催眠チケット   作: sky

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ストーカー

和樹がアルバイトを始めてから1週間が経った。

 

朝。目覚ましが6時半に鳴る前に、台所に立っていた。

毎回弁当を持っていくたび、あれもこれもとつまみ食いしていく人が増えていき2人分、3人分と作る量が増えている。

1人2人分なら兎も角、沢山作るとなると仕込みに時間がかかる。

米を研ぎ、味噌汁の出汁を引き、卵を割る——結局、4人分になった。なぜ4なのかと聞かれたら、自分でもよくわからない。

 

7時40分。店に着くと、今日はいつもと違う光景があった。

 

店長が入口で腕を組んで立っていた。珍しく、笑っていない。

 

和樹さん。ちょっといい?

 

恵子は和樹を事務所に連れ込んだ。狭い部屋にパイプ椅子が2脚。恵子が座り、向かいを指で示す。

机の上に1枚の紙が置かれていた——防犯カメラの映像をプリントしたもの。昨日、閉店間際。奥のソファ席が映っている。

 

写真をとんとんと指で叩く。

 

この人、先週の雨宿りのお客様よね。昨日、また戻ってきてるの。しかも閉店後の、誰もいない時間帯に。

 

恵子は顔を上げた。几帳面な眉間に、深い皺が刻まれている。

 

裏口の鍵が開いてた。あなたが閉めたはずよね?

 

もちろん、閉めました。間違いなく

 

じっと和樹の目を見た。数秒。それからふぅと息を吐いた。

 

……そうよね。私も確認した。

 

写真を裏返して、机に置いた。

 

防犯会社に連絡したわ。今日からしばらく、センサーを増設してもらうことになった。

 

恵子の声には、怒りというより困惑が滲んでいた。20年この店を守ってきた人間にとって、裏側からの侵入は想定外だったのだろう。

 

ただ——この人、うちの常連じゃないのよ。顔認証にも引っかからなかった。

 

つまり、外部の人間が何らかの方法で裏口を開け、店内に入ったということになる。合鍵でもない限り——いや、合鍵など存在しない。恵子は立ち上がり、エプロンを手に取った。

 

みんなにはまだ言ってないわ。不安にさせたくないから。

 

……和樹さんも、気をつけてね。

 

ホールに出ると、すでに陽奈と菜月が開店準備を始めていた。

いつもの朝。けれど恵子の言葉が、空気のどこかに薄い影を落としていた。

 

陽奈がこちらの気配を感じ取って振り返った。

 

おっはよー!あれ、なんか顔怖くない?

 

ちょっとね。不審者が出たらしくて

 

手に持っていたクロスがばさっと落ちた。

 

ふ、不審者!?

 

菜月は花瓶の水を替える手は止めないが、目だけが鋭くなった。

 

……どこに。

 

2人の反応は対照的だったが、「怖がる」という点では一致していた。

 

えっ、いつ?昨日?今日?警察は?

 

水の入ったバケツを静かに置いて。

 

……恵子さんは知ってるの。

 

その時ホールにサキが欠伸しながら入ってきた。

 

朝からうるせえな。何、幽霊でも出た?

 

違うの!不審者だって!裏口から入られたって!

 

目が覚めた。

 

……マジで言ってんのか。

 

4人の空気が一変した。開店前の穏やかな朝が、一瞬で張り詰める。

 

とりあえず制服に着替えようとロッカーを開けた。

 

……あれ、制服がない。支給されたやつ

 

昨日間違いなくハンガーにかけておいたはずの制服がない。シャツもズボンも、きれいさっぱり消えていた。代わりにロッカーの中には——1輪の白い花と、折りたたまれたメモ用紙が1枚。

 

陽奈が後ろから覗き込んで、息を呑んだ。

 

え……なにこれ。

 

メモには丸っこい字でこう書かれていた。

 

「この前はありがとうございました。お洋服、洗ってお返ししますね。——M」

 

メモを読んで、静かに。

 

……M? イニシャル?

 

腰に手を当てて。

 

おい。これ普通に犯罪だろ。警察呼べよ。

 

皆の顔が青い。

 

ねえ、アタシたちのロッカーも見た方がよくない?

 

3人が一斉に自分のロッカーを確認し始めた。結果——陽奈の予備のヘアゴムが1本消えていた。菜月の靴下が片方。サキのサングラスがひとつ。被害は小さいが、「物色された」事実は変わらない。ロッカールームの蛍光灯がちかちかと瞬いた。

 

……

 

沈黙が重い。4人がそれぞれの被害を手のひらに載せて、黙り込んでいた。

陽奈のピンクのヘアゴム、菜月の黒い靴下、サキの安物のサングラス——どれも金銭的価値はないが、「盗まれた」という事実が肌を粟立たせる。

 

サングラスを握り潰す勢いで。

 

ふざけんな。マジで気持ちわりい。

 

自分の腕を抱いて、声が震えている。

 

なんで……なんでこんなこと……。

 

姉の手をそっと握った。

 

……恵子さんに言おう。

 

ホールに出た4人は、恵子に事情を説明した。恵子はメモを見つめ、花を指先で転がし——それから、すっと目を閉じた。

 

静かな、しかし有無を言わせない声。

 

警察に被害届を出します。防犯カメラも増設したから、今日中に映像が届くはず。

 

……みんな、しばらく1人で帰らないこと。特に和樹さん。

 

恵子の言葉にサキが珍しく素直に頷いた。

 

賛成。アンタが1番ヤバいもん持ってかれてんだろ。

 

小さな拳をぐっと握って。

 

陽奈が守るから!かずくんのこと!

 

すいません。制服の予備を持ってきていればよかったのに

 

恵子は首を振って。

 

謝ることじゃないわ。悪いのは不法侵入した側よ。

 

開店時間になったが、客足はまばらだった。「週の始まりは客が少ない」——恵子の経験則通り、午前中は閑散としていた。それが今は、ありがたい。ホールに立つ全員が、どこか落ち着かない顔をしていたから。

 

窓際を何度も確認している。不安が隠しきれていない。

 

……外に誰かいねえだろうな。

 

ドアベルが鳴るたびにびくっとする。接客業としては致命的だが、今日ばかりは仕方ない。

 

い、いらっしゃいませー!

 

入ってきた客をじろりと見る。——ただの近所の老人だった。

 

……失礼しました。

 

昼過ぎ。1本の電話が店に入った。恵子が受話器を取る。

 

「はい、はい」と相槌を打つ声。次第にその表情が硬くなっていく。

 

電話を切って。全員を見回した。

 

防犯会社から。昨夜の映像、解析できたそうよ。

 

恵子は1拍置いた。その「間」が、全員の心拍を跳ね上げる。

 

……裏口じゃない。正面玄関から入ってる。

 

……? どういうことだろうか

 

恵子は顎に指を当て、考え込む。

 

……私たちが閉めた後、もう一度開けたってことよね。

 

声を低くして。

 

誰かが中から開けなきゃ無理だろ。

 

その言葉の意味が、じわりと全員に染みた。外から開けられないなら、内から開けるしかない。つまり——

 

口を両手で覆った。

 

え……じゃあ、昨日残ってた人って……。

 

ぽつりと。

 

……栞ちゃん……?

 

空気が凍った。2週間前にうちに来てバイトを始めたばかりの、あの無気力な少女。誰もいない時間に映った人影。しかし——

 

いや待て。あいつがラストまでシフト入ってたの昨日じゃねえだろ。映ってたのは昨日だぞ。

 

頷く。

 

ええ。だから、あの人影は別人。でも……内部の人間の可能性が高い。

 

恵子の目線が一瞬、ホールにいる全員を撫でるように走った。

疑いたくない、けれど疑わざるを得ない——そんな苦い顔だった。

そのとき、店のドアベルがからんと鳴った。

 

傘を持って立っている。相変わらずの無表情。

 

……来た。

 

タイミングが良いのか悪いのか。全視線を浴びて、栞は小首を傾げた。

 

……どうかした?

 

いや、なんでもないよ

 

じーっと和樹の顔を見る。

 

……嘘。なんでもなくないの顔。

 

無表情なくせに、こういうところだけ鋭い。

 

1歩前に出て、いつもの柔らかい声——だが目の奥が笑っていない。

 

栞ちゃん、こんにちは。今日はどうしたの?シフト入ってないわよね?

 

相変わらずの無表情で恵子を見ながら。

 

……休みだけど、ご飯食べに来ちゃダメ?

 

陽奈がぱあっと顔色が変わった。

 

全然いいよ!むしろ大歓迎!ね、菜月!

 

こくり。

 

……席、空いてる。

 

栞がホールに通される。いつもの隅っこの席にすとんと座った。メニューも見ずに。

 

……ナポリタン。大盛り。

 

厨房に引っ込みながら。

 

はいはい。

 

料理を待つ間、栞の目はずっと和樹を追っていた。この間、一緒に帰った道のことを思い出しているのか——テーブルの下で、指先がスカートの布をいじっている。

 

俺も余計なことはしないほうがいいよね

 

誰にともなく呟いたその一言。チケットのことが頭をよぎったのだろう。鞄の中で、あの紙切れは今日も静かに眠っている。

 

フォークをくるくると回しながら。

 

……何が。

 

聞こえていた。栞の耳は見た目に反して地獄耳だ。

 

横から割り込むように。

 

かーずーきーくん!余計なことって何?陽奈のこと?

 

トレイを胸に抱えたまま。

 

……違うと思う。

 

えー、じゃあ何ー?

 

そのとき、恵子のスマホが震えた。画面を見た恵子の目つきが変わる。

電話に出る。短い応答。「はい」「ええ」「わかりました」——3語で終わった。

 

スマホをエプロンのポケットにしまって。

 

警察から。昨日の件、防犯カメラの人影が特定できたって。

 

全員の動きが止まった。栞だけがナポリタンをもぐもぐと咀嚼している。場違いなほど平和な音だった。

 

誰だったんですか?

 

1度目を伏せて、それから真っ直ぐ和樹を見た。

 

……この辺りの大学に通ってる女の子。名前は、まだ言えないけど。

 

先週、雨の中に飛び込んできた女。大学生。傘を「持っていなかった」はずなのに、帰りには持っていた——あの女だ。恵子はそれ以上は言わなかったが、唇の端がわずかに引き結ばれていた。何か、それ以上の情報を飲み込んだ顔。ほっとしたような、でもまだ怖いような。

 

大学生……じゃあお客さんだったってこと?

 

陽奈の言葉に皿を拭く手を止めて。

 

つーかさなんでうちに来んだよ。ストーカーかよ気持ち悪ぃ。

 

菜月がぽつりと。

 

……和樹さんの、服。

 

全ての線が1点に収束した。服を盗まれたのは和樹だけ。ヘアゴムも靴下もサングラスも、カムフラージュに過ぎない。

あの女が欲しかったのは——最初から。

 

ナポリタンの最後の1口を食べて、フォークを置く。全員が黙る中、ぽつり。

 

……和樹。大丈夫?

 

その声だけは、純粋に心配の色をしていた。

 

うん……

 

大丈夫、と言い切れなかった。「うん」の後に続いた沈黙を、栞だけでなく全員が聞き取っていた。

 

陽奈がぎゅっと和樹の袖を引いた。目が少し潤んでいる。

 

大丈夫じゃないでしょ、その顔。無理しないで。

 

サキはふいっと顔を背けて。

 

……シフト増やしてやろうか。帰り遅くなんだろ、1人だと。

 

サキなりの気遣いだった。本人は絶対に認めないだろうが。

 

手帳を開いて。

 

とりあえず、しばらくは私が帰り道一緒に歩くわね。

 

びしっと手が上がった。

 

じゃあ陽奈も!

 

……じゃあ私も。

 

姉に続いて、小さく手をあげる。しかしはっきりと。

 

アタシは別にいいけど。方向同じだし。

 

ナポリタンを食べ終えた栞が無言で和樹の隣に立った。肩が触れるか触れないかの距離。

 

……帰ろ。今日も。

 

5人の女が、それぞれ違う温度で、同じ方を向いていた。店の外では、午後の陽が傾き始めている。あの雨の日からまだ7日しか経っていないのに、ずいぶん遠い昔のことのように思えた。

 

みんな、ありがとう

 

陽奈がにぱっと笑って、和樹の背中をばしっと叩いた。

 

お礼なんていいから!陽奈たちが勝手にやってるだけだし!

 

舌打ち。でも口元が緩んでる。

 

湿っぽいのやめろ。気持ち悪ぃ。

 

閉店作業は手早く終わった。いつもならだらだら残るサキですら、今日はさっさと着替えを済ませた。6人が連れ立って店を出る光景は、なかなかに壮観だった。

 

栞は集団から少し離れた位置を歩きながら、きょろきょろと周囲を警戒している。冒険か何かと勘違いしていないか。

 

……異常なし。

 

先頭を歩いて、時折振り返る。

 

そこの角、暗いから気をつけてね。

 

ぴったりと和樹の横。無言。ただ、歩幅だけは合わせている。

 

住宅街に入ると、人通りがぐっと減った。街灯がぽつぽつと灯り始めて、誰かが踏んだ水たまりがオレンジ色に光る。あと2分も歩けば、和樹の家に着く——というところで。

 

電柱の影に、人影があった。

 

足が止まる。

 

……ねえ。あそこ。

 

女だった。フードを深く被っている。こちらを見ている。動かない。

 

目を凝らしてみる

 

街灯の光が届かない、電柱と塀のわずかな隙間。そこに立つ影は——小柄だった。150センチあるかないか。フードの奥から覗く輪郭は若い。手には何かを持っている。

 

おい、あれ……

 

女はゆっくりと1歩踏み出した。そして、手に持っていたものを掲げた。

 

白いビニール袋。中身が透けて見える。それは——和樹が昨日着ていた、あの制服だった。

 

誰かが息を吸い込んだ。声にならない声。

 

恵子がさりげなく和樹の前に立った。

 

下がって。

 

しかし、女は逃げなかった。むしろ、こちらに向かって歩き出した。

 

陽奈が和樹の腕を掴んだ。Fカップが、今は気にしてる場合じゃない。細い指が、腕にぎゅっと食い込む。

 

距離が10メートルを切った。女はフードを下ろした。——見覚えのある顔。雨の中で泣いていた、あの大学生だった。唇が動く。

 

かすれた声。震えていた。

 

……お返し、しに来たんです。

 

お返し? 無意識に声を返していた。

 

ビニール袋を差し出したまま、足を止めた。視線は和樹に固定されている。頬がこけている——先週より、明らかに。

 

洗いました。ちゃんと。柔軟剤も……そちらのお店のと同じものを使いました。

 

異様な執着だった。「同じ柔軟剤」をわざわざ調べたという事実に、陽奈が小さく悲鳴を漏らした。

 

菜月は姉の前から1ミリも動かず。

 

……あなた、今日ずっとここにいたの?

 

首を横に振る。髪がばさりと揺れた。

 

朝だけです。お仕事の邪魔はしたくなかったので。夕方にもう1度来ました。

 

吐き捨てるように。

 

それがもうストーカーなんだよ。

 

サキの声には反応せず、ただ和樹だけを見ている。瞳孔が開いている。正気と狂気の境目に立っている顔。

 

あの……迷惑なのはわかってます。でも、私——

 

姉を背に庇うように立ち位置を変えた。

 

……警察、呼びますよ。

 

びくっと肩が跳ねた。だが、服は下ろさない。差し出す手が、かすかに震えながらも伸びたまま。

 

和樹が1歩前に出て、女に向けて言う。

 

……制服、返して貰えますか

 

一瞬、手が強張った。離したくない、という感情が指の震えに出ている。——けれど。

 

……はい。

 

美月の手がゆっくり下がった。袋の持ち手を、指一本ずつ剥がすように。まるで赤ん坊を手放す母親のような、未練がましい動作だった。和樹がそれを受け取った瞬間、美月の目から光が消えた。

 

……あの。

 

声のトーンが変わっていた。さっきまでの怯えた響きではない。もっと低く、粘度のある何か。

 

また、会えますか。

 

恵子は2人を遮るように、更に1歩前に出た。

 

服は返していただきました。もう用件は済んだわよね。

 

恵子を見上げた。——が、すぐに和樹へと視線が戻る。黒目が追尾するように動く。瞬きをしない。

 

……あなたに聞いてないです。

 

一触即発の空気。拳をポケットの中で握っている。

 

陽奈はまだ和樹の腕にしがみついたまま。爪が白くなるほど力が入っている。

 

それを見た和樹は安心させるように陽奈の手に自分の手を重ねた。

 

陽奈の細い手の甲に、和樹の手が重なった。陽奈の肩がぴくりと動いたが——離れなかった。

 

女はそれを見ていた。

 

見ていた。あの無機質な目で。2人の手が重なっている場所を。3秒、5秒。美月の口元から、すうっと表情が抜け落ちた。

 

……その子、誰ですか。

 

声が平坦だった。怒りでも悲しみでもない、感情の回路がショートしたような空白。

 

昨日も一緒にいましたよね。見てました。

 

もう限界だった。

 

ねえ!もう帰って!警察呼ぶよ!

 

声をあげた菜月には一瞥も見もしない。

 

美月は和樹だけを——いや、正確には「和樹と陽奈」だけを見ていた。

 

……ずるい。

 

ぽとり、と。涙が一粒落ちて、アスファルトに染みた。

 

私、傘もなくて、雨で、寒くて。助けてくれたの、あなただけだったのに……。ずるい、ずるい、ずるい。

 

静かにスマホを取り出した。

 

もういいわ。通報します。

 

その1言で、美月の顔に初めて焦りが走った。

 

和樹が美月に近づく。

 

あの日は助けられて良かったですけど、服を盗むのはダメです。警察に通報されたくないのであれば、すぐにここから立ち去ってください。

しっかりとした声で警告する。

 

全員が息を止めた。恵子ですら、スマホの画面に触れた指が止まっている。5人が見守る中、美月と和樹の間は1メートルもなかった。

 

見上げている。濡れた子犬のような目。けれど、その奥にちらちらと別の何かが揺れている。

 

盗んでない……借りただけ……。

 

唇を噛んだ。

 

……ごめんなさい。

 

小さな声だった。「ごめんなさい」だけが、妙に透き通っていた。美月は1歩下がり、2歩下がり——踵を返した。走らなかった。早歩き。振り返りもしなかった。角を曲がる直前、ほんの一瞬だけ足が止まり、それから消えた。

 

長い息を吐いた。

 

……行ったか。

 

スマホをしまった。少し複雑な顔。

 

今回は見送るけど……次があったら、容赦しないわ。

 

陽奈がへなへなとその場にしゃがみこんだ。

 

かずくん、近づくの怖かったよぉ……

 

菜月が無言で和樹と陽奈の間に入るように立ち、周囲を見回した。安全確認。

 

……もういない。

 

和樹の緊張がおさまってくると、陽奈の手がまだ自分から離れていないことに気づく。むしろ指が絡まっていた。ぽそりと。

 

……ばか。危ないことしないで。

 

ごめん。みんなを危ないことに巻き込みたくなかったから

 

サキは鼻で笑った——けれど目は笑っていなかった。

 

巻き込まれたんじゃねえよ。自分らで突っ込んだんだ。

 

ため息。でもどこか安心したような。

 

和樹さんらしいけどね。……でも次からは1人で前に出ないで。

 

立ち上がって、ぱんぱんと膝を払う。

 

ほんとほんと!陽奈の寿命が10年縮んだ!

 

夜風がふわりと吹いた。6人の影が街灯に伸びている。もう、あの角に人影はない。

 

和樹を見上げて。

 

……家、もうすぐ。早く入って。

 

ようやく指を離した。——離したが、手のひらの温度を確かめるように、もう片方の手で包み込んだ。

 

明日も仕事がある。

 

5人を見渡して。

 

さあ、みんなも早く帰ること。戸締まりしっかりね。

 

それぞれが手を振り、背を向け、夜道に散っていく。

最後に残ったのは、栞だった。——家から3分。近すぎる帰路。2人分の足音だけが響く。

 

ぽそり。前を向いたまま。

 

……私、鼻良いから。あの人の匂い、覚えた。

 

それが「もう近づかせない」という意味なのか、「また来たらわかる」なのか。栞の無気力な横顔からは読み取れなかった。

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