魔法少女の親父だけど、娘が怪我したら俺が出るしかないだろ!   作:ワタリ3@ぼちぼち浮上

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第一話 前編 フラワーメイデンの敗北

 

 雨玻町の空は、紫に染まっていた。

 夕暮れではない。

 夜明けでもない。

 その色は、空が本来持っているものではなかった。

 町全体を覆うように広がった紫の膜が、太陽の光を歪め、商店街の看板も、住宅街の屋根も、逃げ惑う人々の顔も、すべてを不吉な色に染め上げていた。

 

 ――悪魔空間。

 

 悪魔の力を持つ者が現れた時に発生する、異常領域。

 その中に長く留まれば、人の心は少しずつ蝕まれる。恐怖は絶望に変わり、怒りは憎悪に変わり、弱った心は悪魔に支配される。

 雨玻町は今、その悪魔空間に呑み込まれようとしていた。

 

「逃げてください! ここは私が!」

 

 瓦礫の上に立ち、少女が叫ぶ。

 白と花を基調とした可憐な衣装。胸元に咲く花の紋章。風に揺れるリボン。

 

 雨玻町を守る魔法少女――フラワーメイデン。

 

 その正体は、五月女エミカ。

 まだ十六歳の少女だった。

 彼女の眼前では、巨大な機械怪人――デビガノイドが暴れていた。

 デビガノイドは、商店街のアーケードを腕で薙ぎ払い、駐車場の車を玩具のように弾き飛ばした。

 

 人々の悲鳴が上がる。建物が砕ける。

 

 黒い人形のような雑兵――デビドールたちが、町のあちこちで暴れ回っている。

 フラワーメイデンは奥歯を噛み締めた。

 初めて見る敵の数々。止めなければならない。

 

 町が呑まれる。

 

 人々が呑まれる。

 

 エミカが守り続けてきた場所が、失われる。

 

「フラワー・バインド!」

 

 フラワーメイデンが手をかざすと地面に魔法陣が咲き、そこから無数の蔦が伸びた。

 蔦はデビガノイドの足へ絡みつき、巨体の動きを封じようとする。

 

 だが、その瞬間。

 

「おーっほっほっほっほ!」

 

 高らかな笑い声が、紫の空に響いた。

 銀髪の縦ロールと顔を覆うマスク。

 黒いレザーのハイレグ衣装。

 

 悪役令嬢のような立ち振る舞いをした女が、街灯の上に立っていた。

 

「そう簡単に、わたくしたちのデビガノイドへ触れられると思いまして?」

 

 女幹部が扇子を振ると黒い衝撃波が放たれ、フラワーメイデンの蔦をまとめて断ち切った。

 

「っ!」

 

 フラワーメイデンは後方へ跳ぶ。

 直後、彼女がいた場所に黒い刃が走り、アスファルトを裂いた。

 

「くっ……!」

 

 着地した足が、わずかに震える。

 疲労が溜まり、魔力も消耗している。

 だが、それでも退くわけにはいかない。

 かつてなら、隣に仲間がいた。

 

 ……風のように敵を翻弄するストームメイデン。

 ……空を駆け、誰より早く窮地へ飛び込むウイングメイデン。

 ……静かな月光のように、味方を支え続けたムーンメイデン。

 

 四人で立っていた時は、怖くても前を向けた。

 痛くても笑えた。

 自分が倒れそうになっても、誰かが必ず支えてくれた。

 

 けれど今は違う。

 

 みんな、自分の夢へ進んだ。

 それは喜ばしいことだ。

 エミカ自身も、笑って送り出した。

 

 ……だからこそ。

 

 この町は、自分が守る。

 みんなが安心して夢を追えるように。

 自分だけでも、ここに残ると決めた。

 

「私は……まだ、立てる」

 

 フラワーメイデンはロッドを握り直した。

 女幹部が口元を扇子で隠す。

 

「あら、まだその目をしますのね」

 

「当たり前です」

 

 フラワーメイデンは息を整える。

 

「私は、雨玻町の魔法少女ですから」

 

 魔法陣が足元に広がる。花弁が舞う。

 

 フラワーメイデンは地面を蹴った。

 女幹部も同時に動く。

 花の光と悪魔の黒が、紫の空の下でぶつかり合った。

 

      Θ

 

「いいぞ、もっと壊せ! もっと泣き叫ばせろ!」

 

 瓦礫の山の上で、白衣の男が歓喜に震えていた。

 紫色の髪。

 整った顔立ち。

 

 だが、その笑みは歪みきっている。

 

「素晴らしい! 実に素晴らしいぞ! 希望を背負った魔法少女が、守るべき町を壊されて焦る顔! その瞳に浮かぶ絶望! これこそ芸術だ!」

 

「やめて!」

 

 フラワーメイデンが叫ぶ。

 

「あなたは……人の心を何だと思ってるの!」

 

「素材だよ」

 

 白衣の男は悪びれもせず答えた。

 

「人間の負の感情は実に美しい。嫉妬、憎悪、劣等感、絶望。それをデモンコアへ加工し、悪魔兵器へ組み込む。するとどうだ? ただの機械が、心を持った怪物になる。ああ、実に素晴らしい!」

 

「下品ですわよ。少し黙っていなさい」

 

 女幹部が冷たく言う。

 しかし彼女の視線は、フラワーメイデンから外れない。

 

「ですが、命令自体は続行なさい。デビガノイド、雨玻町を破壊し尽くしなさい!」

 

 デビガノイドが咆哮し、悪魔空間がさらに広がる。

 町の空が、深く紫に沈んでいく。

 フラワーメイデンは走ったが、女幹部が立ち塞がる。

 

「どいてください!」

 

「嫌ですわ」

 

 二人の魔力が激突した。

 フラワーメイデンの花弁が、女幹部の黒い魔力を切り裂き、婦人の扇子が、フラワーメイデンのロッドを弾く。

 

 互角。

 

 少なくとも、表面上はそう見えた。

 だが、余裕がなかったのはフラワーメイデンの方だった。

 

 彼女は。デビガノイドを止めたい。町を守りたい。逃げ遅れた人を助けたい。

 ……すべてを一人で背負おうとしている。

 

 対して女幹部は、ただ彼女を足止めすればよかった。

 焦りが、呼吸を乱す。

 疲労が、判断を鈍らせる。

 それでもフラワーメイデンは、歯を食いしばって前に出た。

 

「フラワー・シュート!」

 

 花の光弾が放たれる。

 女幹部が扇子で受け止める。

 衝撃で、彼女の体が後方へ滑った。

 

「やりますわね……!」

 

 女幹部も息が上がっていた。

 フラワーメイデンはロッドを構える。

 

 ここで押し切ればいける。

 

 そう思った。

 その時だった。

 

 ――空気が、重くなる。

 

「――」

 

 フラワーメイデンの背筋に、冷たいものが走る。

 女幹部の表情が変わった。

 驚愕。

 そして、わずかな緊張。

 紫の空の奥から、黒い影が降り立った。

 

 全身を漆黒の鎧で覆った人影。

 

 髑髏のような仮面。

 

 ただそこに立っているだけで、周囲の悪魔空間が濃度を増したように感じられた。

 

『何を手間取っている?』

 

「あと少しで、た、倒せます!」

 

『俺が行く』

 

「だ、大隊長自ら……!?」

 

 女幹部が、思わず声を漏らす。

 

 フラワーメイデンはロッドを握り直した。

 誰なのかは分からない。

 だが、分かることが一つだけあった。

 これは、今まで戦ってきた敵とは違う。

 

 黒い鎧が動いた。

 速い。目で追えない。

 そう認識した時には、もう目の前にいた。

 

「っ――!」

 

 フラワーメイデンは反射的に防御魔法を展開する。

 花の結界。

 しかし黒い鎧の拳は、その結界を紙のように砕いた。

 衝撃が腹部を貫く。

 息が止まった。

 体が吹き飛び、壁に叩きつけられる。

 

「エミカ!」

 

 相棒の精霊ミププの悲鳴が聞こえた。

 フラワーメイデンは崩れ落ちそうになる体を、ロッドで支えた。

 立たなければ。

 まだ、町が。

 まだ、人が。

 まだ――。

 黒い鎧が迫る。

 

 今度は蹴りだった。

 

 防ぎきれない。

 フラワーメイデンの体が地面を転がった。

 衣装が裂ける。

 魔力が乱れる。

 視界が揺れる。

 痛い。

 怖い。

 苦しい。

 

 それでも、立たなければならない。

 自分が倒れたら、誰が町を守るのか。

 

「ま、まだ……!」

 

 震える足で立ち上がろうとした。

 黒い鎧が見下ろしていた。

 その声は、低く、感情がなかった。

 

『小童が……後は任せた』

 

 それだけ言い残し、黒い鎧は背を向けた。

 

 女幹部が、わずかに唇を噛む。

 

 だがすぐに、悪の幹部としての表情に戻った。

 

「ええ。任されました」

 

 扇子を閉じ、黒い魔力が、その先端に集まった。

 フラワーメイデンは立ち上がろうとした。

 立てない、膝が動かない、指先に力が入らない。

 

 全身が悲鳴を上げている。

 

「終わりですわ、魔法少女」

 

「だめ……まだ……」

 

 ロッドを握ろうとした手から、力が抜ける。

 女幹部の一撃が、フラワーメイデンを貫いた。

 光が弾ける。

 

 白と花の衣装が消え、そこには制服姿の少女――五月女エミカが倒れていた。

 

 血の気のない顔。

 傷だらけの体。

 それでも、唇だけがかすかに動いた。

 

「町を……」

 

「エミカ、もう喋っちゃだめミプ!」

 

 ミププが飛び出し、小さな体から魔法の光を放った。

 

 ――転移魔法。

 

 不完全で、乱暴で、ほとんど賭けのような離脱。

 それでも、今はそれしかなかった。

 女幹部が目を細める。

 

「あら、逃がしましたか」

 

 だが、追撃はしなかった。

 彼女の視線は、すでに悪魔空間に覆われていく町へ向いていた。

 

「まあいいですわ。魔法少女は倒れた。雨玻町は、もう終わりですわ」

 

 紫の空の下で、デビガノイドが吠えた。

 

      Θ

 

 五月女ゲキは、娘の秘密を知っている。

 いつからかと聞かれれば、かなり早い段階からだ。

 

 最初は、違和感だった。

 ニュースに映るフラワーメイデンと呼ばれる魔法少女。

 雨玻町を守る、花の戦士。

 その戦い方。人を庇う時の姿勢。

 困っている誰かを見つけた時、考えるより先に体が動くところ。

 画面越しに見ているだけなのに、ゲキには分かった。

 

 あれは、エミカだ。

 

 もちろん、父親の直感だけで断定したわけではない。

 決定的だったのは、エミカがいつも持っている妙な人形だった。

 

 ピンク色で、犬とも猫ともつかない姿をしたぬいぐるみ。

 エミカはそれを大事にしていた。

 だが、その人形はどう見ても人形ではなかった。

 

 冷蔵庫に入れておいた菓子が、いつの間にか消える。

 

 エミカが学校へ行く時、その人形もこっそり後をついていく。

 

 隠れているつもりなのだろうが、カーテンから尻尾が出ている。棚の上から耳が見えている。ソファの下で寝息を立てている。

 ある日、ゲキはテレビのニュース映像でフラワーメイデンのそばにその“人形”がいるのを見た。

 

 そこで、すべてが繋がった。

 

 娘は魔法少女だ。

 当時十二歳の子供が、町を守るために戦っている。

 

 最初に胸へ湧いたのは、怒りだった。

 

 なぜ子供が戦わなければならないのか。

 なぜ大人ではないのか。

 なぜエミカなのか。

 

 すぐにでも問い詰め、止めるべきだと思った。

 

 だが、エミカの顔を見た時、ゲキは何も言えなかった。

 娘は笑っていた。

 疲れているのに。

 傷を隠しているのに。

 何も知らないふりをして食卓に座り、いつものように「ただいま」と言った。

 

 その笑顔が、亡き妻に似ていた。

 

 五月女あやこ。警察官だった妻。

 困っている人を見捨てられない人だった。

 正しいと思ったことから、決して逃げない人だった。

 

 その強さも、不器用さも、エミカは受け継いでいる。

 止めても、きっと止まらない。

 怒鳴っても、閉じ込めても、エミカは誰かの悲鳴を聞けば走り出す。

 

 ……ならば、父親としてできることは何か。

 

 ゲキは考えた。そして、決めた。

 

 知らないふりをする。

 

 気づいていないふりをする。

 

 その代わり、帰ってくる場所だけは守る。

 温かい飯を作る。風呂を沸かす。

 怪我に気づいても、理由を問い詰めずに手当てを置いておく。

 戦いから帰ってきた娘が、少しでも安心して眠れる家を作る。

 

 ――それが、ゲキにできる応援だった。

 

 四年前、秘密結社『ウィ・デッドゾーン』との最終決戦の日。

 エミカは、ボロボロになって帰ってきた。

 玄関を開けた時、ゲキはすべてを察した。

 けれど、何も聞かなかった。

 ただ、いつも通りの声で言った。

 

「おかえり、エミカ」

 

 エミカは一瞬だけ泣きそうな顔をした。

 それから、笑った。

 

「ただいま、お父さん」

 

 その夜、ゲキはいつもより少しだけ多く飯を作った。

 娘は何も言わず、それを全部食べた。

 

      Θ

 

 そして今。

 ゲキは台所に立ち、夕飯を作っていた。

 まな板の上で包丁が鳴る。鍋から味噌汁の湯気が立つ。

 焼き魚の匂いが、狭い台所に広がっていく。

 

 十六歳になった今でもエミカは魔法少女を続けている。

 いつも通りの夕方。いつも通りの飯。

 ただ一つ違うのは、エミカがまだ帰ってきていないことだった。

 

 時計を見る。

 

 「遅い」

 

 いつもなら、とっくに帰宅している時間だ。

 だが、こういう日は以前にもあった。

 

 ――魔法少女活動。そう考えれば、納得はできる。

 

 納得はできても、安心はできない。

 ゲキは火を弱め、スマホへ視線を落とした。

 

 その時だった。

 

 町内放送が鳴り響いた。

 

『緊急避難勧告。緊急避難勧告。雨玻町全域に、異次元敵勢力による攻撃が確認されました。住民の皆様は、速やかに指定避難所、または屋内の安全な場所へ――』

 

 ゲキの手が止まった。

 胸の奥が、重く沈む。鍋の音が遠ざかる。

 彼はすぐにエミカへ電話をかけようとした。

 だが、画面に表示された着信名を見て、指が止まった。

 

 「病院?」

 

 知らない番号ではない。

 雨玻町総合病院。

 ゲキは通話ボタンを押した。

 

「五月女です」

 

 電話の向こうで、慌ただしい音が聞こえた。

 誰かの声。機械音。走る足音。

 

 そして、硬い声が告げる。

 

『五月女エミカさんのご家族の方でしょうか』

 

「父です」

 

『落ち着いて聞いてください。エミカさんが、当院へ緊急搬送されました』

 

 世界から、音が消えた気がした。

 ゲキは一度だけ、深く息を吸った。

 

「今行きます」

 

 それだけ言って、電話を切った。

 火を止め、エプロンを外す。

 財布と鍵を掴む。

 走り出すまでに、余計な言葉は一つもなかった。

 

      Θ

 

 病室に入った瞬間、ゲキは息を止めた。

 白いベッド。白いカーテン。消毒液の匂い。

 規則的に鳴る医療機器の音。

 

 ……その中心に、エミカがいた。

 

 顔色はひどく白い。

 腕には点滴。

 体には包帯。

 いくつもの機械とチューブにつながれ、眠っている。

 眠っているというより、意識を手放しているように見えた。

 いつもなら、帰ってくれば「お腹空いた」と言う娘が。

 朝には眠そうに目をこすりながら食卓に座る娘が。

 

 そこに、ただ横たわっていた。

 

「エミカ……」

 

 ゲキの声は、自分でも聞いたことがないほど低かった。

 ベッドのそばには、一人の少女が座っていた。

 

 ――浅倉沙織。

 

 エミカの親友。

 目を赤くし、両手を膝の上で強く握りしめている。

 

「沙織ちゃん」

 

 ゲキは、できるだけ静かに呼びかけた。

 

「一体、何があった」

 

「……」

 

 沙織は答えなかった。

 いや、答えられなかった。

 唇が震えている。言葉を探している。

 何から話せばいいのか分からない、そんな顔だった。

 

 その沈黙だけで、ゲキには十分だった。

 

 重い沈黙を破ったのは、病室の扉が開く音だった。

 

「お久しぶりです、五月女さん」

 

 振り返ると、そこに一人の青年が立っていた。

 

 ――赤司良介。

 

 爽やかな顔立ちの青年。

 以前、エミカの近くにいたところを見かけ、ゲキが彼氏かと勘違いして詰め寄った相手である。

 あの時、エミカは慌てて「進路相談を見てくれてる塾の人」と説明した。

 今思えば、あれも嘘だったのだろう。

 

 赤司は深く頭を下げた。

 

「少し、お話できますか」

 

      Θ

 

 案内されたのは、人気のない小さな面談室だった。

 外では避難勧告が続き、病院内も慌ただしい。

 だが、この部屋だけは妙に静かだった。

 

 赤司はゲキの向かいに座ると、改めて頭を下げた。

 

「以前、塾関係者と偽ったことをお詫びします」

 

「理由は」

 

「C.H.A.R.M.の規定です」

 

 赤司は真剣な表情で言った。

 

「C.H.A.R.M.は、魔法少女の身元保護を最優先としています。たとえご家族であっても、本人の活動を明かすことは原則としてできません。だから私は、エミカさんと接触する時、進路相談を見ている塾関係者という立場を使っていました」

 

「C.H.A.R.M.とはなんだ。聞いたことがない」

 

「政府公認魔法少女支援機構です。魔法少女の活動支援、現場処理、情報管理、医療手配などを担当しています」

 

 赤司は一度、言葉を切った。

 そして、覚悟を決めたように続ける。

 

「五月女エミカさんは、魔法少女フラワーメイデンです」

 

 ゲキは黙っていた。

 

「本日、エミカさんは『デビデヴィ・クライシス』と名乗る敵組織の戦闘に敗北しました。現在は当院の最新設備で治療を行っています。命に別状は――」

 

「知っていた」

 

 赤司の言葉が止まった。

 

「……え?」

 

「エミカがフラワーメイデンだってことは、知っていた」

 

 ゲキの声は静かだった。静かすぎるほどだった。

 怒鳴らない。取り乱さない。

 

 ……ただ、その拳だけが膝の上で強く握られていた。

 

「かなり前からな。……あいつは隠してるつもりだったんだろうが、父親ってのは、案外見てるもんだ」

 

「では、なぜ……」

 

「止めなかったのか?」

 

 赤司は答えない。

 ゲキは視線を落とした。

 

「止めようとは思った。子供が戦うなんざ、まともじゃねえ。怒鳴ってでも、閉じ込めてでも、やめさせるべきだと思った」

 

 そこで、ほんの少しだけ声が揺れた。

 

「けどな、あいつは俺の女房に似てる。困ってるやつを見たら、見捨てられねえ。誰かが泣いてたら、自分が傷ついてでも手を伸ばす。そういうやつだ」

 

 亡き妻の顔が、脳裏をよぎる。

 笑っていた。怒っていた。

 

 そして、いつも誰かを助けようとしていた。

 

「エミカにその生き方をやめろって言うのは、あやこの生き方まで否定するみたいでな」

 

 ゲキは奥歯を噛んだ。

 

「だから俺は、知らねえふりをした。飯を作って、帰ってくる場所を守ってりゃ、それが父親としての応援になると思った」

 

 だが。

 ベッドに横たわる娘の姿が、瞼の裏に焼きついて離れない。

 

「覚悟はしていたつもりだった。いつか、こういう日が来るかもしれねえって」

 

 ゲキの拳が、きしむ音を立てた。

 

「……でもな、実際に見ると、そんな覚悟なんざ何の役にも立たねえ」

 

 赤司は何も言えなかった。

 ゲキの声は低いまま。

 しかし、その奥には、煮えたぎるものがあった。

 

 怒り。

 

 後悔。

 

 無力感。

 

 それらすべてを押し殺した、父親の声だった。

 

「俺は、何もできなかった」

 

      Θ

 

 病室へ戻ると、エミカはまだ眠っていた。

 沙織も、同じ場所に座っている。

 

 赤司は治療状況を簡潔に説明した。

 

 命に別状はない。

 ただし、魔力回路と呼ばれるものに深い損傷があるらしい。

 しばらくは変身も戦闘も避けるべき。

 無理をすれば、後遺症が悪化する可能性がある。

 

 ……魔法関連の用語はほとんど理解できなかったが、娘がいずれ目を覚ますことだけは理解できた。

 

 説明を終えると、赤司の端末が鳴る。

 

「本部からです。少し外します」

 

「ああ」

 

 赤司が出ていく。

 病室には、ゲキと沙織、そして眠るエミカだけが残った。

 ゲキは沙織の横に立ち、目線を合わせる。

 

「沙織ちゃん」

 

「はい……」

 

「君は、知ってたんだな。エミカが魔法少女だって」

 

 沙織は少し迷ったあと、小さく頷いた。

 

「……はい」

 

「そうか」

 

 ゲキは責めなかった。

 声を荒げることもしなかった。

 ただ、深く頭を下げた。

 

「いつも、エミカを支えてくれてありがとう」

 

 沙織の目が、大きく見開かれる。

 

「そんな、私……何も……」

 

「何もしてねえやつは、こんな顔でここにいねえよ」

 

 沙織の唇が震えた。

 我慢していた涙が、静かにこぼれる。

 

「ごめんなさい……私、止められなくて……エミカちゃん、一人で……」

 

「君のせいじゃない」

 

 ゲキは言った。

 自分にも言い聞かせるように。

 

「誰のせいかなんて、今は考えなくていい。」

 

 けれど、分かっていた。

 

「すべて、敵が悪い」

 

 ――俺が悪い。

 

 ゲキ自身は、自分を許していない。

 知らないふりをしていた自分を。

 応援するだけで、守れているつもりだった自分を。

 エミカの傷を見て初めて、そんなものはただの言い訳だったのではないかと思ってしまう自分を。

 

 夜が深くなる。

 

 一度、ゲキは沙織に帰るよう促した。

 しかし沙織は首を横に振った。

 

「エミカちゃんが目を覚ますまで、います」

 

「親御さんには」

 

「連絡しました。怒られるかもしれないけど……でも、親友だから」

 

 ゲキは少しだけ目を伏せた。

 

「そうか。……ありがとう」

 

 それ以上は言わなかった。

 病室の窓から、町が見えた。

 雨玻町総合病院は、山の上に建っている。

 だから、町を見下ろすことができる。

 普段なら、夜の灯りが綺麗に見える場所だった。

 だが今、窓の外に広がっているのは、見慣れた町ではなかった。

 

 ――紫のドーム状の膜。

 

 悪魔空間と呼ばれるものが、町のほとんどを覆っていた。

 内側では、時折黒い光が走る。

 遠くで何かが崩れる音がする。

 エミカが守ってきた町が、今も壊されている。

 

 ゲキは、眠る娘を見た。

 

 包帯に巻かれた腕。血の気のない頬。微かに上下する胸。

 彼は、そっと呟いた。

 

「あとは俺に任せておけ、エミカ」

 

 その声に、沙織が顔を上げる。

 ゲキは窓から視線を外さないまま、低く言った。

 

「確か、ミププだったか」

 

 病室の空気が、わずかに揺れた。

 

「出てこいよ。いるのは分かってる」

 

 ベッドの下で、何かがびくりと動いた。

 数秒の沈黙。

 それから、ピンク色の小さな精霊が、恐る恐る顔を出した。

 

「……い、いつから、知ってたミプ?」

 

「前からだ」

 

「前からって……」

 

「お前、隠れるの下手すぎるぞ」

 

 ミププは言い返せなかった。ゲキはゆっくり振り返る。

 その目を見た瞬間、ミププの小さな体が震えた。

 怒鳴られているわけではない。殴られそうなわけでもない。

 

 それなのに、怖かった。

 

 ゲキの怒りは、静かだった。

 静かな怒りほど、逃げ場がなかった。

 

「なぜ、一人で戦わせた?」

 

 ミププは耳を伏せた。

 

「……新しいメンバーを探してたミプ」

 

「見つからなかったのか」

 

「見つからなかったミプ。適性者は簡単には見つからないミプ。ストームメイデンたちは引退して、エミカだけが残って……でも敵は来て……ミププは……」

 

 声が震える。

 

「ミププは、エミカを止められなかったミプ」

 

 ゲキは黙って聞いていた。

 

「エミカは言ったミプ。自分が行かなきゃ、町が危ないって。逃げ遅れた人がいるって。ミププが止めても、行ったミプ」

 

「……だろうな」

 

 ゲキは短く言った。

 

「エミカはそういうやつだ」

 

 その言葉は、怒りではなく、痛みだった。

 ゲキはしばらく黙っていた。

 そして、ゆっくり口を開く。

 

 ――「なら、俺を魔法少女にしろ」

 

 病室の時間が止まった。

 沙織が目を見開く。ミププは、完全に固まった。

 

「……ミプ?」

 

「聞こえなかったか」

 

 ゲキはもう一度言った。

 

「俺を魔法少女にしろ」

 

「男は魔法少女にはなれないミプ!?」

 

 ミププが叫んだ。

 

「魔法少女になるには適性が必要ミプ! その適性は、基本的に女の子にしか発現しないミプ! ゲキさんは男ミプ! しかもどう見ても魔法少女っていうより、悪の組織の幹部を素手で倒す側の見た目ミプ!」

 

「見た目は関係ねえ」

 

「関係あるミプ! ものすごくあるミプ!」

 

 ゲキは一歩も引かなかった。

 

「戦えるやつがいねえんだろ」

 

「それは……」

 

「新しい魔法少女も見つからねえ。エミカは動けねえ。町は今もあのざまだ」

 

 ゲキは窓の外を指した。

 紫に沈んだ雨玻町。娘が命を張って守ってきた町。

 

「なら、俺が行く」

 

「無理ミプ!」

 

「無理かどうかは、やってから決める」

 

「理屈がすごく筋肉ミプ!」

 

「うるせえ」

 

 ゲキはエミカの鞄へ視線を向けた。

 そこにあるはずだと、なぜか分かっていた。

 娘が戦いへ向かう時、必ず持っていたもの。

 

 変身アイテム『メイクアップ・リグ』が。

 

「や、やめるミプ!」

 

 ミププが慌てて飛びつく。

 だが、ゲキの腕は太かった。

 ミププが全力で止めても、ほとんど意味がなかった。

 

「筋肉で突破するのやめるミプ!」

 

「すまない」

 

 ゲキは短く言い、鞄から手のひらサイズのアイテムを取り出した。

 

 メイクアップ・リグ。

 

 エミカがフラワーメイデンになるための変身アイテム。

 それを手にした瞬間、ゲキの表情がわずかに変わった。

 怒りだけではない。

 娘の戦いに触れたような重みが、そこにはあった。

 

 ……ゲキは眠るエミカを見る。

 

「すまない、エミカ……借りるぞ」

 

 沙織が立ち上がった。

 

「ゲキさん、本気なんですか」

 

「本気じゃなきゃ、こんなこと言わねえよ」

 

「でも……」

 

「沙織ちゃん」

 

 ゲキは静かに言った。

 

「エミカを頼む」

 

 沙織は何かを言おうとした。

 けれど、言えなかった。

 ゲキの背中が、もう決めていたからだ。

 止められる背中ではなかった。

 

 ミププが慌てて飛び上がる。

 

「待つミプ! ゲキさん、本当に無理ミプ! メイクアップ・リグはそんな雑に使えるものじゃ――」

 

 ゲキは病室の扉へ向かう。

 その先には、紫色に沈んだ町がある。

 娘を傷つけた敵がいる。娘が守ろうとした人々がいる。

 

 ゲキは一度だけ振り返った。

 

 眠るエミカを見た。

 小さく息を吸い、病室を出た。

 廊下を進む足音は、静かだった。

 だがその一歩一歩には、怒りがあった。

 

 後悔があった。

 

 父親としての覚悟があった。

 

「待つミプー!」

 

 ミププがその後を追う。

 沙織は病室に残り、エミカの手を握った。

 

「エミカちゃん……」

 

 窓の外で、悪魔空間が揺れている。

 町はまだ、紫の闇に沈んでいた。

 けれどその闇へ向かって、一人の父親が歩き出した。

 魔法少女になれる保証など、どこにもない。

 勝てる保証もない。

 

 ――それでも、五月女ゲキは止まらなかった。

 

 娘が守ろうとした町を、今度は自分が守る。

 ただ、それだけを胸に。

 怒れる父は、悪魔空間へ向かった。

 

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