魔法少女の親父だけど、娘が怪我したら俺が出るしかないだろ!   作:ワタリ3@ぼちぼち浮上

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第一話 後編 魔法少女の親父『ゲキ・マキシマ』

 

 雨玻町の外周部には、すでに防衛線が敷かれていた。

 

 道路は封鎖され、赤い誘導灯が闇の中で点滅している。警察車両と装甲車両が道を塞ぎ、簡易バリケードの向こうでは、警察官と異世界からの敵性勢力に対抗する防衛組織『境界防衛隊』の隊員たちが慌ただしく動いていた。

 

 その先にあるのは、紫色の膜。

 町を覆うように広がる、巨大なドーム。

 

 ――悪魔空間。

 

 近づくだけで、皮膚の奥に冷たいものが入り込んでくるような感覚。空気は重く、耳鳴りのような不快な振動が響いていた。

 

 境界防衛隊の隊員たちは、防護マスクと特殊装備を身につけ、銃口を紫の膜へ向けている。

 

「後退しろ! 民間人は近づくな!」

 

「悪魔空間内部への長時間侵入は危険だ! 繰り返す、民間人は退避しろ!」

 

 怒号が飛ぶ。

 

 だが、その声にも焦りが混じっていた。

 

 悪魔空間に長く入れば、精神が蝕まれる。恐怖や怒り、不安が増幅され、最悪の場合は『悪魔』に支配される。

 

 さらに、悪魔空間を広げ、空間内で暴れ回っている巨大な機械怪人――デビガノイドには、通常兵器がほとんど通じない。

 

 警察も境界防衛隊も、ただ何もしていないわけではなかった。

 

 逃げ遅れた住民の誘導。悪魔空間の拡大阻止。

 外へ漏れ出そうとする敵の迎撃。

 

 できることはすべてやっている。

 

 だが、決定打がない。

 

 この町の魔法少女が倒れた今、誰があの怪物を止めるのか。

 誰も、その答えを持っていなかった。

 

「来るぞ!」

 

 紫の膜が波打った。

 中から、黒い人形のような影が飛び出してくる。

 

 デビドール。

 悪魔の力で動く、量産型の雑兵たちだった。

 

「撃て!」

 

 銃声が夜を裂いた。

 防衛隊の銃弾がデビドールへ叩き込まれる。火花が散り、黒い体がよろめいた。

 

 しかし倒れない。

 

 何体かは弾丸を受けながらも前進し、バリケードへ飛びかかった。

 

「くそっ、止まらない!」

 

「距離を取れ! 近接戦になるぞ!」

 

 隊員たちが警棒型の対異界装備を構え直す。

 警察官たちも避難誘導を続けながら、必死に後退線を保っていた。

 

 その時だった。

 

 防衛線の後方から、地面を叩くような足音が近づいてきた。

 

 重い。

 

 速い。

 

 まるで巨大な獣が全力で走ってくるような音だった。

 

「なんだ!?」

 

 振り返った隊員の横を、一人の男が駆け抜けた。

 

 身長百九十三センチ。

 

 分厚い胸板。

 

 丸太のような腕。

 

 手には、手のひらサイズの奇妙な変身アイテムを握っている。

 

 ――五月女ゲキだった。

 

「止まれ! そこの民間人!」

 

「悪魔空間に近づくな!」

 

 防衛隊員が叫ぶ。

 

 ゲキは止まらなかった。

 

 返事もしなかった。

 

 ただ、紫色の膜だけを見据えて走っていた。

 

「おい、待て!」

 

 一体のデビドールが、ゲキの前に飛び出した。

 

 黒い腕が振り上げられる。

 

 ゲキは速度を落とさなかった。

 

「邪魔だ」

 

 その拳が、デビドールの顔面を真正面から打ち抜いた。

 

 鈍い音。

 

 デビドールの体が宙を舞い、バリケードの向こうへ転がっていく。

 周囲の隊員たちが、一瞬だけ固まった。

 

 ゲキはさらに一体、二体と、悪魔の人形を素手で殴り倒していく。

 

 変身していない。

 

 武器も持っていない。

 

 それなのに、デビドールが道を開けるように吹き飛んでいく。

 

 そしてゲキは、そのまま紫の膜の中へ飛び込んだ。

 

「うっそ」

 

 誰かが、呆然と呟いた。

 その声は、銃声と警報の中で小さく消えた。

 

     Θ

 

 悪魔空間の中は、外から見るよりもさらに不快だった。

 

 空は紫に濁り、建物の輪郭は黒く滲んでいる。見慣れた雨玻町のはずなのに、まるで別の世界に迷い込んだようだった。

 

 道路には瓦礫が散らばり、壊れた看板が倒れている。

 遠くで悲鳴が聞こえる。

 何かが崩れる音も聞こえた。

 

 ゲキは走った。

 

 息は荒い。

 

 だが足は止まらない。

 

 目的地は分かっていない。

 それでも、敵がいる場所は分かる気がした。

 

 ……悪魔空間の中心。

 

 この紫の闇が、もっとも濃い場所。

 娘を傷つけた敵は、きっとそこにいる。

 

「ゲキさん! 待つミプ!」

 

 後ろから、必死に羽ばたくような音が追ってくる。

 

 ミププだった。

 

 小さな精霊は、ゲキの肩に飛び乗ろうとして失敗し、慌てて横を飛ぶ。

 

「悪魔空間の中に長くいるのは危険ミプ! 人間の心は悪魔の力に蝕まれるミプ! 怒りも、憎しみも、不安も、全部悪魔に利用されるミプ!」

 

「なら、長くいなきゃいい」

 

 ゲキは走りながら答えた。

 

「早く終わらせる」

 

「そういう問題じゃないミプ!」

 

「そういう問題だ」

 

「もう、話を聞くミプ!」

 

 ミププの声は震えていた。

 

 怒っているのではない。

 

 怖がっているのだ。

 

 ゲキがこのまま突き進めば、本当に戻れなくなるかもしれない。男が魔法少女になれないことは、ミププが一番よく知っている。

 

 だからこそ止めたい。

 

 けれど、ゲキは止まらない。

 

 その背中からは、怒りが立ち上っていた。

 悪魔空間の紫よりも濃く、静かで、重い怒りだった。

 

「ミププ」

 

「な、なんミプ」

 

「あいつらは、エミカを傷つけた」

 

「……ミプ」

 

「エミカが守ってきた町を壊してる」

 

「分かってるミプ。でも――」

 

「なら、退けねえな」

 

 それ以上、ミププは何も言えなかった。

 ゲキの言葉は乱暴だった。

 理屈も無茶苦茶だった。

 

 だが、その根にあるものだけは、あまりにも真っ直ぐ、娘を守れなかった父親が、今度こそ何かを守るために走っている。

 

 その背中を止める言葉を、ミププは見つけられなかった。

 

     Θ

 

 悪魔空間の中心部は、商店街の大通りだった。

 本来なら、夜でも店の明かりが並び、人が行き交う場所。

 

 今は、瓦礫と破壊の中心になっていた。

 道路の真ん中に、巨大なデビガノイドが立っている。

 黒く歪んだ機械の体。腕は太く、脚は建物の柱のように頑丈で、胸部には不気味な球体が埋め込まれていた。

 

 その周囲には、デビドールたちが蠢いている。

 

 そして、瓦礫の上に二人の人影があった。

 

 ――一人は、銀髪縦ロールの女。

 マスクで顔の一部を隠し、黒いレザーのハイレグ衣装をまとっている。

 

 ――もう一人は、紫髪の白衣の男。

 整った顔立ちに、歪んだ笑みを浮かべている。

 

 ゲキは足を止めた。

 息を整える。

 拳を握る。

 

 紫の空の下で、彼は二人を見上げた。

 

「お前たちが……デビデヴィ・クライシスとかいう、ふざけた奴らか」

 

 女が、ゆっくりと振り返った。

 扇子で口元を隠し、値踏みするようにゲキを見る。

 

「あら。ふざけたとは失礼ですわね。筋骨隆々な紳士様」

 

 白衣の男が目を細める。

 

「誰だい、こいつ。避難し損ねた一般人?」

 

 女は街灯の上へ優雅に飛び乗り、扇子を広げた。

 

「せっかくですから名乗って差し上げましょう。わたくしは、デビデヴィ・クライシス先行部隊隊長――タカワラーイ婦人」

 

 白衣の男も、胸に手を当てて大げさに笑った。

 

「そして僕こそが、天才悪魔兵器開発者、イタヴリ博士! このデビガノイドを作り上げた、芸術家にして科学者にして悪魔兵器の申し子さ!」

 

「下品な自称を増やさないでくださる?」

 

「婦人、そこは褒めるところでしょう!」

 

 ゲキは二人のやり取りを聞いていたが、表情は変わらなかった。

 

「目的は何だ」

 

 タカワラーイ婦人は目を細めた。

 

「目的? そんなもの、決まっていますわ」

 

 扇子の先が、紫に染まった空を示す。

 

「このシータアースと呼ばれる世界を悪魔空間で覆い尽くすこと。そして悪魔の力によって、この世界の住民すべてをデビデヴィ・クライシスの奴隷にすることですわ」

 

 イタヴリ博士が楽しげに両手を広げる。

 

「恐怖も怒りも絶望も、全部悪魔の力に変わる! 人間たちは泣き叫び、世界は悪魔空間に沈み、僕の悪魔兵器たちはさらに美しく進化する! 最高じゃないか!」

 

「半分、何言ってるか分からねえな」

 

 ゲキは低く言った。

 

「分かる必要などありませんわ」

 

 タカワラーイ婦人が扇子を閉じる。

 

「ところで、あなたは何者かしら? この状況で逃げもせず、わたくしたちの前に来るなんて」

 

 ゲキは一歩前に出た。

 

「五月女ゲキ」

 

 そして、言った。

 

「フラワーメイデンの父親だ」

 

 一瞬、風が止まったような沈黙が落ちた。

 次に響いたのは、イタヴリ博士の笑い声だった。

 

「あはっ……あはははははははは!」

 

 博士は腹を抱えるように笑った。

 

「父親? あの魔法少女の父親? それで? ただの親父が、ここに何しに来たっていうのさ!」

 

 ゲキは答えない。

 ただ、拳を握った。

 

 タカワラーイ婦人はその様子を眺め、少しだけ興味深そうに目を細めた。

 

「なるほど。娘を傷つけられた父親が、怒りに任せてここまで来たというわけですわね」

 

「エミカをやったのは、お前たちか」

 

「ええ。魔法少女フラワーメイデンは敗れましたわ」

 

 その言葉が、ゲキの胸の奥を抉った。

 病室に横たわる娘の姿が浮かぶ。

 

 包帯。

 

 点滴。

 

 白い頬。

 

 そして、窓の外に広がっていた紫の町。

 

「……そうか」

 

 ゲキの声は静かだった。

 タカワラーイ婦人は扇子を向ける。

 

「あなたの相手など、デビドールで十分ですわ」

 

 その言葉と同時に、周囲のデビドールたちが一斉に動いた。

 

 黒い人形の群れが、ゲキへ襲いかかる。

 ゲキは手にしたメイクアップ・リグを掲げた。

 病室で奪うように借りた、エミカの変身アイテム。

 

 中央のボタンを押す。

 

 ……沈黙。何も起きない。

 

「……」

 

 もう一度押す。

 

 やはり、何も起きない。

 

「あたりまえミプ!」

 

 ミププが悲鳴のように叫んだ。

 

「男は魔法少女にはなれないミプ! それはエミカのメイクアップ・リグで、ゲキさんが使っても反応するわけないミプ!」

 

「なら」

 

 ゲキはメイクアップ・リグを握りしめたまま、前に出た。

 

「反応するまでやる」

 

「まるで話を聞いてないミプ!」

 

 デビドールの爪が迫る。

 ゲキは身を沈め、拳を振り抜いた。

 骨ではない、金属でもない、悪魔の力で動く人形の体が、鈍い音を立ててへし曲がる。

 

 一体。

 

 二体。

 

 三体。

 

 デビドールが次々と倒れていく。

 ゲキはメイクアップ・リグを手放さなかった。

 それを握った拳で殴ることはしない。

 

 娘のものだからだ。

 

 だから片手で守りながら、もう片方の拳と足だけで敵をなぎ倒していく。

 

「えっと……婦人」

 

 イタヴリ博士の声が、少しだけ引きつった。

 

「デビドールがやられているんだけど」

 

「見れば分かりますわ」

 

「いや、ただの親父だよね?」

 

「なんというフィジカル……魔法少女の親だけのことはありますわね」

 

「いや、多分あの親父が異常なだけだと思うけど!?」

 

 最後のデビドールが、ゲキの蹴りで瓦礫の山へ叩き込まれた。

 ゲキは肩で息をしている。

 

 ……無傷ではない。

 

 腕には擦り傷ができ、服も裂けている。

 悪魔空間の重い空気が、体力を削っている。

 

 それでも、彼は立っていた。

 

「次は、お前らだ」

 

 ゲキが言った。

 イタヴリ博士の表情が、歪んだ笑みに戻る。

 

「はっ。なるほど、デビドール程度なら倒せるんだ。すごいすごい。じゃあ、これはどうかな?」

 

 博士が指を鳴らし、巨大な影が動いた。

 

 デビガノイド。

 

 黒く歪んだ巨体が、ゲキの前に立ちはだかる。

 

「こいつはデビドールとは格が違う! 悪魔エネルギーで強化された本物の悪魔兵器だ! ただの腕力でどうにかなる相手じゃないんだよ!」

 

 ゲキは一歩踏み込んだ。

 拳を引く。

 地面を蹴る。

 その拳が、デビガノイドの腹部へ叩き込まれた。

 

 ……鈍い音。

 

 だが、巨体は揺らいだだけだった。

 

「……っ」

 

 拳に、嫌な痺れが走る。

 人形とは違う。桁が違う。

 ゲキの拳は、確かに異常なほど強い。

 だが、それはあくまで人間の拳。

 

 デビガノイドが腕を振る。

 

 避けきれない。

 

 ゲキの体が弾き飛ばされた。

 背中から地面に叩きつけられ、肺の空気が押し出される。

 

「がっ……!」

 

「ゲキさん!」

 

 ミププが駆け寄る。

 ゲキは咳き込みながら起き上がった。

 手にはまだ、メイクアップ・リグがある。

 

 彼はそれを見た。

 

 そして、何度もボタンを押した。

 

「頼む……動いてくれ」

 

 反応はない。

 

「頼む」

 

 また押す。

 

「俺を行かせろ」

 

 何も起きない。

 

「ははははは!」

 

 イタヴリ博士が笑う。

 

「何をしてるんだい? その玩具で変身でもするつもり? 残念だったねぇ。君は魔法少女じゃない。ただの父親だ!」

 

「はやく逃げるミプ!」

 

 ミププがゲキの服を引っ張る。

 

「もう分かったミプ! デビガノイドは無理ミプ! ゲキさんが死んだら、エミカが悲しむミプ!」

 

 ゲキはミププを見た。

 その目は、少しだけ揺れた。

 

 ……エミカが悲しむ。

 

 その言葉だけは、彼の胸に刺さった。

 だが、それでも。

 ゲキはミププの手をそっと外した。

 

「すまねえ」

 

「ゲキさん!」

 

 デビガノイドが迫る。

 巨大な腕が、上から振り下ろされた。

 避けるには遅い。防ぐには無謀。

 

 普通なら、そのまま叩き潰される。

 

 ゲキは逃げなかった。

 

「うおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 雄叫びとともに、両腕を突き出す。

 デビガノイドの腕を、真正面から受け止めた。

 

 地面が砕ける。

 

 膝が沈む。

 

 骨が悲鳴を上げる。

 

 悪魔の力が、腕から胸へ、頭の奥へと流れ込んでくるようだった。

 

 怒れ。

 

 憎め。

 

 壊せ。

 

 そんな声が、どこかから聞こえる。

 悪魔空間が、心に入り込もうとしていた。

 

 ゲキは歯を食いしばる。

 

「攻撃を受け止めた!?」

 

 イタヴリ博士が目を見開く。

 

「ありえない……あの巨体だぞ……!」

 

 タカワラーイ婦人も、扇子の奥で息を呑んだ。

 

「なんという力……」

 

 ゲキの腕が震える。

 押し潰されそうになる。

 それでも、退かない。

 

「俺は……後悔した」

 

 低い声が、悪魔空間に落ちた。

 

「エミカが魔法少女だって気づいた時、止めるべきだったって……何度も思った」

 

 娘は当時十二歳だった。

 小さな体で、町を守っていた。

 傷を隠して帰ってきた。

 

 笑って「ただいま」と言った。

 

「でもな」

 

 ゲキの筋肉が軋む。

 デビガノイドの腕が、わずかに押し返される。

 

「俺は、あいつが誇らしかった」

 

 ミププが息を呑んだ。

 

「あいつは、誰かのために戦ってた。怖くても、痛くても、逃げなかった。俺の娘は……俺とあやこの娘は、立派な魔法少女だった」

 

 ゲキの目に、怒りだけではない光が宿る。

 

 ――それは誇りだった。

 

 娘の戦いを否定しない父親の、重く、熱い誇りだった。

 

「だから、あいつが倒れたなら」

 

 ゲキの足が、前へ出る。

 

「今度は、俺が立つ番だ」

 

 デビガノイドの腕が押し上げられる。

 

「魔法少女の親父を……」

 

 ゲキの全身に力がこもる。

 

「なめるんじゃあねぇ!!」

 

 彼は、デビガノイドの腕を掴んだまま、巨体を持ち上げた。

 そして、全身を捻る。

 巨大な悪魔兵器が宙を舞った。

 建物の外壁へ叩きつけられ、瓦礫が爆ぜる。

 

「デ、デビガノイドを投げ飛ばしたですって!?」

 

 タカワラーイ婦人が叫ぶ。

 

「お、お前は化物か!?」

 

 イタヴリ博士の声は裏返っていた。

 だが、瓦礫の中からデビガノイドが起き上がる。

 黒い装甲はへこんでいる。

 

 しかし、その動きは止まっていない。

 

「ざ、残念!」

 

 イタヴリ博士が無理やり笑みを作る。

 

「僕が作った兵器が、投げ飛ばされた程度で止まるわけないじゃん!」

 

 周囲の瓦礫の影から、新たなデビドールが現れる。

 一体、二体ではない。

 無数の黒い人形が、傷だらけのゲキを囲んでいく。

 ミププの顔から血の気が引いた。

 

「もう無理ミプ……!」

 

 ゲキは立っていた。

 

 息は荒い。

 

 腕は震えている。

 

 膝も笑っている。

 

 悪魔空間の圧が、心を黒く塗り潰そうとしてくる。

 それでも、彼はメイクアップ・リグを握った。

 

 娘が使っていたもの。

 

 娘が戦っていた証。

 

 父親として、ただ一度だけでいい。

 

 この町を守るための力がほしい。

 

「……あやこ」

 

 ゲキは、空を見上げた。

 紫に歪んだ空。

 その奥にいるはずのない、亡き妻へ向けて。

 

「俺に力を貸してくれ」

 

 握りしめたメイクアップ・リグが、小さく震えた。

 

「お前に似たあの子が守った町を……俺にも守らせてくれ」

 

 ……次の瞬間。

 

 メイクアップ・リグから、眩い光が溢れた。

 

「ミプ!?」

 

 ミププが目を見開く。

 光はゲキの前で形を結び、ピンク色のハート型クリスタルとなった。

 温かく、強く、脈打つような光。

 

「メイクアップ・リグが……ゲキの心に応えたミプ!?」

 

 ゲキはクリスタルを見た。

 それが何なのか、理屈では分からない。

 

 だが、本能で分かった。

 

 これは、自分の覚悟に与えられたものだ。

 

「おい、ミププ」

 

「な、何ミプ!」

 

「これはどうすればいい」

 

「め、メイクアップ・リグの真ん中の溝にはめるミプ!」

 

 ゲキは頷き、クリスタルをリグの中央へ差し込んだ。

 かちり、と音が鳴る。

 その瞬間、ゲキの頭の中に、言葉が流れ込んできた。

 

 知らないはずの言葉。

 

 だが、魂が最初から知っていたような言葉。

 ゲキは大きく息を吸った。

 周囲のデビドールが飛びかかる。

 

 デビガノイドが咆哮する。

 

 タカワラーイ婦人とイタヴリ博士が、驚愕に目を見開く。

 

 そして、ゲキは叫んだ。

 

「マジカル・ケミカル・フィジカル・メイクアップ!!」

 

 ピンク色の光が爆発した。

 周囲のデビドールが吹き飛び、瓦礫が舞い上がる。

 

 デビガノイドすら、その光にたじろいだ。

 

 悪魔空間の紫の闇を、白とピンクの魔法陣が塗り替えていく。

 

 光の中で、ゲキの体が変わる。

 

 白とピンクを基調としたスーツ。

 

 胸元に輝くハートの意匠。

 

 腰に伸びるリボン。

 

 手足を包む、魔法少女らしい可憐な装飾。

 

 だが、そのシルエットはあまりにも巨大だった。

 

 分厚い胸板。

 

 丸太のような腕。

 

 筋骨隆々の肉体を包むタイツスタイル。

 

 可憐であるはずのデザインが、彼の肉体によってアメコミヒーローのような圧に変わっていた。

 

 光が晴れる。

 

 ――そこに立っていたのは、魔法少女だった。

 

 魔法少女のはずだった。

 

 少なくとも、メイクアップ・リグはそう認識しているらしかった。

 

 ゲキは拳を握りしめ、叫ぶ。

 

「娘の涙に拳を燃やす! 怒れる父のマジカルハート!」

 

 白とピンクの魔力が、拳の周囲で燃え上がる。

 

――「魔法少女ゲキ・マキシマム!」

 

 名乗りが響いた。

 数秒、誰も動かなかった。

 悪魔空間の中で、沈黙だけが落ちた。

 最初に叫んだのは、ミププだった。

 

「う……うそだミプぅぅぅぅぅぅ!?」

 

 次に、イタヴリ博士が両手で頭を抱えた。

 

「へ、変身した!? 嘘だろ!? 今、何が起きたの!?」

 

 タカワラーイ婦人は、扇子を口元に当てたまま固まっていた。

 

「なんということなの……ムキムキマッチョが、魔法少女になるなんて……」

 

「いやいや婦人! あれは少女でもなんでもないって!!」

 

 ゲキ・マキシマムは、自分の手を見た。

 力が湧いてくる。

 ただの筋力ではない。

 体の奥から、熱く、眩しいものが溢れてくる。

 

 ……それは怒りに似ている。

 

 ……だが、憎しみではない。

 

 誰かを守りたいという願いが、拳の形になったような力だった。

 

「力が湧いてくる……」

 

 ゲキ・マキシマムは、ゆっくりと顔を上げる。

 

「俺の心のラブクリスタルが、お前たちをぶっ飛ばせと叫んでるぜ」

 

「意味分からんこと言うな、おっさん!」

 

 イタヴリ博士が叫ぶ。

 

「いけ! デビガノイド!」

 

「そ、そうですわ! いきなさい!」

 

 デビガノイドが再び襲いかかり、巨大な腕が振り下ろされた。

 さっきまでなら、受け止めるだけで全身が悲鳴を上げた一撃。

 

 だが今、ゲキ・マキシマムは片手を上げただけだった。

 

 轟音。

 

 衝撃波が周囲の瓦礫を吹き飛ばす。

 

 しかし、ゲキ・マキシマムの体は一歩も動いていない。

 

 ――片手で、デビガノイドの腕を受け止めていた。

 

「なっ……!」

 

 イタヴリ博士の口が開いたままになる。

 ゲキ・マキシマムは、デビガノイドの腕を掴んだ。

 

「さっきは世話になったな……お返しだ」

 

 力を込めると黒い装甲が軋み、ひびが走る。

 次の瞬間、デビガノイドの腕が引きちぎられた。

 

 デビガノイドが叫ぶ。

 

 ゲキ・マキシマムは拳を引いた。

 白とピンクの魔力が拳に集まる。

 

「怒れ拳!」

 

 地面を踏み砕き、前へ出る。

 

「マジカル・マキシマム・ナックル!」

 

 拳がデビガノイドの胸部へ叩き込まれ、巨体が吹き飛ぶ。そのまま建物の壁を突き破り、瓦礫の中へと沈んだ。

 

 ……しかし、デビガノイドはまだ動いていた。

 

 怒り狂ったように起き上がり、片腕のまま突進してくる。

 

 ゲキ・マキシマムは逃げない。

 

 拳を握る。

 

 魔力が渦巻く。

 

「もう一発だ」

 

 デビガノイドが迫る。

 その瞬間、ゲキ・マキシマムの体が消えた。

 

 否。

 

 速すぎて、見えなかった。

 

「マジカル・ゲキドー・ブレイク!」

 

 横から叩き込まれた拳が、デビガノイドの巨体を大きくよろめかせる。

 

 黒い装甲が砕け、悪魔の力が火花のように散った。

 

「そんな……たった一撃で……ありえない!」

 

 イタヴリ博士が後ずさる。

 その目の前に、影が落ちた。

 

 ゲキ・マキシマムだった。

 

「次はお前だ」

 

「ひぃっ!?」

 

 博士が情けない声を上げる。

 ゲキ・マキシマムの拳が振り抜かれた。

 

 直撃したのは、博士の腰に装着されていた黒い機械装置だった。

 

 奇妙な紋章が刻まれた、悪魔エネルギーをまとった装置。

 

 それは拳の魔力を受け、嫌な音を立てて砕け散った。

 

「ぶべら!?」

 

 イタヴリ博士の体が、ギャグ漫画のように吹き飛んだ。

 

 壁に激突し、ずるずると落ちる。

 

 腰にあった謎の装置は、黒い煙を上げながら完全に壊れていた。

 

「イタヴリ博士!?」

 

 タカワラーイ婦人が叫ぶ。

 

 ゲキ・マキシマムは、ゆっくりと彼女へ向き直った。

 

「次はお前だ」

 

 その声に、婦人の肩がわずかに震えた。

 彼女は扇子を広げ、黒い魔力を放つ。

 

「調子に乗らないことですわ!」

 

 黒い刃が飛ぶ。

 ゲキ・マキシマムの肩を、腕を、胸元を打つ。

 

 ……だが、彼は止まらない。

 

 一歩。

 

 また一歩。

 

 攻撃を受けながら、前へ進む。

 

「なんというタフネス……!」

 

 タカワラーイ婦人が後ずさる。

 扇子を振り、黒い衝撃波が走る。

 

 それでも、ゲキ・マキシマムは止まらない。

 

「娘を傷つけた相手を、俺は許さねえ」

 

 拳にピンク色の光が集まる。

 

「女だろうが、幹部だろうが関係ねえ。今ここで止める」

 

「くっ……!」

 

 タカワラーイ婦人は胸元のブローチへ手をかけた。

 そこに、黒い魔力が集まる。

 

 だが遅かった。

 

 ゲキ・マキシマムのアッパーが、彼女の魔力障壁ごと胸元を打ち抜いた。

 

「がっは……!」

 

 直撃した衝撃で、ブローチ型の黒い装置が砕け、同時に、悪魔空間全体が悲鳴を上げた。

 

 アッパーの余波で紫の空に亀裂が走り、ドーム状の膜が、ガラスのように割れていく。黒い光が散り、濁った空が剥がれ落ちる。

 

 そして、その向こうから。

 

 夜の空が現れた。

 澄んだ月が、雨玻町を照らした。

 

 悪魔空間が、崩壊したのだ。

 

「そんな……わたくしの……!」

 

 タカワラーイ婦人が膝をつく。

 砕けたブローチから、黒い煙が漏れている。

 イタヴリ博士も、瓦礫の中でうめいていた。

 

 ゲキ・マキシマムは息を吐く。

 

 終わった。

 

 そう思った瞬間だった。

 

「あ、あぶないミプ!」

 

 ミププの叫び。

 

 背後から、ボロボロになったデビガノイドが襲いかかってきた。

 

 片腕を失い、装甲を砕かれながらも、なお動いている。

 

 ゲキ・マキシマムは振り返る。

 

 反射だった。

 

 考えるより先に、拳が動いた。

 

「マジカル・マキシマム――」

 

 白とピンクの魔力が拳へ集中する。

 

「カウンター!」

 

 拳が、デビガノイドの胸部へ突き刺さった。

 偶然だった。狙ったわけではない。

 

 ただ、最も強く光っていた場所へ拳を叩き込んだだけだった。

 

 胸部の球体に、拳が触れる。

 

 その瞬間。

 

 眩い光が爆発した。

 デビガノイドの体が内側から崩れていく。

 黒い装甲が灰になり、悪魔の力が霧のように消える。

 それは破壊というより、浄化に近かった。

 

 白とピンクの光が夜空へ昇り、月明かりに溶けていく。

 

 ゲキ・マキシマムは拳を下ろした。

 

「ちっ……逃がしたか」

 

 辺りを見回す。

 

 タカワラーイ婦人とイタヴリ博士の姿は、もうなかった。

 

 砕けた装置の破片と、瓦礫だけが残っている。

 

 逃げられた。

 

 ……だが町は守った。

 

 悪魔空間も消えた。

 ゲキはようやく息を吐こうとした。

 その時、ミププが震える声で言った。

 

「ゲキ……あれを見るミプ」

 

 ゲキ・マキシマムは、ミププの視線を追った。

 そこは、デビガノイドが消えた場所だった。

 黒い装甲の残骸も、悪魔の霧も消えかけている。

 その中心に、誰かが倒れていた。

 

 ――白い手術服のような服を着た少女。

 

 年は、エミカと同じか、それより少し下くらいに見えた。

 

 顔色は悪く、意識はない。

 だが、胸はかすかに上下している。

 

「女の子……?」

 

 ゲキ・マキシマムの声が、低く揺れた。

 

 なぜ、ここに人間の少女がいる。

 

 さっきまでそこにいたのは、デビガノイドだったはずだ。

 

 機械の怪人だったはずだ。ゲキはゆっくりと近づこうとした。

 

 その時だった。

 

「そこの……魔法少女……!」

 

 背後から声が響いた。

 

 振り返ると、警察官と境界防衛隊の隊員たちが、銃口と装備をこちらへ向けていた。

 

 悪魔空間が消えたことで、中心部まで進入できたのだろう。

 

 彼らはゲキ・マキシマムを見ていた。

 

 ――白とピンクの魔法少女衣装。

 

 ――巨大な体。

 

 ――筋骨隆々の腕。

 

 月明かりに照らされた、あまりにも異様な姿。

 指揮官らしき女性隊員が、一瞬だけ言葉に詰まる。

 

「……えっと……魔法少女?」

 

 その疑問は、現場にいた全員の心を代弁していた。

 ミププが小さく頭を抱える。

 

「ミププも聞きたいミプ……」

 

 女性隊員は咳払いをした。

 

「と、とにかく止まりなさい! あなたを重要参考人として拘束します!」

 

 銃口が揃う。

 

 警察官たちは倒れている少女にも気づき、救護班へ指示を飛ばしていた。

 

 ゲキ・マキシマムは動かなかった。

 逃げるつもりはない。戦うつもりもない。

 ただ、倒れている少女を見つめていた。

 そして思った。

 

 自分は、何を倒したのか。

 

 あのデビガノイドとは、何だったのか。

 娘を傷つけた敵は、ただの怪物ではないのかもしれない。

 

 月明かりの下で、ゲキ・マキシマムは静かに拳を握った。

 雨玻町の夜は、ようやく紫の闇から解放された。

 

 ……けれど、戦いは終わっていない。

 

 むしろ本当の意味で、ここから始まるのだと。

 ゲキは、まだ知らなかった。

 

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