竜骨の学者 ──スカイリム漂流記 作:スカイリム愛好家
マサは空になった杯を手に、もう一杯の蜂蜜酒を注文した。琥珀色の液体が満たされたそれを、鉱夫の前の煤けた卓上へ滑らせる。
「本当かい? 竜はもうとっくの昔に絶滅したとばかり思っていたが。最後に現れたという話など、第二紀かそれより前の伝承だろう。もう少し詳しく聞かせてくれないか」
たかり屋を脅した時の冷たい声ではない。一次資料を前にした学者が、抑えきれずに前のめりになる時の、熱を帯びた響きだった。男は嬉しそうに、鱗のごとく節くれだった指で杯を掴み、気を良くして再び身を乗り出してくる。蜂蜜酒と汗の匂いが、一段と濃くなった。
「旦那は物知りだなあ。そうさ、爺さまどころか、誰の記憶にもねえ。竜なんざ石碑の絵か、爺の与太話の中にしかいねえもんだった」彼は声を潜める。「だがな、御者の野郎——名前は忘れたが、ファルクリースから流れてきた男だ——そいつが言うには、ヘルゲンにゃあの日、ただの竜が来たんじゃねえ。真っ黒で、鱗が夜みてえで、目が燃える炭みてえに赤かったとよ。羽を広げりゃ空が消えた。声が……声が雷みてえに鳴って、それだけで石の塔がぐらついたって」
横の白髭の老人が、エールの泡を舐めながら口を挟んだ。「タロスの時代の壁画にあるやつだな。世界を喰らう黒竜。ノルドの古い歌に出てくる……アルドゥインだ。終わりを告げる竜さ」
「縁起でもねえこと言うなや」鉱夫は顔をしかめたが、すぐに声を潜めて続けた。「とにかくだ。あの日ヘルゲンにゃ、帝国の処刑があったって話でな。誰か大物の首を刎ねるはずが、竜の襲撃で滅茶苦茶よ。囚人も兵もごちゃ混ぜに逃げ散った。……生き残ったのはほんの一握り。リバーウッドの方へ落ちのびた連中もいるとか」
彼は一度言葉を切り、思い出すように眉を寄せた。
「ああ、そういや御者が妙なことを言ってたな。逃げる時、囚人の中に若え娘が一人いたと。黒い髪で——ノルドの娘なのに、耳の先がエルフみてえに尖ってたって。そいつが奪った剣で兵士を一人斬り捨てて、誰の手も借りずに森ん中へ消えちまったとよ。猫みてえに身軽でな。化け物じみてたって、御者は震えてた。……まあ、混乱の中の見間違いかもしれねえがな」
マサは杯の縁を指でなぞった。黒竜、アルドゥイン、第一紀の竜戦争——そして瓦礫の中を一人で生き延びた、黒髪に尖った耳の娘。学者としての習い性で、彼は無関係に見える事実を、無意識に一本の糸へと繋ごうとしていた。もっとも、酒場の又聞きの又聞きだ。どこまでが事実かは定かではない。
「へぇ、若い娘か。そしてリバーウッド。そこに行ったら生き残りから話を聞けたりするかな」
鉱夫は蜂蜜酒で湿った唇を突き出し、思案するように天井を仰いだ。
「リバーウッドかい。さあて……あそこは西の、ホワイトランの領分だ。白い川沿いの、製材所しかねえようなちっぽけな村よ。山のすぐ麓でな、ヘルゲンからもそう遠くねえ。竜から逃げた連中が、まず転がり込むにゃ手頃だったんだろうさ」
彼は太い指で、卓の木目をなぞって即席の地図を描く。「だがなあ、旦那。リバーウッドみてえな小村にいつまでも留まるもんかね。ああいう生き残りってのは、たいてい大きい街——ホワイトランの首長んとこへ駆け込むのさ。『竜が出た、助けてくれ』ってな。だから今ごろ話を聞くなら、村よりホワイトランの城下町の方が確かかもしれねえ」
「その黒髪の娘っ子は別だがな」と、白髭の老人が頷いた。「森へ消えたきりなら、もう誰にも追えやしねえ。ああいう手合いは、人里を嫌うもんだ」
「で、どのくらいの道のりだ?」
マサの問いに、鉱夫は肩をすくめた。「リフテンから西へ、ホワイトランまでなら、馬車で半日から一日ってとこだ。歩きゃ二日は見ときな。リバーウッドはそこからさらに南の山際だ。……ただし旦那、この時勢だぜ。街道にゃ帝国とストームクロークの検問が立つし、追い剝ぎも竜も出る。一人旅にゃ向かねえ道だ」
マサは黙って三杯目の蜂蜜酒を頼んだ。
差し出されたそれに、鉱夫の口はいよいよ滑らかになった。「ホワイトランかい。あそこは——うまいことやってる街さ」彼は片目をつぶる。「首長のバルグルーフって御仁は、帝国にもストームクロークにも色よい返事をしねえ。中立を気取ってる。おかげで城下は今んとこ戦火を免れてるが、まあ、いつまで保つかね」
「街道の検問は?」
「ああ、そいつは覚悟しときな」鉱夫は声を低める。「リフトの山あいを抜けてホワイトランの平原へ出る道々で、帝国の隊にもストームクロークの連中にも止められる。『どっちの味方だ』『荷を改める』ってな。それと……」彼はちらりと周囲を窺い、ぐっと顔を寄せた。「サルモールの審問官が、たまに帝国の検問に紛れてやがる。タロスのお守りを下げてるノルドを見つけると、その場でしょっ引く。あいつらは別格に質が悪い。……まあ旦那はよそ者の魔術師だ、信心とも縁が薄そうだから、そこは心配ねえか」
白髭の老人が、空になった自分の杯を見つめながら、ぽつりと付け足した。
「学のある旅人さんよ。竜の話に興味があるなら、ホワイトランは悪くない行き先だ。あの城——ドラゴンズリーチって名の宮殿があってな。なんでも大昔、ノルドの王が本物の竜をあの大広間に捕らえたから、そう呼ぶんだと。首長んとこにゃ竜だの古い物だのを調べてる宮廷魔術師もいるって話だ。あんたみてえな御仁の話し相手にゃ、ちょうどいいかもしれんよ」
囲炉裏の火はもう熾火になり、薪の爆ぜる音も間遠になっていた。店の客もまばらだ。店の主人のアルゴニアン、キーラヴァが空いた卓を拭きながら、「そろそろ看板だよ」とこちらへ視線を投げてくる。蜂蜜酒の酔いが旅の疲れと混じり、まぶたの裏に心地よく沈んでいった。
マサは鉱夫と老人に杯を掲げてみせると、軋む階段を上がった。奥から二つ目の部屋は狭く、藁の匂いがしたが、雨風をしのげる寝床があるだけ上等だ。言われた通り内側から鍵をかけ、ローブを脱いで横になる。運河を渡る水音と、階下の最後の客のくぐもった声を子守唄に、旅の疲れはたちまち彼を眠りへ引き込んでいった。
窓の隙間から差し込む朝の光で目が覚めた。末蒔月の朝は、北国にしては柔らかい。運河を渡る風に、もう秋の気配が混じりはじめている。
階下に降りると、キーラヴァの連れ合いであるタレン=ジェイが、パンとチーズ、温めた山羊乳の朝食を出してくれた。
「よく眠れたかい。……昨夜は、キーラヴァが少しきつい物言いをして悪かった。この街は人を信じると損をするんでね、つい誰にでもああなる」彼は穏やかに笑い、声を落とした。「あんたは魔術師なんだろう? 悪いことは言わない、財布は深くしまっておくといい。特に市場ではね」
その忠告の意味を、マサはほどなく身をもって知ることになる。
朝食を済ませ、外套を羽織って表へ出ると、リフテンの市場はもう活気づいていた。魚や薬草、蜂蜜酒の樽を並べた屋台、値切る声、荷を運ぶ車輪の軋み。人混みを縫って両替商の方へ歩きだした、その時——
ふと、腰のあたりに、ごく軽い、羽根のような触れ方を感じた。布地を撫でる、慣れた指の動き。革袋の口紐に、誰かの手がかかっている。
見れば、痩せた身なりの子供が一人、人混みに紛れてマサのすぐ脇にぴたりと寄り添っていた。十かそこらの、薄汚れた顔。こちらの視線に気づくと、その小さな手がびくりと止まった。
マサは手首を掴みもしなかった。ただ、ゆっくりと顔だけを子供の方へ向け、声を落とす。市場の喧噪の中で、その低さはかえって鋭く響いた。
「触れるな。今なら、子供ということで許そう。——だが、それ以上を働けば、たとえ子供でも容赦はしない」
脅し文句に大仰な身振りはなかった。それがかえって本物の凄みを帯びた。子供の手が紐から離れ、痩せた肩がびくりと跳ねる。薄汚れた顔から血の気が引き、大きく見開かれた目に、束の間の怯えが過った。
だが、その怯えはすぐに、すれた子供特有の虚勢で塗り潰された。
「……っ、けち」唇を尖らせ、後ずさりながら吐き捨てる。「あんたみたいな身ぎれいなのが、ぽけっと歩いてるのが悪いんだ。この街じゃ、財布の紐が緩い奴から取られんだよ。みんなそうやって生きてんだから」
言うが早いか、子供は身を翻して人混みへ飛び込んだ。痩せた背中は、屋台と荷車の隙間をするりと抜け、あっという間に見えなくなる。逃げ足だけは見事なものだった。あれが日常なのだろう。
近くで樽を並べていた商人が、一部始終を横目に見ていたらしく、肩をすくめてみせた。「災難だったね、旦那。だが捕まえなくて正解だ。あの手の子をしょっ引いたところで、衛兵に小銭を握らせりゃ半日で出てくる。下手に騒げば、こっちが恨みを買うだけさ。……このリフテンじゃ、盗みは産業みたいなもんでね」
彼は声を潜め、意味ありげに地面——その下の暗渠を指で示した。「子供らも、ただ腹を空かせて盗ってるわけじゃない。束ねてる連中がいるのさ。地下にね。ま、よそ者が首を突っ込む話じゃないよ」
革袋は無事だった。マサは紐を結び直し、外套の内側深くへしまい込む。タレン=ジェイの忠告は、的確だったわけだ。