竜骨の学者 ──スカイリム漂流記   作:スカイリム愛好家

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第十七話

喉からほとばしったのは、もはや声ではなかった。

可視の衝撃波となって、眼前の空間を真っ直ぐに薙ぎ払う。足元の灰が円を描いて吹き飛び、散らばっていた竜の鱗が、からからと乾いた音を立てて転がった。前方にあった崩れた石組みが一つ、見えざる巨人の手に弾かれたように、ごろりと数歩分も転がっていく。マサを中心に、風が、外へ外へと押し出された。

 

たった一語。喉の奥で灼きついていた言葉。Fus、と叫んだつもりが、世界に響いたのはFusという、より確かな響きを持つ一音節だった。それだけで、世界が、応えた。

 

マサは、自らの喉に手を当てて立ち尽くした。心臓が早鐘を打っている。だがそれは、恐怖ではなかった。学者として、生涯をかけて追い求めてきた「世界の理(ことわり)」――その最も古く、最も根源的な一端に、今、自分自身が触れたのだ。いや、自分自身が、その理の一部になったのだ。指先で炎を編むのとは、まるで違う。これは、世界そのものへの、直接の干渉だった。

「……っ、すげえ……」

衛兵が、尻もちをついたまま、掠れた声を漏らす。

レモネードは、思わず一歩後ずさり、それから、驚嘆に目を輝かせてマサを見た。

「今のが……竜の、声」

イリレスでさえ、無言で、その光景に見入っていた。

 

マサは、ゆっくりと息を吐いた。喉の奥の熱は、放った分だけ、つかの間、鎮まっている。だが、確かにそこにある。竜と同じ武器が、己の内に。

不可解だった一切が――竜語の壁に触れた時の疼きも、古竜の咆哮が「言葉」として聞こえたことも――今や、一つの事実に収束していた。彼は、竜の血を引く者。否定の余地は、もう、どこにもなかった。

遥か東の霊峰からの呼び声は、もう止んでいた。だが、その残響は、まだマサの胸の奥で、静かに鳴り続けている。来い、と。

 

彼は、まだ熱の残る喉を押さえながら、二人の女に向き直った。胸の内に渦巻く問いを、誰かと分かち合わずにはいられなかった。

「正直に言う。俺は……これを、どう受け止めればいいのか分からん」彼は灰の上に残る竜の白骨を見やった。「魔法は学問だと信じてきた。理屈で説明のつくものだと。だが、これは――竜の魂だの、声で物理を動かすだの、俺の知るどんな理論にも乗らん。それが今、俺自身の中にある」

 

イリレスは腕を組み、いつもの冷徹さを半ば取り戻していた。「私に学者の悩みは分からないわ。だけど、一つだけ言える」彼女はまっすぐにマサを見た。「あなたが何者であろうと、あなたは今日、ホワイトランを竜から救った。首長は、それに報いるわ。あなたを従士に叙し、相応の礼を尽くすでしょう。……そして、おそらく問うはずよ。あの山の招きに、応じるのか、と」

彼女は東の霊峰を顎でしゃくった。「グレイビアードは、めったに人を呼ばない。世界の喉の頂――〈ハイフロスガー〉。イヴァルステッドから、七千段の石段を登った先よ。行くも行かぬも、あなた次第だけどね」

 

レモネードは、しばらく黙っていた。竜の骨と、マサの顔を、交互に見つめている。やがて、その口元に、少し寂しげな、しかし温かい笑みが浮かんだ。

「……ゆうべ、わたしたち、『相棒』なんて言い合いましたね」彼女は静かに言った。「あの時は、また気軽な仕事に誘ってもらえたら、なんて。でも……あなたは、もう、わたしなんかが気軽に隣を歩ける人では、なくなってしまったのかもしれません」

彼女は慌てて首を振り、明るさを取り繕った。「いえ、卑下しているのではありません。むしろ――誇らしい。竜を屠るあなたの隣で、わたしは確かに剣を振るった。それは、村に帰ったら、孫子の代まで語り草です」

けれど、その蒼い瞳の奥には、やはり、置いていかれることへの、ほんのわずかな翳りがあった。

「あなたが望むなら、わたしは、行ける所までは付いていきます。……生きて帰る、を守れる限りは、ね」

 

 

 

「やめてくれ……」

 

マサの声は、いつもの理知的な落ち着きを失って、わずかに震えていた。

「俺は、ただの魔術師だ。それをいきなりそんな、同じ人ではないものみたいに、扱わないでくれ……」

竜を屠った男の、剥き出しの本音だった。

レモネードは、はっと息を呑んだ。自分の言葉が、彼にどんな線を引いてしまったのかを、その時、悟ったのだろう。彼女の表情から、寂しげな翳りが消え、代わりに、深い、温かいものが滲んだ。

「……ごめんなさい」彼女は静かに、しかしはっきりと言った。「わたしが、間違っていました。あなたを、勝手に遠くへ押しやって。――伝説だの、ドヴァキンだの。そんなもの、わたしには関係ありません」

彼女は一歩、マサに歩み寄った。蒼い瞳が、まっすぐに彼を捉える。

「わたしが知っているのは、リバーウッドで馬を気遣い、薬売りの女に礼を言い、村の備えにと気前よく剣を譲ってくれた人。蜂蜜酒一杯で饒舌になるわたしの話を、嫌な顔一つせず聞いてくれた人。……ただの、マサ殿です。竜の魂が一つ増えたくらいで、その人が別人になるなら、わたしの見る目が、よほど節穴だったということになる」

彼女は、ふっと、いつもの子供のような笑みを取り戻した。

「だから――これからも、ただの相棒として、隣を歩かせてください。あなたが伝説になろうと、神になろうと、わたしはきっと、『甘い物でも食べて落ち着いてください』と言うでしょうから」

その軽口に、張り詰めていたマサの肩から、少し力が抜けた。

離れて見ていたイリレスが、ふん、と鼻を鳴らした。だがその声に、嘲りはない。「……いい心がけよ。伝説気取りの英雄ほど、始末に負えないものはないのだからね」彼女は剣の柄を軽く叩いた。「あなたは、あなたのままでいなさい、ドラゴンボーン。その上で、世界があなたに何を求めるか――それは、おいおい考えればいいわ」

 

西日が傾き、平原に長い影が伸びる。

「ふぅ、まったく。なにがなにやら、だ」マサは大きく息を吐いた。「まぁそれはそれとして、この非常に貴重な素材は回収させてもらおう」

言うが早いか、彼はローブの袖をまくり、竜の骸へ歩み寄った。さきほどまでの動揺はどこへやら、その手つきは、一次資料を前にした学者の、抑えきれぬ貪欲さに満ちている。

「現金な人ですね……」レモネードが苦笑しつつ、解体を手伝った。

白く晒された竜の骨は、鋼よりも軽く、しかし鋼を凌ぐ硬度を秘めている。剥がれ落ちた鱗の一枚一枚は、薄く、しなやかで、生半な刃を弾く。タムリエル中の鍛冶師が喉から手を出す、伝説の素材だ。

腕を組んで見ていたイリレスが言った。「竜の骨と鱗か。……あなたのものよ、誰も文句は言わないわ。ホワイトランのエオルンドあたりに見せれば、目の色を変えるでしょうね。竜の装具を打てるのは、よほどの腕の鍛冶師だけだから」

 

日は西に傾き、ホワイトランの城壁が夕陽に染まっている。イリレスが「戻るわ。首長が待っている」と馬首を返した。

 

夕闇の迫るホワイトランへ、一行は凱旋した。竜を討ったという報せは、馬よりも速く城下を駆け巡り、坂道の住人たちが畏怖と歓喜の入り混じった目で、マサを見送る。「ドラゴンボーンだ」「あの方が竜を……」囁きが、波のように広がっていった。

ドラゴンズリーチの大広間。玉座のバルグルーフは、イリレスの報告に、深く頷いた。竜が斃されたこと。そして――その魂が、この余所者の魔術師に流れ込んだこと。

「ドラゴンボーン、か」首長は立ち上がり、マサの前に進み出た。歴戦の眼が、まじまじと彼を見据える。「グレイビアードの声を、城下の誰もが聞いた。世界の喉が、お前を呼んだのだ。……古い言い伝えが、私の代で現実になるとはな」

執政プロウェンタスが「あんな修道僧の声など」と口を挟みかけたが、バルグルーフは手で制した。

 

「黙れ、プロウェンタス。グレイビアードが人を呼ぶ時は、世界がそれを必要としている時だ」

彼はマサに向き直り、声を張った。広間に集う者すべてに聞かせるように。

「マサ。竜の脅威からホワイトランを救った働き、そしてお前がドラゴンボーンであることに敬意を表し――お前を、ホワイトランの従士に叙する。この街に屋敷を構える権利を与え、我が武具庫の一振りを授けよう。そして」彼は傍らへ目をやった。「お前に、従士を付ける。リディア――前へ」

玉座の脇に控えていた、黒髪を結った凛々しい女戦士が、進み出て片膝をついた。鋼の鎧が、燭台の灯りを鈍く照り返す。

「リディアです」彼女は簡潔に、しかし誓いの重みを込めて言った。「今日より、あなたの従士。剣も、命も、あなたのために。……ドラゴンズリーチの誓いは、軽くありません」

生真面目な、武人の声だった。

レモネードが、その様子を少し離れて見守り、マサにそっと微笑みかける。彼女との墓所の契約は、もう果たされた。だが、その絆は、契約の言葉を超えて残っている。

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