俺だってなりたくて女の子になったわけじゃないんだ! 〜天下無敵の女子中学生・葛葉ちはやの知られざる悲哀より〜 作:蘇芳ありさ
ビルの外壁に面した解放的なオフィス調の一室。
言われるままに腰を落ち着けてからも、俺のなかで荒ぶるちはやさんの興奮たるや留まるところをしらない。
その凄まじいまでの鼻息ときたら、不意の来客に発狂する飼い犬というよりかは、まるで野郎の煩悩がオンになったときのようだ。
大好きな友達がわざわざ会いにきてくれたにしても、ちょっと尋常じゃない。
……だが安心してほしい。
確かにいまの彼女は煩悩を持て余しているが、それは俺たちのものとイコールではない。
別にいやらしい意味で興奮してるわけじゃないのだ。
なら、なんでこんなに
理由は俺から説明するより、この集団のまとめ役である
俺も補足するからしっかり聞いてやってほしい。
「……と、いう訳でしてね。ええ、僕らのコトはいいんですよ。ちはやさんの個人的な野望であるVTuberの転身に協力したいって、結果として約束させられたのは間違いありませんから、本当にいいんですよ。
仮にちはやさんがそんな集まりがあったことを忘れかけていたとしても、長らく活動を放置していた事実があったとしてもですね。僕らに申し訳ないと反省していただく必要はありません」
おおう。口調こそ丁寧だけど、これは相当ピキってますな。
……しかしさすがは天下無敵の女子中学生。かなりの
「まぁね。休業中もしっかりお給料払ってるし」
「まあ、そうですけど……」
いやいや、ちはやさん。お金だけの問題じゃないんだよ。
俺もコロナ禍の休業期間は給付金をもらってたけど、こんなんで会社が維持できるのかかなりヒヤヒヤさせられたし、きっと道隆くんたちはそっちの方も心配してるんだよ。
まぁ俺もちはやさんが皆のことを大事に思ってるのは知ってるから、これ以上言わないけど。
どうせカケラも聞きゃしねえし……。
「ただ
「ガッテン!」
……さて、ここまでの話で、ちはやさんが動画サイトで何かしらの配信を行なっており、不幸にも巻き込まれた友人一同がスタッフとして働いていることが分かったと思うが、ここでその会社が何なのかをあらためて説明しよう。
今や国民的アイドルである
と、言うのも、彼女はとあるVTuberグループの大ファンだそうだ。俺も好きだ。
そこで彼女はそのグループのメンバーになりたがった。うんうん、俺も女の子ならなりたいと思うよ。
ただ、そうするために選んだ手段はちょっと頂けなかった。
今からおよそ5年前に、葛葉ちはやちゃん(8歳)は考え無しにそのグループの事務所を訪ねたのである。
……もちろんアポ無し。いきなり押しかけて「今日からVTuberとして働かせてください」と言われては、先方も途方に暮れてしまうだろう。
俺も何をやってんだと呆れてしまうが、まぁ小学生なんてそんなものだろうと思えなくもない。
そうしてやんわりとした謝辞に迎撃され、お菓子を持たされてメイドさんに迎えにきてもらった彼女は固く決意したそうな。
早く大人になって推しに挟まれたいと。俺の秘められた煩悩を全開にして、執念深くVTuberになる機会を窺ったのだ。
その執念が頭は悪くないのに機械にはサッパリなちはやさんをパソコンに向かわせた。
ときに解説本を読み解き、ときに買ったばかりのゲーミングPCをスクラップにして。
MIT卒の才媛でもあるメイド調に泣きついて、ようやく開設に至ったチャンネルが紳士の集いとなったことに閉口しながらも、めげずに級友たちを巻き込んだ結果が非公式サークルにして、ちはやさんの持ち株会社VTuber研究会、略して「ぶいけんっ」の結成であった。
……目当ての事務所からデビューするには、直近で3000倍とも言われる過酷なオーディションを突破しなければならないし、まだまだ年齢的に受け入れてもらえるか不安もある。だからまずはVTuberの体裁を整える。
経営とマーケティング戦略のプロである道隆くんのアドバイスによって、ごく普通の中学生(彼らをそう呼んでいいのかすこぶる疑問だ)がゼロからVTuberをになるまでの部活動形式で行われた配信は、時代のニーズにあったのか、かなり注目された。
順調な出だしとなった「ぶいけんっ」は、花形センターにして未来のVTuberである葛野はちはやが天才柔道家と報じられ、知名度がアップするごとにファンを飛躍的に増加させた。
現在、「ぶいけんっ」のチャンネル登録者数は870万人。目当ての国民的アイドルが雑談形式で貴重な裏話を語る有料チャンネルも大盛況──にも関わらず俺のなかの《ちはやさん》は、今の今までその存在をすっかり忘れていたというのである。
まぁ彼女も多忙を極めていたから、仕方ないっちゃ仕方ないんだが……こういうエピソードを思い出すたびに、やっぱりちはやさんは俺の生まれ変わりなんだぁと思い知らされるな。
推しに認知されたいがためにVTuberを目指すという趣味嗜好と、思い立ったら即座に所属事務所に突撃する直情径行ぶり加えて、シングルタスクに特化しすぎて小回りが利かない思考回路。
どれもこれも妹の誕生日を3回も忘れた俺がやらかしそうなコトばかりで、なんというか申し訳ない。
未だにジト目の友人たちの視線が刺さる、刺さる……ケロッとしてるのは俺のなかのちはやさんだけだよ。
「……まあ、やる気があるならいいじゃない」
と、そのタイミングで小学時代からの友人が言ってくれて助かった。
「円谷くんたちも、別に本気で怒ってるワケじゃないでしょ? ちはやのすることに腹を立ててもこっちが疲れるだけよ」
「……ええ。ちはやさんも本気で忘れていたわけではないようですしね。そろそろ次の配信をどうするかについて話し合いますか」
本人にその気はないだろうし、ちはやさんにも助け舟は必要ないだろうが、俺としては十分にありがたい。
おかげで、葛葉ちはやらしからぬ冷や汗をかかずに済んだ……。
「うん。やる気はあるから何でも言ってね」
相変わらず裏に引っ込む気のないちはやさんが能天気に発言するが、意外にも助けられたという自覚はあるらしく、件の少女にだけ見えるように片目を瞑ってみせた。
それを受け、
控えめな微笑は、このなかでは一番付き合いが長いわりには一定の距離感を覚えさせた。
「……とか気楽に言ってくれちゃて。どうせ何をするか考えるのはこっちに丸投げする気なんでしょ?」
それに対して、同じ柔道部の親友であるおかっぱの少女に下手な遠慮はない。
堀川あかねという女の子は厳しい視線を維持したまま、頬を膨らませて不満を表明するが、ちはやさんもやられっ放しではない。
俺は内なるちはやさんの命じるままに心外だという表情をさせられ、かつ、こう言わされたのであった。
「ひどいね、ちゃんと考えてるよ。とりあえず前回は瓦割りだったっけ? そっちの動画が好評だったから、今度は正拳突きでも披露してみようかな?」
「だから止めろっての! そんなんだから配信内容がどんどんVTuberと関係なくなってるんだよ!? 同じ体を使うんだったらせめて歌って踊っての方向へ舵を切りやがれ……!!」
「まーまー、堀川さんも落ち着いて」
うん、止められなくてすまない。
自分でも何を言わんやと思うが、これが葛の葉ちはやなのだ。
どこまで行っても天真爛漫な自由人。そして脳筋。言い聞かせるのは本人である俺をもってしても至難の業なのだ。
「とりあえず進捗の再確認をしましょう。今は顔出し配信者ですが、ちはやさんがVTuberを名乗るためには絶対に欠かせないものが二つあります。……それが何だかお分かりですか?」
「気合と根性?」
「ちかいます。VTuber葛葉ちはやの基礎モデルと、それを動かすシステムです」
「……それならどっちも完成しているはずよ」
まるで小さなお子さんに辛抱強く言い聞かせるお巡りさんのような道隆くんに、さきほどの内海さんが物憂げに言葉をかぶせる。
「おや、それは朗報ですね」
「ええ、少なくともこちらはね。ちはやが言いだした自動翻訳は最後の仕上げが残ってるけど、Live2Aのトラッキング調整と3Dモデルの構築はもう終わってるから、あとは悠二がデザインを提示するだけ」
優雅に自信を匂わせながらもどこか揶揄する口振りに、室内の視線は自然と一箇所に集中した。
この家の敷居を跨いでから一度もこちらを見ようともしない内気な少年。
「……こんなもんで良かったら一応完成してるぜ」
彼はしばらく無言だったが、やがて根負けしたようにそう言って手元のタブレットに呼び出したものを見せてきた。
……その画像に息を呑む。
まるで写真のように精巧なデザイン。現実の葛葉ちはやを無理なくアニメ調に塗り替えたそれは、本当に手描きなのかと心底感心させられたが、同時に……。
「すごいね。さすがゆー君だよ。まるで生成AIに頼んだみたい」
ああ、言ってしまわれた。
ゆー君もその評価にガックリと肩を落としてしまうが、そうなのである。彼の作品は生成AIにちはやさんの写真を見せて、これをアニメ絵に変換してって頼んだような感じなんだよな。
「うーん、相変わらず人間離れした技量だけど……」
「そうね。あかねさんの言うように相変わらずデフォルメは下手ね。これは今からでも絵師を変更した方がいいんじゃないかしら?」
幼馴染みの立場から言葉を選ぶ堀川さんに対して、実のお姉さんである内海さんの指摘は容赦がない。
「……俺もこのままじゃいけないコトはわかってる」
「どうかしらね。VTuber葛葉ちはやのデザインを完成させなきゃいけないのに、未だにモデルである本人の顔も見れないんだから、向いてないんじゃないかしら……?」
その酷評ぶりに、ゆー君は初めて顔を上げて姉を睨んだ。
負けん気の強い視線は頑なに俺を迂回したが、内海さんの隣にいる堀川さんが視界に入っても動じる気配はない。
彼が見ようとしないのは俺だけだ。
となると、これは……なるほど、なるほど。ゆー君も男の子だったってわけか……。
「まぁちはやさんの強い要望によるものですから、絵師の変更は考えられませんが、そうなると、もう暫くは既存の『和気藹々とした部活動』の路線で凌ぐことになりそうですね」
「和気藹々とできない子もいるけどね」
「一応ぶいけんっのマネージャーとして言わせてもらうと、ぶっちゃけ視聴者のみんなもそっちの方を望んでんだよね。なんていうか、中学生の部活動って外部の人間から見えないものだから、あたしたちの何気のないやり取りがかえって新鮮みたい」
うん、俺もそう思う。
ちはやさんもそんなに急いでるわけじゃないし、無理せず気楽に動画配信してほしいんだが、一人だけ取り残され気味のゆー君をどうやってフォローするか……。
◇◆◇
お客様を清掃済みの部屋に案内した後もメイドたちの仕事に終わりはない。
何しろこの家はお嬢さまの邸宅である。常に完璧をもって維持するためには主人に気取られぬ努力が不可欠である。
そう信じる厳格なメイド長は、配下のメイドたちに引き続き邸内の清掃を命じたが、二箇所だけ除外した部屋があった。
それは自分たちの主人である葛葉ちはやの書斎と寝室である。
こればかりはちはや本人の名誉と尊厳に関わることだから、他のメイドにやらせるわけにはいかない。
……別に彼女も、その辺に脱ぎ散らした下着が転がっていると思ったわけではない。
事実、ちはやの寝室を片したばかりだが、あの小さな怪獣が過ごしたにしては綺麗なものであった。
だが、それで油断できないのが葛葉ちはやという少女であった。
基本的に細かいことを気にせず、忘れっぽい性格──だからこんなコトもしでかす。
彼女の書斎という名の勉強部屋に足を踏み入れたメイド長は、そこで早速その辺に放置された鞄を見つけた。
急な帰国後に「気晴らしがしたい」と言って外泊した際に持ち出した鞄であった。
中身は財布と携帯、学生証の他に、いくつかの小物と──。
「──ふむ?」
半分に折りたたまれた茶封筒の中身を確認すると、そこにはこう書かれてあった。
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【転生おめでとうございます】
このたびはこちらの封書にご返信いただきありがとうございました。
まずは厳正なる協議の結果、あなた様の要望はすべて叶えられ、すでに転生作業が完了したことをお伝えします。
つきましては、あなた様の要望が現代日本、それも年齢と性別を指定しての転生だったので、当局の権限で転生先のカバーストーリーと身分証を発行しましことをお伝えします。
新しいあなた様の「今日に至るまでの記憶」に関しては、本日23時59分59秒以降に思い出せるように取り計い、あなた様の素敵な転生ライフを阻害しないよう努めます。
また、以前のあなた様の「昨日までの記憶」に関しても保持が認められました。
以前の家族にお会いして転生の経緯を説明しても罰則等はございません。
これは上記の項目をインターネットやSNSに書き込んだ場合も同様です。
新しいあなた様がこれからどう生きるかは、すべてあなた様に一任されています。
どうかご後悔のない転生ライフをお送りください。
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……あらためて酷い内容である。
部外者が見たところできっと意味不明だろう。
「なるほど、そういう事でしたか」
だが、彼女はなぜか納得したようだ。
メイド長の作り物じみた顔立ちに初めて人間らしい感情が浮かぶ。
「道理で私が派遣される筈です」
その苛立ちの中にある微かな安堵が意味するものを、彼女が口にすることはなかった。
ちなみにこのメイド長は著者の別作品に登場する人物の同位体ですが、物語そのものに直接のつながりはありません。