天童ケイ×先生カップリング短編集   作:チビサイファー

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ケイちゃんがギャン泣きするだけの話

「……うーん」

 

 あくる休日の朝。両手に服を持ち、姿見をじっと見つめて唸るケイの姿がそこにあった。

 

 まだほんのりと湿ってるおでこを晒し、傍らには前髪を整えるために加熱中のヘアアイロン。ベッドの周りにはエンジェル24で買い込んだファッション誌が散らばり、床を見てみれば惜しくも選別されなかった衣服たちが床に転がっていることから、相当な急ぎで準備をこなし、ここまで漕ぎ着いたことが見て取れた。

 

 これだけ気合いを入れて準備をする用事といえば、たった一つしか無い。本日は先生とのデートである。

 

「……はぁ。私からけしかけたとはいえ、本当にここまでやるなんて誰が思うんですか」

 

 と、ケイは嘆息した。ことの発端は、ほんの2日前。そう、2日前。ケイは自分のその場しのぎの発言で墓穴をほってしまったことを思い返した。

 

 

 

 

「ケイちゃんとデートがしたい!!」

「寝言は寝て言ってください先生。あと、ケイちゃんは控えてください」

 

 いつものシャーレ当番の日。相変わらず押し寄せる書類の束に埋もれながら、先生は両腕を天高く突き出してそう叫んだ。その隣で書類の優先度を審査していたケイは、もう慣れたと言わんばかりに右に左に書類を放り込んでいく。

 

 そんな彼女の手際の良さを半ば白目で見つめる先生は再度天を仰ぎながら口を開いた。

 

「あーん、もっとゆっくりしてぇ……この束減らなくなるよぉ~」

「元はと言えば先生がこんなに溜め込んだのがいけないんですよ。もちろん、サボってたわけではなく、生徒の相談や依頼を受けた上でこんな事になってるのも重々理解しています。で、す、が!」

 

 と、ケイは立ち上がり、背後に置いてあるダンボールの蓋を開ける。

 

「溜め込むにも程があるんです!! せめて移動中とかに目を通したり署名できる資料を分けておけば、もう少しマシになったんですよ!」

「ううぅん……だってぇ」

「だってもなにもありません!」

 

 ひん、と先生は縮こまり、ケイは腰に手を当ててはぁとため息をつく。この体になり、一体どれほどの二酸化炭素が先生に対するため息として放出されたのか教えたいほどだった。なお、計算上シャーレのビル3フロア分に相当する。

 

「いいですか。先生のその信念や生徒に対する向き合い方は否定しません。むしろ私も強く尊敬しているところですし、そのおかげで助かったことは多々あります。故にそういうところが私はす……私もアリスも、みんなも好きですし、みんなからそう慕われてるのも重々承知しています」

「ケイちゃん……めっちゃ俺のこと見てくれてる」

「当たり前です! だからこそ分かるんです。先生のことだからこのまま放置してると、また3日徹夜とか不健康甚だしい行いをすることが! それをさせないために、来週まで最低ラインの業務をこなせるように私がいるんです!」

「ユウカみたいだよぉ……」

「ユウカにも先生がどう無茶をするのかよーく聞いておきましたので当たり前です」

「ユウカチルドレン……」

「それはそうと、ほら次のリストです。こちらはお昼過ぎてからの確認で問題ありません」

 

 どさり、と書類の束を机に置くケイ。しかし先生の机はもう置き場がなかったから、半分は自分の机の上に置く。

 

「うおぉぉ……せめてモチベーションがほしい……」

「先生が欲しがっていたDXカイテンジャー、アナザーサイドバージョンは明後日発売になりますよ」

「ユウカに禁止令出されてる……」

「あぁ……」

 

 それはちょっと可愛そうかもしれない。ケイは休憩時間中、集めた超合金ロボのポージングに真剣になり、納得いくポージングが取れた際に浮かべる先生の笑顔を思い出し、同情する。

 

 そしたら他になにか……それならいっそ、本人の口から出た事を叶えてやってもいいといえば発破に成るだろうかとケイは先程の先生の叫びを思い出し、仕方ないとまた二酸化炭素を放出した。

 

「……そしたら、私の指定した範囲までの整理が終わったら、デートというものをしてあげーー」

「ほんと!!???」

「早いんですけど!!?」

 

 ケイがぎょっとする間もなかった。両手はいつの間にか先生に固く握られ、そして眼前には先生のきらびやかな笑顔と瞳。な、何の光!? 眩しすぎる! ケイは一瞬で思考を奪われ、その間に先生が言葉をねじ込んだ。

 

「ならケイちゃん次の休みいつ!?」

「い、5日後ですが……先生の仕事は来週終わるようスケジューリングしてるのでその次となると……」

「無理!! 5日後にする!!」

「どうやってですか!? あと5日で終わるとでも!?」

「ああそうだ。俺はケイちゃんのためなら何でも出来る」

「待って待って待って待ってください!!」

 

 あまりにも怒涛の展開すぎてケイは頭がおかしくなりそうだった。いや、おかしいのは先生だ。明らかに仕事のし過ぎで冷静さを欠いている。

 

「確かに先生はやれば出来る人です! でもそれにしたってこの物量は非現実的すぎます!」

「成せばなる。やれば出来る。それでもと言い続けることの大事さを、俺は君たちから学んだんだ」

「あれはあれ、それはそれって知ってますか!?」

「うちはうち! よそはよそ!」 

「ああもう! ああ言えばこう言う!」

 

 だめだ、手の施しようがない。ケイは正論が通じないと決断せざるを得なかった。

 

 いやまて、だからこそやれる手段もある。押してだめなら引いてみろ、ショック療法、その他諸々。ゲーム開発部の会話で聞いた知識が流れ込む。

 

「お願いケイちゃん!! 5日後、ほんと5日後!!」

 

 ギャンギャンとすがりつくように顔が近づく先生。ええいままよ、ならこれしかあるまいとケイは先生の頬を押し返す。

 

「わかりました! 分かりましたから! ならあと3日でこの仕事を終える、ないし見込みが出来たらしてあげます!!」

「ほんと!?」

「ええ本当です……けども、間に合わないようでしたら予定通り仕事を終えてその次の週に……」

 

 と、ケイが目を開くと先生の姿がなかった。え? と呆然とする。さっきのは夢? 幻?いや、現実だ。先生の机に乗っていた書類の頂上が少し減っていることに気づく。そっと覗き込むと、さっきまで大型犬のように喚いていた先生が目をギラつかせて書類に署名や内容のチェックを行っていた。

 

「……きょ、極端すぎでしょ……どんだけ私とデートしたいんですか……」

 

 と、自分の発した言葉をもう一度脳内で再生する。

 

(デート……え、待ってください。もし先生がこれをこなしたら本当にデート??)

 

 ケイは顔が熱くなるのを感じた。提案したのは先生だ。だが、無理難題とはいえ約束したのは自分だ。

 

 なんということだ。急に恥ずかしくなってきた。え、待て。そしたら服や化粧品も選ばなければならない? まずい、まだ何も組み合わせが……

 

 と、そこまで考えてケイは冷静になった。よく考えると、あと3日でこれを終わらせることは可能なのだろうか。

 

 ケイは完了ボックスに入れられた資料数冊を手に取り、チェックしてみる。筆跡の気合の入り方が尋常ではないが、内容に問題は見られない。そうこうしているうちに、また冊子が完了ボックスに入れられた。

 

(ま、まぁ……途中できっとペースダウンするでしょうし……)

 

 むしろ、こうしてやる気になってくれたことを利用し、先生の仕上げた仕事に不備はないかサポートすることが必須だろうとケイはそれ以上何も言わず、先生愛用のコーヒーカップを手に取り、給湯室に向かう。

 

「あれ、この前補充したと思ったのですが……」

 

 見るとコーヒーメーカーの豆がそろそろ底をつきそうになっていた。以前来た時はほぼ満タンだったのだが、他の生徒達が飲んだのだろうか? まぁ、ストックはあるからいいだろうと、ケイはコーヒー豆を補充し、ついでにゴミ箱の袋も取り替えることにする。先生愛用の栄養保護食品の箱だらけだ。

 

「……はぁ。ちゃんとしたもの食べないと、いつか倒れても知りませんよ?」

 

 と、ぼやきながらケイは袋を縛り、いそいそと片付けを始めるのだった。

 

 

 

 

 そうして、冒頭に戻る。先生は約束通り、3日で仕事を終わらせ、そんなバカなとユウカに確認したら細かなミスはあれども、当番の生徒で修正の追いつく範囲内、むしろいつもよりミスが少なくて驚いたとモモトークが来た。

 

「まったく……あの後は私のほうが大変でしたよ」

 

 先生から「明後日デートだよね?」と圧のメッセージが届き、ケイも「あなた馬鹿なんですか?」と罵るしかなかった。だが約束は約束なので、そのやり取りをしたあと部屋を飛び出し、たまたま部屋に訪れようとしていたゲーム開発部一行に面白そうなことが始まると付いてこられ、あれよあれよと服を買い集めた。

 

「……」

 

 約束の時間までもう少し。頭の髪飾りはユズが選んでくれた物で確定だが、アリスが選んでくれたキュート系統な服と、ミドリが考案してくれたコーディネート、そして自分の好みの服で三つ巴の戦いとなっている(モモイのチョイスはセンスを疑う構成だったので除外)。

 

(先生はそもそも、異性に対してどういった好みの傾向があるんでしょうか。私のように小柄な生徒もいれば、大人のような生徒もいる。でも先生は隔てなくすべての生徒に平等に接してるようにみえますし……)

 

 と、ケイはヒントがないか先生と過ごした日々を思い浮かべる。おふざけしてる時、仕事をしている時、居眠りから起きた時、生徒たちに囲まれたたじたじになってる時。

 

 鋼鉄大陸で、自分たちを守るために戦った時。

 

「……ほんと、変な人」

 

 ケイはそう呟き、自分のチョイスを決める。みんなと一緒に過ごすようになった今の自分を表現しようと、アリスやミドリのチョイスを組み合わせたコーディネート、あと百歩譲って許せるモモイの選んだポーチを手に取る。

 

「そしたらあとは……」

 

 ヘアアイロンを握り、幾度となく練習した前髪のセット。髪の毛は長いのでウェーブをかけるのは一苦労なので、一つ工夫をこらして片側はお団子と三編みを組み合わせ、もう片方はアリスがメイド服を着ていた時のサイドポニーと左右反転させた形に仕上げる。

 

「……よし。悪く、無いはず」

 

 化粧台の上に置かれている、高級そうな小箱に目を向ける。それを手に取り、蓋を開ける。中には香水とリップ。先生からもらった、サミュラの「ザ・ビヨンド」とチェリーローズのリップグロス。

 

『ケイちゃん、もしかして興味ある?』

 

 ある日、町に買い出しに出た時だ。たまたま入ったデパートの化粧品コーナーで、見かけたそれ。当初は見た目が可愛いくらいにしか思っていなかったが、先生に問いかけられてうまく答えられなかった。

 

 その後、正式なミレニアム編入のプレゼントとして、この2つを貰った。

 

 ケイはグロスを唇に塗る。

 

 ―これは、先生がくれた大事なもの―

 

 上下の唇を重ね、均一になるように整える。

 

 ―誰でもない、私のためだけにー

 

 香水を手首に塗る。軽く匂いをかぐ。

 

 ーほんの一瞬でも、私のためだけに与えてくれた物ー

 

 首筋、うなじ、耳の後ろに吹き付ける。

 

 これで、全部。ケイはもう一度姿見の前に立つ。思えばこうしておしゃれを楽しむ用になるまで長かった気がする。最初はアリスの体。次はアバンギャルディなボディ(二度と御免だ)、そして今この体。

 

(……今こそ、先生のために)

 

 ふぅ、と息を吐く。これも先生のために吐いたため息になるのだろう。

 

(ああ、まったく)

 

 ケイはふと鏡を見て気づいた。先生のために息を吐いた後の自分の、朗らかな笑みに。

 

「……ほんと、先生がいないなとだめなんですね、私」

 

 スマホを取り出し、モモトークの画面を開く。『今からシャーレに行きます』と極力浮かれているのがばれないようにするための業務的な一文を送り、もう一度鏡を見る。

 

「……よし!」

 

 覚悟を決め、ケイは玄関に向けて歩き出す。今日は羽を伸ばしていこう。ドアノブを開き、ちょうど廊下に通りかかった同級生に軽く会釈をして軽い足取りでシャーレへと向った。

 

 

 

 

「……まったく、まさか寝坊なんてしてないですよね」

 

 シャーレのビル入口前。ケイはトーク画面を開くと、先生からの返事はまだだった。一応既読は付いてるので連絡は目にしてるはずだが、もしや寝坊して既読をつけて大慌て、なんて事になってるのではないのだろうかと思うが、まぁ一時間くらいなら許すのも吝かではないし、しっかり休んでもらったほうがいいに決まってる。

 

 生徒手帳を見せてシャーレ内に入り、エレベーターでオフィスのフロアまで向かう。途中、ちらりとエレベーターの鏡を見て前髪を整え、衣服にゴミがないか、ベルトのズレやボタンの不備がないかと再チェック。可愛い、と言ってくれるだろうかと一瞬思い浮かんだが……

 

(あの人のことだから、多分何を着ても可愛いって言ってくれるんでしょう……ああでも、やっぱりおかしくないでしょうか。やっぱりモモイのポーチがちょっと浮いてるような……いや、でも髪飾りの雰囲気に寄せてはいるから……)

 

 ポーン、とエレベータが停止する。なぜか軽く体が跳ね上がったが、意を決してケイはエレベーターを降り、執務室へと向かう。今日に限ってその扉が滅多やたらに大きく見えてしまう。

 

 いや、今更恐れてどうする。いつもどおり、いつもどおりでいいんだ。ケイは、意を決してノックした。

 

「……ふーっ……先生。ケイです。起きてますか?」

 

 と、5秒、10秒と待ってみる。返事がない。お手洗いに行ってるのだろうか? それはそれでまだ猶予が出来た気がしてちょっとホッとする。念を入れてケイはもう一度ノックし、少し返答を待ってから「入りますよ」と、室内に入る。

 

「……?」

 

 やけに静かだった。いや、手洗いに行ってるならそれで当然なのだが、こう、ついさっきまで誰かいた、という気配があまりにも薄すぎる。連絡ではもう少しだけ仕事を片付けると言っていたのだが……

 

「ケイ……ゃ……」

 

 ほんの小さな、蚊の鳴くような声……いや、声ですらないような……音と識別するにも難しいほどの声だった。

 

 ケイの全身がぞわりと逆立ち、部屋に飛び込む。異様な静けさと、その中に溶け込む僅かな声。間違いなく、異常事態の傾向。そしてその該当になり得る人物は、今この場で思いつく人は、一人しかいない。

 

「……っ……ぁ、あぁ……」

 

 ケイは無意識のうちに手で口を覆う。目の前に、床に倒れ伏し、かろうじてケイの名を呼ぶ先生がそこにいた。

 

「せ、ん……せい……」

「……ケイ、ちゃん……ごめん、やくそく……」

「先生!!??」

 

 ケイは駆け寄り、顔を覗き込む。血の気がない、真っ青な顔。外傷は? どうして? 何が? 

 

「先生、しっかりしてください!! 何があったんですか!?」

「ご……めん……」

「痛いところは、怪我とかしてるんですか!?」

 

 ケイは必死に外傷がないか確認する。五体満足、出血はない。だが、手を握ると小刻みに震えている上に、意識が朦朧として血の気が引いてるなんてただ事ではない。

 

(病気!? 風邪、または感染症……発熱は無い、でも意識が……過労?)

 

「先生、とにかく休憩室に……!」

「うっ……」

 

 ごぱっ、という水っぽい音がした。ケイは先生の口元をみて、固まる。

 

 先生は嘔吐していた。しかし、その出てきた吐瀉物の色が茶色く染まっている。

 

「あ……あ……やだ……」

 

 ケイは悲鳴を寸前で飲み込み、先生の腰に手を回し、体勢を変えさせる。

 

「先生、先生しっかりしてください!」

(どうして、何が……!? 落ち着け、回復姿勢、何でもいい、呼吸が出来るように! 誰か人を……!!)

 

 こぶ、ぼどぼど……と、再度嘔吐する音。吐き出されたものがケイの服をじわりと広がる生暖かい感触。気づくと、先生は返事をしなくなっていた。

 

 その光景は、ケイの思考を破壊するには、十分すぎる一撃だった。

 

「せん、せ……やだ……先生……っあ、あぁあああ!!」

 

「やあぁあああああああっっ!!!!!」

 

 

 

 

「……先生。弁明はありますか?」

 

 シャーレ医務室。診断書を貼り付けたボードを片手に、トリニティ救護騎士団のセリナは恐ろしいほど美しい、それはもう恐ろしいほど美しい笑顔で先生を見下ろしていた。

 

「えー、……ありません」

 

 ベッドの上、病院服に着替えさせられた先生は目を合わせられなかった。セリナの目から放たれる、看護師がおおよそ出すものとは思えない“殺気”があまりにも強すぎて直視できない。医療専門の人間にそうさせてるということは、相当な無茶をしたし、そのせいで迷惑をかけたのだ。この失態は、真正面から向き合わなくてはならない。

 

「確かに、生徒との約束を叶えるのは先生の尊敬すべき、かつ敬愛出来るところです。しかし、同時に自身の身を顧みないのは救護騎士団として到底推奨できるものではありません。しかも今回は『過労とカフェインの過剰摂取に加えた、栄養保護食品を中心とした食に対する軽視、少量とはいえ摂取したアルコール』の結果起きた脱水、自律神経失調に伴う嘔吐。大人がやるようなことではないと思います」

「はい……」

「……はぁ」

 

 縮こまる先生を見て、セリナもため息をついてしまう。くどくどと言いたくはないし、先生という存在はこういう事をする人間なのは理解している。

 だが、今回に限っては、その腹にすがりついて離れないミレニアムの新入生の様子を見るに、きつく言っておかねばならぬという使命感がぐっと上回った。

 

「ひとまず点滴が終わったらもう動いて大丈夫です。その後は必ず、ちゃんとした食事をとってください。その上で一晩寝たら明日には問題ありませんから」

「ありがとう、セリナ」

「お礼はそちらのミレニアムの子にもしっかり言ってください。回復姿勢取らせなかったら窒息死してたんですからね……」

 

 そうして、セリナは緊張から開放された表情になり、一旦失礼しますねと部屋を後にし、室内には先生とケイの二人きりになった。

 

「……あの、ケイちゃん」

 

 先生が見下ろすと、ケイはずっと先生の腰に手を回し、抱きついて離れないようにしていた。そろそろこの状態が2時間続いている。セリナもこの状態でよく検査が出来たものだと感心したが、そうさせないようにすべきは自分なのに、まったく馬鹿をしたと恥じる。

 

「……その、ケイちゃん。本当に」

「ごめんなさい」

「……え」

 

 ごめん、と言おうとして、自分よりも先にケイの口からそれが出たことに先生は虚を疲れて固まった。すかさず、ケイは言葉を重ねる。

 

「私が……あんな、あんな無茶な約束取り付けて……本気で、本気でやれるなんて思ってなかったんです……諦めてもらうつもりで、でも先生……ほんとうに」

「ちがっ、違うよケイちゃん!」

「私が!! ……私が……うっ、……何も分かってなかったんです……私は先生がいないとだめで、先生のためならいくらでも頑張れるのに、なのにその逆だってあり得るんだって、う、ぅ…えっぐ、何も考えていなかった私が、悪いんです!!」

 

 ケイの肩が震え、腰に回した腕の力が強くなる。服越しに、その手がガタガタと震えていた。

 

「もっと考えていれば……ヒントなんて、いっぱいあったんです! コーヒーの減りが早いとか、ゴミ箱とか、よく見たらおかしいって、ひっぅ……分かることはたくさんあったのに……私が、っんぐ、今日を楽しみにしすぎたせいで……!」

 

 ケイの頭の中が渦を巻いて悲鳴を上げる。フラッシュバックする異変のヒント。先生を失いかけた時の記憶が、彼女のトラウマとなって駆け巡る。

 

「先生のこと何も考えてなくてっ……また寝坊したんだとかそんなことしか思ってなくて、何も出来なくてっ……う、ぅううああ……」

 

 ぎゅう、と服を握る手が強くなる。ケイが顔を埋めた布団に涙の染みが増えていくのを見て、先生は自身の唇を強く噛んだ。

 

「生徒失格なんです……さっきも、今も、こうして泣くしかなくて、ひっぐ、ぁ、ぁああああ!!」

「ケイちゃん……聞いて」

「だからっ、ごめんなさいっ……」

 

「ごめんなさいっ!! ごめんなさいごめんなさい!!!」

 

 何一つ、気づいてやれてなかった。あまつさえ、約束に浮かれて彼を危険な目に遭わせるなんて。

 

 ケイは歯を食いしばる。嗚咽でぐちゃぐちゃになりそうな声帯をなんとか絞り出そうとする。

 

「ごめっ……ごめっ、んな……ぇっぐ」

 

 なのに出てこない。もっち言わなきゃ。足りない。足りない。自分のせいだ。無責任だ。

 

「ぅっぐ、ひっ、ぐ、ぁあっ……」

 

 そもそも、私とデートをしたいと言った時点で先生はかなり限界だったのでは? でなければあんな事叫ばない。気付ける要素なんていくらでもあったのに。

 

「ごめんなさい……」

 

 求め過ぎなのだ。

 

「ごめんなさい……!」

 

 先生がいないとだめと思ってるくせに。

 

「ごめんなさい……!!」

 

 結局は自分よがりで、欲しがってばかりで

 

-……イ……-

 

 助けるどころか負担をかけるような発破をかける自分に

 

-……ケイ-

 

 愛情を求める権利なんて、あるのだろうか?

 

「っ〜〜〜!!! 先生っ、ごめんなさ……」

 

 

 

 

「ケイ!!!」

 

 

 

 

 大きな手が、あった。ケイが顔を上げる。気づくと先生が意識を引き戻すために、ケイの右手を強く握りしめていた。

 

「……やっとこっち見てくれた」

「……う、うぅ……」

 

 彼女の目を見て、先生の胸が引き裂かれる。なんて顔だ……恐怖、後悔、自己嫌悪、そのすべてが入り混じった感情に押し出された涙で、瞳はグシャグシャになっている。こんな顔をさせてしまうなんて……。

 自分の管理の甘さがこんな形で影響することを完全に予測できなかった。先生は思わず歯ぎしりをしかけたが、それをぐっと堪える。驚かせてすまない。許してほしい。君を止めるならこうするしかなかったと、先生は彼女の頭に優しく手を滑り込ませた。

 

「ケイ、そんな事言わないで。元はと言えば、俺がデートしたいって言ったのが発端だし、自分のスケジュール管理の問題もある。あとまぁ……セリナの言う通り、ケイのデートに間に合わせたくて馬鹿みたいな無茶をしたのは結局自分の判断だし……だから、そんな風に自分を攻めないで。君にそんな事を言わせたのは俺の責任だと思ってる」

「ち、……違うんです先せ……」

 

 再び口を開こうとするケイは、それ以上何も言えなくなった。先生がケイの頭を抱き寄せ、胸板に押し付けて物理的に口を塞いで、さらにすんすんと頭の匂いを嗅ぐ仕草を感じたからだ。

 

「ん、なっ……!?」

 

 ケイの耳が真っ赤に染まり、別ベクトルで思考を破壊される。そんな彼女がおとなしくなったのを見抜き、先生は言葉を重ねる。

 

「……ケイちゃん、この香り、俺がプレゼントした香水だね。それに、洋服も……すっごくおしゃれだし、乱れちゃったけど髪の毛も綺麗にまとめてて……意識失いかけた時にチラッとしか見えなかったけど、すごく可愛かった」

「か、かわっ……」

「だからさ、ケイちゃんも楽しみにしてたの、すごく嬉しかった」

 

 よしよしと、ケイの後頭部を撫でる。彼女の肩の力がゆっくり抜けていくのが分かる。そう、そのまま。一旦はこっちに任せて。君の言いたいことは、ちゃんと聞く。だから今はどうかこちらの話を聞いてほしいと、一回、二回と手を滑らせる。たぶん、この子は頑として自分に責任があると言い続けるだろう。

 

「それなのに、服汚しちゃったり、こんなボロボロになるまで泣かせたり、おしゃれも台無しにするような形にしたのは先生の責任でもある。どっちがとかじゃないんだよ」

 

 なら、彼女の訴えた自責の念を受け入れ、それは自分と共にあることを教えて行くのがベストなのだろう。教師として、生徒に責任を背負わせることはしたくはない。だが、責任を受け入れる意思を蔑ろにするものでもない。これはケイと私が起こした失敗。その解決は、二人で行っていくべきだ。それが彼なりに考えたケイへの向き合い方だった。

 

「……」

 

 ケイは答えない。ただ、代わりに先生の胸板で少しだけもぞり、と動いた。

 

「だから、そんなに自分を責めないで。いろいろな不運が重なった結果がこれなんだよ。恥ずかしい話、たぶん一番のきっかけは……」

 

 と、先生は昨晩のことを思い出してバツの悪い顔になる。あれが最後のきっかけだったよなと。

 

「……先生?」

「その……ケイちゃんとデート出来るのが嬉しくて、ちょっと寝付きも悪くて…特別な時に飲む強めのお酒飲んじゃったんだ」

「……とく、べつ?」

「そう、特別なやつ。それで寝て起きてもう少し仕事しようとしたらなんか調子悪くて……あ、本当に普段は美味しく飲めるものなんだよ? あれだったらケイちゃんも大人になったら一緒に……まてよ、そもそもケイちゃんは何歳になるんだっけ?」

「特別……」

「まぁ、その……結果、疲労とメンタル次第で体に影響出るのは分かってたんだけど、嬉しさが勝って……」

 

 特別、嬉しい……ケイの頭の中で先生の言葉がぐるぐると回転し、彼女の頭の中にあった懺悔の念を洗い流していく。

 

「……うれ、しい……」

「まぁ、カフェインばっか取ってたのも悪さしてこんな結果になったんだろうなって……あれ、ケイちゃん」

 

 反応が薄くなり、何か合ったのだろうかと目を下ろす。彼女の目尻は真っ赤に腫れ上がり、赤い瞳の周りも更に充血してグシャグシャだったが、その表情はさっきと打って変わってしおらしく、涙を浮かべてはいなかったが顔が赤くなっていた

 

「なんか、顔がまた顔が赤く……どうかした、熱でもあるの?」

 

 ぴとり、と額に手を置く先生。またあなたは……病床に伏してるのはあなただというのに……そうやって人の心配ばかりして……。ケイの肩が、ワナワナと震えた。

 

「…………、なんですよ」

「なにが?」

「だから……そういうところなんですよ!!!」

「な、何が!!?」

「言いません!!」

「ええ、なんで!? 教えてよ、先生気になります!」

「墓場まで持っていくので気にしても無駄です!」

「じゃあケイちゃんと一緒のお墓に入るから教えて!」

「なんでそんな思考に至れるんですか!!??」

「だってケイちゃん、この前『先生を殺して私を死にます』って言ってたし……そしたら同じ墓に入るしかないんじゃないかなって」

「ん、なぁ………っ!!?」

 

 あの時の勢いで言ったセリフを、この人は一文字一句違わずに、しかもカウンターとして返してきた。羞恥と、やりとりを覚えてくれていた優しさ、そして墓に一緒に入ることの、その意味の大きさを数回ほどリピートし……。

 

「ああもうほんっとに!! ほんっとにあなたという人は!!!」

 

 ボカボカとケイは先生の胸板を叩くしかなかった。

 

「ええ、なんで!?」

「この期に及んでとぼけるばかりで!! 人の気も知らないで!!」

 

 

 

「ほんとに、ほんとにほんとに、そういうところなんですよ、バカ!!!!!」

 

 

 

 

 その後、先生の体調は回復。夕食もしっかり白米に主食、バランスのとれた物も摂取。体調はいいのだがさすがにデートはお預けということで日を改めることになったが。

 

「ケイちゃん、本当にいいの?」

 

 と、先生は同じ布団に潜り込んでいる寝間着姿(寝間着はしれっとシャーレ内に保管しておいたらしい)のケイを見つめる。今日は帰宅しても構わないと伝えたが、案の定彼女は帰らないと言い出した。

 

「いいんです。先生も責任を感じてるなら受け入れてください。今日は先生がちゃんと寝れるまでそばにいます」

 

 と、彼女は念には念を入れてと、枕を先生の方に更に寄せて近づく。ちょっとでも呼吸が止まろうものならいつでも飛び起きてやるとでも言わんばかりの覚悟。彼女の指先がほんの少しだけ触れて、先生も人差し指と中指を絡めてそれに答える。

 

「……まぁ、そう言うなら……」

 

 もちろん、先生もこうなったら帰らないのだろうと察してるし、自分の責任もある。ケイの提案を受け入れるのが筋なのだろうと腹を括った。布団からじんわりと伝わる、ケイの体温は心地よく、睡魔がゆっくりと歩み寄っていた。

 

 ……明日の朝、本当にたまたま何気なく、モモイがやってきたりして見つからなければいいのだが。

 

「ミドリならともかく、モモイが来るよりかは先に起きれますよ、きっと」

「まぁ、それもそうかな。そうだよね……じゃあ、ケイ。おやすみ」

「はい……おやすみなさい、先生」

 

少しだけうつらうつらとするケイの顔は、とても安心しきっているものに変わっていた。まだまだ、教師として未熟だな。でも、きっとケイの中でもなにか新しいものを掴んだのだろう。大切な生徒の成長の力になれるのであれば、本望だ。

 

 ただ、流さなくていいはずの涙を可能な限り流させないようにしよう。そう誓いながら、先生はゆっくりと睡魔の底へと沈んでいき、その直前でケイのヘイローが消灯し、寝息が聞こえて、よかったと意識を手放す。

 

 そうして二人は翌朝、たまたま朝一に様子を見に来たモモイの絶叫に叩き起こされるまで、深い深い眠りにつくのであった。

 

 

 

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