昨日と同じ様に起こしに来た居候に後五分と言おうとした瞬間には頭に被った薄い掛け布団を剥ぎ取られ、渋々台所へやって来た。此れまた昨日同様出来たての朝飯が有り、変哲の無い卓袱台を色鮮やかに飾っている。
手が込んでいる温かな朝食、久し振り過ぎる此の光景。正常に動いていない頭と寝惚け顔を其の侭に座布団の上に座り飯を食らう。熱々の米と味噌汁が喉を通る度に鈍った思考を明確なものにしていく。
「今まで聞いていませんでしたが。味噌汁の濃さは大丈夫でしょうか」
「あぁ大丈夫だ。米の硬さも丁度良い。良妻に成れるぞ」
「口説いてます?」
「そんな訳があるか」
今日で四日目、いや五日目か。共同生活が始まって早くも五日である。濃い五日間であったが其のおかげもありこうして暮らしている。まるで何年も前から共に過ごしているのではないかと勘違いしてしまう程に当たり前と化した此の生活。お互いに適応力が高いのか、将又あまり関わりにならないモノが相手でも気にしないという無頓着なだけか。いやそう思っているだけで相手は此方に気を遣っているのではないだろうか。まぁ其れでも関係ないのだが。
「自分さえ良ければ良いのですか」
「いや、そういう訳ではなくてな。此方が如何言ってもそういう気を遣ってしまうという事はなかなか変えられないものであろう。なら言おうと言わなかろうと変わらないと思っただけだ」
「其れはただ面倒臭がっているだけでしょうに」
其の通りです、はい。
「まぁ其れは良いです。それで、今日も鍛錬ですか?」
「違うが。何故だ?」
「鍛錬とは毎日行い積み重ねていくものでしょう」
いやな。昨日はあれだけ怪我を負ったのだから今日は良いだろうと思ったのだ。
「昨日のあれは貴方がそうした結果でしょうに。何の為に鍛錬をするのですか」
鍛錬の意味か。鍛錬の意味。食後の運動、暇潰し、色々なものを兼ねてやっていたのだが強いて言えば此れから先一昨日と同じ様に変な奴等に付けられた時に動ける様にする為である。俺がしたいと思ったから鍛錬をした、なら今日したくないと俺が思ったのだからしなくても良いと思うのだがな。
「私の話をきちんと覚えていてくださったのですね。其れでは今日も鍛錬するという言葉も受け入れてください」
「煩い。まぁ今日も暇なのには変わりはない。故に鍛錬を行っても構わないのだが面倒だ」
「ほら、食べたら準備して行ってきてください。今日はお昼からではないので昨日の倍近く妄想運動ができますよ」
妄想運動ではない、仮想敵を想定しての影闘である。
「昼はもう既に作っていますので安心してください」
準備が早い。俺が行くと頷くと分かっていたとでもいうのか。だが断り頑なに拒絶したら如何するつもりだったのだろうか、無理矢理連れて行くのだろう。
「無理になどさせませんよ。作った物を持って二人で何処かへ出掛けようかと考えていました」
「ピクニットとやらだな。まぁそうはならなかったのだが」
「いつか行きましょう」
「あぁ」
飯を食べ終え食器を洗い支度をしませ昼飯を手にし家を出る。周りに誰も居ないかを探ってみるが特に変わりはない。
地面に荷物を置き腕や脚を伸ばして固まった身体を解す。温まってきたところで模擬刀を肩に担ぎ弁当と水筒とタオルが詰まった風呂敷を脇に持ち走り出す。
全力疾走。地面が陥没し木の枝がへし折れるのではないかと言わんばかりに力を込めて森を走り抜ける。一直線に進めば目的の場に直ぐに着いてしまう。故に遠回りをして行く。面倒事は避けるべく気配を探りながら妖怪の縄張りを進み、攻撃を避けていく。
川を跳び越えた所で一旦休憩を取る。荒くなった息を整え川の水を飲む。喉が痛い程に冷たい水で身体を冷まし再度走り出す。
走って飛んで回って走る。障害物を避け森を抜ければ何時もの場所に辿り着いた。
「ゼー、ハー……疲れた」
此の位は行けると思ったのだが、体力が落ちていると改めて実感した。乱れた息を再度整え、荷物を林に隠し模擬刀を腰に差す。
「今日は蟷螂じゃあなく、久し振りに他の妖怪にするか」
一度しか見ていなければ大した想像は出来ない。だが今までの鍛錬で想像力を高めてきた俺には印象に残っていれば大抵のモノは仮想敵に出来る程の想像力があると自負している。あくまで記憶と想像で形作られた紛い物であり俺がこうしてくると思った戦術を取ってしまうので実際は違うと思われるのだがな。
「想像」
『………………裏切り』
「想像しろ」
『…………裏切り者』
「想像するんだ」
『……裏切り、者には』
「想像するのは、理不尽な強さを持つ強者」
『裏切り者には死を!』
幕の様にひらひらと蠢めく漆黒の壁を周りに展開する敵が現れる。其の漆黒の幕がピタリと止まり、真っ直ぐに伸びて迫り来る様は宛ら槍の雨の様。
「ッ!」
跳び上がれば我先にと迫っていた闇が足元を過ぎ去っていく。
「フッ!」
形を変えて飲み込もうと迫る闇。剣を鞘から抜く勢いの侭に斬り付ける。
パックリと裂けた闇、だが無意味。影は光に当たった物の形に姿形を変えていく。変幻自在の影と同じ闇をどれ程斬り付けようと意味は無い。どうにか出来る手札が無い俺にはほんの少しの時間稼ぎにしかならない。
「ですよねっと」
空中にいる身動きの取れない俺に向かい闇が迫る。
話は変わるが、世界には水の上を走る蜥蜴がいるらしい。どうやって水の上を走るのか不思議で仕方なかった俺は『能力を持っている』とか『妖力の様なものを使っているのでは』と想像を膨らましたものだ。原理は至極単純で『水面に出した足が沈まない内にもう片方の足を出す。其の足が沈む前に更にもう片方の足を出す』というものだった。そんな事かと呆れたのだが此れがなかなか難しい。彼奴らは軽いから其れが可能だが俺程の重さになると最初の一歩を踏み出しもう一歩出す前に沈んでしまう。
しかしとある格闘家は此れを成功させたという。能力やらではなく純粋な身体能力のみで其れを実行し成功させた人間。人間に出来て俺に出来ない訳がない。そう考え俺は只管に鍛え湖に沈む日々を送っていた。其れから幾分か時が経った頃なのだがな。
何時の間にか水面だけでは無く、空を走っていた。
空を飛ぶのが苦手な俺に新たな移動方法が出来た瞬間である。水面を走る事が出来るようになり他にも此の技術を応用出来ないかと考えた結果此の発想に至った。水面の時以上に気を使わなければならず直ぐに疲れるのが玉に瑕だが。
再度迫る闇を空を蹴り避け、今度は小さく空を蹴り身体を捻る様に回転させれば何時の間にか近くまで迫る敵の姿が。蹴りを放とうとする敵に向かって全力で刀を振るう。真っ赤な血が辺りに飛び散る。
「ガハァッ!?」
飛び散ったのは俺の血だが。
迫る其の足を切り裂くまで後少しといった所で相手の背に隠れていた闇が俺を貫いた。痛みが身体中を駆け巡る。其れからどろどろとした闇が体に絡み付き抵抗しようとしても抜け出せず。先端を尖らせた闇が又しても俺に迫り。
「死にましたと」
頭を潰れたトマトの様にされ中身をぶち撒けてお終い。あっさりとしていて、其れでいて感動的な迄のすっきりとした力の差だ。
いや、ね。呆気なく終わっていては鍛錬の意味が無い気がしてくる。
其れから何度も戦ったのだが、始まってほんの数分で致命傷を受け死に至る。そんな事を繰り返しやり続けてはみたものの結果は芳しくない。自分の死亡する場面を想像せにゃならんのか。好きでやっている訳じゃない。
「文句を言っていても始まらん」
本日何度目かの仮想敵を生み出し鞘の中の模擬刀に手を掛け駈け出す。攻撃を避けていても何時かは追い詰められて死ぬ。なら今回は攻める。
地面を踏みしめ一瞬の内に最高速に達した所で闇を飛び越え斬り裂きながら着地し走り出す。姿勢を低くし被弾する面を出来るだけ小さくし攻撃を避け逸らし一直線に近付く。
「じゃおら!」
転がる石を拾い全力で投擲するが闇が壁となり防がれるが其れが仇となる。
壁により相手が見えなくなる、だが其れは向こうも同じなのだろう攻撃が収まる。故に利用する。壁を迂回し後ろに回り込み敵の後ろ姿を視界に捉え一気に接近し斬り掛かる。
「ッ!!」
気付いたのか剣を振り抜く寸前に此方に振り向き闇を伸ばしてくるが遅い。腹を胸を頭を貫かれるが振り下ろされた刃を止める事は出来ず斜めに深く斬り裂かれる。一太刀で殺す事は叶わなかったが致命傷だ、直ぐに死ぬ。
決死の覚悟のとその場に有る物を使い戦った結果相打ちで幕を閉じた。
「こう簡単に出来る訳がないだろうな」
後ろに回った事に気付かれなかったから相打ちと成ったが本物なら後ろにも警戒するだろうし罠を張っているかもしれない。というより自ら生み出した者たちなのだから壁にしても透過しても見る事も出来るやもしれん。
「しかし相打ちか。死んでしまっては意味が無い。無理に攻撃を決行したが此処は壁で見えなくなった所で逃げに徹するべきであった」
命有っての物種なのだから。
「グギャアッ!」
「ピギャァァァ!」
「ガルルァガァッ!」
整備されていない森の中で鍛錬を行っているとこういう輩に襲われ否応無しに戦う事になる。こんな所はさっさとおさらばしたいのだが昼飯を置いた侭で離れるのは御免被る。蜈蚣の頭を弾幕で潰し、熊と人型の懐に潜り込み頭を斬り落とす。毒を持っているであろう蜈蚣には近付くのは悪手、苦手な弾幕で倒せるかと不安だったが上手くいき残りも疲労困憊であったが怪我一つ負う事はなかった。
二日連続で襲われるとはな。誰も近付かない広い空間という事で修業には丁度良かったのだが、場所を変えるべきか。
「お兄さん、そこに落ちてる死体は貰ってもいい?」
「此れか?別に良いぞ」
いや、仮想の敵では感じることの出来ない最悪死に至るかもしれんあの死合いの空気を肌で感じるにはこういう事も必要か。戦いの最中に不測の事態が起こるなぞ良く起こるのだし逆に良い位なのか。
「久し振りのお肉だよ。みんな沢山お食べ」
しかし、修行場に死体を置いた侭というのもどうかと思い片そうとは思っていたが手間が省けた。餌を求めて新たにやって来たのが顔見知りで良かった。死体の処理と争い事を回避する事が出来た。最初に此奴が来ていたら昼飯を差し出していただろう。
「ありがとねお兄さんお肉をくれて」
「あれをどうしようかと悩んでいたところだ。お互い様だ」
「もしお肉がなきゃお兄さんを食べてたよ〜」
顔見知りとはいえ人間の恐怖から産まれた存在。仲間でもなければ友でもない奴は餌としか考えず襲い殺し食らうのは当たり前なのだろう。
「お兄さんって美味しそうだよね〜。みんなも食べたいってさ〜」
「物騒な事を言うな。さっさと食って消えろ」
やらんぞ。俺に手を出してみろ、其の首落としてやる。いや蟲は頭を潰しても少しの間だけ生きているのだったか。駄目じゃねぇか。
「え〜そんな事言っていいの〜?私の仲間たちがいるこの中で勝てるとでも〜?」
低級妖怪とはいえある程度の知能と理性を持ち複数の存在を操る此奴には分が悪い、だが。
「甘く見るなよ蟲野郎。テメェ一人朝飯前だ、叩き潰すぞ」
「あぁいいねぇ〜その殺気。蟲たちを身体中に這わせてる時みたいにゾクゾク来るよ〜。でも女の子に向かって野郎なんて言っちゃうのは駄目よ駄目。
手足は食べちゃって身体を蟲の苗床にしちゃうのもいいけど、寄生蟲を使って死ぬまで操り人形にするのも面白そう〜。フフフ、フハハハハ!」
此奴は何なのだろうか。知能の低いケモノよりタチが悪い種類の妖怪だ。戦闘狂の方がまだマシだ。威嚇紛いの啖呵を切ってさっさとお帰り願おうかと思ってみれば、蟲の苗床?操り人形?逆効果だった。あんな啖呵を切った後でも『さっきは調子乗りました。許してください』と言う事も辞さないつもりだがこうまで興奮している相手が考えを改めてくれるのか。
「でもでも〜お兄さんはお肉をくれたしあの娘の常連さんだし〜。蟲たちも手を出さない方がいいって言ってるし〜蟲の知らせって奴〜?手出し出来ないのが残念だよ〜」
「…………」
此れは、もしや、いけるか?
「だけど我慢出来な〜い!だって好き勝手やるのが私たち妖怪でしょ〜?大丈夫だよ〜?どうするか決めるまでは蟲たちでいい事してあげるから〜。最初は抵抗するけど最後はみ〜んな堕ちちゃうんだから」
俺にはそういった趣味はない。
「俺が好き勝手させるとでも思っているのか?」
「さっきも言ったけど私の仲間たちがい〜っぱいいるんだよ〜?今も色んな所から集まって来てるから〜。強気なお兄さんが堕ちるところが見たいな〜フフフ」
何時の間にか森中からぶんぶんという音が聞こえてくる。少しずつ大きくなる羽音にどうしようかと冷汗が出る。
天狗の姉ちゃんは蟲は昔より随分と弱くなったと言う。確かに昔は危険なやつがいた、蠱毒とか。俺からすれば昔も今も厄介なのには変わりない。
「寝言が言いてぇなら寝かしてやるぜ、永遠にな」
「それは嫌ね〜、まぁ私は戦うのは苦手だからこの子たちが相手するから頑張ってね〜」
広場に影が出来き雲に太陽が隠れたのかと思ったがより一層強くなった羽音に違うと気付き見上げれば、空を無数の蟲が覆い隠していた。
こんな事なら彼奴と出掛けとけば良かった。
「お兄さんはどれ位持つか楽し──」
「──オルァ!」
言い終わる前に足元の石を蹴り飛ばす。いきなりの行動に面食らった顔をするが直ぐに蟲たちが集まり石を防ぐ壁となる。
「いきなり王様を狙うなんて〜。先ずは兵士を倒さなきゃって何処行くの!」
石を防ぐだろうとは思ったが自分で対処するか蟲を使うのか蟲をどの様に使うのか分からなかったが上手くいった。ほんの一瞬でも隙ができれば逃げれる。
「誰も戦うとは言っていないだろうに」
本気で戦うと思っていたのか。お前の敗因はただ一つ、俺の事を知らなかったからだ。林の中に飛び込み荷物を掴み走り出す。
森の中にも蟲たちが飛んでいたが木の上を飛び跳ね上手く避ける。後ろからぶんぶんと羽音が聞こえるが振り向かず只管に飛び続け、偶に地面に降りて木々を盾に弾幕と蟲を防ぎ走る。
「それで、どうしたのですか」
「逃げて逃げて逃げ回ったさ。逃げ切ったところで飯を食って鍛錬を行って遠回りして帰ってきた」
今日も無事に帰ってきた我が家。疲労困憊な体に鞭打って飯作りを手伝い食べながら今日起こった事を話していく。
「食事中に話す事ではない内容がありましたがね。もう少し考えて話してください」
「すまんな」
5835文字、いつもより少しだけ多いねぇ道理でねぇ!
影闘:仮想敵を生み出し戦う。妖力も能力も使用せず想像力だけで生み出す為主人公にも出来る。
昔「良く観察し理解していなければ中身が大したものではなかった」
今「ある程度見ればある程度再現可能。ある程度だけ」
蟲妖怪:顔馴染みの妖怪。蟲を操る。間延びした話し方をする。蟲特有の要求が光る。