竜骨の学者 ──スカイリム漂流記   作:スカイリム愛好家

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第十話

「そうでもない。魔力は有限だからな。非常に助かっている」

レモネードの言葉に、マサは静かに返した。彼女は一瞬、虚を突かれたように瞬き、それから、口元にやわらかな笑みが広がった。鎧の似合う武人の顔に、ふと、年相応の——いや、それより幾分か幼い、純粋な嬉しさが滲む。

「……そう言っていただけると、報われます」

彼女は照れ隠しのように軽く咳払いし、盾を握り直した。

「頼りにしていただけるなら、もっと、お役に立てるよう励みます。さあ、開けましょう」

 

マサは頷き、厳めしい石扉へと向き直った。記憶の中の図像を頼りに、三重の輪を一つずつ回していく。一番外を熊に、次を蛾に、中央を梟に。それぞれの意匠が正しい位置に収まると、石と石が噛み合う微かな感触が指先に伝わった。最後に、懐から取り出した〈黄金の爪〉を中央の窪みへと差し込み、ぐ、と力を込めて捻る。

ずしり、と重い手応え。内部の仕掛けが、長い眠りから目覚めたように唸りを上げる。歯車の噛み合う重い音。地鳴りのような響きとともに、円形の石扉が床下へと沈み込んでいった。

 

その奥は、これまでとは比べ物にならぬほど広大な、地下聖堂だった。

高い岩天井の裂け目から、細い陽光が差し込んでいる。光の筋は、苔むした祭壇と、そこを流れる清らかなせせらぎを照らし出していた。そして——マサの目は、聖堂の最奥へと吸い寄せられた。

湾曲した巨大な石壁が、そこにあった。壁面には見たこともない文字が竜の鱗のようにびっしりと刻まれ、内側から脈打つように、淡い燐光を放っている。

それを見た瞬間、マサの胸の奥で、何かが、ことり、と疼いた。理由の分からぬ、奇妙な引き。学者の冷静さが、それを「気のせいだ」と即座に押しやる。

だが、感慨に浸る間はなかった。

聖堂の中央、ひときわ豪奢な石棺の蓋が、内側から轟音とともに弾け飛んだ。立ち上がったのは、これまでの亡者とは明らかに格の違う巨躯。古代の王が纏う経帷子をその身に付け、燐光の眼を爛々と燃やし、身の丈ほどもある古代の大剣を鞘から引き抜く。墓所の、真の主が姿を現したのだ。

マサの目が、その危険な威容を即座に見抜いた。ただの亡者ではない。遥かに強力で、何らかの異能を秘めている。

 

マサとレモネードは、互いに視線すら交わさなかった。言葉なく、それぞれの間合いを取る。主の咆哮が一直線に放たれることを、マサは直感していた。レモネードが主の注意を引きつけるように正面から踏み込み、マサは彼女と直線に並ばぬよう、斜めに回り込む。

レモネードが踏み込み、墳墓の主の脇腹へ渾身の一刀を浴びせた。古い経帷子と干からびた肉が裂け、亡者がぐらりと揺らぐ。

だが、その王の亡骸は、ただでは膝を屈しなかった。燐光の眼を見開き、干からびた顎を大きく開く。喉の奥から、絞り出すような、地を這う声が轟いた。

Fus……Ro!

声が、物理的な力となって空間を薙いだ。不可視の衝撃波が一直線に走り、まともに浴びたレモネードの体が、藁束のように後方へ吹き飛ばされる。鋼の鎧が石床に叩きつけられ、派手な音を立てた。

その刹那、マサの脳裏を、奇妙な感覚がよぎった。あの咆哮が、意味のある「言葉」として、聞き取れた気がしたのだ。馬鹿な、と理性が打ち消す。今はそれどころではない。

マサは即座に炎を編み、横合いから火の礫を撃ち込んだ。直線から外れていた彼に、衝撃波は届かない。火球が主の胸を貫き、燃え広がる。古代の王の亡骸が、業火に包まれて大きくよろめいた。もう、長くはもつまい。

 

「……っ!」

吹き飛ばされたレモネードが、床の上で呻きながら身を起こそうとしている。炎に灼かれた古代の王は、その好機を見逃さなかった。最後の力を振り絞り、起き上がりかけた女戦士めがけて大剣を振り下ろす。

しかし、レモネードは咄嗟に肩で受けた。鋼の鎧がその一撃をほとんど殺し、火花が散って、刃は浅く滑っただけだった。

その一瞬の硬直が、命取りだった。

マサの放った第二の炎が、横合いから亡者の頭蓋を撃ち抜いた。古代の王の経帷子が業火に包まれ、燐光の眼が、ふっと、永遠に消える。巨躯は音もなく崩れ落ち、石床に積もった千年の塵へと還っていった。

聖堂に、再びせせらぎの音だけが戻る。

 

「……っ、助かりました」レモネードが鎧の埃を払い、立ち上がる。「あの咆哮には、肝が冷えました。声で人を吹き飛ばすとは。……伝承に聞く、声秘術、というやつでしょうか」

マサは答えなかった。彼の視線は、もはや墳墓の主の亡骸にはなく、聖堂の最奥——脈打つように燐光を放つ、あの巨大な石壁に吸い寄せられていた。

引き寄せられるように、一歩、また一歩と近づく。囁きが大きくなる気がした。壁に刻まれた無数の竜の文字。その一つが、他より強く輝きを増し——その瞬間、マサの頭の中に、声にならない「言葉」が、灼けるように刻み込まれた。

 

Fus

 

——押し出す力。均衡。

なぜか、その意味が「分かった」。胸の奥の疼きが、共鳴するように熱を持つ。マサは思わず壁に手を突き、息を呑んだ。何だ、これは。古代の異言が、なぜ、初見で読める——?

「……マサ殿? どうかされましたか」

レモネードの怪訝な声に、彼は我に返った。壁の輝きは、もう収まっている。ただの、古い刻文にしか見えない。

「いや。……何でもない。少し、疲れているだけだ」

マサはそう言って、額の汗を拭った。理性は、それを旅の疲労として処理しようとした。だが、脳裏に刻まれた「言葉」の感触は、生々しく消えなかった。

壁の前の祭壇に、目当ての品があった。古代の石板——表面に、スカイリム全土を象ったらしい線刻と、無数の印が刻まれている。〈竜の石板〉。ファレンガーが探し求めていたものだ。傍らには、墳墓の主が抱いていた副葬の宝も置かれていた。

マサは石板を革袋に収め、金貨や宝石を拾い上げた。だが、彼の心はここにはなかった。もう一度、あの壁に向き直る。

 

松明を近づけ、壁面の刻文を端から端まで丹念に追った。角張った、鉤爪で引っ掻いたような三本爪の文字。サイノッドの書庫で、ただ一度だけ、禁書の写しの挿絵で見たことがある。

「……竜語(ドラゴン・タング)だ」彼は呟いた。確信があった。「竜どもが操る言葉。〈声(スゥーム)〉の源だ。伝承では、古代ノルドの〈声の使い手(タング)〉が、こうした壁から『力の言葉』を学び取り、それを声に乗せて竜と戦ったという。さっきのあの亡者が放った『フス・ロ』——あれも、この壁に刻まれた言葉の一つだ。間違いない」

彼の声に、学者としての高揚が混じる。「ファレンガーが竜の石板を欲しがるはずだ。これは、竜の時代の一次資料だぞ。本物の——」

だが、その高揚は、すぐに別の何かに翳らされた。マサは壁に手を当てたまま、眉を寄せる。

おかしい。竜語は、彼にも読めない。これだけ刻文を解いてきた目をもってしても、この壁の大半は、意味をなさぬ引っ掻き傷の羅列にしか見えないのだ。当然だ。誰にも読めるはずがない。失われた古代の異言なのだから。

——それなのに。

なぜ、あの一語だけは、読めたのか。Fus。押し出す力、均衡。誰に教わるでもなく、壁に近づいた瞬間、その意味が灼けるように胸へ流れ込んできた。今もはっきりと、その感触が残っている。読めぬ文字の海の中で、たった一つの言葉だけが、彼の魂に直接囁きかけてきたかのように。

学者の理性は、その不条理を説明できなかった。

「マサ殿……?」レモネードが、壁とマサを交互に見て、訝しげに首を傾げた。「その壁に、何か。……正直、わたしには、ただの古い落書きにしか見えませんが」

 

「……ああ。そうだろうな」

マサは手を引っ込めた。彼女には見えず、自分には聞こえた何か。その違和感を、彼は今は説明する言葉を持たなかった。

後で考えればいい——そう己に言い聞かせ、壁に背を向ける。だが、魂に刻まれた一語の熱は、胸の奥で静かにくすぶり続けていた。

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