俺だってなりたくて女の子になったわけじゃないんだ! 〜天下無敵の女子中学生・葛葉ちはやの知られざる悲哀より〜   作:蘇芳ありさ

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第一話「これって転生じゃなくて、事実上の性転換と戸籍捏造じゃね?」と首を捻ったら、謂れのない過去まで襲ってきたんだが、俺はどうしたらいい……?

 

 

 

 足取りが軽い。

 

 いつもは駅まで歩いたら30分近くかかるのに、今日は10分かそこらの感覚だ。

 

 一般的な成人男性の歩行速度が時速4キロだとしら、ざっくり3倍すると時速12キロか。

 

 マラソンランナーが40キロを2時間で走るとして、時速20キロだとするとそこまで変でもないが、やはり普通とも言い切れないのだろう。

 

 途中で追い抜いた人たちはかなりビックリしてこっちをガン見してきた。

 

 まぁ駆けっこだと子供には敵わないし、今の俺も身長が20センチくらい縮んだが、体重も20キロくらい低下しただろうから、異様な健脚もそれほど不自然ではないが……たぶん、それだけじゃないんだよなぁ……。

 

 

 よく分からない冗談を真に受けて、まんまと事実上の性転換&戸籍変更を余儀なくされた俺だったが、この処置には三つの不純物が混入している。

 

 その内の一つがチート能力「痴漢やストーカーから余裕で逃げ切れる身体能力」であった。

 

 まぁこれなら「女の子になった俺の人生も安泰」と安心できないでもないが、間違ってもその全力が何処にあるのか試す気にはなれなかった。

 

 何故ならちょっと油断して躓いたときに、うっかり手をついた駅の壁をこそぎ取ってしまったからだ。

 

 多少は古びていても鉄筋コンクリート製の壁面を、発泡スチロールか何かの感覚で……。

 

 

「…………」

 

 

 見られた。メッチャ見られた。

 

 ドン引きされたけど、なんか納得というか、感心してる人もチラホラ見かけるのはなんでだ?

 

 

「……ええと、なんかこの辺が脆くなってますね。みなさんも怪我をしないように気をつけてください」

 

 

 そんなふうに笑って誤魔化し、一応責任を取る意思はあったので駅員に報告したが、なんかビックリされた後で笑われた。

 

 

「わかりました。あとで確認して直しておきますので、気をつけてお帰りください」

 

 

 それでいいのか?

 

 そう思わないでもなかったが、せっかくの好意なので何度もお礼を言ってから切符を買わせてもらうことにした。

 

 首都圏在住ながら東京の港区までは結構な距離がある。

 

 今さらながらに運賃が足りるか不安になってお財布に手を出したが、そこには見たこともない厚みの紙幣が詰まっていた。

 

 

「…………」

 

 

 またしても言葉に詰まる。

 

 いや、確かにさ。転生特典のチート能力の一つに「そこそこの資産と安定収入」を望んだけど、財布のなかに真っ黒のクレジットカードまで何枚もあるじゃん。これのどこが「そこそこの資産」なんだよ。

 

 さっきの意図せぬ握撃もそうだけど、なんだか急激に不安が込み上げてきたわ。

 

 この分だと切符売り場の前にいるだけなのにやたら見られるのも、「誰にでも好かれる国民的美少女」のチート能力が悪さをしてるんだろうな。

 

 俺は事態を甘く見ていたことを後悔しながら切符売り場を後にして、駅の改札を潜った。

 

 

 ……そこからも俺は見られに見られた。

 

 スケベそうなオッサンだけではなく、老若男女男女を問わず、駅の階段を登るときも、ホームの端に立ってるときも、車内の隅っこで壁に顔を向けているときもである。

 

 さすがにこれは尋常ではないと俺が不審に思ったときだった。背後から「あの」と控えめに声をかけられたのだ。

 

 最初は聞こえないフリをしようと思ったが、立ち去る気配がないのと相手が同じ歳くらいの女の子だったので仕方なく振り返ると、なんていうか、とんでもないコトを聞かれてしまった。

 

 

「全日本柔道の葛葉(くずのは)ちはやさんですよね? この前のオリンピックで女子だけじゃなく、男子の金メダルも総ナメにした……」

 

 

 なんじゃそりゃ?

 

 俺は思わずおちょくられてるのかと思ってしまったが、目の前の微かに頬を赤く染めた女の子にそんな様子はない。

 

 それどころか車内の雰囲気はこの勇気ある女の子を応援するようで、俺には「はい、そうです」と答えるしか選択肢がないように思えた。

 

 

 ……もちろん俺にそんな記憶はない。

 

 だが、なんでそんなふうに言われるのか、そちらの心当たりまでないわけでもなかったのである。

 

 

 あの茶封筒の告知書とやらには、俺が現代日本に転生を希望しながら、転生先である「葛葉ちはや」の年齢を13歳と指定したために、生まれたから昨日までの「空白の期間」を埋めるために適当な過去を捏造したと、そう読み取れる文言があった。

 

 だとしたら、これも自業自得……仮にやるせない気持ちを吐露するとしても、その相手は目の前の女の子ではない。

 

 やはり俺には「はい、そうです」と答える選択肢しか存在しなかったが、ここで大学を出てから3年間の社会人生活が俺を救った。

 

 

「うん、そうだけど今はちょっと訳アリなの。あまり騒ぎにしないでもらえると有り難いな」

 

「そっ、そうだったんですね。……ごめんなさい。よく考えもしないで声をかけて」

 

 

 以前の俺ならこんな受け答えはできなかった。飲みたくもない酒を飲まされる大人の付き合いから逃げるための方便が、ワケが分からない転生直後の窮地を救った──だがその代償は大きかった。

 

 何の罪もない女の子を涙ぐませてしまった罪悪感と、それを必死にフォローしようとする車内の雰囲気。いずれも俺一人で抱え込むには重すぎるものだった。

 

 

 これには居た堪れず、俺は乗り換え駅の手前で下車するハメになった。

 

 汽笛が鳴り、発進する快速の窓から例の女の子が申し訳なさそうにこっちを見ている。

 

 俺は「気にしないで」と言わんばかりの笑顔を作って手を振ってみた。

 

 それを見て、その子が走り去る車内から何度も頭を下げるが、その顔はさっきより格段に明るかった。

 

 

「……ふう、やれやれだね」

 

 

 一息ついた俺はしかし思った。俺こと「葛葉ちはや」は過去に何をしでかしたことになっているのか。

 

 記憶の点検は例の告知書によると明日まで不可能らしいが、ごく普通そうな女の子まで知っていたのだ。鞄の中にあるスマホでエゴサをしたら一発だろう。

 

 

 ……だが、それをここでやる勇気はない。

 

 こちらのホームでも、俺は下車したときから嫌な注目を集めている。

 

 それなりに覚悟の要る調べ物をするなら、せめてもう少し落ち着けるところに逃げ込んでからにしよう。

 

 俺は前向きだか後ろ向きだかよく分からない決意を新たにしながら、各駅停車の車両に乗り込むのだった……。

 

 

 そうしてできるだけ目立たないように息を潜め、乗り換え駅の売店でマスクとサングラスを購入した俺は、学生証に記載のある大江戸線麻布十番駅までなんとかたどり着いた。地上に出たときの開放感はなんというか半端なかった。

 

 無駄な抵抗かと思ったが、途中で買い求めたマスクとサングラスは値段以上の仕事をしてくれた。おかげで変装してからはめっきり注目を浴びることがなくなった。

 

 

 ……まぁそれでもしっかり見られたんだけどな。それも脚とか腰とか胸の辺りを。俺はもう会えない妹を思い出して少しだけしんみりした。

 

 そりゃあ毎日こんな思いをしていたら、たまに会った兄貴に外見を褒められてもキモいとしか言えないわ。

 

 知ってたつもりだけど、やっぱり女の子は大変なんだなぁ。俺は心の中で実家でのノンデリぶりを反省するのであった……。

 

 

 ま、それはさておき、これからどうするか。

 

 学生証に記載された住居まで、この健脚なら何分も掛かるまい。俺としては一刻も早くそうして、誰もいないベッドの上に寝転がりたい心境だったが、はたしてそう簡単に行くものだろうか。

 

 

 こちらの告知書にも「葛葉ちはや」の家族構成は記載されていない。だが、俺を彼女に生まれ変わらせた連中は、辻褄合わせに過去の捏造までしでかす連中だ。何の罪のない善良な夫婦を俺の転生に巻き込んでいる可能性は十分にある。

 

 つまり「葛葉ちはや」には両親なり兄妹なりが居ても不思議ではない。ならば彼女の記憶が無い状態で相対すればどんなトラブルが巻き起こるか判らないわけだ。

 

 だとすると、今日のところは仮病を使って部屋に引き篭もるしかないわけだが、挨拶一つとっても怪しまれないようにするのは相応のカロリーを消費するだろう。

 

 

 まぁ要するに腹が減ったわけだ。近くに某ハンバーガーチェーン店もあるから(麻布にもあるんだ)先にメシを食っておこうと、意外と混んでる店内で会計を済ませ、てりやきセットを載せたトレイを片手に隅っこの席に腰をおろす。

 

 そんでもってついでにエゴサもしておこうと、女の子らしい飾り物がいっぱい付いた最新のAiPhoneを引っ張り出し、カリカリのポテトを摘みながら顔認証のロックを解除した。

 

 

 そうやって検索サイトで「葛葉ちはや」と入力すると、まぁ出てくるわ出てくるわ。なんなら一番上に表示されたニュースサイトの下には専用のwikiまであったわクソが。

 

 そのうえサジェストも取り返しのつかないほど汚染されてたし、女になって初めてわかるこのキモさよ。

 

 俺も昔は似たようなものだったから何も言わんが、ちったぁ気をつけた方がいいぞと余計な心配をしながらwikiを開く。

 

 するとあの女の子が言ってたように、俺がついこの前のオリンピックで暴れたのが事実であると判明した。

 

 

 なんでも中1の春に柔道を初めて、その夏に個人・団体、ともに圧倒的な強さで優勝。

 

 マスコミも喰らい付き、「令和の柔ちゃん」と持ち上げられて、JOC(日本オリンピック委員会)や文科省の大臣まで動きまわる事態となったようだ。

 

 だがその頃は今年のパリオリンピックまで残り一年を切っており、代表選手はほぼ確定している。

 

 その状況下で「葛葉ちはや」の繰り上げ当選には強い反発があった。特に女子の確定枠をほぼ押さえ切ってる国内最大の柔道団体はかなりゴネたとある。

 

 そして最終的に所属選手を全員離脱させ、「葛葉ちはや」のゴリ押しを続ける文科省に抗議したそうな。

 

 だがそれと同時に、「葛葉ちはや」に嫌がらせをしたコーチや監督、代表選手たちが残らず病院送りにされたとも書かれていて、俺は危うくコーラを吹き出すところだった。

 

 俺としてはさすがにそれはないと思いたかったが、何故だかwikiではお馴染みの出典を求める注釈はなく、代わりに幾つかのスポーツ新聞からの引用があった。

 

 

「……マジかぁ」

 

 

 俺は嘆いたが両論併記なら仕方ない。

 

 歴史物でよくある「諸説あるが」というヤツだ。ここは素直に前者を支持するに留めておこう。

 

 

 さて、問題はここからだ。全日本柔道の代表選手は、抗議を続ける国内最大の柔道団体以外の所属選手──フリーの「葛葉ちはや」以外は、警視庁に所属するお巡りさんたちしか残らなかったらしい。

 

 これには文科省も困った。JOCも困った。だが「葛葉ちはや」は断固としてこう言ったらしい。それなら全部出ると。要するに代表選手がいなくなった男女別全階級の全試合に自分が出場すると、そう請け負ったというのだから呆れるしかない。

 

 

 そんなコトが可能なのかと思ったが、オリンピックの歴史的にはアリ寄りのアリだったようだ。

 

 もともとスポーツの世界に男女別の制限なんて無かったというか、男子と一緒に同じ競技をやる女子そのものが少なかった。

 

 だから女子選手の増加したスポーツには専用の枠組みが用意されたが、男女の体格差や筋力量がハンデとならないスポーツなら今でも男女混合の大会があるし、不利を承知で男子の枠から出場するのも制限されていない……というかIOC(国際オリンピック委員会)も想定していなかったらしく、すったもんだの末に「葛葉ちはや」の要望は叶えられた。

 

 

「その結果が前代未聞の全日本柔道の金メダル独占かぁ……何者なんだよ葛葉ちはやって」

 

 

 つい声に出してしまったが俺もわかってる。これは油断したらすべて置き去りにしそうな俺の身体能力がしでかした暴挙なのだろうと。

 

 と、まあ、そんなワケで、大会前はかなり叩かれたそうだが、「葛葉ちはや」は強靭なメンタルと規格外のパワーでそれを乗り越え、一躍この国のヒロインになったそうだ。

 

 

 俺としてはなんというかコメントしづらいんだが、「葛葉ちはや」の跳ね返りっぷりはどうしたことか。

 

 俺を転生させた連中も何を考えてんだか……もっと穏当な過去を用意できなかったのだろうか。

 

 

 俺も家族や友人に「頑固」と言われたことがあるし、クソみたいな嫌がらせをされたら絶対に自説を曲げないと思ってるが、さすがにここまで体を張ったことはないぞ。

 

 だから俺の性格を参考にして過去をシミュレートしたんだったら、これは単なる演算ミスか、見込み違いの最たるものに分類されるだろう。

 

 俺はエゴサの結果にかなりの不満を覚えたが、とりあえず途中で変装するまで異様に注目された理由はわかった。むべなるかな、と不満と一緒にポテトの残りも飲み込む。

 

 wikiの記述も残りあと僅か。俺は気になるものだけ流し読みして、最後に断じて看過できない項目を発見した。

 

 それは「葛葉ちはや」の家族構成。そこにはこうあった。

 

 

 父親・エドウィン=マークス。マサチューセッツ工科大学主席研究員。2024年7月7日に同州内の交通事故で他界。享年52歳。

 

 母親・葛葉橙子。夫であるエドウィン=マークスとともに上記事故に巻き込まれ他界。享年39歳。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「お兄ちゃん遅っっそいなぁ……お昼になっても既読がつかないってどういうコトよ?」

 

 

 スマホを確認するものこれで何度目か。あたしは時間とともに言いしれようのない不安に襲われた。

 

 たかがLineの既読ひとつ。これが兄以外の相手だったらここまで不安にならなかった。

 

 でも相手はあの兄……あたしの送りつけたメッセージに秒で反応するあの兄なのだ。これは何かあったと思うべきだ。

 

 

 幸いにも兄のアパートはここからそう遠くない。

 

 合鍵もある。

 

 あたしは迷わず荷物をまとめて台所で洗い物をしているお母さんに告げるのだった。

 

 

「お母さん、あたしちょっとお兄ちゃんのところに行ってくるね」

 

「そう言うんじゃないかと思ったけど、まさかホントに言いだすとはね」

 

 

 するとお母さんは迷わず手を拭いて、エプロンのポケットに手を突っ込みながらこっちまで来た。

 

 

「はいよ交通費。それなりに距離があるから無理に帰ってこなくていいけど、泊まるなら晩御飯を用意する前に連絡すること。それとあんたも年頃なんだから、無防備な格好であの子の部屋をうろつくんじゃないよ。いいね」

 

 

 なんか色々と見透かされてるなぁ……。

 

 あたしとしては後半部分に物申したかったが、交通費の援助は普通にありがたい。ここは黙って頷くことにした。

 

 

「うん、ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 

 踵を返した母の背中を見送って、あたしも玄関に爪先を向ける。

 

 さっきまで不安だったけど、母の一言でスイッチが入った。

 

 あたしがお母さんにあんなことを言われたのも全部兄の所為だ。

 

 埋め合わせは半端じゃ済まないと思ってもらいたい。

 

 

 何があったか知らないけどもこのツケはきっちり取り立てる。

 

 このあたしを半日もヤキモキさせたんだから当然だよね。

 

 あたしは夕方まで眠りこける兄のアパートに踏み込む光景を想像して、容赦なき制裁の第一歩を踏み出すのだった。

 

 

 

 

 

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