俺だってなりたくて女の子になったわけじゃないんだ! 〜天下無敵の女子中学生・葛葉ちはやの知られざる悲哀より〜 作:蘇芳ありさ
東京都港区の麻布になんの変哲もない学校がある。
正式名称は、たしか「私立高華院大学附属中高一貫校・高華院中等部麻布学園」だったと思うが、覚える必要はこれっぽっちもないので、俺たち在校生は高華院中学と略している。
やたらと長い上に、堅苦しいほど格式ぶった校名だが、別にどこかの漫画みたいに国の中枢を担うエリートの教育を目的として設立されたわけでも、既存の常識では推し量れない天才がひしめき合っているわけでもない。
ただ立地から周辺の富裕層に人気があり、生活や進学に苦労したことのない裕福な子どもたちが何とはなしに通っている、そんなありふれた私立中学校のひとつにすぎない。少なくとも、俺が入学した当時はそうだった。
それが最近になって世間様の熱い注目を浴びるようになったのは、とある女生徒が現在進行形でやらかしているからだ。
……無論、あいつのことはよく知っている。何しろ同じクラスだし、席も隣だ。
ついでに言うと、幼馴染の堀川あかねが迂闊にも親友認定されたらしく、俺まであいつが何かするたびに巻き込まれる始末だ。
容姿端麗、頭脳明晰、文武両道。
昨年は一年生ながら女子柔道部のエースとして個人・団体、ともに理不尽なまでの強さで勝ち抜き、部を優勝に導いている。
そして、そのときの無双っぷりに目が眩んだ馬鹿な大人たちが
……だからみんな困っている。同じ部屋でテレビを見ている姉貴も、幼馴染も、俺の親友も、テレビの向こうにいる解説と実況のオッサンも、みんな、みんな、困っている。
『えー、まもなくオリンピック男子柔道・無差別級の決勝が始まりますが、あらためて古舘さん……葛葉選手は13歳の女子中学生ですよね?』
『……はい。僕もそう聞いています』
『それが男子の枠で、全体重別に出場して、ここまで相手選手が可哀想になるほどの活躍をしてきたわけですが、そもそもの話、男子の大会に女子が出場していいものなのでしょうか……?』
『……葛葉選手のように活躍できるかどうかはともかく、出場自体は問題ないと思いますよ。
たとえば柔道もそうですが、スポーツの世界は男女の格差が問題となるまで男女混合が一般的でしたし、現在でも男子の身体能力が決定打とならない種目ならば、男女の区別なく出場できるものもありますからね。
男子が女子スポーツの大会に出場することは厳しく制限されていますが、その逆を禁止する規定は……おそらく、IOCも想定してなかったんじゃないかと、僕は思いますね』
『なるほど……現に葛葉選手が男子の金メダルを総嘗めにしていますし、柔よく剛を制すると言いますから、何も不思議ではないと……』
うん、苦しい苦しい。こいつらも仕事だから何とか盛り上げようと必死なんだろうが、これまで男子柔道はあまりに一方的な出来レースだったからな。この試合も喜んでるのはネットの住人と、アイツを引っ張り出したお偉さんたちくらいのものだ。
俺もあいつのことを悪く言いたくないが、どんな贔屓目で見ても天然のトラブルメーカーであることは否定できない。見た目と成績に騙された大人たちはこぞって反省してほしい。
「あかねさん。解説の方はこう仰っていますが、ちはやさんの親友としてどう思いますか?」
「……穴があったら入りたい。もう恥ずかしい。あんな試合を見せられてどの面下げて祝福しろってのよ」
親友と幼馴染の会話に俺も頭を抱えたくなる。
そりゃそうだ。俺もうちの男子生徒の例に漏れず、葛葉ちはやに憧れている時期があった。
高華院の生徒曰く、無敵すぎる学園のアイドル。マスコミ曰く、絶世の美少女柔道家。そんな評価を疑問に思わない時期が俺たちにもあったのだ。
誤解のないように言っておくが、あいつがケチの付けようのない見た目をしているのは本当だし、性格だって決して悪くない。最後には自分のしたいようにしかしない典型的な自由人だが、一応、無関係の第三者に被害が行かないように考慮しているらしく、表立って悪い評判を聞いたことは一度もない。
成績優秀、文武両道、大変結構と、先生方も若干一名を除いて賞賛を惜しまない。
……ならば何が問題なのか?
答えは非常にシンプル。あいつは生まれてくる世界を間違えた。これに尽きるな。
「始まったわね」
と、腹違いの姉貴がひどくつまらなさそうな口調で試合の開始を告げるが、その内容ときたらこれまでと何の変わりもありゃしない。
相手選手は2メートル超の巨体と、100キロ超の体重で、見た目だけは非力で小柄な女子を崩そうとするが、あいつ──
ありうべからざる光景と言うべきだろうか。身長147センチ、体重40キロの小娘が質量で2倍以上の巨漢に組みつかれながら、道着はおろか髪の毛一本乱しゃしない。
だが実のところ、アイツのやってることは、本人に言わせるとひどく単純だ。まったく同じ力を正反対のベクトルに掛けてるだけ。
あらゆる変化を見逃さず、押されたら押し、引かれたら引き、運動エネルギーを相殺する……原理を知ったところで誰にも真似できないが、これがなかなか楽しいらしい。
……アイツの正体は某サイヤ人級の筋肉ゴリラだからな。あえて力を使わないという縛りプレイがツボにハマったんだろう。
そして自在に相殺できるってことは、いつでも倍加できるわけだ。テレビの向こうで
別名・空気投げ。アイツに使える唯一の投げ技がこれだ。
なんせ顧問のマサさんが背負い投げを仕込もうとしたら、桜の木が引っこ抜かれそうになったからな……危険すぎて他の技を教えられなかったのである。
ちなみにマサさんというのは柔道部の顧問で、見た目がとある昭和のプロレスラーに似ているからそう呼ばれていて、ちーっていうのはアイツのあだ名だ。
ちーちゃんとか、ちはやさんって呼ぶ物好きもいるが、アイツなんてただのちーで十分だぞ。
「……決まりましたが、主審の旗が上がりませんね」
「副審の旗は上がったけど、どうせまた物言いでしょ。ここまでくると難癖のレベルね」
「またぁ? 認めらんないのはわかるけど、もう被害者の選手を楽にしてやりなよ。いい加減可哀想じゃん」
それはそれとして、俺も親友の
権威ある国際大会の最高峰・オリンピックでこんなデタラメな試合を認めるわけにはいかないのだろうが、どうせ何回試合を差し止めても奇跡なんて起こらないんだから、文句は後でちーに直接言ってくれ。できるもんならな。
「ちはやさんもかなり苛立ってますね。こうなると相手選手が可哀想だ」
「……だね。ちーの奴、目立たないけど深呼吸の回数が増えてる。あれは怒りを沈めてるサインだよ」
「投げ技で一本を取らせてもらえないとなると、また寝技かしらね。可哀想に……」
……姉貴の言う通りだ。ちーの奴も自分が普通じゃないって自覚はあるので、毎回相手選手を怪我させないように苦労しているのである。
その結果が魔法のような隅落としのわけだが、主審が頑なに技として認めないとなると、アイツにはもう寝技しかないのだ。
ちーもそう思ったのか、今度は組み合った直後から動きがあった。今度は相手を背中から落とす隅落としが炸裂した。
もちろん主審は頑として認めなかったが、それはあいつも織り込み済み。副審も試合を止めなかったことを確認して、ただちに組み付いたちーは情け容赦のない袈裟固めに移行する。
相手選手の手足がシャカシャカ動く様は、まるで子供の指で押さえ込まれた虫のようだ。
10秒が経過し、20秒が経過しても主審の旗は上がらない。
だが、ここで憂慮すべき事態を見越したIOCのお偉いさんたちが重い腰をあげるに至って、ようやく観念したのか主審の旗が上がった。
これで男子柔道体重別の全試合が終了したことになるが、見てるこっちが居た堪れなくなるほど会場の拍手はまばらだ。
……そりゃ、そうなるだろう。
筋骨隆々の大男が、未成年の女子に組み伏せられるしょっぱい試合ばかり見せられたら、これのどこが柔道だって八百長を疑われ、世界中からクレームが来るのもやむなしだ。
そんなわけで中継もまったく盛り上がらない。ネットは不公正な審判に怒り心頭だし、俺たちも本人に会ったらなんて言おうかと今からお通夜の気分だ。
『……やりました。全日本柔道
無論、悪いのは規定通りのジャッジをしない審判であって、あいつは1ミリも悪くない。
本人もそう思っているのか、テレビのに映るアイツの顔も大変ブサイクな代物だった。
「あまり気が進みませんが、ちはやさんに祝福のLineでも送っておきますか」
「そうだね。あたしも帰国したら好物のテリヤキを奢ってやるから元気出せってLineしとくわ」
「まあ、あの
「……
そもそもあいつが閉会式まで我慢すると思ってるのが甘い、と、スマホアプリのグループチャットを開いて必死に押し留める。
待て、落ち着け、勝手に帰ってこようとするな、月じゃないんだからジャンプで国境を越えたら大問題だぞ。
そんな自作スタンプを連打すると、アイツの返事を待っていた道隆とあかねの顔色が変わった。スマホをチラ見した姉貴も焦ってベランダに振り返り、すぐに顔面蒼白になった。
あまり認めたくないが、どうやら最悪の予想が的中したようだ。
「着いたよ。開けてー。マック行こうよー」
俺の耳にもハッキリと聞こえる。
ベランダの窓ガラスをすこぶる控えめに叩く音と、だらしなく間延びするアイツの声が……こういうコトをするから俺たちが苦労するのだ。
「……ちはやさん。インタビューが終わってから2分も経ってませんよね?」
「知るかよ。どうせジャンプでもして来たんだろ。光と常識を置き去りにして」
180センチの長身を強張らせて立ち上がる道隆に、ゲッソリと吐き捨てる。
相対性理論の提唱者・アルベルト・アインシュタインは、光速に近づいた宇宙船内部の時間は遅くなると定義しそうだが、はたして光速を突破した人間の体内時計はどうなるのか。
ひとつ確かなことは、地上にいる限り太陽から降り注ぐ日差しから逃れられないように、俺たちもこいつの気まぐれからは逃れられない。
俺は葛葉ちはやの能天気なジャージ姿を横目で確認すると、嫌々ながら口を開いた。
「おかえり、ちー。でも、できればやらかす前にLineを確認して欲しかったがな」
「あれ、ゆー君からの通知が14件も? 今から確認していい?」
「……好きにしろや。こっちは人数分のマックを注文するのに忙しいんだよ」
「ええ、いつものマックで溜飲をさげてやりましょう。……頼んだわよ、悠二」
姉貴に急かされて立ち上がるも、俺としては過大な期待にため息が止まらない。
まったく、何の因果でド陰キャの俺がこのメンツと肩を並べて、アイツとツルんでるんだか……別に嫌じゃないが、人間の縁は分からないものである。
『──絵、上手いね。これってダンカレのマルシェでしょ? わたし好きなの。見せてもらっていい?』
永遠に色褪せない屈託のない笑顔。一番後ろの隅っこで目立たないように手持ちのAiPadを開き、絵を描いていた俺に何の躊躇もなく話しかけてきたのがアイツだ。
それが出会い。それ以来、俺は何かと付き纏われて迷惑してるってわけだ。
……まあ、別にアイツ個人は嫌いじゃないし、役得もあるからな。もう少しこの関係を続けていいと、その日は自宅でパーティをしてご機嫌なアイツをパリに送り返して終了となった。
次に会うのは、アイツも帰国後のテレビ出演やらパーティやらで忙しから、最低でもお盆明けかなと思っていたら、そういう大人の付き合いが嫌で仮病を使って帰ってきやがった。
…………そんなワケで俺たちはアイツの自宅に向かってる。ただのセレブはお呼びじゃないほど格式の高い方々が入居なさっているあのマンションに。
会ったらなんて言ってやろうか?
どうせ性懲りも無く抱きついてくるだろうから、第一声はやはり「自重しろこのバカ」かな。
俺──
◇◆◇
本日はなんと! 同じクラスのとっても仲の良い友人達が遊びにきてくれました!!
しかも綺麗なお花まで持参して、
これには口さがのないメイドたちも思わずニッコリ。わたしもなんて
しかも弔意そのものも本物だけど、お葬式やらオリンピックやらであんまり会えなかったわたしを心配してたっていうんだから、わたしの中のおじさんも号泣しちゃったよ。
なのでいつもの部屋にみんなを案内して、メイドたちの視線から逃れた瞬間に抱きついてしまいましたよ。
「あ〜ん! わたしもずっと会いたかったよ、あーちゃん!!」
「ホントにそう思ってるんだったら連絡ぐらい寄越せっての! あとそんなに引っ付くなって……!!」
わたしの顔を両手で押し返そうとするこの
本名は堀川あかね。わたしと同じ女子柔道部のメンバーで無二の親友だけど、みんなの前だから嫌がるフリをするおかっぱ頭の恥ずかしがり屋さんなのだ。
そんなわけでわたしの中のおじさんも「そろそろ解放して差し上げてもろて」って言ってることだし、程々のところで次の娘を紹介する。
「玲ちゃぁ〜ん」
「あー、ハイハイ」
あーちゃんと違って、すんなりハグさせてくれたこの子の名前は玲ちゃん。
本名は
この年齢でもう大学も出ていて、MITにも籍があるという、うちの学校にはよく居る天才の一人。
専攻は情報工学。なんかよく分からないけどすごい娘さんなのだ。
で、次は男子なんだけど……。
「ゆー君、ハイッ」
「ハイじゃねえよこの馬鹿。俺は絶対許可しないからな」
相変わらずゆー君ってば恥ずかしがってハグをさせてくれないのである。
まぁ男の子だし、他の子と違ってアメリカ暮らしの経験もないから仕方ないかもしれないけど、お姉さん悲しいなぁ……って、いけないいけない。きちんと紹介しよう。
この目も合わせてくれないほどシャイな男の子の名前はゆー君。
本名は
なんかお母さんが違うみたいだけど、同じ姓を使ってるのに同じクラスで誕生日が違うのは外聞が悪いって理由で、あえて偽名を使ってるみたい。この年齢で苦労してるんだね。
まぁみんなにハグを見られるのが嫌なら仕方ない。ゆー君にはあとでこっそりわたしを抱かせてあげるとして次に行こう。
「みっちゃんも久しぶり。元気してた?」
「はい、お久しぶりですちはやさん。ご好意には感謝しますが、僕もハグは結構ですよ。新海君に恨まれてしまいますからね」
「おい、俺をダシにするなよ道隆」
最後にやんわりとした笑顔でわたしのハグを全力拒否したこの子の名前はみっちゃん。
本名は
しかも世界最高のビジネススクールと言われるハーバード・ビジネス・スクール(HBS)だよ。
本人はそのままお父さんの会社を手伝うつもりでいたけど、お爺ちゃんに「このまま社会に出ても頭でっかちの大人になる。せめて成人するまでは子供らしい生活をしなさい」って言われてうちの中学に通ってるんだって。
みっちゃんなら今すぐ会社勤めしても子供とバレない見た目なのに、しっかりと猶予期間を設けてくれるなんていいお爺さんだよね。
と、みんな紹介はこんな感じだけど、今日来てくれたのはなんでなんだろ?
金メダルのお祝いはこの前してくれたから、久しぶりにゲームでもして遊ぶのかなって思ってたら、なんか違ったみたい……。
「ところでちはやさん。そろそろオリンピックの出場にまつわる諸々がひと段落ついたという認識で質問しますが……VTuber研究会の再開はいつ頃のお予定で?」
「……VTuber研究会?」
聞き慣れない単語に首をひねると、あーちゃんと玲ちゃんが同時にため息をついて、ゆー君が「ハンッ」と鼻を鳴らした。
「やっぱり忘れてやがったな、この鳥頭が……V研だよV研。お前が設立した会社だろうが」
「ああっ!!」
びっくりした。なんだ『ぶいけんっ』のことか。驚かせないでよ、まったく……。
「忘れてないよ。普段と違う呼び方をしたから分からなかったの。ちゃんとひらがなで『ぶいけんっ』って言ってもらわないと分かるわけないよ」
わたしの率直な意見にあーちゃんと玲ちゃんがまたもやため息をつき、ゆー君が珍しくこっちを見たと思ってたら心底軽蔑したような顔になってる。なんでだ?
「すみません、僕の配慮が足りませんでした。この通り謝罪いたします」
そしてみっちゃんは少しだけ疲れたような顔付きになって、ペコリと頭をさげたあとにこう続けてきた。
「とりあえず、みなさん席につきましょう。……ちはやさんもご存知のように、『ぶいけんっ』の活動はこのところ滞っていますからね。本日は再開の目処について話し合おうと思いまして」
言われてみれば最後に配信したのはゴールデンウィークの頃だから、かなり中断してるけど、再開するなら願ってもない展開である。
わたしはいつもの部屋で適当に腰をおろし、みっちゃんのさらなる提案を心待ちにするのであった──。