魔法少女の親父だけど、娘が怪我したら俺が出るしかないだろ! 作:ワタリ3@ぼちぼち浮上
朝は、嫌いではない。
カーテンの隙間から差し込む白い光。階下からかすかに聞こえてくるランニングマシンの駆動音。台所の方から漂ってくる味噌汁の匂い。
それらは全部、五月女エミカにとって一日が始まる合図だ。
もっとも、今日の合図はそれだけではない。
「……んみゅう……あと五分ミプ……」
枕元で、ピンク色のもふもふした何かが丸まっていた。
犬のようで、猫のようで、けれどそのどちらとも少し違う。
丸い耳。
短い手足。
ふわふわした尻尾。
眠っている時だけなら、ただのぬいぐるみに見えなくもない。
その正体は守護精霊の『ミププ』である。
「ミププ。朝だよ」
「精霊界ではまだ夜ミプ……」
「ここ人間界」
「じゃあ人間界の朝は横暴ミプね……」
エミカは半目になり、ミププの頬を指でつついた。
むに、と柔らかい。
魔法少女を支えてきた守護精霊とは思えないほど、触り心地だけは平和だ。
「起きないと、お父さんの卵焼き冷めるよ」
「起きるミプ!」
ミププは一瞬で目を開けた。
精霊界の時間の流れより、父の卵焼きの方が強いらしい。
「おはよう、エミカ!」
「おはよう、ミププ」
そんな、なんでもない朝の挨拶。
以前なら、当たり前すぎて意識したこともなかった。
朝、目が覚めること。
温かいご飯の匂いがすること。
誰かに「おはよう」と言えること。
その全部が、どれだけ大切なものだったのか。
エミカは最近になって、ようやく知った。
ベッドから体を起こす。
その瞬間、右肩の奥に小さな違和感が走った。
「……っ」
「エミカ?」
「大丈夫」
反射的に答えてから、エミカは小さく苦笑した。
大丈夫。
最近の自分は、その言葉ばかり使っている気がする。
本当に大丈夫な時より、大丈夫ではない時の方が、口が勝手にそう言う。
ジャージに着替え、髪を整え、ミププを抱えて部屋を出る。
五月女家は、少し変わった造りをしていた。
一階が地域密着型トレーニングジム『SAOTOME GYM』。二階が、五月女家の住居である。
つまりエミカは、毎朝、自宅の階段を下りるだけでジムへ行ける。
別にいつもジムに通っているわけではないが。
リビングに入ると、台所に巨大な背中があった。
「おう、起きたな」
振り返った父、『五月女ゲキ』は、今日も大きかった。
身長百九十三センチ。分厚い胸板。丸太のような腕。黙って立っているだけで、初対面の人間なら本能的に道を譲る。
そんな父が、ピンク色のエプロンを着けていた。
胸元には、丸っこい文字で『げんきにすまいる』と刺繍されている。
似合っていない。
まったく似合っていない。
だが本人は、当然のように着こなしている。
「お父さん、そのエプロン、まだ使ってるんだ」
「当たり前だ。使いやすいからな」
「正直エプロンが浮いているミプ」
「構わん、ポケットが多くて便利だからな」
ゲキは笑顔で答え、焼き上がった卵焼きを皿へ移した。
エミカは思う。
この人は、たぶん一生、自分が周囲に与えている迫力を正しく理解しない。
食卓に並んだ朝食は、いつものようにしっかりしていた。
焼き魚。味噌汁。卵焼き。ほうれん草のおひたし。白いご飯。
ごく普通の家庭の朝食。
ただし、それを作っているのは、どう見てもプロレスラーか敵組織の大幹部みたいな父親である。
「怪我の具合はどうだ?」
ゲキが味噌汁をよそいながら尋ねた。
エミカは箸を止める。
「昨日よりはいいよ」
「痛みは」
「少しだけ」
「少しだけ、か」
「本当に少しだけ」
ゲキは、それ以上すぐには言わなかった。
心配しているのは分かる。
怒っているのも分かる。
ただ、その怒りがエミカに向いていないことも、エミカは知っている。
父は、あの夜からずっと怒っている。
エミカを傷つけた敵に。
エミカを一人で戦わせてしまった状況に。
そして、何もできなかった自分自身に。
「よし。今日は予定通り、リハビリだ」
「うん」
「途中で痛みが出たらすぐ言えよ」
「分かってる」
「分かってるやつほど無理する」
「それ、お父さんが言う?」
「俺は大人だからいい。しかもタフな大人だ」
「説得力がありすぎるミプ」
エミカは思わず笑ってしまった。
こういう時間が好きだった。
普通で、くだらなくて、少し騒がしい。
でも、だからこそ大切な時間。
エミカはかつて、魔法少女フラワーメイデンとして雨玻町を守っていた。
四人組の魔法少女チーム『マジカルメイデンズ』の一人として、たくさんの人を助け、たくさんの敵と戦ってきた。
怖いこともあった。
痛い思いもした。
それでも、仲間がいたから戦えた。
守りたい町があったから立ち上がれた。
けれど今のエミカは、変身できない。
正確には、無理をすればできる。
だが、傷ついた魔力回路に魔力を流せば、激痛が走る。負荷をかけ続ければ、後遺症が悪化する危険もあった。
最悪二度と変身できなくなる可能性すらある。
だから今は、リハビリをしなければならない。
戦いたくても、戦えない。
それが魔法少女フラワーメイデン……五月女エミカの今だった。
Θ
朝食を終えると、三人は階段を下りた。
二階から一階へ。
一段下りるごとに、生活の音がジムの音へ変わっていく。
重りが鳴る音。
ランニングマシンのベルトが回る音。
誰かの気合いの声。
そして、なぜか低く響く読経のような声。
「……今日も濃そうミプ」
「扉を開ける前から熱気が伝わる。まあ慣れたけど」
エミカは一度だけ深呼吸した。
ここは自宅の一階。
ただそれだけの場所のはずなのに、最近は扉を開けるのに少し覚悟がいる。
ドアを開けた。
今日も、SAOTOME GYMは平常運転だった。
「ふんっ! ふんっ! ふんっ!」
まず視界に入ったのは、ジムで一番重いダンベルを両手に持ち、涼しい顔で筋トレしている巨漢だった。
――『ローズ』……ローズはあだ名で本名は浅日壮吉。
身長百九十七センチ。人間離れした肉体を持つ、SAOTOME GYMの常連客である。
バラ色の鮮やかなタンクトップを着て、巨大なダンベルを軽々と持ち上げる姿は、もはや筋トレというより儀式だった。
周囲の一般会員たちがざわついている。
「すげえ……あの重量でフォームがまったく崩れねえ……」
「美しい……さすがローズさん。上腕二頭筋が咲いている……」
「俺、今日からもっと頑張るわ……!」
なぜか感動している。
ローズはダンベルを上げ下げしながら、優雅にウインクした。
「あら、見てるだけじゃ筋肉は育たないわよ。夢も筋肉も、追いかけてこそ輝くの」
「ローズさん……!」
「名言だ……!」
会員たちが謎の感銘を受けていた。
エミカはそっと視線を横にずらした。
そこには、スケッチブックを抱えた親友がいた。
『浅倉沙織』
エミカの親友であり、魔法少女活動の裏側を知る数少ない一般人。
将来の夢は漫画家。
そして現在、ローズの筋肉をものすごい勢いでスケッチしている。
「沙織」
「おはよう、エミカちゃん。ごめん今ちょっと忙しい」
「何を描いてるの?」
「人体」
「まあ人体だね」
「見て。この肩から腕にかけてのライン。説得力が違う」
「絵、相変わらずうま……こんなに筋肉描いてどうするの?」
「魔法少女漫画に必要なこと」
「たぶん方向性間違ってるよ」
「漫画は基礎が大事だよ、エミカちゃん。
……流石ローズさん筋肉が美しいよ」
沙織は鉛筆を止めなかった。
その視線は真剣そのものだった。
エミカは知っている。
沙織は筋肉が大好きだ。
本人は隠しているつもりだが、目が血走っているし、視線がまったく隠せていない。
今もローズの背筋を見ながら、漫画家志望というより解剖学者のような顔をしていた。
そしてジムの隅では、坊主頭の僧侶が座禅を組んでいた。
「吸って――吐く。心を静め、内なる声を聞くのです。雑念とは、己の中の迷い。迷いを認め、手放し、精霊への感謝を――」
――清永正。
通称、キヨナガ。
正式なスタッフではない。
雇用契約もない。
それなのに、なぜかSAOTOME GYMの隅で勝手に座禅教室を開いている。
しかも地味に人気がある。
今日も数人の会員が、ヨガマットの上で目を閉じていた。
「キヨナガ」
ゲキの声が低くなる。
「また勝手に教室を開いてるな、おい?」
キヨナガはゆっくり目を開けた。
「ゲキ殿。勝手ではありません。人は皆、心のどこかで静寂を求めているのです」
「次開いたら、場所代とるって言ったよな?」
「執着ですな」
「請求書出すぞコノヤロー」
「ではまず、その怒りを座禅で鎮めましょう」
「海に沈めてやろうか? 海水で目が覚めるぜ?」
キヨナガは穏やかに合掌した。
「エミカ殿もいかがですかな。リハビリには肉体だけでなく、心の調律も必要です」
「今日はお父さんのメニューがあるので……」
「麗しのミププ殿も」
「ミププは遠慮するミプ。キヨナガさん、精霊を見る目がなんか重いミプ」
「重いのではありません。深いのです。精霊を愛しているが故です。」
「その返しがもう重いミプ……それに湿っぽい」
エミカは思った。
今日も平和だ。
平和の定義が少しずつ壊れている気もするが、少なくとも誰も怪我をしていない。
「エミカ、始めるぞ」
「うん」
ゲキがリハビリ用のマットとチューブを準備する。
エミカはマットに座り、指示通りに肩を動かした。
ゆっくり。
無理をせず。
痛みの出る角度を確認しながら。
ゲキは父親として心配しながらも、トレーナーとしては冷静だった。
そこはさすがだと思う。
「呼吸を止めるな」
「うん」
「力を入れすぎるな」
「うん」
「痛かったら」
「すぐ言う。分かってる」
「おう。ならいい」
ゲキの声は少しぶっきらぼうだ。
でも、細かいところまでよく見ている。
エミカの肩の動き。
呼吸。
顔色。
指先の震え。
きっと父は、エミカが思っている以上に、エミカのことを見ている。
沙織が隣にしゃがみこんだ。
「痛い?」
「少しだけ」
「少しだけって、便利な言葉だよね」
「沙織までそれ言う?」
「だってエミカ、すぐ大丈夫って言うし」
「まあ、職業柄?」
「学生でしょ?」
「特殊な学生なの」
「もう」
沙織の声は軽い。
でも、その奥にある心配は隠せていなかった。
エミカは少しだけ目を伏せる。
――「……悔しいよ」
自然と、言葉がこぼれた。
「私、まだ戦えるつもりだった。みんなが引退して、一人になっても、雨玻町くらいなら守れるって思ってた」
ストームメイデンは、家業を継ぐために専門学校へ行った。
ウイングメイデンは、弁護士を目指して有名大学へ進んだ。
ムーンメイデンは、パティシエ修行のため海外へ渡った。
みんな、自分の夢へ進んだ。
それは嬉しかった。
寂しかったけれど、誇らしかった。
だからエミカは、一人で残ることを選んだ。
もう大きな戦いはない。
小さなトラブルを解決して、後輩の魔法少女を助けて、町の平和を守る。
それで十分だと思っていた。
けれど、『デビデヴィ・クライシス』が現れた。
そしてエミカは敗れた。
守るはずだった町で。
守るはずだった人たちの前で。
「でも、今の私は戦えない」
チューブを握る手に、少しだけ力が入る。
「だから、悔しい」
沙織は何も言わなかった。
ただ、スケッチブックを閉じて、隣に座ってくれた。
それだけで十分だった。
エミカは顔を上げる。
「いいわ! その調子よ! 筋肉が芽吹いていくわ!」
「はい! ローズさん!」
ジムの中央では、ローズが会員たちを励ましながら筋トレをしている。
「吸って……吐いて……心を落ち着かせ、精霊道に身を預けて」
隅では、キヨナガが相変わらず怪しげな瞑想を教えている。
受付の方では、スタッフのエイコーが書類を抱えて忙しそうに歩いている。
そして父は、エミカのリハビリメニューを真剣な顔で確認している。
変な人たちばかりだ。
本当に、変な人たちばかりだ。
でも。
「私の代わりに、戦ってくれる人たちがいる」
エミカは小さく呟いた。
「認めたくないけど、いる」
「最後の一言、本人たちが聞いたら泣くか喜ぶか分かんないね」
「だから聞かせない」
エミカはそう言って、ほんの少しだけ笑った。
その瞬間だった。
ミププの耳が、ぴんと立った。
「……ミプ」
空気が変わる。
ジムの喧騒が、一瞬だけ遠くなった。
ミププはエミカの肩に飛び乗る。
「エミカ」
「もしかして?」
「デモンコアの気配ミプ。近いミプ」
胸の奥が冷たくなる。
エミカは反射的に立ち上がろうとした。
だが、肩に痛みが走る。
「っ……!」
「エミカ!」
ゲキがすぐに支える。
その手は大きく、熱かった。
エミカは悔しさを飲み込み、父を見上げる。
「お父さん」
「ああ」
「敵が出た」
それだけで十分だった。
ゲキの表情が変わる。
……ローズがダンベルを静かに置いた。
……キヨナガが座禅を解き、立ち上がった。
三人は互いに目を合わせる。
言葉はなかった。
ただ、一度だけ頷いた。
「行くぞ、お前ら」
「ええ、勿論」
「承知」
三人がジムの出口へ向かう。
エミカはミププを抱え、沙織はスマホとスケッチブックを掴んで、その後を追った。
「沙織も来るの!?」
「私、記録係だから」
「いつ任命したっけ!?」
「心の中で。心の中のエミカちゃんが」
「それは妄想!」
その背後で、エイコーが事務所から顔を出した。
「店長ー、今日のシフトの相談なんですけど――」
すでにゲキの姿はなかった。
エイコーは入口を見つめた。
それから、すべてを悟った顔でため息をつく。
「……またですかい」
Θ
雨玻町の商店街は、悲鳴と破壊音に包まれていた。
空は紫色に染まり、普段なら買い物客で賑わう通りには、現実感のない不気味な光が満ちていた。
――悪魔空間。
悪魔の力を用いた敵が現れた時に発生する、異常領域。
長くその中に留まれば、人の心は少しずつ蝕まれていく。
恐怖も、怒りも、不安も、全部が悪魔にとって都合のいい餌になる。
その中心で、黒く歪んだ機械の怪人――『デビガノイド』が店先の看板を叩き壊していた。
胸部には、不気味な球体。
あれがデモンコア。
人の心と魔力を歪められて作られた、悪魔の中核。
周囲には、黒い人形のような雑兵たちが群がっている。
デビドール。デビデヴィ・クライシスの量産型雑兵だ。
「逃げてください!」
エミカは叫んだ。
走り出したい。
変身したい。
フラワーメイデンとして、あの怪人の前に立ちたい。
だが、体は思うように動かない。
魔力回路の奥が、じくじくと痛んでいる。
今の自分が無理をすれば、足手まといになる。
その事実が、エミカの胸を締めつけた。
「エミカ、駄目ミプ」
「……分かってる」
分かっている。
だからこそ、悔しい。
――「おらぁっ!」
その悔しさを吹き飛ばすように、ゲキの拳がデビドールを殴り飛ばした。
変身していない。
武器も持っていない。
ただの拳である。
それなのに、デビドールは道路を転がっていった。
「道を開けろっての!」
ローズが別のデビドールを二体まとめて担ぎ上げ、軽々と投げ飛ばす。
「あらやだ、軽いわね。もっと鍛えてから出直してきなさい!」
敵に指導をしていた。
キヨナガは合掌しながら、流れるような足運びでデビドールの攻撃をかわしていく。
「迷える人形よ。せめて静かに倒れなさい。破!」
掌底。
一撃。
デビドールが崩れ落ちた。
エミカは思った。
――やっぱりこの人たち、普段からおかしい。
だが、デビガノイドは違う。
ゲキの拳を受けても、ローズの蹴りを受けても、キヨナガの掌底を受けても、倒れない。
装甲がわずかに軋むだけ。
胸のデモンコアまでは届かない。
あれを救うには、特別な力が必要だ。
中に閉じ込められた人の心を、
それが、魔法少女の戦いだった。
「おーっほっほっほっほ!」
高笑いが響いた。
街灯の上に、銀髪縦ロールの女が立っていた。
マスク。
レザーのハイレグ衣装。
扇子。
どこからどう見ても、悪の女幹部である。
「ごきげんよう、五月女ゲキ。そしてその愉快な皆様方!」
デビデヴィ・クライシス先行部隊隊長。
――タカワラーイ婦人。
その後ろから、白衣を着た紫髪の男が現れた。
――イタヴリ博士である。
「ふふふ……今回のデビガノイドはいつもと違う! なんと婦人の給料三か月分をはたいて作り上げた最新型だ!」
直後、タカワラーイ婦人の扇子がイタヴリ博士の頭を叩いた。
「給料とか言うんじゃありませんわよ! 侵略資金と言いなさい、侵略資金と!」
「痛い! でも事実じゃないですか!」
「事実だから言うなと言っているのですわ!」
エミカは遠い目をした。
……敵も敵で、大変そうだった。
さらに足元には、三頭身の猫武士がいた。
厚い鎧を着た、ずんぐりむっくりした猫の侍。
――ユーギ・ザムライ・ニャンタである。
見た目はかわいい。
だが声はやたら渋い。
「婦人、拙者も出陣いたすか」
「当然ですわ! ニャンタ、あなたも働きなさい!」
「承知」
ニャンタが刀に手をかける。
タカワラーイ婦人は扇子を突きつけた。
「さあ、最新型デビガノイドの力を見るがいいですわ!」
デビガノイドが咆哮した。
腕から放たれた衝撃波が、道路を砕く。
ゲキたちが飛び退く。
エミカは唇を噛んだ。
やはり生身では限界がある。
あれに対抗するには、魔法の力が必要だ。
ミププも同じことを考えたのか、……遠い目をしていた。
「……ミプ」
「ミププ」
「言わないでほしいミプ。ミププも色々思うところはあるミプ」
沙織はスマホを構えた。
「大丈夫。縦でも横でも撮る」
「何が大丈夫なの!?」
「歴史的資料だから」
「歴史に残さなくていい!」
その時、ゲキが空を見上げた。
「行くぞ!」
ローズが笑う。
「ええ!」
キヨナガが合掌する。
「承知!」
三人は同時に地面を蹴った。
なぜか、近くのビルの屋上へ跳んだ。
エミカは無言で見上げた。
「……なんでわざわざ高いところに?」
「様式美ミプ……」
ミププが悟ったような声を出した。
屋上に、三つの影が並び立つ。
ゲキが拳を握る。
ローズが片手を腰に当てる。
キヨナガが静かに目を閉じる。
そして、三人は同時に叫んだ。
「「「メイクアップ・リグ!」」」
三人の手のひらに光が集まり、それぞれ手のひらサイズの変身アイテム『メイクアップ・リグ』が現れる。
ゲキの前には、ピンク色のハート型クリスタル。
ローズの前には、赤い花型クリスタル。
キヨナガの前には、紫の円型クリスタル。
三人は、それぞれのクリスタルをメイクアップ・リグへ装着した。
「怒れ! マキシマム!」
「叶って! アンリミテッド!」
「悟りなさい! スピリット!」
上部のボタンが押される。
三つの光が走った。
ピンク。
赤。
薄紫。
魔法陣が展開する。
空気が震える。
町の悲鳴も、敵の高笑いも、その瞬間だけ遠ざかった。
「「「マジカル・ケミカル・フィジカル・メイクアップ!!」」」
光が弾けた。
最初に現れたのは、白とピンクを基調とした巨大な姿。
ハートの意匠。
可愛らしいリボン。
……だが、その肉体はあまりにも分厚い。
かわいいはずなのに、シルエットは完全にアメコミヒーローだった。
「娘の涙に拳を燃やす! 怒れる父のマジカルハート! 魔法少女ゲキ・マキシマム!」
次に、赤い薔薇を思わせる華やかな姿がポーズを決めた。
可憐。
優雅。
……そして圧倒的な筋肉。
「可憐なる夢を歩む! 鍛え抜かれた乙女魂! 魔法少女ローズ・アンリミテッド!」
最後に、薄紫の炎のようなオーラをまとった姿が目を開く。
数珠のような装飾が鳴り、神秘的なのに……暑苦しい。
「精霊を敬い、心を澄ませ! 悟りの光、今ここに開眼。魔法少女キヨナガ・スピリット!」
三人が同時に構える。
「「「三つの道が悪を討つ!
超≪スーパー≫規格外の魔法少女!」」」
「激情!」
「「「マジカルドースリー!!」」」
決めポーズ。
背後で、なぜか爆発。
エミカとミププは、完全に同じ表情になった。
「どうしてこうなった?」
「どうしてこうなったミプ?」
沙織は無言で連写していた。
「素材提供ありがとうございます」
「何に使う素材なの?」
敵側も固まっていた。
イタヴリ博士が震える指で三人を指す。
「ま、魔法少女を名乗るなぁぁぁぁぁ! お前たちのようなむさ苦しいおっさんの魔法少女がいてたまるか!」
「敵のお前が魔法少女を語るんじゃねえ!」
ゲキ・マキシマムが叫ぶ。
その陰でタカワラーイ婦人は扇子で口元を隠し、なぜか少し頬を赤らめていた。
「……相変わらず、いい肉体ですわね、ゲキ」
「婦人!?」
イタヴリ博士の悲鳴が商店街に響いた。
ゲキ・マキシマムが屋上から飛び降りる。
重い着地音。
アスファルトに亀裂が走った。
「行くぞ、ローズ! キヨナガ!」
「ええ!」
「承知!」
三つの影が、デビガノイドへ向かって走る。
デビガノイドの腕が振り下ろされた。
ゲキ・マキシマムが真正面から受け止める。
「ぬおおおおおっ!」
拳にピンクの光が宿る。
「怒れ拳! マジカル・マキシマム・ナックル!」
拳がデビガノイドの腹部に叩き込まれた。
装甲がひしゃげ、巨体が後退する。
そこへローズ・アンリミテッドが跳んだ。
「華麗に咲きなさい!」
赤い薔薇の花弁が舞う。
「マジカル・ローズ・キューティーキック!」
蹴りが肩部装甲を撃ち抜いた。
さらにキヨナガ・スピリットが合掌する。
「精霊よ、今こそ道を照らしたまえ」
薄紫の光が掌に集まる。
「マジカル・スピリット浄掌!」
掌底が胸部を打つ。
デモンコアが露出した。
エミカは息を呑む。
あそこに、誰かの心が閉じ込められている。
倒すだけでは駄目。
壊すだけでは救えない。
浄化しなければならない。
それが、魔法少女の戦い。
エミカがずっと背負ってきたもの。
そして今、あの三人が背負おうとしているもの。
「とどめは必殺技よ!」
ローズが叫ぶ。
「おう!」
「承知!」
三人の魔力が重なる。
ピンク。
赤。
薄紫。
濃すぎる三色の光が、巨大な球体になって膨れ上がった。
「必殺!」
三人が同時に叫ぶ。
「ギガンデス・マジカルナンデス・メガギガボンバー!!」
光がデビガノイドを包み込む。
爆発。
だが、それは破壊ではなかった。
花弁が舞い、薔薇が咲き、薄紫の炎が静かに燃える。
デモンコアが浄化され、中から一人の男性が倒れ込んだ。
ミププが飛び出し、魔法で受け止める。
「無事ミプ!」
エミカは胸を撫で下ろした。
悪魔空間が晴れ、町は守られた。
人も救われた。
それは間違いなく、魔法少女の勝利だった。
認めたくない。
今でも、ちょっと認めたくない。
……でも、認めるしかない。
「ノリが昭和特撮なんだよね……」
エミカはぽつりと呟いた。
一方、敵側は地面に崩れ落ちていた。
「なんでこいつらに僕のデビガノイドがやられるんだよぉぉぉ!」
イタヴリ博士が頭を抱える。
タカワラーイ婦人は扇子を震わせていた。
「わ、わたくしの給料三か月分……」
「また給料って言ったミプ」
ミププが小さく突っ込んだ。
その時、タカワラーイ婦人が顔を上げ、イタヴリ博士もあたりを見渡す。
「……ところで、ニャンタは?」
「ていうか、戦ってなかったですよね?」
猫武士の姿は、どこにもなかった。
少し離れた電柱の上から、渋い声が響く。
「マジルカニャンニャの気配を感じた。拙者、推し活に参りまする!」
ニャンタはそう言い残し、隣町の方角へ跳んでいった。
タカワラーイ婦人のこめかみが震える。
「敵陣営の魔法少女を推すんじゃありませんわよ! もう! 何をやっていますの!」
それから婦人は、悔しそうに扇子を突きつけた。
「デヴィ・リグさえあれば……きょ、今日のところは、ひとまず撤退ですわ! 覚えていらっしゃい!」
「婦人、帰りは徒歩ですか!?」
「交通費も節約ですわ!」
「侵略組織なのにぃぃぃ!」
タカワラーイ婦人とイタヴリ博士は、情けない悲鳴とともに去っていった。
こうして、雨玻町の平和は守られた。
――魔法少女ゲキ・マキシマム。
――魔法少女ローズ・アンリミテッド。
――魔法少女キヨナガ・スピリット。
三人合わせて、激情! マジカルドースリー。
「こんなの魔法少女じゃないミプ」
ミププが遠い目をする。
エミカは三人の背中を見つめた。
ピンクの巨大な父。
赤い薔薇の筋肉乙女。
薄紫に燃える僧侶。
自分の代わりに町を守ってくれる人たち。
自分の意志を、勝手に、強引に、とんでもない形で継いでしまった人たち。
どうしてこうなったのか。
今でも、エミカは思う。
けれど、その答えは分かっている。
すべての始まりは、あの夜だった。
私が敗れた夜。
お父さんが怒った夜。
そして――父が、魔法少女になると決めた夜。
物語は、そこから始まった。