濁った心にヒーローを   作:イズモ様 カワ(・∀・)イイ!!

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初めてランキング乗りました嬉しいですね
感想ありがとうございます、大変励みになって居ます


ダミーとフローターまでなら食える

そんなこんなで翌日から通常日程が始まっている、昨日は入学初日にも拘らず入学式を吹き飛ばして個性把握テストが開催されるという実に雄英らしい洗礼を受けた訳だが、流石に毎日あんな事をやっていたら生徒の精神が持たないだろうし学校運営的にも色々問題が出るだろうから、今日からは普通に授業が始まるらしかった。

 

しかし私は一つ気になる事があった。

 

昨日相澤先生は言ったのである。

 

雄英高校は自由だ、と。

 

私は昨夜その言葉について真面目に考えていた。

 

真面目に考えた結果、事務所の本棚から哲学書や社会学の本を引っ張り出して深夜まで読み漁る事になったのだから、人間の探究心というものは時として厄介であり、そして私は割とそういう厄介な側の人間だった。

 

カントは言った。

 

理性的で道徳的な自律こそが自由であると。

 

自由とは欲望のまま行動する事ではなく、自ら立てた理性的な規律へ自ら従う事なのだと定義したのである。

 

私はページを捲った。

 

ヘーゲルは別の事を言っていた。

 

彼は自由とは他者との関わりの中で成立する社会的な概念であり、孤立ではなく共同体の中で自己を実現する事こそ真の自由だと説いていた。

 

私は更に本を読んでいた。

 

ルドルフ・シュタイナーは純粋な思考と認識による内的自由を語っていたし、サルトルに至っては人間は自由という刑に処せられているなどという大変物騒な表現で絶対的自由と責任について説明していた。

 

つまり何が言いたいのか。

 

自由という概念は存外曖昧だったのである。

 

哲学者達ですら数百年単位で揉めているのだから、高校一年生が一晩で結論を出せる訳がない。

 

しかしだからこそ確認しなければならなかった。

 

自由とは何処まで許されるのか。

 

校風としての自由とは何なのか。

 

その境界線は何処に存在するのか。

 

探究者として当然の疑問だった。

 

そして翌朝。

 

ホームルームが終わろうとしていた。

 

「はい、これにてホームルームは終わりだ、質問は――何だ濁水」

 

私は手を挙げている、その動作に迷いは無かったし周囲からどう見られるかを計算していなかった訳でもないのだけれど、疑問というものは放置すると気持ちが悪いし、まして昨夜あれだけ哲学書を読み漁った後では確認せずにいられなかったのである、人間は知識を得れば得るほど新しい疑問を抱える生き物だとよく言われるが、あれは案外真理なのかもしれないね。

 

クラスメイト達の視線が集まっていた、その視線には好奇心もあれば警戒もあり、また何か始まったぞという諦めにも似た感情まで混ざっていて実に賑やかだったのだけれど、考えてみれば昨日の個性把握テストやらホームルームでのやり取りやらを経ている以上、私が普通の質問をするとは誰も思っていなかったのだろうし、そういう意味では期待を裏切らない生徒になってしまったのかもしれない。

 

しかし今更だった、昨日の時点で既に私は割と変人認定されている気がしていたし、変人と思われる事自体にそこまで抵抗も無いので仕方ない事でもある、そもそも海の底で育った存在がヒーロー科へ通っている時点で普通を名乗る方が無理があるし、人間社会というものは案外最初の印象で分類を済ませてしまう傾向があるから、一度変人枠へ放り込まれた以上は多少足掻いたところで結果は変わらないのである。

 

「相澤、昨日あなたは雄英高校の校風を自由だと言ったわね?」

 

私はそう問い掛けた、その声音は至って真面目だったし揚げ足を取ろうとしている訳でも挑発している訳でもなく、本当に純粋な確認作業だったのだけれど、純粋な疑問ほど周囲を不安にさせる事があるのだから難しい。

 

教室は少し静かになっていた、誰もが次に何を言い出すのかを待っているような空気であり、飯田君などは既に嫌な予感でもしているのか僅かに眉を寄せていて、しかしそういう反応を見ると余計に続けなければならない気がしてしまう辺り、私も大概性格が悪いのかもしれなかった。

 

私は構わず続けていた。

 

「それならば極論、出席日数がゼロでも卒業出来るのかしら」

 

教室が静まる、その沈黙は決して重苦しいものではなく、むしろ「何だ今の質問は」「何を言い出したんだこの人は」という純粋な困惑と好奇心が絶妙な割合で混ざり合った空気だったのであり、実際クラスメイト達の多くは理解が追い付かないままこちらを見ていたのだから、まだ入学二日目である事を考えれば当然だったし、ここにいる人達はまだ濁水心という生き物の奇行を目撃するのが初めてだったのである。

 

数名は吹き出しそうになっていた、その肩は小刻みに震えていたし口元を押さえている者まで居たのだけれど、当然である、入学二日目のホームルームで出席日数ゼロでも卒業出来るのかなどと真顔で質問する生徒はそうそう存在しないし、存在してはいけない気もするのだが、残念ながら私は存在していた。

 

飯田君は何かを言いたそうな顔をしている、その表情には規律を重んじる者特有の葛藤が浮かんでいて、注意すべきか、それともまず質問の意図を確認すべきか、その辺りで思考が渋滞しているようにも見えたし、しかし彼は真面目だからこそ即座に怒鳴ったりはしないのであり、その辺りは実に彼らしい。

 

相澤先生は露骨に面倒臭そうな顔をしていた、その視線には「またか」という諦めが滲んでいたし、昨日からの短い付き合いだけでも私が余計な方向へ知的好奇心を発揮する生徒だと理解してしまったのだろう、仕方ない事でもある、教師というものは問題児を見抜く能力に長けているし、私は割と分かりやすい部類の問題児だった。

 

しかし次の瞬間、相澤先生は僅かに眉を動かしている、その変化は本当に微細なものであり教室中の大半の生徒は見逃しただろうし、実際に飯田君などは真面目に次の授業の準備について考えていたし麗日さんもそこまで注意深く教師の表情を観察していた訳ではないのだけれど、少なくとも私にはそれが驚きに見えたのである、人間というものは案外顔に出る生き物だし、特に予想外の質問を受けた時ほどその傾向は顕著になる。

 

それは驚きだった、もっとも相澤先生ほどの教師ともなれば驚愕だとか狼狽だとかそういう分かりやすい反応を見せる事は無く、ただ眉がほんの少しだけ動いただけだったのだけれど、その僅かな変化の中に「何を言っているんだこいつは」という感情が凝縮されていた気がするし、読者諸君も想像してみてほしい、入学二日目の生徒から自由とは何かを哲学的に問い詰められた挙句に出席日数ゼロでも卒業出来るのかと聞かれたら大抵の大人は似たような顔になると思う。

 

本当に僅かな変化だったし教室中の誰も気付かなかったかもしれないけれど、少なくとも私にはそう見えていたし、当然だろう、出席日数ゼロで卒業出来るのかなどという質問を入学二日目に投げ付ける生徒はそう居ないし、教師人生の中でも中々遭遇しない種類の質問だった筈であり、むしろ即座に対応出来る辺り流石は雄英高校の教師と言うべきなのかもしれない、もっとも対応内容は極めて常識的だったのだけれど。

 

「出来る訳がないだろう、常識的に考えろ」

 

即答だった、その返答には一切の迷いが存在せず、まるで「空は青い」「水は濡れる」といった議論の余地すら無い事実を確認するかのような速度で言葉が返ってきており、私は少しだけ感心してしまう、何故なら人間というものは案外極論を突き付けられると一瞬くらい思考を挟むものなのだけれど、相澤先生の場合はその工程すら省略されていたからだ。

 

実に早かった、しかしその反応は昨日から似たような質問を百回くらい受けた教師の慣れた反応というよりも、むしろ「何を言われるかは分からないが絶対に駄目なものは駄目だ」と本能的に判断した人間の反応に近く、長年教師を続けていると危険な質問を嗅ぎ分ける能力でも身に付くのだろうかと私は少しだけ考えていたのだけれど、もしそうなら教師という職業は思った以上に過酷なのかもしれない。

 

「あとせめて先生くらい付けろ」

 

そう付け加えられた声には若干の疲労が混ざっていた、当然である、入学二日目の生徒から自由の定義について哲学的な方向へ話を広げられた挙句に出席日数ゼロで卒業出来るかなどと聞かれれば誰だって疲れるし、ましてその生徒が真顔で聞いているのだから尚更だった。

 

私は少し考える、なるほどと思ったし一つ学びを得た気分にもなった、自由という言葉は便利だが万能ではなく、少なくとも学校という共同体の中では一定の義務を果たす事が前提になっているらしい。

 

出席は自由ではないらしかった、ヘーゲル辺りなら共同体への参加こそ自由の条件だと言うのだろうし、カントなら義務として説明するのかもしれない、もっとも高校のホームルームでそんな事を考えている生徒は多分私くらいなので、その辺りは仕方ない事でもある。

 

自由にも限界が存在するらしい、なるほど自由という概念は無限ではなく何らかの境界線によって区切られているのであり、その境界線が何処に引かれているのかを知る事は極めて重要な研究課題だったし、昨日から哲学書を読み漁っていた私としてはむしろここからが本番だったのである。

 

私は更なる検証へ移ろうとしていた、当然だろう、カントもヘーゲルもシュタイナーもサルトルも自由について語ったが、その自由が高校という共同体の中でどのように運用されているかまでは説明してくれなかったのだから、現地調査は必要不可欠だった。

 

「そう、例えば昂った男女が校内で――」

 

そこまでだった。

 

私の視界は突然黒くなっていた、いや正確には黒い布が視界を横切ったのであり、次の瞬間には口元まで拘束されていたのだから流石はプロヒーローと言うべきなのだろうし、教師という職業は時として生徒の発言を物理的に封殺する技術まで要求されるらしい。

 

「んんんー」

 

私は抗議している。

 

私は抗議していた。

 

私は極めて真面目だった。

 

少なくとも本人はそう思っているし、自由の限界を探るという学術的探究心に基づいた質問だったのだから不純な意図は存在しない、しかし世の中というものは動機より結果を重視する傾向があり、そして教師という生き物は生徒が最後まで喋る前に危険性を察知する能力を獲得しているのである、仕方ない事でもある。

 

「風紀を乱す行為は一発アウトだ阿呆」

 

相澤先生は即答していた、その声音には僅かな迷いも躊躇も存在しておらず、まるで「空は青い」「水は濡れている」と同じくらい自明の事実を説明しているような響きがあって、私は逆に少し感心してしまうのである、何故なら自由という概念について昨夜あれほど哲学者達が議論していたというのに、現実社会では案外こうして一秒で線引きされる事もあるからだ。

 

その返答には一切の揺らぎが無かった、恐らく過去にも似たような質問をした生徒が居たのだろうし、あるいは居なかったとしても教師という職業は問題行動を未然に防ぐ能力が求められるので、想像するだけで十分だったのかもしれない、しかし少なくとも校内でそういう行為は自由の範囲外であるという事だけは極めて明確になっていたのであり、探究という観点から見れば有意義な収穫だったと言えるだろう。

 

私は少し感心している、人間社会というものは自由を掲げながらも同時に大量の制約によって成立していて、その矛盾を矛盾として扱わず運用している辺りが実に興味深く、海の中ではもっと単純だった気もするのだけれど、だからこそ文明というものは複雑で面白いのかもしれないね。

 

また一つ賢くなったのである、自由には限界があり、出席日数にも限界があり、風紀にも限界があり、そしてその限界を決めるのは哲学者ではなく校則だったり教師だったりするのだから、理想と現実の距離というものは案外近いようで遠い。

 

人類社会は案外ルールだらけだった。

 

「よし、無いな。各自授業の準備をするように」

 

「んんんんん!」

 

私は最後の抵抗を試みる、もっともこの時点で口を塞がれている以上その抵抗が成功する可能性は限りなく低かったのだけれど、人間というものは勝ち目が薄いと分かっていても足掻いてしまう生き物らしいし、私も随分と人間社会に馴染んでしまったのかもしれないね。

 

私は抗議していた、捕縛布の向こう側で声にならない声を上げながら身を捩り、これは単なる問題行動ではなく自由という概念に対する極めて真摯な探究なのだと訴えようとしていたのだけれど、残念ながら周囲の視線を見る限り誰一人としてその主張を支持してくれる気配は無かったし、当然である、傍から見れば教師に口を塞がれて暴れている女子生徒でしかないのだから。

 

私はまだ質問が残っていた、自由とは何処まで許されるのか、校則と自由の境界線は何処に存在するのか、そして何故人類は自由という言葉を好みながら同時に大量の制約を作り続けるのかという実に興味深い疑問が山ほど残されていたのだけれど、どうやら今日のところはこれ以上の探究を許されないらしく、仕方ない事でもある、探究者と教育者は時として相容れない立場に立つものだからだ。

 

しかし当然聞き入れられなかったし、むしろこれ以上続ければ本格的に職員室送りになる可能性すらあったので、その辺りで諦めるのが合理的判断だったのだろう。

 

クラスメイト達は何とも言えない表情をしていた、飯田君は額を押さえて頭痛を堪えるような顔をしていたし、麗日さんは肩を震わせながら笑いを堪えていたし、爆豪君に至っては露骨に呆れた視線を向けていて、どうやら私の探究活動はあまり高く評価されなかったらしい。

 

しかし私は別に恥ずかしくはない、何故なら疑問を解消するという行為は知的生命体に許された最も尊い営みの一つであり、人類文明だって突き詰めれば「それは何故だろう」「どこまで許されるのだろう」という問いの積み重ねによって発展してきたのだから、多少教師に口を塞がれた程度で探究心を捨てる理由にはならないのである。

 

周囲のクラスメイト達は何とも言えない顔をしていたし、飯田君などは額を押さえて深いため息を吐いていたのだけれど、しかし彼らだって歴史を遡れば火を発見した人類や車輪を発明した人類の末裔なのだから、本来なら未知への挑戦をもっと評価してくれても良いのではないかと思わなくもなかった、もっとも私の挑戦が若干方向性を間違えていた可能性については否定しないし、仕方ない事でもある。

 

少なくとも火を発見した人類も最初は周囲から変な目で見られたのではないだろうかと私は考えている、いや実際のところ知らないのだけれど、歴史というものは成功者だけを記録する傾向があるので失敗した変人達の記録が残っていないだけかもしれないね。

 

そして授業が始まる。

 

国語が始まった。

 

数学が続いた。

 

社会が来た。

 

英語もやって来た。

 

驚くほど普通だったのである。

 

昨日の個性把握テストや合理的虚偽による除籍宣告という、教育機関としてはかなり攻めた歓迎会を経験した後だから余計そう感じるのかもしれないが、本当に拍子抜けするほど普通であり、黒板があって教師が居て生徒がノートを取り、問題を解いて答え合わせをするという極めて一般的な授業風景がそこには存在していた。

 

私は席に座る、その動作は昨日まで存在しなかった新しい日常の一部になりつつあって、考えてみれば海の底で暮らしていた頃には机も椅子も黒板も存在しなかったのだから不思議なものであり、人間という生き物は知識を伝える為だけにこれほど大掛かりな仕組みを作り上げたのだなと少し感心してしまうのである。

 

私は教科書を開いていた、その紙の匂いや印刷された文字列はもう珍しいものではなくなっていたけれど、文字を読むという行為そのものが昔の私には遠い世界の話だった事を思えば随分と変わったものだし、当然ながら変化というものは一日では起きない、九年という時間が積み重なった結果が今ここに座っている私なのだろう。

 

ノートへ板書を書き写していく、黒板に並ぶ数式や文章を追い掛けながらペンを走らせる作業は単純なようでいて案外忙しく、教師の説明を聞きながら内容を整理しながら手を動かす必要があるのだから、人間の学生というものは思った以上に高度な並列処理を要求されているのかもしれないね。

 

私は黒板を見る、その向こうでは教師が説明を続けており、生徒達も真面目に耳を傾けていたのだけれど、こうして同じ方向を向いて同じ知識を学ぶという光景にはどこか共同体めいた安心感があって、ヘーゲル辺りが見たら喜びそうだななどと昨夜読んだ哲学書の内容を思い出してしまう辺り、我ながら少し影響を受け過ぎている気もした。

 

教師の説明を聞いていた、その声は淡々としていて特別面白い訳でも劇的な訳でもないのだけれど、しかし知識というものは往々にしてこういう地味な積み重ねの中から身に付くのであり、派手さばかりを求めるのは少々贅沢というものだろうし、仕方ない事でもあるが人は刺激に慣れると平穏を退屈だと感じてしまう生き物なのだから。

 

当たり前の学生生活だった、しかしその当たり前という言葉ほど当たり前ではないものも存在しないのかもしれなくて、少なくとも九年前の海岸で白布一枚を纏っていた少女が見れば信じられない光景だっただろうし、だから私は時々こういう何でもない授業風景を眺めながら、本当に遠くまで来たものだなと少しだけ思ってしまうのである。

 

しかし九年前の私がこの光景を見たら間違いなく卒倒していただろうし、海の底で魚を追い掛けながら漂流物の絵本を読んでいた少女が今こうして高校の授業を受けているという事実そのものが既に十分異常なのであって、人生というものは本当に何が起きるか分からないし、だから面白いのかもしれない。

 

教師達は皆ヒーローだった。

 

そこだけが少し特殊だったのである。

 

国語教師もヒーローだった。

 

数学教師もヒーローだった。

 

英語教師もヒーローだった。

 

社会教師もヒーローだった。

 

内容だけ切り取れば普通の高校と大差ない授業なのに担当者だけが妙に豪華であり、テレビで見た事のある顔が黒板の前で文法や方程式を説明している光景には未だ少し違和感が残っていた。

 

授業は淡々と進んでいく、黒板には文字が並び教師は説明を続け、生徒達はノートへ書き写していくのだけれど、その光景は驚くほど平凡であり、昨日まで個性把握テストだの除籍宣告だの合理的虚偽だのと騒がしい洗礼を受けていた身からすると逆に新鮮ですらあった、人間というものは刺激に慣れると平穏を求め、平穏に慣れると刺激を求める生き物らしいが、実際その通りなのかもしれないね。

 

私は板書を写していた、問題を解き、教師の説明を聞き、必要な箇所へ印を付けながら授業を受けていたのだけれど、こういう当たり前の学生生活というものは九年前の私からすれば想像も出来ない未来だった筈であり、それを考えると人生というものは本当に何処へ流れ着くか分からない。

 

時々私は窓の外を見る、春の陽射しは校庭を照らしていて、風は木々を揺らし、鳥は空を横切っていき、その全てが穏やかで、静かで、そして少しだけ眠気を誘う景色だった。

 

昨日までの非日常が嘘みたいに平和だった、しかし考えてみれば学校という場所は本来こういうものなのだろうし、毎日爆発や戦闘や事件が起きていたら教育機関として色々問題があるので当然である、むしろ昨日の方がおかしかったのだと理解はしているのだけれど、人間の感覚というものは案外簡単に狂う。

 

そして平和というものは案外退屈でもあった、もっとも平和が退屈だと思える事自体が贅沢なのだろうし、退屈を享受出来る環境というのは多くの場合安全と安定の上に成立しているのだから、本来なら感謝すべき事なのだろうね。

 

そうして午前中は過ぎていった、時計の針は一定の速度で進み続け、授業は終わり、休み時間が訪れ、また授業が始まり、それを何度か繰り返している内に気付けば昼が近付いていて、私は改めて学校という場所が時間を溶かす施設なのだなと妙な納得をしていた。

何はともあれ昼休みがやって来る、朝から続いた授業ラッシュをどうにか乗り越えた生徒達は一斉に解放されたような空気を纏い始めていて、食堂へ向かう者も居れば教室で机を寄せ合う者も居るし、中庭へ出ていく者も居るのだから、昼休みという制度は人類が築いた文化の中でもかなり上位に位置する発明なのかもしれないと私は割と本気で思っていた。

 

そして私は現在、雄英高校の台所こと『ランチラッシュのメシ処』へ足を運んでいる。

 

同行者は八百万さんと葉隠さんだった。

 

片や財閥令嬢のような気品を漂わせる少女であり、片や姿が見えないので表情すら分からない少女なのだが、不思議と二人とも話しやすい辺り人間というものは見た目だけでは判断出来ないらしい。

 

食堂は賑わっていた。

 

各学年の生徒が入り乱れ、料理の匂いが漂い、食器の音が響き、談笑の声が飛び交っている。

 

ヒーロー科だろうが普通科だろうがサポート科だろうが、空腹には勝てないという点だけは平等であり、そういう意味では食堂という空間は存外民主的なのかもしれなかった。

 

私は列へ並んでいる、昼休みの食堂は戦場とまでは言わないまでも十分に活気に満ちていて、生徒達は思い思いの昼食を求めて列を作り、その熱気と喧騒が空間全体を満たしていたのだけれど、そういう場所ほど人間観察には向いているので私は嫌いではなかった。

 

前方には注文口が見えていた、その向こう側では次々と料理が提供されており、湯気と香りが絶え間なく流れ出していて、食欲というものは視覚や嗅覚からも刺激されるのだなと改めて思う、当然生物である以上食事は重要だし、だからこそ食堂という場所はどんな学校でも賑わうのである。

 

そしてその中心には雄英高校の胃袋を支える男――クックヒーロー、ランチラッシュが立っている、巨大なコック帽とマスクによって顔の大半は隠されていたのだけれど、それでも彼がこの場所の主である事だけは一目で分かったし、料理人というものは案外そういう空気を纏うものなのかもしれなかった。

 

「……来たね。ご注文は?」

 

その言葉が向けられた瞬間だった。

 

空気が変わっている。

 

少なくとも私にはそう感じられたし、気のせいだと言われても納得出来ない程度には明確な変化だった。

 

彼は相変わらず表情を隠していた、しかし人間というものは顔だけで感情を表現する訳ではなく、声色や姿勢や僅かな間の取り方だけでも驚くほど多くを語る生き物であり、読者諸君も経験があるだろう、笑顔なのに怒っている人間や無表情なのに楽しそうな人間というものを。

 

今のランチラッシュがまさにそれだったのである、表情など見えない筈なのに空気だけが変わり、料理人というより歴戦のヒーローが危険物処理班へ変貌したかのような緊張感が漂っていて、読者諸君も経験があるかもしれないが人間というものは顔より先に雰囲気で感情を伝える事がある。

 

雰囲気は一段階どころか二段階ほど引き締まっていたように見えたし、周囲で注文を待っていた生徒達ですら何となくこちらを見始めており、食堂特有の賑やかさの中に妙な静寂が混ざり込んでいた。

 

視線は確かにこちらへ集中していたのである、もっとも私はまだ何もしていないし問題行動も起こしていないのだから少々心外ではあるのだけれど、昨日までの実績を考えると完全に無関係とも言い切れない辺りが悲しい所だった。

 

そして何より何かを警戒している気配があった、ヴィラン襲撃の予兆を察知したヒーローのような、それでいて同時に冷蔵庫の奥から未知の生命体が出てきた時のような複雑な警戒心であり、しかし当然ながら私はまだ注文すらしていないので理由が分からない。

 

私は少し考えていた。

 

何故だろう、と。

 

本当に何故なのだろうね、少なくともこの時点の私は善良な一般生徒として昼食を取りに来ただけだったのだから。

 

別に私は食堂を爆破した事も無ければ厨房へ深海生物を放流した事も無いし、少なくとも今日に限っては極めて善良な一般生徒として昼食を取りに来ただけなのだけれど、しかし周囲の反応を見る限りどうもそうは思われていないらしく、人間社会における信用というものは一度変な方向へ傾くとなかなか修正出来ないので仕方ない事でもある。

 

雰囲気が引き締まっている、実際に表情が見える訳ではないのだけれど長年料理人として培われたであろう集中力のようなものが空気越しに伝わってきて、まるで未知の食材を前にした研究者か、それとも爆弾処理班が不発弾を前にした時のような慎重さすら感じられたのである。

 

視線は確実に鋭くなっていた、読者諸君も経験があるかもしれないが人間というものは顔が見えなくとも警戒している時は何となく分かるものであり、今のランチラッシュから漂う気配は明らかに「何を持ち込んだ」と問い掛けている類のものだった。

 

多分気のせいではなかったし、むしろヴィラン襲撃より警戒されているのではないかとすら思えたのだから少々心外である、私は善良な一般生徒であり校則も法律も概ね守っているつもりなのだけれど、もっともその認識が周囲と共有されているかと言われると少々自信が無いので仕方ない事でもあるし、人間関係というものは案外そういう認識の齟齬によって構築されているのかもしれない。

 

私は懐へ手を入れていた、その動作に特別な意味は無く単純に持参した物を取り出そうとしているだけなのだが、周囲から見れば何か良くない物を出そうとしているようにも見えたらしく、実際その瞬間だけ食堂の空気が微妙に張り詰めた気がした。

 

八百万さんは僅かに首を傾げていた、その仕草には純粋な疑問が滲んでいて「何をするつもりなのですか」という言葉が聞こえてきそうだったし、葉隠さんも見えないながらこちらへ意識を向けているのが分かる、しかし好奇心というものは時として周囲の反応を置き去りにして突き進むものであり、そして私は割とそういう側の人間だった。

 

葉隠さんが「あれ?」とでも言いたげな声を漏らす。

 

そして私は目的の物を取り出している、懐へ差し込んだ手をゆっくりと引き抜きながら私は少しだけ期待していたし、未知の食材というものはそれだけで人の好奇心を刺激するのであって、まして深海由来の生物ともなれば尚更であり、読者諸君も珍しい食べ物を前にした時くらいは多少理性が緩むだろうから私だけを責めるのは少々不公平ではないだろうかと思わなくもない。

 

「これを調理してくれないかしら」

 

私はそう言った。

 

その瞬間、食堂には妙な沈黙が落ちていた、それは比喩でも何でもなく本当に周囲の空気が一瞬だけ停止したような感覚であり、賑やかな食堂という場所は本来絶えず音が流れているものなのだけれど、人間というものは理解の範疇を超えた光景を目撃すると驚くほど簡単に思考を停止させるらしい。

 

私の手の中には魚が居る。

 

正確には恐魚だった。

 

触手のような脚を何本も生やした奇妙な深海生物であり、一般的な生物学の教科書に載せたら編集者が頭を抱えそうな外見をしていて、しかも残念な事にまだ元気に生きていたのである。

 

「グエ?!」

 

恐魚は抗議していた、その反応は極めて自然なものであり、突然暗い場所から引っ張り出されたと思ったら見知らぬ料理人へ差し出されて調理を依頼されるのだから当然であるし、むしろ一声で済ませている辺り随分と落ち着いている方なのかもしれない。

 

恐魚は触手をばたつかせていた。

 

恐魚は私を見ていた。

 

恐魚は明らかに状況を理解していなかった。

 

しかし仕方ない事でもある、私だって逆の立場なら抗議くらいはするだろうし、生存本能というものは尊重されるべきだと思う、もっともその抗議が最終的な食材としての運命を変えられるかどうかはまた別問題なのだけれど。

 

横で八百万さんが固まっている、その姿は実に絵になっていて、育ちの良さというものはこういう極限状況でも失われないらしく、普通なら悲鳴を上げたり一歩後退ったりしてもおかしくない場面だというのに彼女は背筋を伸ばしたまま微動だにせず、ただただ人生経験の中に存在しない何かを前にした人間特有の静かな混乱を表情へ浮かべていた。

 

その顔は極めて上品だった。

 

そしてその上品さを保ったまま完全に硬直していたのである、当然と言えば当然だろう、昼食を注文しようとしていたら隣の同級生が懐から触手の生えた魚を取り出して料理してくれと言い始めたのだから、むしろ取り乱していないだけ立派だった。

 

葉隠さんも驚いているらしい、もっとも彼女の場合は透明なので表情が見えないのだけれど、人間というものは声だけでも案外感情が伝わる生き物であり、今の彼女の声には困惑と好奇心と若干の恐怖が絶妙な割合で混ざっていた。

 

「えっ!?えっ!?今どこから出したの!?」

 

実に真っ当な疑問だった。

 

しかし私は別に隠し事をしている訳ではないし、何か悪い事をしているつもりも無かったのである、単に持ち歩いていただけだし、それもこれも好奇心の為であり、好奇心というものは人類文明をここまで発展させた原動力の一つなのだから多少は大目に見られるべきではないだろうかと私は割と本気で思っていた。

 

そう、好奇心である。

 

未知の食材を見付けたら食べてみたい。

 

どんな味がするのか知りたい。

 

安全なのか危険なのか確かめたい。

 

それは知的探究心として極めて自然な欲求だったし、読者諸君だって見た事も無い果物や料理を前にしたら少しくらい興味を抱くだろう、規模が少し違うだけで本質は同じなのである、多分。

 

人類は古来より未知を食べる事で世界を広げてきた。

 

フグだって最初に食べた人間が居た。

 

納豆だってそうだった。

 

キノコだってそうである。

 

ならば恐魚もまたその偉大なる挑戦者達の系譜へ連なる資格を持っているのではないだろうかと私は真面目に考えていたし、少なくとも論理としてはそこまで破綻していない筈だった。

 

一方で恐魚は暴れている。

 

「グエッ!グエッ!」

 

触手をばたつかせながら必死に抗議していた、その姿には確かな生命力が感じられたし、生存本能というものは尊重されるべきだと私も思う、しかし私の好奇心もまた尊重されるべきだったのであり、これはある意味で自由と権利の衝突であり、哲学的問題と言っても過言ではないのかもしれない。

 

もっとも恐魚へその辺りを説明した所で納得してくれる未来は全く見えなかった。

 

ランチラッシュは沈黙している。

 

長かった。

 

とても長かった。

 

その沈黙は料理人としての経験とヒーローとしての経験と社会人としての常識が激しく衝突している時間だったのかもしれないし、実際その間に恐魚は三回ほど抗議し、葉隠さんは五回くらい驚き、八百万さんは人生で初めて遭遇する種類の困惑を静かに咀嚼していたのだから、食堂の一角だけ妙な異空間になっていたと言っても過言ではなかった。

 

そしてランチラッシュはゆっくりと恐魚を見た。

 

次に私を見た。

 

さらにもう一度恐魚を見た。

 

その視線には真剣さがあったし、未知の食材を前にした料理人特有の闘志のようなものも見えた気がするのだけれど、しかし流石に状況説明を求められたら私も少し困る、何故ならこれは深海から持ってきた恐魚だからであり、それ以上でもそれ以下でもないからだ。

 

説明としては十分だと思う。

 

多分。

 

「……食べられるの?」

 

遂にランチラッシュが口を開いた。

 

私は頷いていた。

 

「ええ、多分」

 

「多分」

 

その一言に食堂全体がざわついた気がした、当然である、安全性を問われて返ってきた答えが多分なのだから不安にもなるだろうし、しかし未知とはそういうものでもある、最初から全て分かっているならそれは未知ではない。

 

そして私の好奇心は依然として止まらないのである、未知というものは常に魅力的であり、それが危険であろうと奇妙であろうと食材として認識出来る以上は一度くらい口にしてみたいと思ってしまうのだから、探究心というものは時として食欲と非常に近い場所に存在しているのかもしれない。

 

止まる理由も無かった、当然である、人類史を振り返れば分かるように未知へ手を伸ばした者達が居たからこそ文明は発展したのであり、最初に食べた人間が居なければ今では当たり前に食卓へ並ぶ食材だって存在しなかったのだから、恐魚だけ特別扱いする理由も見当たらない。

 

未知の味はいつだって人を惹き付けるし、それが私のような海の底から来た少女であれば尚更だった、読者諸君も見た事のない果実や聞いた事のない料理を前にした時に少しだけ興味を抱いた経験くらいはあるだろうし、ならば触手の脚が生えた魚を前にして胸が高鳴るのも仕方ない事でもある。

 

少なくとも私はそう思っていたし、横で八百万さんが人生観を揺さぶられたような顔をしていようと葉隠さんが見えない身体で慌てふためいていようと、その先に待つかもしれない未知の味覚への期待だけはどうしても抑え切れなかったのである。

 

だからこそ私は期待を込めてランチラッシュを見上げていたし、果たして恐魚は今日の昼食になるのだろうか、それとも食堂から出禁を言い渡されるのだろうかと考えながら、そのどちらになったとしても少し面白そうだなと内心で思っていたのである。

 

然しそこはプロ、天丼になって帰ってきた、味は弾力のある白身魚だったよ

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