竜骨の学者 ──スカイリム漂流記   作:スカイリム愛好家

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第31話

扉の前で深く息を吐き、マサは再び腰を下ろした。消耗した魔力の泉が、静かな瞑想の中でゆっくりと縁まで満ちていく。時の流れが現実感を失い、意識の底で揺蕩ううちに、先刻呼び出した炎の精霊が揺らめき、音もなくエセリウスの彼方へと還っていった。束の間の契約、一時の盾。だが、それでよかった。次の一戦には、万全の魔力と、新たに呼び出す万全の盾で臨む。

 

 やがて、心身ともに澱みがなくなり、研ぎ澄まされた感覚が戻ってきた。マサは静かに立ち上がる。

 最後の備えだ。彼は虚空に呪文を紡ぎ、再び紅蓮の精霊をこの世に呼び寄せた。傍らに揺らめく灼熱の人形は、無言のまま主の命令を待っている。続けて、自らの肌へ防御の魔法を掛ける。皮膚が目に見えぬ樫の鎧と化し、石のような強靭さを帯びた。

 準備は、整った。

 

 マサは重い石の扉を、軋ませぬよう慎重に、わずかに押し開けた。

 隙間から覗き込むと、広間の最奥、玉座に鎮座する墓守王の姿があった。まだ、深い眠りの底にいる。乾ききった巨躯は、玉座にもたれて微動だにしない。

 ――ならば、起き上がるのを待つ義理はない。

 サイノッドの政争で磨かれた冷徹さが、彼の思考を支配する。情けや騎士道精神は、ここでは無用の長物だ。マサは扉の陰に身を潜めたまま、両手に紅蓮の魔力を二重に練り上げた。二つの火球が合わさり、一つの灼熱の槍と化す。照準は、無防備な王の胸。

 

 放たれた炎の槍が、静寂を切り裂いて飛んだ。

 眠れる王の胸甲へ、轟音とともに突き刺さる。

 回避も、防御も、覚醒すらも間に合わない。古き墓守王は、その身を灼く業火によって初めて永劫の眠りから目を覚ました。だが、その時にはもう、乾いた身体の半ばが焼け爛れていた。

 炎に包まれた巨躯が、玉座から弾かれるように立ち上がる。兜の奥で、青い眼光が憤怒に燃えた。古の声を放とうにも、焦げ付いた喉が引きつり、意味のある音にならない。不意の劫火に身を焼かれ、王はよろめいた。

 奇襲は、完璧に決まった。王級の番人は、目覚めた瞬間、すでに虫の息だった。

 

 好機を逃すリディアではない。燃えながらよろめく王へ、彼女は氷の刃を一閃させた。

 マサが授けた、あの古代ノルドの剣。霜を纏った刃が、焦げた胸甲の裂け目へ深々と吸い込まれていく。墓守王の巨躯が、内と外から――炎と氷に挟撃され、断ち割られた。青い眼の光が虚空に溶け、王は古い塵となって、玉座の前に崩れ落ちる。炎の精霊が放とうとした追撃の火球も、マサが次に備えていた火の槍も、もはや必要はなかった。

 贈った剣が、墓の主にとどめを刺した。リディアが、信じられぬというように、手の中の氷刃を見つめている。

「……この剣で、墓守王を。あなたの贈り物が」

 短い沈黙のあと、彼女は静かに頭を垂れた。

「礼を、言わせてください」

 

 王の塵の中から、いくつかの品がきらめいていた。マサはそれを拾い上げる。命中するごとに相手の生命力を吸い上げるという、禍々しい力を秘めた黒鋼の大剣。最上級の魂を封じ込めた魂石。そして、いくばくかの宝石と金貨。

 

 だが、本来の目的の品は、王の玉座の先、広間の中央に据えられた祭壇にあるはずだった。

 声の道の祖、ユルゲン・ウィンドコーラーの角笛。

 マサは台座に歩み寄り、そして、眉をひそめた。

 

 角笛が、無い。

 

 代わりに、台座の上には、一枚の書付がぽつんと置かれていた。インクの染みは比較的新しく、墓の千年分の埃に埋もれてもいない。誰かが、ごく最近、ここへ置いたものだ。マサは灯りにかざし、その走り書きを読んだ。

 

> ドヴァキンへ。

> お前に話がある。急ぎだ。リバーウッドの〈眠れる巨人亭〉へ来い。屋根裏部屋を借りろ。

> ── 友より

 

 マサの背筋を、冷たいものが走った。理屈が、追いつかない。

 声でなければ越えられぬ、あの三門の回廊。かつてここに迷い込んだ死霊術師が「どう足掻いてもくぐれぬ」と書き残して諦めた仕掛け。その奥の、墓守王が眠る最奥の間に――何者かが、先回りして角笛を持ち去り、こんな書付を残していった。ドヴァキン(竜の裔)であると知った上で。声を持たぬはずの者が、いったいどうやって、ここまで辿り着いたというのか。

「……どういうことです」リディアが、書付を覗き込んで声を硬くした。「グレイビアードの試練の品を、横から攫う者がいる。それも、あなたの名を知って。罠の匂いがします」

 その通りだ。だが、角笛がなければ、アーンゲールの試練は果たせない。この素性の知れぬ「友」とやらに会わねば、話が進まないのもまた事実だった。

 

「ふざけた話だ」マサは書付を懐に収め、踵を返した。「ふざけた話だが、調べる必要はあるだろう。まず今回の戦利品を売りにホワイトランまで戻って、そのあとリバーウッドまで行ってみよう」

 釈然としない結末に、今はただ、冷静に対処するほかない。

 

 ウステングラブの冷たい空気を背に、二人は霧深い湿地を南へ向かった。世界の喉の巨峰を遠く右手に望みながら、やがて道は乾いたツンドラの平原へと移り変わっていく。ホワイトランの城塞が、遠く丘の上に霞んで見え始めた頃だった。

 行く手の街道に、人影が立ち塞がっていた。

 金の装飾を施した、黒い革鎧。尖った耳と、他者を見下すような切れ長の目。サルモールだ。ハイエルフの審問官が一人、護衛の兵を従えて街道の真ん中に陣取っている。そして、その傍らには――縄で後ろ手に縛られ、地に膝をつかされた初老のノルドの男が一人。殴られたのか、口の端から血を流している。禁じられた神、タロスの護符でも握っていたのだろう。

 

 審問官が、マサたちの姿を認め、薄い唇を歪めた。

「止まれ。アルドメリ自治領の名において、検める。……ふん、ブレトンの魔術師と、ノルドの傭兵か」

 値踏みするような目が、マサのローブとリディアの装備を舐めるように撫でる。

「妙な取り合わせだ。この男――」審問官は、縛られたノルドを顎で示した。「――禁じられた神を拝んでいた。貴様ら、同類ではあるまいな。タロスの名を、口にしたことは?」

 縛られたノルドが、血の混じった唾を吐き、掠れた声を絞り出した。

「……行け、旅の人。関わるな。俺のことは、いい……」

 だが、その目には、消し去れぬ怯えと、わずかに縋るような光があった。

 リディアの手が、無意識に氷の剣の柄へ伸びかけ――そして、止まった。彼女もノルドだ。タロスは、その誇りの神。だが、ここで剣を抜けば、帝国と条約を結ぶサルモールを敵に回すことになる。彼女は奥歯を噛み締め、マサの判断を待った。

 

 審問官の冷たい視線が、マサに据えられている。

 マサは、眉一つ動かさなかった。

「タロス? ……知らんな」

 感情のない、冷え切った声だった。

「俺はシロディール出のブレトンだ。神々への信心など、とうに捨てた。学問が俺の神だ。そこの男が何を拝もうと、俺には関わりのないことだ」

 よそ者の、底冷えのする無関心。場を読み、立場を演じるのは、サイノッドで生き抜くために磨いた処世術だった。

 審問官は、しばらくマサの冷えた目を覗き込んでいたが、そこに繕った気配も、信仰の熱も見出せなかったらしい。

「……ふん。賢明な物言いだ、人間にしては」審問官は鼻を鳴らし、興味を失ったように手を振った。「行け。タロスの異端と関わらぬのが、貴様の身のためだ」

 兵が、縛られたノルドを乱暴に引き立てる。男はもう、マサの方を見なかった。ただ、引きずられながら、掠れた声で、誰にともなく古い祈りの一節を呟いている。その背が、街道の彼方へ、小さくなって消えていった。

 

 リディアは、無言だった。氷の剣の柄を握る指に、ぐっと力が籠もり、そして、ゆっくりと解かれた。何も言わず、ただ前を向いて歩き出す。だが、その横顔には、噛み殺した何かが痛々しく滲んでいた。

 しばらく歩いてから、彼女はぽつりと、独り言のように零した。

「……あなたは、正しい。関われば、こちらも縄を打たれた。分かっています。ただ……」

 言葉は、そこで切れた。続きは、冷たい風の中に呑み込まれた。マサの冷徹さを責めるでも、肯定するでもない。ただ、割り切れぬものを抱えたままに。

 

 やがて、ホワイトランの城門をくぐった。数日ぶりに浴びる城下の喧騒が、墓所の静寂と街道の緊張を洗い流していく。市場の呼び声、鍛冶の槌音、肉の焼ける香ばしい匂い。マサは、懐に収めた戦利品の重みを確かめながら、それらを最も高く捌ける場所はどこか、静かに算段を始めていた。

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