風呂が先か飯が先かと問われれば俺は風呂と答える派の妖怪である。飯とは静かに食うものだとは前に言ったが『風呂に入る事でさっぱりした後』も加え入れよう。そう思う程に先に風呂に入ってから飯を済ます事は良いと考えている。汗で肌がベタついた侭食べるよりも風呂に入ってからの方が良いのだ。
まぁ俺の風呂が先な理由は置いておこう。昨日は飲みから帰ってきてからだったので必然的に後に風呂に入る事になったのだが今日はそういった事はない。何時もなら風呂を沸かし入ろうと思うのだが今は居候が居るのでお互いに意見があるだろしそういった事は先に話し合って変えた方が良い。だが其の居候に飯が先か風呂が先かという事を聞いていなかった。後から先が良い後が良いと揉めない為に、こういった時間に関する案件は先に決めておくのが当たり前だというのに。
「長い、三行で説明してください」
「ご飯にする?
お風呂にする?
其・れ・と・も・わ・た・しィイ!?」
真剣白刃取り、誰が最初に始めたのかは知らないが使い所があまり無い代物、そう言われる割に此れが役に立つ。俺が窮地に立たされた時に幾度も救ってくれのだから確かな事だ。目の前に迫った何かを両手で挟み受け止めるが反射的に背を反らせた事で勢い良く頭を畳に叩きつけ鈍い痛みが頭の中を駆け巡り蹂躙する。思わず顔を顰めながら手元を見れば手の中には本が収まっていた。
「不快です、投げますよ」
「もう投げているだろうに。まさか此れを知っていようとは思わなんだ」
「次は湯飲みを投げるという意味です。あの方は突拍子もない事をしますからね、昔家の玄関を開けた先でやられましたよ。半裸だったのに加え不法侵入という事で服を着させず叩き出しましたがお咎めなしでした」
湯飲みかぁ……湯飲みは痛いだろうなぁ。しかしあの天狗は普段何をしているのか、悪戯好きとは今までの付き合いから分かってはいたがやる事成す事全てが予想の斜め上を行っていて聞いている分には面白い。されるのは御免だがな。
「経験者は語る、天狗社会の闇」
「やられ続けていると慣れるんですよね『いつもの事か』って。しかしこちらが反応しなくなると更に悪戯をしてくる様になる。繰り返す度に規模が大きくなっていくので最近は遭わないように気を付けたり適当に受け流すのが当たり前になってしまいました。そんな現状に慣れてしまっている自分に辟易としてしまって」
うーん此の絶える事のない愚痴。此処まで溜め込んでいたのかと思う程に次から次へと止め処なく出てくる愚痴の数々。聞いている此方が如何にかなってしまいそうだ。
「やり過ぎない程度にやってくるので怒るに怒れないんですよ」
「いや怒れ。一言言わんと此の侭続いていくぞ?」
「前に一言言ってみたのですが邪険にされてしまい…」
「其れは何となく分かっていた。彼奴は人の話を聞かないからな」
彼奴が誰かの話を素直に聞くとは思えん。自分より身分が上のモノの話なら聞くのだろうが。
話が擦れてしまった。
「其れでお前はどちらなんだ?」
「最初の話ですよね。私は先に食べて後に風呂に入る派ですね」
風呂を出てさっぱりとした後に家事を行うのは確かに嫌だろう。如何やら此奴とは分かり合えない様だ、此れも定めか。まぁどちらか先か後かに其処まで固執している訳ではないし向こうに合わせるか。
「其れじゃあ今日から先に飯を食って後に風呂に入る事にしようと思う」
「良いんですか?そちらは先に風呂に入りたいのでしょう?」
先にも言ったが其処まで固執していない。故にどちらでも問題はない。
話すべき事は此れだけではない。晩飯を如何するのかも話をしていなかった。
「私が作っても良いですか?」
「作れるのか?」
「作れますよ。基本的に私たちは自炊しているモノが殆どです。此れでも宴会の料理担当を良くしていましたから腕の方には自信があります」
グッと上げた腕にもう片方の手を乗せて腕があるのだと言外にも伝えてくる。其れ程自信があると言うのなら楽しみにしていようではないか。
「ある程度はやりますが手伝ってくださいよ?共同生活なんですから。自分は料理下手で簡単な物しか作らないなんて言い訳はさせません。これからはきちんとした物を作って食べてもらいます」
言おうとした事を抑えられてしまった訳だが何と言い返せば良いか。前に食事は良いなと思っていたのだが時が経つとやる気がなくなってしまうのは皆が経験する事だと思う。やりたくないと思ったならやらなくても良いと俺は思う。
「駄目です。私がいなくなった後も続ける事が出来る様に習慣付けます」
「俺は子供か何かか」
しかし、面倒見の良い奴なのだろうという事は今までの発言から分かっていたが生活習慣まで変えてくる程とはな。母親というものが居れば此の様な感じなのだろうか。
「其れで、今日の献立は?」
「若鮎の塩焼き、大根と水菜のサラダ、猪肉の角煮、がんも煮、後はご飯と味噌汁。この六つにしようと思っていますがいいですか?」
「ほう、そうか。何時頃から作りだす?」
「日が落ちた頃に作り始めましょう」
其れ迄ダラダラと本を読みながら過ごす事に。料理の手伝いは面倒で拒否したいところだが出来る訳がなく風呂に入る時や人里の時の様に抱き抱えられたり引っ張られて台所へ連れて行かれるのだろう。
本を読む事に集中してどれ程経ったのだろう、そろそろだと声を掛けられたので仕方なく台所に向かう。
二人仲良く肩を並べて料理に取り掛かる。まさか天狗と料理をするなど誰が考え付こうか。料理をしながら話をしていく内に台所の一角に鎮座する鉄の箱の話題になった。
「しかしこの冷蔵庫というのはなかなかな物ですね。説明では食物が保つと言っていましたがそこそこ保ちますよこれは」
動力がなければ使えないと言われたが虫が入ってこない様に密封できるのと台所に置ける大きさという事で大金を叩いて買ったのだが氷室と合わせる事で更に良くなった。
「一々氷室から食材を取り出すのは億劫だからな。近くに氷室擬を置いて置けば直ぐに取り出せる」
「氷を入れても熱が通り難い素材で出来ているおかげで溶けない。冷蔵庫とは便利な物ですね」
「やらんぞ」
動力とやらがあれば氷を用意しなくても済むので彼奴には動力を見つけて欲しいものだ。妖怪の賢者は外の世界の物をあまり流通させたくないらしいので無理からぬ事だと思うが。河童の奴等は発明が好きだというしもう既に作り出しているやもしれぬな、賢者が手を出していなければ。
「河童が動力とやらを作っていると聞いた事はあるか?」
「動力と呼ばれるモノの話は聞いた事がないですね。ですが友人の河童が『外の世界の機械と呼ばれる道具には電力エネルギーが必要でそれを使わないと動かせない』と言っていました」
でんりょくえねるぎー?電力とは恐らく電力の事だろう、雷の力だったか。えねるぎーについては知らんな。
動力とは違う物。話が違う、彼奴が嘘をついている様には感じなかったし間違った解釈をしていたのだろうか。此の二つが必要なのかどちらか一つでも使えるのか、分からん。
河童と彼奴を合わせて話し合わせれば解決するかもしれんが無理だろうな。彼奴は出不精だ。河童の方から此方に来て貰えればいいのだが。
「手が止まっていますよ、考え事に意識を向けていないで手も動かしてください」
「む、済まん」
料理をするのは何時振りだろうか、大分前なのは覚えている。此処に居を構えた最初の頃は食料を手に入れる事が最初の難関であった。其れから食料を手軽に手に入れられる様になり料理に本格的に手を出し始め十数年の間毎日三食作ってはいたが飽きてしまい其れ以降簡単な物しか作らなくなってしまった。
「だが久し振りとはいえ出来るものだ」
「身体が覚えているのでしょうね」
玉ねぎと大根の千切りをだし汁の中に入れ火に掛ける。其の内に残しておいた千切り大根を水菜と合わせ皿に盛る。鍋が沸騰したら酒と麺汁を入れ弱火にし玉ねぎも大根もかつおの出汁と同じ色になりくたくたになるまで煮込む。味噌を加え弱火で少し煮る。
器に盛り盆の上にサラダと共に乗せて運ぶ。
料理しながら何度か確認していた土鍋の蓋を開けてみれば米が炊けていたので火から離し蒸す。唯炊くのではなく此の蒸すという工程を入れる事で更に美味くなる。
「其方はどんな具合だ」
「もう少しといったところですね。まぁご飯を蒸している間には出来上がるでしょう」
相方が猪肉の角煮を作っている間に煮たがんもを皿に盛り運ぶ。戻る頃には角煮と若鮎を盛っていたので飯を茶碗に盛り一緒に持っていく。
卓袱台の上に料理を並べ向かい合う様に座り手を合わせ『いただきます』と声に出し食べ始める。
箸で掴んだがんもから染み込んだ煮汁が漏れ口に運び噛み切れば更に溢れ。
若鮎の塩焼きは丁度良い塩加減でパリパリとした皮の下には臭みが全くない身が。
猪肉は臭みが全くなく箸でも簡単に裂ける程に柔らか。
野菜は新鮮で瑞々しくサクサクとした歯応え。
しっかりと炊かれ蒸された米と出汁が効いた味噌汁。
「真面に家で飯を食うのが久し振りなもんだから感慨深く感じてしまう」
「別に食に事欠いている訳でもないのに食べるという行為に其処まで思うのはどうなんですかね。これからはきちんと一日三食食べてもらいますからね」
「はいはい」
やれやれ、何度も同じ事を繰り返さなくても良いだろうに。聞き分けの悪い子供ではないのだから。
子供といえば昔少しの間だが部屋を間借りさせてやったあの人間はどうなったのだろうか。話を聞き外から来たのだと分かり巫女の所に連れて行ったが無事に家に帰る事はできたのか。一時とはいえ共に過ごせば其れならの情は湧き心配もする。
「箸が止まっていますがどうしました?」
「いや、昔の事を思い出していてな」
思考を一旦止めて目の前の飯に集中していく。
食事が終われば料理をしている時の様に二人で作業を分担し皿や鍋を洗っていく。飯も料理も何も残らず全て食べたので冷蔵庫の空き空間を使わずに済んだ。其処に今日飲む分の酒瓶を氷室から持ってきて入れる。我が酒に別れを告げて風呂の支度を済ましさっさと風呂に入る。
風呂から上がり真っ先に冷蔵庫の中からつまみと酒を取り出したところで居候がやってきた。
「昨日あれだけ体調を崩していたのに今日も飲むのですか?更に体調が悪くなりますよ」
「今日も飲むんだよ俺は。薬があるから体調が悪くなっても平気だって平気平気。一緒に飲むか?」
「体調を崩す事前提なんですね。今日は遠慮しておきます、何があるか分かりませんからね」
俺はただ長い生を謳歌しようとしているだけだというのに。今という時は戻らない、故に一瞬一秒を楽しまなくてはならない。時を戻すなど神でもできないのだから。
「別に今を全力で生きなくても良いではないですか。人間ならいざ知らず」
「そうだな。色々と言ってはいるが其れを実際に行っている訳じゃないしな」
一瞬一秒を楽しむとは言うが本当にする訳じゃない。そんな事をすれば妖怪とはいえ過労死一直線である。
「まぁ酒は止めんがな。特に用事がある訳じゃない。二日酔いになろうが関係ない」
「そういう事を口走るから用事が出来たり面倒事が舞い込んだりするんですよ。前に言ったフラグの一種です」
「何?フラグとやらは死亡フラグしかないのではないのか!?」
「一種類しかないとは言ってないですよ」
発言一つで運命が決まってしまうとは、フラグとは恐ろしい。フラグとは何も悪い事が起こるものではなく良い事も起こるそうな。死んだと思っていた所で実は生きていたという生存フラグは是非建てておきたいところだ。
「それじゃあお風呂に入ってきますね」
「おう」
良いフラグを味方に付けるには考えや発言、行動に気をつけなくてはならないらしいが逆に悪いものまで発動するかもしれないらしい。俺は運が良くない、慎重にいかなくては。
「覗かないでくださいよ?」
「誰が覗くか」
信頼されているのかされていないのか良く分からんな。
居候が風呂に向かいまたしても静かになる部屋。もう始めても良いかと酒とつまみを持って縁側に向かう。
日が沈み切り辺りは暗闇に包まれる。其の世界を月と無数の星の淡い輝きが照らしだし闇の中にぼんやりとした輪郭を浮かび上がらせる。あれだけ忙しなく鳴いていた蝉たちは昼間と打って変わり鳴りを潜め静かな世界が広がる。あの暑さも去り穏やかに吹く風が心地良い。
何度も言うがやはり何をするにも静かさというのは大事だ。其れは酒にも言える事だ。
一昨日が小望月、昨日が満月、そして今日は十六夜である。他に、既望や不知夜月等とも呼ばれている。既望は望月を過ぎた月、不知夜月は一晩中月が出ているので「夜を知らない」の意。「いざよい」はためらうという意味のある「いさよう」から出たとか。望月より月の出が遅れるのでそれを「月の出をためらう月」と考えたという。
ほんの少しだけ欠けた月をつまみに酒を呑む。満月であった昨日にできなかったのが悔やまれる。
あぁ、酒が疲れた体に染み渡って気持ちが良い。その反面明日は体調不良で苦しむと分かってしまうが止める事はできない、するつもりもない。もう少しすると鈴虫たちが鳴き出し始める。其れが楽しみで仕方ない。
5342文字、普通だな。考えたんですよ、電車の中でメモ帳に一日500文字書けば十日で5000文字超えると。筆進まなくてもそれは守る。逆に筆が進めばそれはそれで良い。