俺だってなりたくて女の子になったわけじゃないんだ! 〜天下無敵の女子中学生・葛葉ちはやの知られざる悲哀より〜   作:蘇芳ありさ

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第二話「やっぱり親不孝なんてするもんじゃないよ」そう思ったときには、俺の意識は誰かの意識と混ざり合うように変容して──。

 

 

 

 店内の喧騒がどこか空々しく聞こえる。

 

 俺こと葛葉ちはやのwikiには、彼女の両親がすでに他界しているとあった。

 

 それも彼女の晴れ舞台であるオリンピックの直前に、アメリカ国内で交通事故に巻き込まれたというのだ。

 

 

 ……だとしたら、この件は葛葉ちはやの知名度相応に騒がれたはずだ。

 

 少なくとも俺のことを「令和の柔ちゃん」と持て囃すマスコミが、この件をまったく報道しないとは思えない。

 

 そう思った俺はただちに検索してみたが、その結果はいっそ見事なほど偏っていた。

 

 

 なるほど。確かにこの件を取り扱うニュースサイトはごまんと表示された。

 

 ただしそれは、今や紛れもない国民的アイドルである葛葉のちはやを襲った悲劇を報じるものばかりだ。

 

 

 オリンピック直前の大事な時期に、両親の訃報に直面して涙ぐむ国民的アイドル。

 

 決意も新たに、両親の墓前に金メダルを持ち帰ると誓う令和のヒロイン。

 

 そうした美談として取り扱うニュースは呆れるほど多いが、事故そのものには驚くほど触れていないのである。

 

 

 そこで検索のワードから「葛葉ちはや」を除外して、彼女の両親である「エドウィン=マークス」と「葛葉橙子」で順番に調べてみたが、結果は振るわず。

 

 彼らの情報は不自然なほどネット上に存在せず、俺は切実に頭を悩ませるのだった。

 

 

「……今の段階で考えられるケースは二つに絞られるね」

 

 

 そう。一つはそれが当たり前という説。

 

 娘は盛大にやらかしたから世間に知られているが、彼ら自身はあくまで一般人。

 

 加熱する報道により両親の経歴が多少明らかになった程度で、彼ら自身はマスコミの取材に応じていなかったと考えると、この異様なまでの情報の少なさも納得できないわけではない。

 

 

 もう一つは彼らが実際には存在しない人物である場合──つまり「葛葉ちはや」という俺の転生先をこの時代に捩じ込むにあたって、過去を捏造する過程で生まれただけの「戸籍上の人物」であるという説だ。

 

 どちらも大いにあり得るが、俺としてはこちらの説を推したい。そうしたほうが俺の心理的負担が軽くなるからだ。

 

 

「……いや、まさかね」

 

 

 そう。俺も本気で疑ってるわけじゃない。

 

 俺の転生に関わってる連中が何も知らない夫婦を巻き込み、用済みになった途端に始末したなどという暴挙は──。

 

 

「まあ、これはないよね。そんな人たちだったら、あなたの両親に打ち明けるのも、ネットに書くのもご自由になんて言うわけないもの」

 

 

 不意に漏らした独り言がどこか空々しく聞こえるが、言ってることは割と正論である。

 

 どちらにしろこの件は、俺に「葛葉ちはや」の記憶が備わるまでどうにもならない。

 

 少なくとも残り少ないコーラを啜りながらネットを検索したところで、出てくるのは俺の黒歴史ばかりだ。

 

 俺は不毛きわまるエゴサを中断して立ち上がり、ゴミを片してから結構な時間を過ごした店内を後にした。

 

 

 そのタイミングで猫の鳴き声を耳にして周囲を見まわす。

 

 港区にも野良猫が居るのかと驚いたのだが、なんてことない。隣の猫カフェから聞こえてきたものだったのか。

 

 最近とみに縁があることだし、いつか時間があるときに行ってみるか──俺はそんなふうに思いながら足を進めた。

 

 

 目指すは環状3号線沿いにあるという「葛葉ちはや」の住居。

 

 学生証にとある分譲マンションの七階と書いてあったが、これがとんでもなかった。

 

 

「……ホントにここ?」

 

 

 何度もスマホの地図アプリを確認したのには理由がある。

 

 一見すると、やたら重厚な何かしらの施設。全面ガラス張りのそのビルの外観は、周囲にある模範的なマンションとは似ても似つかずかけ離れ、パッと見たかんじでも厳重な警備が敷かれ、誰も近づこうとしないほどだ。

 

 さすがに何かの間違いだろうと学生証を開いて確認するが、そちらに記されている住所は地図アプリに入力したものと完全に合致しており、俺のスマホはここが自宅だと頑なに主張してくるのだ。

 

 

 ……ならば仕方ない。

 

 根っからの庶民である俺として億劫だが、そろそろ覚悟を決めて入館しよう。

 

 

「うわ──」

 

 

 すると内部は清涼感のある庭園を内包したエントランスだった。

 

 他には何もない。雑多な店舗を廃した静謐な空間には、ガラスの向こうに閉じ込められた噴水を彩る緑豊かな中庭があるだけだ。

 

 

 例外は、入ってすぐの所にある受付とコンシェルジュのみ。

 

 彼女らは俺の姿を認めると優雅な微笑をひときわ深いものとして、恭しく一礼してくるのであった。

 

 

「お帰りなさいませ、ちはや様。ご自宅のある7階へお戻りになられますか?」

 

「あっ、はい」

 

「畏まりました。専用エレベータはこちらで操作いたします。キーカードはお持ちですか?」

 

「キーカード?」

 

 

 聞き返したことに赤面して鞄を開くと、それっぽい代物は割と簡単に見つかった。

 

 真っ黒なクレジットカードばかり刺さっているお財布の中に、真珠色としか形容できない金縁のカードがあったからだ。

 

 俺がやたら高そうなカードを取り出してしげしげと眺めると、コンシェルジュのお姉さんはクスリと笑みをこぼした。

 

 

「結構です。備え付けの読み取り機にそちらのカードを通していただければ、専用エレベーターの使用や玄関の解錠は問題なく行えます。……他にも何かお役に立てることはございますか?」

 

「い、いえ、大丈夫だと思います……」

 

「左様でございますか。ちなみに、ちはや様の専用エレベータはあちらになります。ご帰国まもなくお疲れでしょうから、ご自宅に戻られたらゆっくりお休みください」

 

「はっ、はい! ありがとうございます!!」

 

 

 コンシェルジュのお姉さんに元気よく応じながらも、俺は心の中で自分のことを罵っていた。

 

 このビルみたいなマンションに前から住んでるってことになってるのに、今さらコンシェルジュのお姉さんに何てことを聞いてんの?

 

 自宅の鍵っぽい物ぐらい事前に探しておけ、っていうごく真っ当な自己嫌悪が生み出した罵倒である。

 

 

 でも、まあ、たしかに醜態のかぎりを晒した気もするけど、それで俺の中身が丸ごと入れ替わってると想像したりもしないだろうから、別に構わないか。

 

 俺はやたら熱くなった自分の顔をペチペチ叩きながら、案内された専用エレベーターの到着を待った。

 

 

 しかし、専用エレベーターか。お姉さんの口ぶりだと、居住者専用エレベーターって感じでもないんだよなぁ。

 

 どっちかっていうと、このエレベーターは俺専用って口ぶりだったけど、それだとこれから向かう7階は丸ごと俺の家ってことになっちまうから、さすがに違うだろ。

 

 渇いた笑いを漏らした俺はチンッと到着したエレベーターに乗り込み、行き先のボタンがないことに嫌な予感を炸裂させて──ほどなく到着した7階でその直感が正しかったことに目眩を覚えるのだった。

 

 

 ……うん、さすがに玄関はある。

 

 でも他の部屋の住人が利用するための廊下がないから、これが意味するところは二つしかないのよ。

 

 つまりは各号室ごとに専用のエレベーターがあるか、さもなければこの階には俺の部屋しかないかのどちらかになるが、この頃になると俺はどっちでも大して変わらんと思うようになっていた。

 

 

 まったく、俺の外見や身体能力もそうだが、これのどこが「そこそこの資産」なんだか。

 

 サービスのつもりなら明らかに過剰であるし、俺としてはそのリソースをもっと他のところへ注ぎ込むべきだと呆れるしかなかった。

 

 

 いや、本当にね……指定された住居にたどり着くだけでもえらい苦労させられたが、どうせまだ終わってないんだろうなと警戒しながら玄関のドアを解錠する。

 

 すると、今度はプシューと開いた扉の向こうに猫がいた。

 

 四肢がやや短めでどっしりとした印象のある茶色とグレーの猫であった。

 

 

「お帰りなさいませ、お嬢さま」

 

 

 ついでにメイドさんも居た。

 

 一目で北欧系と判るやたらと色素が薄いメイドさんである。

 

 うん、これは完全に想定外。

 

 

「なんですかその顔は。……まさか私の名前を思い出せないとでも?」

 

「そ、そんなことないよ!?」

 

 

 ……これはあかん。完全に不審者を見るような目をしてらっしゃる。

 

 

「でしたら私の名前をフルネームで答えてみなさい。さあ、3秒以内に答えるのです」

 

 

 詰んだ!

 

 記憶がないからどんなに時間をかけても無理なのに、3秒以内なんて──思わず天を仰ぎそうになった俺に天啓が舞い降りた。

 

 やたらキラキラとした記憶が脳内を駆け巡る。

 

 文字通り存在しない記憶に目覚めた俺は、こちらを鋭く見据えるメイドさんの名前を口にするのだった。

 

 

「ええと、本名はアレクサンドラ・タカマキ。それと日本での通名は高牧沙耶だけど、親しみを込めて愛称のサーニャで呼ばないと、その日はまったく仕事をしてくれない気難しいメイドさんだよね?」

 

「ん。後半の誹謗中傷を断罪したいところですが、サーニャの響きがとても綺麗だったので今回は特別に見逃して差し上げます。感謝するように」

 

「アッハイ」

 

「それではあらためてお帰りなさいませ、ちはや。帰国してまだ間もないですが、気晴らしの外泊は楽しかったですか?」

 

「うん、まあ、それなりに……」

 

 

 靴を脱ぎ、スリッパに履き替えると愛猫のパムとポムが足元に鼻先を擦り付けてきた。

 

 随分と久しぶりだから甘えに来たのだろうと、二匹まとめて抱っこして大理石の廊下を進む。

 

 640平米。サウナ付き大浴場。フィットネスジム。屋内プール付き。12LDKの高級マンションに相応しい名画や彫刻が飾られた廊下であった。

 

 独りで過ごせばたちまち持て余してしまうだろうから、そうならなかったことに感謝したい。

 

 

「ところで朝は食べましたか? お昼は? 昨夜の入浴は? 昨今は風呂キャンセル界隈なる嘆かわしいモノも存在しますが、貴女の身分でそのような怠惰はけして許されませんよ?」

 

「帰ってくるなりうるさいなぁ……朝は食べなかったけど、お昼はハンバーガーをガッツリ食べたし、お風呂だってたぶん毎日ちゃんと入ってるから」

 

「多分とは何ですか、多分とは──よろしい。貴女がそのつもりなら、私もメイドとして相応の覚悟を固めるしかなさそうですね」

 

「言っとくけど、下ネタは厳禁だからね」

 

 

 口がさないメイドを適度にいなし、ゴロゴロと喉を鳴らす猫を撫でながら奥を目指す。

 

 リビングと隣接した22畳の和室──そこのお仏壇に葛葉ちはや(わたし)のご両親が眠っているからだ。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 ……こっそり忍び込んだアパートに兄は居なかった。

 

 脱ぎっぱなしの服が散乱してる寝室にも、物置と化してる和室にも、なぜかお財布とスマホの他に通帳と印鑑を出しっぱにしてるリビングにも、兄の冴えない姿は見当たらなかった。

 

 念のためトイレとバスルームをノックしてみたが、やはり不在なものは不在。

 

 あろうことか、兄のアパートはもぬけの殻となっていたのだ。

 

 

「……まぁいいや。手ぶらで出かけたんならジョギング中かな? 飽きたらそのうち帰ってくるでしょ」

 

 

 うん、きっとそうだ。あの兄がこのあたしを残して失踪するなんてあり得ない。朝から連絡がつかないことを考えるとかなり長いジョギングだが、健康的でいいことではないか。

 

 

「よく考えたらお兄ちゃんの腹筋ってバッキバキに割れてるし、胸板もけっこう厚みがあるから、もしかしたらこうして見えないところで鍛えてるのかもしれないね」

 

 

 なるへそ。さすがあたし。謎はすべて解けたと自画自賛する。

 

 

 さて、そうなるとあたしの仕事は一つしかない。

 

 出来た妹としてこの散らかし放題の部屋をピッカピカにお掃除するのだ。

 

 

 自分の部屋をしっかり管理する余裕のない兄が帰宅すると、そこに見違えるほど綺麗になった室内にこのあたしが待ち構えてるわけだ。

 

 これは当然、このあたしに感謝する流れになるよね?

 

 

 そして妹への感謝は形にしなければ気が済まない兄のことだ。

 

 きっと今夜は贅沢をしようって奮発して焼肉になるわけよ。

 

 そうなると一緒のお買い物とか、楽しいイベントが目白押しになって、食後に洗い物をしてるときに今日は泊まっていくのかって聞かれるんだろうな。

 

 そのときになんて答えよう──即答するのは勿論ナシだ。思いっきり焦らして、焦らし切って、諦めかけたその時に仕方ないなってオッケーしてやるのだ。

 

 

「うん、悪くない。悪くないよね、あたし」

 

 

 そうと決まったらlet'sお掃除。あまり使ってなさそうな掃除機をフル回転だ。

 

 ついでに散らばってる服を残らず回収して洗濯機に放り込み、洗い上がったらベランダに干しておく。

 

 ちょっと遅めの時間帯だけど、真夏の太陽なら2時間とかからずカラッカラに乾燥させてくれるでしょ。

 

 

 そうしてゴミも片し、水回り以外のお掃除がだいたい終わった頃だった。

 

 玄関を掃除してるときに、お兄ちゃんの靴の合間にこの部屋の鍵が落ちているのを発見したのである。

 

 

「……これってスペアの鍵だよね? そうじゃなきゃ鍵をかけて外に出られないし」

 

 

 お財布とかも出しっぱなしだったし、予備の鍵を落としたことにも気が付かないなんて、まったく何をやっんだか……。

 

 仕方ない。どっちもこのあたしがお兄ちゃんの部屋に戻してやろうと、もう一度寝室に踏み込んで机の上に置いたときに違和感を覚えた。

 

 

 ……なんだろう。この部屋には何かが足りない。在るべきはずの物が無い。

 

 あたしは違和感の正体を特定しようと脳をフル回転させて、すぐに何が欠けているのかに思い至った。

 

 

「そっか、そっか。お兄ちゃんってばそんなに大事なんだ……」

 

 

 思わずニンマリしてしまう。

 

 兄が大好きだというとあるVTuberの限定グッズ。

 

 あの兄が買い逃し、このあたしがしっかり押さえてプレゼントしてあげたそのグッズがこの部屋にないなら、何処にあるかは一目瞭然。

 

 兄は今もあのグッズをあたしだと思って大事に持ち歩いてるわけだ。

 

 

 いや、愉快痛快とはまさにこのコトだね。

 

 帰ってきたら存分にからかってやろうと残りのお掃除に熱中する。

 

 

 そうして夕方になり、洗濯物を取り込む頃合いになったが兄の帰ってくる気配はなかった。

 

 

「……そんなわけない。そのうちきっと帰ってくるわよ」

 

 

 あたしはお風呂の掃除をしながら、時間ばかり気にするようになった。

 

 もうお母さんが夕食の準備をする時間帯だ。

 

 泊まるつもりでいるから、そろそろ連絡しないと……。

 

 

 そんなこんなで、時刻は6時になろうとしていた。

 

 

「…………ご飯を炊いてるから、冷めないうちに帰ってきなさいよね」

 

 

 それでも兄さんは帰ってこなかった。

 

 夜も更けて、リビングのソファーで居眠りして、翌朝になっても帰ってこなかった。

 

 

「……………………まさか永久に帰ってこないなんて言わないでよ」

 

 

 もはやあたしの中には不安しかない。

 

 それでも必死に怒りをかき集めて気持ちを奮い立たせる。

 

 

 そんな意地っ張りな心がポッキリ折れたのは、母があたしを迎えにきたときだった。

 

 

 

 

 

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