! ヘルゲンの話、聞いてねえのか!」
「眉唾だね」
「いいや、馬車屋が見たって——」
マサはまずカウンターへ進み、卓に十ゴールド硬貨を置いた。
「宿を頼む」
キーラヴァは硬貨を鱗の手で掬い取ると、顎で二階の階段をしゃくった。「奥から二つ目だ。鍵はかけときな。この街じゃ、寝てる間に財布が散歩に出ることもある」
寝床を確保してから、マサは杯を二つ受け取り、囲炉裏端へ歩み寄った。さきほど声を張り上げていた、煤と鉄粉で薄汚れた上着の男——鉱夫か荷運びらしい——の隣に腰を下ろす。
「ちょっといいかな。翼の生えたでかいのって何だい? 話を聞かせてくれないか。——ああ、礼に一杯おごるよ」
差し出された蜂蜜酒に、男の濁った目が一瞬で輝いた。「お、気の利く旦那だ」一息に半分ほど呷ると、手の甲で口を拭い、声を低めて身を乗り出してくる。酒で据わった舌が、かえって饒舌に回りだした。
「竜だよ、旦那。本物の、竜だ」
近くの客が一人、二人と耳を傾けはじめる。男は満更でもない様子で続けた。
「ひと月かそこら前だ。南西のヘルゲンって町——ファルクリースの境の、砦の町よ。あそこが一夜で消し炭になった。生き残りを荷馬車で運んだ御者が、この街にも流れてきてな。そいつが言うんだ。空が真っ黒になって、家ほどもある黒い化け物が舞い降りて、口から火を吐いたと。石壁が紙くずみてえに焼け落ちたとよ」
彼は震える手で杯を握り直す。芝居がかった調子の裏に、本物の怯えが滲んでいた。「竜だぜ? お伽噺の中の、とっくに死に絶えたはずのやつが。爺さまの爺さまの代にも見た者なんざいやしねえ。……エルフどもは『終わりの兆しだ』なんて抜かす。」
「眉唾だと言う奴もいるがな」と、横から白髭の老人が口を挟む。「だが御者の目は嘘をついてなかった。あの男、ヘルゲンの名を口にするたび、震えが止まらなくなってたよ」
マサは杯の中で揺れる琥珀色を見つめた。竜——タムリエルの歴史と神学の最古層に横たわる存在。アカトシュの似姿。とうに伝説の領域へ退いたはずの概念が、現実の灰と焦げた石壁の話として、酒場の煤けた空気の中に転がっている。
学者としての血が、不謹慎にも、ざわりと騒ぐのを感じた。仮にそれが事実なら——竜語、竜の塚、第一紀の伝承。検証すべき一次資料が、この北国のどこかに眠っていることになる。
鉱夫は最後のひと口を干すと、空の杯を物欲しげにマサの方へ傾けてみせた。