竜骨の学者 ──スカイリム漂流記   作:スカイリム愛好家

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第二十一話

諦めたはずの夢の灯を、この男の隣にもう一度見つけてしまった――そういう、あまりにまっすぐな憧れの顔だった。それでも椀を干す手つきには、隠しきれない高揚が滲んでいる。

「さ、今夜はもう、おしまいです。これ以上いただくと、明日に障りますから。マサ殿も、肩を早く休ませてあげてください」

 ふらつく身体を立て直しながら、彼女は座を締めくくろうとした。名残惜しさを振り払うように、ことさら明るい声で。

 

 だが、マサはそれを許さなかった。

「諦める必要はあるのか?」

 静かな声が、立ち上がりかけたレモネードの動きを縫い留める。

「俺は魔法を極めたいと思って、帝国での魔術師としての地位を捨て去った男だぞ? ついてくればいいじゃないか。一緒に冒険をしよう」

 蜂蜜酒の椀を置きかけた彼女の手が、ぴたりと止まった。

 レモネードは、しばらくの間、ただマサの顔を見ていた。酔いで潤んだ蒼い瞳が、その言葉の意味を、ゆっくりと呑み込んでいく。地位を捨てた、という一言が、彼女の胸の内の何かに、まっすぐ触れたらしかった。

「……地位を、捨てた」

 復唱する声が、少し掠れていた。

「サイノッド、と仰っていましたね。帝国の魔術師の。――そんな立派なものを、魔法を極めたいというだけのために。本当に、捨てておしまいになった」

 ふっ、と彼女は息を漏らすように笑った。呆れと、感心と、それからもっと温かい何かがない混ぜになった、複雑な笑みだった。

「敵いませんね、あなたには。わたしが棚に上げた夢なんて、あなたが捨てたものに比べれば、ずいぶん安い」

 椀を両手で包み直し、彼女は少しの間、炉の火を見つめた。喜びが顔いっぱいに広がりかけて、けれど、それを抑え込むように眉がわずかに曇る。酒の気配の底から、村の統率者としての顔が静かに頭をもたげた。

 

「……でも、マサ殿。ひとつだけ、正直に申し上げます。わたしには、ロリクステッドがあります」

 声は柔らかいが、芯は硬い。

「村の守りを、放り出すわけにはいかないのです。あそこには、わたしの剣を頼りにしている年寄りや子供がいる。父が守ったものを、わたしが受け継いだ。それを『冒険に出たいから』と捨てては――それこそ、あなたが地位を捨てたのとは、わけが違う。ただの責任放棄になってしまいます」

 そこで彼女は、まっすぐにマサを見返した。迷いを正直に晒したまま、それでも声には熱があった。

「ですから……少し、時間をください。村に戻って、守りを誰に託せるか、きちんと話をつけてきます。古参のヨルンドが本当に背負えるのか、若い者が育ったか、見極めねばなりません。それが片付いたら――」

 一度、息を継ぐ。火照った頬のまま、けれど今度は逃げずに。

「その時は、喜んで。あなたの隣で、剣を執らせてください。中途半端な気持ちで、命を預け合う旅には出られません。それが、父の『生きて帰る剣』の、筋ですので」

 きっぱりとそう言って、彼女はようやく、残りの温め酒をくいと干した。決意を呑み下すような、小気味のいい飲みっぷりだった。

「……ああ、でも。今すぐ放り出して付いて行きたいと、半分は思っています。それくらいには、あなたの誘いは、嬉しかった。それだけは、お伝えしておきます」

 照れ隠しの早口で言い足して、彼女は空になった椀を、ことりと卓に置いた。炉の火が、満足げに爆ぜる。

 

 マサは静かに彼女の言葉を受け止めた。その誠実さも、不器用さも、いかにも彼女らしい。

「待ってる。話がついたら、いつでも来い」

 炉の火が低く燃える。マサの返事を聞いて、レモネードは一度だけ、深く頷いた。

「……待っていてくださる、と」

 その一言を、噛みしめるように繰り返す。酔いで緩んでいた表情が、今度はまっすぐな、覚悟の色に引き締まった。

「分かりました。なら、ぐずぐずはしません。明日の朝には、ロリクステッドへ発ちます。村の守りの段、きっちり片をつけて――そうしたら、必ず、ホワイトランへ戻ります。あなたを探します」

 立ち上がり、茶のマントを肩に回す。長椅子の縁に手をついて、ほんの少しふらついたが、もう先ほどの酔い客の顔ではなかった。簪の蒼石が、炉の灯を受けてまっすぐに光る。

「マサ殿。――次にお目にかかる時、二人とも、ちゃんと生きていますように」

 それは、彼女が戦の前にいつも口にする、まじないのような言葉だった。剣を抜く者の、いちばん素直な祈り。

「あなたは、無茶をなさる。竜にだって一人で挑みかねない人だ。だから、わたしが戻るまで――どうか、生き延びていてください。せっかく、約束したのですから」

 ふっと笑って、彼女は深く腰を折った。村の守り手としてではなく、ただ一人の剣士として、対等な相棒に向ける礼だった。

「では。短いお別れです。……そう、短い、はずです」

 最後の一言だけ、自分に言い聞かせるように小さく呟いて、レモネードは宿の階段を上っていった。明日には西へ発つ女の、迷いの抜けた足取りだった。

 

 残された卓に、空の椀が二つ。蜂蜜の甘い匂いが、まだ仄かに漂っている。炉が、ぱちりと爆ぜた。

 マサも宿の女将に声をかけ、部屋を取った。竜討伐の従士と知って女将は一瞬目を見開いたが、宿代はきっちりと請求された。この北国に、英雄への割引はないらしい。

 二階の小部屋。固い寝台に身を横たえると、一日の戦と竜の魂を喰らった余韻が、どっと背中にのしかかってきた。竜の牙が掠めた肩の傷が、囲炉裏の温もりが去った部屋で鈍く疼く。けれど、瞼を閉じれば、眠りはすぐに降りてきた。空っぽになった魔力の器へ、夜の静寂がゆっくりと満ちていく。

 

 窓の隙間から差す薄い光と、階下で薪を割る音で、目が覚めた。末蒔月の二十一日。収穫期の、澄んだ朝だ。

 肩の傷は、夜のうちに塞がっていた。指先には、いつもの魔力の流れが、満ちて巡っている。竜を喰らった日の重さも、一晩の眠りが綺麗に洗い流していた。

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