ゴッドバレーの祭典会場を囲む森は、昼間であるにもかかわらず薄暗かった。
生い茂る木々が陽光を遮り、湿った土の匂いが漂っている。
森の向こうからは、天竜人たちの歓声や音楽が途切れることなく聞こえていた。まるで島の外側にある世界など存在しないかのように、彼らは自分たちだけの享楽に浸っている。
その対照的な光景を眺めながら、シロウは懐から小さな電伝虫を取り出した。
「…ここから先は、別々に動きましょう」
「賛成。二人で固まって歩くより、手分けした方が楽だ」
カイルはあっさりと頷いた。
「俺は西側を調べる。人の出入りが多い場所は面倒だから、裏手から回るぞ」
「では、私は東側を。祭典会場の中心部と、関係者が出入りする建物を重点的に調べます」
「了解。何か見つけたら小電伝虫で連絡する。それでいいな?」
「ええ。決して無理はしないでください」
「それ、あんたが言うのか?」
カイルは呆れたように笑った。
「自分のことを心配した方がいいんじゃないか。俺は面倒になったら逃げるけど、あんたはどうせ逃げないだろ」
「…」
「まったく。救いようがないな」
そう言い残し、カイルは木々の間へ姿を消したのを見届けたシロウもまた、反対方向へと歩き出す。
互いに別行動を取る以上、情報共有は欠かせない。特に今回の目的は、単にシャッキーの居場所を見つけることだけではなかった。
彼女を無事に救出し、島から脱出すること。
そのためには、敵の配置と警備体制を把握し、どこに隙があるのかを見極める必要があった。
そして、可能であれば…この島で何が行われているのかも知る必要がある。
シロウは足音を殺し、木々の陰を縫うように進んでいった。
祭典会場の東側は、シロウが想定していたよりも厳重な警備が敷かれていた。
白い石畳の道を武装した兵士たちが巡回し、建物の入口には銃を携えた衛兵が立っている。海軍や神の騎士団以外にいる政府の使用人らしき者たちでさえ、決められた通路以外を歩くことは許されていないようだった。
シロウは建物の陰に身を潜め、兵士たちの動きを観察した。巡回の間隔や見張りの人数、出入りする者たちの服装。そして、彼らがどの建物へ向かっている事が多いのか。
一つひとつの情報を頭の中で整理していく。
「…こちらは主催者側の関係者が使用する区画のようですね…そうすると奴隷にされた人達は別の収容所へ…?」
小さく呟き、視線を上げたそのときだった。
正面の大通りに、周囲の者たちとは明らかに異なる一団が姿を現した。
先頭を歩くのは、白い衣装に身を包んだ髪が半三日月型で特徴的な男。整った顔立ちと、冷ややかな眼差し。歩き方には一切の迷いがなく、周囲の兵士たちも彼の進路を妨げないよう、道を空けている。
忘れるはずもなかった…過去視をした際に見たシャッキーを連れ去った者たちの先頭にいたのがその天竜人側の人間。
フィガーランド・ガーリング聖。
「(…やはり、あなたも来ていましたか)」
声には出さず、唇だけが動いた。一年間の調査で集めた情報には、彼の名前もあったが、実際にこの島にいる姿を確認したことで、状況は一段と厳しくなった。
ガーリング聖がここにいるということは、シャッキーの身柄が単なる一時的な拘束にとどまっていない可能性がある。
天竜人たちの催しに関係する、何らかの目的があるのかもしれないと考え、シロウはすぐに小電伝虫を取り出した。
しかし、連絡を始める前に、ガーリング聖の周囲をさらに観察する。彼は数人の兵士と短く言葉を交わすと、会場の奥へと進んでいった。兵士たちは深々と頭を下げ、その姿が見えなくなるまで動かなかった。シロウはその光景を見届けてから、静かに通信を始めた。
「カイル…聞こえますか?」
しばらくして、小電伝虫の向こうから気の抜けた声が返ってきた。
『聞こえてる。どうした?』
「こちらで重要人物を確認しました。フィガーランド・ガーリング聖です」
『…へえ』
カイルの声が、わずかに低くなる。
『あんたが見聞色の覇気?ってやつで見たって言うシャッキーを攫った奴か?』
「ええ。間違いありません。特徴も一致します。祭典会場の中心部へ向かっています」
『なるほど。なら、あんたが追ってる女も、そっちにいる可能性が高いわけだ』
「現時点では断定できませんが…彼の動向は追う価値があります」
『分かった。こっちでも何か見つけたら知らせる』
通信が切れシロウは小電伝虫を懐へ戻し、ガーリング聖が消えていった建物を見つめた。
焦ってはいけない…相手が重要人物であるほど、周囲の警備も厳重になる。下手に近づけば、シャッキーの居場所を突き止める前に騒ぎを起こすことになるだろう。
シロウは一度呼吸を整え、情報を集める為再び移動を始めた。
一方、西側を探索していたカイルは、建物の屋根から屋根へと移りながら、会場の裏手を観察していた。
「…面倒な場所だな、ここは」
眼下には、食料や酒、装飾品などを運び込む使用人たちの姿がある。そのさらに奥には、一般の使用人が立ち入れない区域が広がっていた。
見張りの兵士たちの表情は硬く、建物の前には通常の警備兵とは雰囲気の違う男たちが立っている。
カイルは片手で口元を覆った。
「お祭りって聞いてたんだがね。どうにも、楽しそうな場所には見えないな」
もちろん、彼自身は天竜人たちの祭典に興味などなかった。ただ、シロウが探しているシャッキーという女性がどこにいるのか。それを突き止めれば、面倒な探索を早く終わらせられる。できれば、厄介な戦闘に巻き込まれる前に見つけてしまいたい。
そんなことを考えていたときだった。
裏手の通路を、一団の男たちが歩いてきた彼らの中心には、黒い法衣を思わせる衣装をまとった大柄な男がいる。
周囲の者たちは、彼の前で道を譲るだけでなく、視線を合わせることすら避けているようだった。
カイルは、その男を見て眉をひそめた。
「…何だ、あいつ」
男の顔は、一般の兵士や天竜人とは明らかに違う。
その存在感は異様であり、周囲の空気そのものが彼を中心に歪んでいるように感じられた。カイルはしばらく様子を窺い、近くを通りかかった使用人たちの会話に耳を傾けた。
「まさかサターン聖がお越しになるとは…」
「声を落とせ。五老星のお一人だぞ」
その言葉を聞いた瞬間、カイルの表情が変わった。
「…五老星?マジかよ」
世界政府の頂点に立つ者たち。その名を知らないわけではない。シロウが追い続けてきた組織の中でも、特に厄介な相手だ。
しかも、その一人がこの島にいるという事実にカイルは小さく舌打ちした。
「おいおい。ずいぶんと大物が揃ってるじゃないか」
彼はすぐに小電伝虫を取り出した。
「シロウ、聞こえるか?」
『はい。どうしました?』
「こっちでも面倒なものを見つけた。五老星の一人、サターン聖がいる」
一瞬、通信の向こうが静かになった。
『…サターン聖、ですか。確かですか?』
「ああ。黒い法衣を着た大柄な男だ。周囲の扱いや話しからして間違いない」
『分かりました。確認ありがとうございます』
シロウの声は落ち着いていたがカイルには分かった。彼は今、頭の中で情報を組み立てている。
神の騎士団のガーリング聖、五老星の一人サターン聖。
そして、シャッキーが連れ去られた経緯。この二人が同じ島にいるという事実は、偶然として片づけるには不自然だった。
『カイル。サターン聖が向かった場所は分かりますか?』
「今のところはな。会場の奥にある建物へ入っていった。あそこは普通の警備区画とは違うらしい」
『…そうですか』
「それと、あんたも見たかとは思うが…周りの警備が尋常じゃない。近づいて調べるのは、もう少し様子を見てからにする」
『賢明な判断です。無理はしないでください』
「はいはい。あんたに言われなくても分かってるよ」
カイルは通信を切り、屋根の上から建物を見下ろした彼の表情には、いつもの怠惰な笑みが戻っていた。
「五老星に、神の騎士団ねぇ…」
面倒事の気配しかしない。できることなら、今すぐこの島から引き返したいくらいだった。
それでも、彼は動かなかった。シロウの夢が実現するのかどうか。それを見届けると決めた以上、ここで逃げ帰るのは少しばかり早すぎる。
「…ま、もう少しだけ付き合ってやるか」
カイルは再び周囲の観察を始めた。
しばらくして、二人は森の奥にある廃屋で合流した。
人の出入りが少なく、外から中の様子を窺われにくい場所だった。壁の隙間から差し込む光が、埃の舞う室内を細く照らしている。
シロウは地図を広げ、カイルから聞いた情報を書き加えた。
「ガーリング聖が東側の区画へ。サターン聖が西側の奥にある建物へ…」
「そういうことだ。少なくとも、二人ともこの島にいる」
カイルは壁にもたれ、腕を組んだ。
「しかも、普通の祭りにしては警備が厳重すぎる。あいつらが何をしに来たのか知らないが、相当重要な催しらしいな」
「ええ。天竜人たちが集まるだけなら、ここまで厳重な警備は必要ないでしょうからね」
シロウは地図に目を落とした。
「ガーリング聖がシャッキーさんを連れ去ったこと。そして、サターン聖までこの島にいること。この二つを考えれば、彼女が祭典と何らかの関係を持たされている可能性があります」
「…つまり、あんたの探し人は、ずいぶんと面倒な場所にいるかもしれないってことか」
「そうなりますね」
「致命的だなおい」
カイルは皮肉っぽく笑ったがシロウは否定しなかった。むしろ、その言葉は正確だった。
敵の中枢に近づけば近づくほど、シャッキーを救い出す難易度は上がる上に神の騎士団のガーリング聖がいるというだけでも厄介だというのに、五老星までいるとなれば、事態は想定以上に複雑だった。
それでも、退くという選択肢はない為、シロウは地図を畳み静かに顔を上げた。
「…もう少し情報を集めましょう。特に、ガーリング聖が出入りした建物と、サターン聖が向かった区画。それから、捕らえられた人々がどこへ運ばれているのか」
「捕らえられた人々、ね」
カイルは小さく息を吐いた。
「目的のシャッキーとやらがそこにいればいいが、違ったらどうするんだ?」
「その場合も、可能な限り救出の方法を探します」
「やっぱりそう言うと思ったよ」
カイルは呆れたように首を振った。
「まあいい。俺は西側をもう一度調べる。サターン聖の周囲は気になるしな」
「お願いします。私は東側から、ガーリング聖の動きを追います」
二人は短く頷き合った。再び別れて探索を続けるため、廃屋の扉へと向かう。その直前、カイルがふと思い出したように口を開いた。
「なあ、シロウ」
「何でしょう?」
「シャッキーって女を見つけたら、あんたはどうする?」
シロウは足を止めた。
「どうする、とは?」
「取り戻すために、どこまでやるつもりなのかってことだ。相手は天竜人。五老星までいる。場合によっては、島全体を敵に回すことになるぞ」
カイルの目は、いつになく真剣だった。
彼は戦いを避ける男だ。勝てるかどうか分からない相手に挑むことを嫌い、損得を考え、面倒事から距離を取る。
だからこそ、彼は確かめたかった。シロウがどこまで本気なのかを。
シロウはしばらく考え、やがて穏やかに答えた。
「どうするも何もそうなったら力づくでも助け出しますよ」
シロウは迷わなかった。
「もちろん、無謀な戦いを望んでいるわけではありません。できる限り多くの人を救い、全員が生きて島を出られる方法を探します」
そして、わずかに目を伏せる。
「ですが、彼女を見捨てて自分だけ逃げるつもりはありません」
カイルは黙って聞いていた。
「それに…」
シロウは再び顔を上げた。
「もし、彼女を救うことすら許されない世界だというのなら。私は、その世界の在り方を問い直さなければならないと思います。最も私は元から世界を正すのを目的にしてはいますがね」
その言葉には、怒りを声高に叫ぶような激しさはなかったが静かな決意があった。
カイルは小さく笑った。
「…そうかよ」
彼はそれ以上、何も尋ねなかった。だが、シロウが歩き出した後もしばらくその場に立ち尽くしていた。
世界を変え誰もが自由に生きられる世界をつくる。
口にするだけなら簡単な夢で子供だって持てる夢だ。
しかし、この男はそれを実現するために一年を費やし、今も危険な島の中へ踏み込もうとしている。そして、目の前にいる人間を救うためなら、世界そのものに異議を唱えることすら躊躇わない。
「…本当に、変な奴だ」
カイルは呟き、シロウの後を追った。
彼はまだ、この夢を信じてはいない。ただ、その夢がどこまで現実に近づくのか。そして、シロウという男がどこまで進んでいくのか。それを見届けることに、少しずつ興味が深まっていた。
一方、祭典会場の奥では、ガーリング聖とサターン聖がそれぞれ別の場所で動き始めていた。
天竜人たちの歓声は、さらに大きくなっている。天竜人による祭典は、まもなく本格的に始まる。
その華やかな舞台の裏で、シロウとカイルは少しずつ、隠された真実へと近づいていた。
ロックスの死についてですが、どちらかお選びください。それによって書き方を変えようと思います。
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助ける
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助けない