竜骨の学者 ──スカイリム漂流記   作:スカイリム愛好家

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第二十二話

風の高台へ続く石畳の坂を上り始めると、朝の冷気の中、ドラゴンズリーチの大扉の前に立つ人影が見えた。鋼の鎧が、昇り始めた太陽の光を鈍く照り返している。リディアだった。

 玄関先で待ち構えられている。背には旅嚢、腰には剣。昨夜のうちに武具も食料も、すべて整えておいたのだろう。マサの姿を認めると、彼女は胸に拳を当て、生真面目な声で言った。

「おはようございます。いつでも発てます」

 その言葉に嘘は微塵もなかった。マサが曖昧に頷くと、彼女はそれ以上何も言わず、城の扉を開ける衛兵に目配せをした。

 

 謁見の間では、首長バルグルーフが朝の評定の最中だったが、マサの姿を見ると執政との話を打ち切り、鷹揚に手招きをした。傍らには、腕を組んだ軍司令イリレスが、ダンマー特有の赤い目でこちらを見据えている。

 グレイビアードの呼び声に応じ、ハイフロスガーへ向かおうと思う、とマサは切り出した。

「個人的には、いきなり天から声が降ってきて『来い』と言われても、知ったことか、という気分ですが」

 付け加えた本音に、バルグルーフは一瞬、虚を突かれた顔をした。それから、喉の奥で低く笑う。だが、その目には、ノルドらしい畏れの色が確かに宿っていた。

「……お前、本当に、よそ者だな」呆れと感嘆の混じった声だった。「いいか。グレイビアードが人を呼ぶのは、滅多にないことだ。何百年と山に籠もり、声以外の何も発さぬ老師たちが、わざわざ世界中に響く声で、お前の名を呼んだ。この国の者なら、震えて跪く誉れだぞ。それを『知らん』とは」

 だが、と首長は真顔に戻る。

「行くのは賢明だ。理由が好奇心であれ、何であれな。『声』の力を操りたいなら、あれ以上の師はいない。お前はもう竜の血を引く身だ。生半可な独学で喉を潰すより、本物に学んでこい」

 イリレスが、後を引き取って事務的に付け足した。

「道のりはこうだ。ここから東へ、リフトとの境にある村イヴァルステッドを目指す。徒歩か馬で一、二日。村から先は、世界の喉の中腹まで――七千段の石段を、己の足で登るしかない。馬車も馬も通れぬ道だ。冬には吹雪で人が死ぬが、今は収穫期。天候さえ崩れなければ、登りは一日仕事だろう」

 赤い目が、マサを一瞥した。

「霜と狼と、まれにトロルが出る。雪原の道だ。私兵を連れていくのは正しい」

 後輩を送り出す戦士なりの気遣いか、リディアの方へ、ほんのわずか顎をしゃくる。

 バルグルーフが杯を取り上げ、締めくくった。

「発つ前に、必要なものは城下で揃えていけ。路銀が要るなら、竜の骨を鍛冶屋に回せばいい。エオルンド爺なら、目の色を変えて買うだろう。――ホワイトランは、いつでもお前の帰る場所だ、従士よ」

 

 ファレンガーの書庫で下調べをする誘惑も感じたが、マサはすぐに出立することを選んだ。未知は、現地で解き明かせばいい。

 リディアを伴い、東門から街道へ出る。竜のたてがみ亭で買い足した防寒具を背に、白い川沿いの道を、世界の喉の影が落ちる東へと辿った。

 道は、拍子抜けするほど穏やかだった。収穫期の陽が、刈り入れを待つ麦畑を金色に染めている。川のせせらぎが道に寄り添い、時おり荷馬車とすれ違った。御者は竜討伐の噂を聞きたがって足を止め、マサの顔を見ると得心したように噂を続けた。盗賊の影も、竜の翼の唸りもない。平和すぎて、かえって竜を喰らった日が遠い夢のように思えた。

 

 リディアは、よく歩いた。前を行く時は斥候のように地形と物陰を検め、休む時は黙って湯を沸かし、夜営では当然のように見張りの先番を買って出た。会話は少ない。マサが水袋を差し出せば「恐れ入ります」と短く受け、それきりだ。だが、その寡黙は気詰まりではなく、むしろ戦い慣れた者同士の、心地よい沈黙に近かった。

 焚き火の傍で、一度だけ、彼女がぽつりと漏らしたことがあった。

「……正直、意外でした。従士に付けられた相手が、魔術師で、しかもよそ者で。ノルドの戦士でないことに、最初は、少し戸惑いました」

 揺れる炎を見つめたまま、続ける。

「ですが、街道での身のこなしを見て、考えを改めました。あなたは、後ろにいて指図するだけの主ではない。自分で地形を読み、退き際も心得ておられる。――守りやすい主だ、と思いました。それだけです」

 言うだけ言って、また口を閉ざす。世辞の言えない女の、不器用な品定めだった。務めとしての忠誠の中に、ほんのわずか、戦士としての値踏みが好意の側へ傾いた。その程度の、静かな夜だった。

 

 二日目の午後。山の懐が深まり、空気が冷たく澄んでいく。

 針葉樹の谷を抜けると、ふいに視界が開けた。小さな村が、山裾の川辺に身を寄せている。製材所の水車が回り、苔むした古い墳墓が村外れに黒い口を開けていた。イヴァルステッド。

 そして、村の向こうに、マサはそれを見た。

 雲を貫いて、灰色の石段が、天へと続いていた。世界の喉。その中腹にあるという祠まで、七千段。見上げれば首が痛くなるほどの高みに、石段は霧へと消え、終わりが見えない。風が、山の上から低く唸って降りてくる。あの声が轟いた場所が、今、目の前にあった。

 隣で、リディアが小さく息を呑んだ。

「……これを、登るのですか」

 

 このまま登り始めれば、中腹で日が暮れる。マサは迷わず、村で宿を取ることに決めた。

「今日は泊まって、明日昇る」

 谷あいの空が茜に染まる頃、二人はヴィルミルク亭の扉を押した。炉の暖気と、煮込みと焼きたてのパンの匂いが押し寄せる。

「いらっしゃい。泊まりかい」

 カウンターの奥から顔を上げたのは、人の好さそうな大柄なノルドだった。宿の主ヴィルヘルムは、二人の旅装と武具を一瞥し、すぐに察したように頷く。

「山に登るくちだね。グレイビアードに会いに行くのかい? 近頃、妙な噂で持ちきりだ。世界中に響く声で、誰かが呼ばれたとか。あんた方、何か知ってるんじゃないだろうね」

 詮索好きというより、田舎の宿主らしい素朴な世間話だった。マサが言葉を濁すと、ヴィルヘルムは深追いせず、肩をすくめて湯気の立つ椀を二つ運んできた。

 

 炉端で身を温めていると、隅の卓にいた漁師らしい男が、おずおずと近づいてきた。日に灼けた顔の、痩せた中年だ。

「……あんた、明日あの石段を登るのかい」クリメクと名乗った男は、言いにくそうに切り出した。「実は、頼みがあってな。俺はいつも、上の御老師方に食い物を届けてるんだが、近頃は膝がいけねえし、道に霜の獣も増えた。七千段は、もう俺にはこたえる」

 男は、布をかけた小ぶりの木箱を、卓の下から押し出した。

「もし山頂まで行くんなら……この供物の箱を、御老師方に届けちゃくれねえか。塩漬けの魚と、干した木の実だ。礼ははずめねえが、村の蜂蜜酒の一本くらいは持たせる。どうせ同じ道だ。──断ってくれても、恨みやしねえよ」

 リディアが、ちらりとマサを見た。判断を待つ、私兵の目だった。

 

「持ち運びづらそうだな」マサは箱に目をやった。「もし運ぶならリディアに頼むことになるが、どうだ? 個人的には、いざという時に両手が空くまで間が必要なことを、果実酒一本でやるのは割に合わないと思うが」

 リディアは、クリメクの押し出した木箱に目をやり、それから両手で軽く持ち上げて、重さを検めた。

「……これくらいなら、両手で抱える必要はありません」事実を述べる、いつもの簡潔な口ぶりだった。「背に括ってしまえば、手は空きます。いざ霜の獣が出ても、紐を一本断てば、箱ごと放って剣を抜ける。魚の箱のために抜き遅れる気は、私にもありませんので――そこは、ご懸念には及びません」

 そこまで言って、彼女はわずかに目を伏せた。ほんの一瞬、何かを飲み込むような間があった。

「……正直に申せば。従士に付いて早々、また荷を背負うのか、とは思いました」

 苦いとも自嘲ともつかぬ、小さな声。荷物持ち扱いに慣れた者の、抑えた本音だった。けれど、すぐに顔を上げる。

「ですが、あなたが今、それを『割に合うか』と――私が両手を塞ぐ損得を、ちゃんと量ってくださった。荷を持てと当然のように命じる主とは、違う。それは、悪くない気分です」

 務めの忠誠の底に、ほんの少しだけ、別の温度が混じった。戦士として勘定に入れてもらえた、という静かな満足。リディアは箱を膝に戻し、まっすぐマサを見た。

「運ぶか否かは、あなたが決めることです。山頂は、どのみち我々の行き先。ついでに届けるだけなら、大きな手間ではありません。ただ――あの漁師に、果実酒一本のために命を懸ける義理は、こちらにはない。引き受けるなら『ついで』として、捨てる覚悟も込みで。それが私の見立てです」

 卓の向こうで、クリメクが落ち着かなげにこちらの行方を窺っている。

 マサは漁師に向き直った。

「ついでに運ぶのは構わないが、果実酒一本では割に合わない。せめて路銀になる程度の礼は出せないか」

 切り出すと、漁師は気まずそうに頭をかいた。

「……だよなあ。あの石段を、霜の獣のいる道を登るんだ。蜂蜜酒一本で、ってのは、虫が良すぎた。すまねえ」

 正直な男だった。誤魔化そうとも、逆上することもない。しばらく俯いて考え込み、それから腰の革袋を外し、中身を卓に空けた。擦り切れた銅貨と、わずかな金貨が、わびしく転がる。

「これが、俺の蓄えのほとんどだ。……二十枚。今、渡せる。それと、戻ってきてくれたら、もう四十は何とかする。魚を売って、女房に頭を下げてでもな。蜂蜜酒は、餞別だ。――合わせて六十。貧乏漁師にゃ、これが精一杯なんだ」

 男は、皹の入った手で、卓の上のなけなしの金貨をマサの前に押し出した。

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