俺だってなりたくて女の子になったわけじゃないんだ! 〜天下無敵の女子中学生・葛葉ちはやの知られざる悲哀より〜   作:蘇芳ありさ

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第三話「恥ずかしよね? だって女の子になっちゃったんだもん」って脳内悪魔が脳内天使と結託して辱めてくるんだが、俺がいい歳こいたオッサンだって忘れるなよ?

 

 

 

 ペタペタと、頬の辺りに何かが押し付けられる感触があった。

 

 目を覚ますと、視界には見慣れた天井とこちらを覗き込む二匹の猫と、顔の上に置かれたままの前肢。

 

 どうやら愛猫のパムさんとポムさんが俺を起こしに来てくれたようだ。

 

 

「二人ともおはよー。昨日はよく眠れた?」

 

「んにゃあ」

 

 

 挨拶がてら鼻先を擦り付けてくる飼い猫を存分に撫でまわし、ゆっくりと起床する。

 

 昨日は色々あったが、肉体的な疲労はまるで残っていない。

 

 

 さすがは某GODZILLA御用達のマットレスと言うべきか。

 

 この小さな怪獣みたいな女の子にも快適な睡眠を提供してくれるとは……。

 

 

「さて、そろそろ行こっか」

 

「にゃあ」

 

 

 天蓋こそついていないものの、それ以外は最上級のベッドから脱け出して廊下に出る。

 

 テクテクとマイペースに追いかけてくる猫たちが完全に通過したのを見届けてから、これまたゆっくりとドアを閉める。

 

 

 何事も慎重に。自分が某一撃男と足を止めて殴り合える怪物だと忘れずに。

 

 抜き足、差し足を意識して、か弱い小動物を蹴っ飛ばさないようにトイレへと向かう。

 

 

 ……さすがにやり過ぎか?

 

 少しばかり神経質だと思わないでもないけど、油断は禁物である。

 

 

 なんせ、二度もやらかしたばかりだ。

 

 廊下を出てすぐのところにあるゴージャスな洗面所に足を踏み入れた俺は、あらためてその事実を突き付けられる。

 

 

「おはようございます、お嬢さま」

 

 

 ドアのないトイレの前で、昨日のメイドさんとは別のメイドさんが挨拶してくる。

 

 

「うん、おはよう……」

 

「こちらのトイレはお嬢さまもご存知のように、現在ご利用できません。本来は男性用ですが、隣のトイレをお使いください」

 

「うん、ごめんね。うっかりドアを引っこ抜いたりして……」

 

「謝罪は結構でございますが、お嬢さまにおかれましては、どうかくれぐれも全力を発揮なされぬよう、スタッフ一同切に願います」

 

「……うん。くれぐれも気をつけるね」

 

 

 なんというか、割とよくある事のように、淡々と注意してくるメイドさんの言葉が逆に刺さる。

 

 ……そうなのである。俺はうっかり手をついたコンクリートの壁面に握撃をかましたのに続いて、帰宅直後にトイレのドアを引っこ抜くという珍事を発生させてしまったである。

 

 

 一応言い訳しておくと、俺もこの肉体の意味不明なパワーをまったく制御できないわけではない。

 

 事実、一度目のやらかしに反省した俺は、その帰路において誰にも迷惑を掛けなかったし、繊細な対処が求められる飼い猫たちもこの通り五体満足なのだから、そこは安心してほしい。

 

 ただ、ついうっかり、他のことに気を取られていると、やらかすコトがままあるだけだ。

 

 

 隣のトイレで用を足した俺は大いに反省する一方で、相も変わらず居た堪れない気分を満喫する。

 

 自分の身体である。用を足したところで誰かの迷惑になるわけではないが、そうすんなり割り切ることのできない理由が俺にはあった。

 

 

 俺には二つの記憶がある。

 

 一つは物心がついてから一貫している“俺“の記憶。俺を“俺”たらしめる人格の基礎となる記憶だ。

 

 だが、今の俺はもう一つの記憶も参照できる。

 

 帰宅直後から断片的に思い出せるようになったもう一人の俺──“葛葉ちはや”の記憶である。

 

 それも上書きでもなく、混入でもなく、併存する形で。

 

 ……これが、なかなかに厄介なのだ。

 

 

 今の俺は自分のことを“葛葉ちはや”と認識している。

 

 性自認も女だ。間違っても男子トイレに突撃したりはしない。

 

 だが、そこまで自分が女の子になったことを受け入れているのに、俺の中身は“俺”のまま。

 

 

 男の感性。オタク趣味。そして野郎ではなく女の子を異性として意識するある種の煩悩。

 

 …………それらがすべて残されてるもんだから、俺はトイレのたびに何かイケナイことをしている気分になり、風呂や着替えも極限の薄目がデフォルトの体質になってしまった。

 

 

 俺には、妹と同年代の女の子の身体を勝手に見ることなんてできない──そう決意も新たにすると、「もう自分の身体なんだから見てもいいのに」という声がした。俺の脳内天使である《ちはやさん》のお声である。

 

 

「そうだよね。ホントは好きなくせに痩せ我慢するだから、お兄ちゃんってば」

 

 

 そこに俺の脳内悪魔である《マイシスター》が嬉しそうに乗ってくる。これには呆れ顔のちはやさんも興味津々だ。

 

 

「やっぱり好きなんだ。男の人って女の子の胸とか腰ばかり見てくるよね」

 

「うん。本人は気付かれないと思ってるんだろうけど、あんなに見られたら嫌でも気がつきますよぉ〜〜っだ」

 

「うーん、実の妹でもエッチな目でみてくるのかぁ……さすがにキモいね」

 

「でしょでしょ? ホントに最低。ちはやさんも気をつけな。油断したらなにをされるかわからないよ?」

 

 

 こらこら、俺はそんなコトをしてないし、二人ともまだ13歳なんでしょ。そういう会話もまだ早いとお兄さんは思いますよ?

 

 

「なるほど。これはキモいし、それ以上にウザいね」

 

「ね。それに誰がお兄さんよ、図々しい。もう二十代も後半に差し掛かったんだから、お兄ちゃんなんてただのオッサンだよ」

 

「うん。その感覚はわかる」

 

 

 こら、そこっ! 天使と悪魔なのに結託するな!!

 

 それに誰がオッサンじゃい。俺は会社で若造扱い──って、いかんいかん。

 

 これ以上トイレで悶々としていたら不審者を通り越して変質者になってしまう。

 

 

 もう出よう、と脳内ガールとの会話を打ち切って後始末をする。

 

 ちなみに女の子になって初めてのお通じは極めて快適でありました。

 

 

 なんか俺のなかの少女たちがもう一度「キモい」とハモった気もするが、無視して外に出て、王侯貴族が使うような洗面所で手を洗うと、隅っこからこっちを見ているさっきと同じメイドさんが感心したように言ってきた。

 

 

「きちんと手をお洗いになるとは、お嬢さまも成長なさっておられるのですね」

 

「いや、手ぐらい普通に洗うから」

 

「冗談よ。帰国してから腑抜けているみたいだったから、ちょっと強めにおちょくっただけ。メイド長には内緒にしてね」

 

 

 ……昨日も思ったけど、このメイドさんもイイ性格をしているよな。

 

 一応は雇用関係にあるわけだが、母親の代わりに俺を育ててきたからか色んな意味で遠慮がない。

 

 

「ハイハイ。エミリアもサーニャに睨まれないようにね」

 

「了解。……それじゃあ、次は朝ごはんね。部屋に戻って着替えたらリビングまでよろしくね」

 

「……別にこのまんまでも構わないと思うけど、どうしても着替えなきゃダメ?」

 

「メイド長に報告する?」

 

「ごめん。さっさと着替えてくる」

 

「オッケー。いま着てるのは全部こっちにお願いね」

 

 

 って、下着も替えにゃならんのかい。

 

 ちなみに今の格好は割と普通の部屋着だから、俺としてはこのままでも十分だと思うんだが、昨日のメイドさんが嫌がるなら仕方ない。

 

 さっきの寝室に繋がってる衣装室に向かい、適当な夏服を物色する。

 

 

 メイドさんたちの趣味か、全体的にヒラヒラとしたフリル付きのものが多い。

 

 俺はその中から、最も無難と思われる袖なしのブラウスとホットパンツを選択。

 

 下着はどうせ見えないんだし、適当に引っ張り出したものでいいかとマッパになる。

 

 

 ……無論、頭部は一定角度から下にさげない。

 

 実のところ風呂場の鏡に映ったのをもう見てるんだから、俺の天使と悪魔の言うようにそこまで神経質にならなくてもいいと思うのだが、やはり故意に見るのは違いだろうと頑なに頭部の角度を維持する。

 

 そうして苦節数分──俺は洗濯物をまとめてエミリアに手渡し、廊下でゴロゴロしているパムさんとポムさんを引き連れてリビングに向かった。

 

 

 カチャリとドアを開けると、全面ガラス張りの外壁から差し込む朝日が部屋の中を照らしていた。

 

 真夏の強烈な日差しは透過率を減衰させた特殊な鏡で和らげられ、クーラーではなく空調によって適温に保たれた室内を快適に照らしている。

 

 なんとまあ、広さといい設備といい、とんでもない豪邸だよ。

 

 こればかりは既に知っていても上流階級の暮らしぶりに感心させられるね。

 

 

「これはこれは。定刻通りに起床したにしては随分と遅い到着ですね」

 

 

 そしてこの家を取り仕切るメイド長──昨日のメイドさんこと母親の友人でもあるアレクサンドラ・タカマキ女史は、今日も今日とてもお気に入りのおもちゃを見つけたような目でねっとりと絡んできた。

 

 

「ごめんごめん。昨日うっかりドアを引っこ抜いたトイレの前で反省してたら、時間が掛かっちゃってさ。……おはよう、サーニャ。今日も元気そうで嬉しいよ」

 

「ん。そういうコトなら叱言は勘弁しますか。……おはようございます、ちはや。昨日はアレでしたが今日は調子が戻ったようで、私としても嬉しく思いますよ」

 

 

 そんな女傑と対等にやりあえるとは、さすがは天下無敵の女子中学生か──俺は当事者でありながら感心させられてしまうのであった。

 

 

「さて、それでは朝の挨拶も終わったのでお席へどうぞ。すぐに朝食をお持ちしますよ」

 

「メニューは?」

 

 

 俺が訊ねると、足元の猫たちも自己主張を始めた。

 

 

「今朝は洋食ですね。本場のアイリッシュシチューと、仔牛のミニステーキ。シーザーサラダと自家製酵母の白パンになります。勿論、貴方にもご馳走を用意しありますよ」

 

 

 そんなやりとりが聞こえたのだろうか。下手なレストランよりずっと広いキッチンから、数人のメイドさんが俺たちの食事を運んできた。

 

 それを横目に、俺は目の前のサーニャに両手を合わせて懇願した。

 

 

「ごめん。ご飯の前にちょっといい?」

 

「はい。どうぞあちらへ」

 

 

 やはり彼女は俺たちの考えなどお見通しなのか、すんなりと道を譲って通してくれた。

 

 俺は無駄に広いリビングを横断して、奥の和室へと足を踏み入れた。

 

 

 ……こちらも広い。和を意識した調度品がセンス良く飾れられた和室にある仏壇。

 

 俺はその前で立ち止まり、焼香と黙祷を済ませてから口を開いた。

 

 

「おはよう母さん。それにお父さんも。あまり会えなかったけど天国でも仲良くやってるかな」

 

 

 答えはない。実在した葛葉ちはやの両親に、俺は哀悼の意を示してからリビングへと戻った。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 ところ変わって、舞台は同じ港区。昨日の昼過ぎに葛葉ちはやも利用した某ハンバーガーショップ。

 

 そこでは4人の個性的な少年少女が声を潜めて話し合っていた。

 

 

「……で、ちー(・・)の奴どうしてると思う? あたしはいつも通りだと思うんだけど?」

 

 

 快活そうなおかっぱの少女に、大学でラグビーでもやってそうな体格の少年が眼鏡の位置を直しながら答える。

 

 

「閉会式はまだですが、もう帰国してるんでしたっけ? 確か体調が優れないという理由で……だとしたら、もう少しだけそっとしておいた方がいいと思いますが」

 

「そんなのただの口実でしょ? どうせ空港でマスコミや一般人に囲まれるのが嫌だから先に帰ってきたんだよ。完全にいつもの調子に決まってるじゃん」

 

 

 なかなか年齢通りには見てもらえなさそうな少年が困ったような表情で、綺麗に整えた七三分けを撫でながら渦中の人物を擁護する意見を口にするも、おかっぱの少女は呆れたように否定してみせる。

 

 

「い〜い、ミッチー。相手はあのちー(・・)だよ、ちー(・・)。訃報の翌日にケロッとした顔で登校してきて、マサさんにしばらく休んでいいんだぞって言われたら心底不思議そうに首をひねってたあのちー(・・)だよ。ご両親のことは残念だったけど、あの子がいつまでも引きずってるわけないじゃん」

 

「私も同意するわ。あの子は細かいことを気にしないのもあるけど、スッパリと割り切れる性格だもの。ないと思うけど、あまり引きずってるようならそろそろ喝を入れてやってもいいんじゃないかしら。……だって友人なんだしね」

 

 

 どうやらこの子たちは何かしらの不幸に見舞われた友人を見舞おうとしているようだ。

 

 それに待ったを掛けることになった大柄な少年が苦しそうに隣を見る。

 

 

「だからって、急にご自宅まで押しかけるのも……新海くんはどう思います?」

 

「俺に聞くなよ……。ちー(・・)だろ? どうせ堀川の言うようにケロッとしてるに決まってる。下手に気を使っても恥を掻くのはこっちだぜ」

 

 

 見るからに内気そうな少年が意外や意外。女子の味方をしたことで話し合いは決着したようだ。

 

 

「わかりました、確かに頃合いでしょう。……ですがいきなり押しかけるのはダメですからね? ここはいつもお世話になっているメイドさんを通して、ちはやさんの都合を確認してからにしましょう」

 

「『げっ』」

 

 

 その意見に複数人が悲鳴を漏らした。

 

 どうやら渦中の人物に仕えるメイドたちは、この少年少女たちにかなり恐れられているようだ。

 

 内気そうな少年が内心の不満を口にする。

 

 

「そこまで気を回してどうすんだよ。俺らを振り回してるのはアイツだろ? いきなりVTuberになりたいとか言い出して、会社まで作ったりさぁ……」

 

 

 内気そうな少年が愚痴ると、女性陣が心底同感だと言わんばかりに首肯する。

 

 まぁ彼らの言い分ももっともだが、こればかりは分けて考えないといけない。そう思った大柄な少年はこう言って反撃に転じた。

 

 

「……その旨もお伝えしましょうか?」

 

「やめろ! あの悪魔に俺を売るんじゃない!!」

 

「わかりました、内緒にします。その代わりアポイントメントはしっかり取る。よろしいですね?」

 

「好きにしろよ……」

 

 

 グッタリと項垂れる内気そうな少年──彼はどこからも援護を受けられなかった。同じ陣営に属するはずの少女たちは何の躊躇いもなく不幸な仲間を見捨てたのだ。

 

 そんな仲間達を横目に、日本人離れした体格の少年はスマホを操作し、膨大な連絡先のなかから目当ての人物を呼び出すのであった。

 

 

「あ、いつもお世話になっております。VTuber研究会の円谷(つむら)と申しますが」

 

 

 出待ちしていたとしか思えない速度で通話に応じた相手に対して、大柄な少年がしきりに頭をさげる。他の仲間たちもほとんど同じタイミングで人差し指を唇に当てて、じっと推移を見守る。

 

 そのどこか恐縮したような佇まいは交渉結果を気にしているのではない。純粋に通話相手の機嫌を損ねることを恐れているようだった──。

 

 

「はい、はい、わかりました。ちはやさんによろしくお伝えください」

 

 

 時間にすると、おそらくは1分も経過していない。そんな短時間の会話だったのに、スマホを戻した少年はたっぷりと汗を掻かされた。漏れ出した大きな息は、きっと安堵によるものだろう。それを見守る三人もほぼ同時に息を吐くのだった。

 

 

「今はメイドさんたちが忙しくしているみたいですが、9時からなら構わないそうです。途中で献花を用意してからちはやさんのご自宅に向かうとしましょう」

 

 

 こうして彼らは、今や国民的アイドルとなった同級生の自宅を訪ねることになった。

 

 日本中が熱狂する少女の上辺だけではなく、その本性をよく知る立場の友人たちの訪問であった。

 

 

 

 

 

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