「アリス、起きてください。もう起きないと遅刻してしまいますよ!」
「むにゃぁ……ケイも一緒に寝ましょう……」
「そうですね、まだ10分くらいはなんとかなるでしょう」
開幕わずか80文字のことだった。アリスを起こしに来た天童ケイは即落ち2コマとしてあまりにも美しすぎるムーブでぬくぬくの布団にその身を沈め、よしよしと元王女の頭を撫で回した。
「むにゃぁ……ケイの手、あたたかいです……」
むにゅむにゅと若干回らない舌でそういうアリス。10分ほどゴロゴロしてもいいかと思ったケイだったが、アリスが幸せを感じる際に分泌される、アリスニウムの睡眠作用が働き、たった2分で彼女を睡眠へと誘い、なんの抵抗もなく受け入れる。
これが、ケイが自身を自身と再定義して初の、『空腹』の恐ろしさを知ることになる、長い長い一日の始まりであることを、彼女は知る由もなかった。
*
「案の定遅刻!!!」
ケイが目を覚ましたのは、アリスと同じ布団に入ってから30分後の事だった。時計を見れば無慈悲に遅刻確定を示す針。こちらが驚愕、絶望、憤怒を感じる間にも、秒針はこちこちと時を刻み、ケイは二度寝でボサボサになった髪の毛に脇目も振らずアリスの布団を引っ剥がす。
「アリス、起きてください!! このままでは遅刻です!!」
「んぅ……許してください~~」
「今日も寝顔が可愛いですね! でもあなたを留年させるわけには行かないんです、はい、起きて! スタンドアップ!」
「ヴィクトリー……」
「『To the』が抜けてます! いやこんな先生しかわからないやり取りをしてる場合ではないんです、早く着替えてください!」
はい、これこれこれとケイはインナーと制服をアリスに持たせ、自身もジャケットを羽織って台所に飛び込み、食パン二枚をトースターに放り込む。
(いつものルートだと確実に遅刻確定……でも、この時間帯に出ることで一旦反対方向のバスに乗り、教室に最も近い出入り口にたどり着く快速バスに乗れる。それならアリスを引っ張って行く時間を加味してもチャイムが鳴る28秒前にはたどり着けるはず!)
「ふあぁ……」
「アリス! 着替えましたね、偉いです! この後走りますよ、あと髪の毛少し整えますね!」
ブラシを握り、ケイはアリスの髪の毛を手際よく整えていく。いつもより3割ほどクオリティが下がってしまったが、残りは学校で仕上げようとケイとアリスの鞄を持ち出す。
(そろそろトーストが焼ける頃……!)
ケイは皿を手に取り、それとほぼ同時に『がコンッ!』とトースターが跳ね上がり、あつあつの生地をつまみながら皿に乗せる。
「はい、アリス!! 朝ごはんです、これ咥えて!」
「んぁああ……むっ……」
「はい、よく噛むんですよ……ってああ丸呑みなんてしないで!」
「モモイがこれなら効率がいいと言っていましたのでぇ……」
「モ~モ~イィ~~……!!」
ケイは素早くスマホを取り出し、モモイとのトーク画面を開いて『後でしばきます』とだけメッセージを叩き込む。
「ってこんな事してる場合じゃなくて!」
ケイは自分のトーストをひったくり、アリスに荷物をもたせると玄関に押し込む。
「アリス、早く靴を履いて……ええい私が!!」
兎にも角にも外に出なければ。ケイは素早く靴を履かせると、まずはアリスを外に出し、自身も荷物を担ぎ、はしたなくはあるが口に食パンを咥えていくことにする。
「ふぁりふ! いひまふよ!!アリス、行きますよ!!」
鍵をかけ、ケイが外に出たその瞬間だった。
「どけどけぇ~!!」
「っぅぇえっ!!?」
突如現れたスケバン集団がまるで地鳴りのような足音を立ててケイをもみくちゃにし、続けて追跡するヴァルキューレの集団が同じくケイをもみくちゃにし……。
「ケイちゃん! 大丈夫!?」
更に遅れて、走り続けてヘロヘロな先生が現れた。
「っ……たた……先生? なにが?」
「ミレニアム内でトラブルが続いてね……ヴァルキューレと一緒に追跡中で……」
「そうでしたか……ってあぁあ!!」
ケイは自分が普通に喋ってることに気がつく。つまるところ、さっきまで口に咥えていたパンが消えている。
「え、どうし……」
と先生がケイの視線の先を追いかけると、なんと哀れなことだろう。地面にはケイの朝食となるはずだったトーストが無惨に転がり、すでに野鳥たちが群がり、熱々の餌へと成り果てていた。
「わ、私のご飯……」
「ああ……せめて食べてくれる存在がいるだけありがたいんだろうか……」
「ぐぬぬ……」
「ふあぁ……あ、先生! おはようございます!」
玄関から先生を見つけたアリスが手を振りながら現れる。彼女が巻き込まれなかっただけ良かったのだろうとケイは思い直すことにし、学校に向かわねばと考えて……。
「……そうだ学校!! バスは!?」
時間を確認する。ああ、無情かな。時刻は最後の希望であるバスの出発時刻をとっくに過ぎており、ケイはがっくりと項垂れた。
そんな様子を見た先生は、『あー……』と察した顔になる。
「……二人とも、私の手伝いをしたってことで連絡しておくからさ。実際巻き込まれちゃったわけだし」
「……」
ぐぅ……とケイは拳を握りしめながら歯ぎしりをする。名状しがたい敗北感。先生の優しさが今はむしろ自分を情けなくするようで……しかし、誰が悪いかと言われればアリスに甘かった自分なわけで……。
「ありがとうございます……」
ケイは涙目になりながら、鳥の餌となったトーストを眺め……ぐぅ~、と朝食を迎え入れられなかった胃袋が嗚咽するのを、無言で受け止めた。
*
学校に到着し、シャーレの協力証明書を見せたおかげでケイとアリスの遅刻は不問となり、無事に迎えた昼休み。
「ケイ、やっとご飯が食べられますね!」
「まったく……さっきの授業から空腹音が止まらなくて困りました」
ケイは自身の胃袋に当たる箇所を撫で回し、それに反応したのか『くるる……』と軽く空腹を訴えた。
「だったら、今日はたくさん食べましょう! 朝食べられなかった分をここで取り返すんです!」
「アリス……何も、朝食を食べなかったからと言って胃袋の大きさが変わるわけでは……」
「景気づけってやつです! 心がきっと満たされますよ」
「満たされる……ふふ、そうですね。きっとそうしたら幸せでしょうね」
「それに、血糖値スパイクは最高の導入眠剤だと、モモイが言ってました!」
「あんの……桃色猫娘……!!」
掘れば掘るほど出てくる、モモイの『英才教育』にケイの拳の筋が浮き上がる。ケイは再度スマホを取り出し『あとで歯を食いしばりなさい』とメッセージを送る。その後何回かモモイからの通知音が鳴ったが無視した。
「さて……今日は何にしましょうか……午後の授業は体育もあるので、スタミナ補給で考えるなら……Aランチセットが一番無難ですね」
「はい! アリスもケイと同じものを食べたいです!」
「いい心がけですね、アリス。そしたら列に並んで……」
と、今度はモモトークとは違う通知バイブが鳴る。このパターンは先生からの通話だ。
「アリス、すいません。先生から連絡が来たみたいで、注文しててくれますか? お腹も空いているでしょうし、先に食べてもらって構いませんから」
「はい! つまるところの、ケイのための補給クエストですね!」
「兵站の確保は重要任務です。アリス、任せましたよ」
「了解です、ケイ!」
びしっ、と敬礼をするアリス。そんな彼女の頭を撫でて、ケイはスマホを通話モードにする。
「はい、先生。いえ、大丈夫です。今朝はありがとうございました。それで……はい。夜ですか? はい、構いませんが……え、DXカイテンロボ メタリックコーティングver.2.5の領収書がユウカに見つかった? ……あなたという人は……!!」
あれほど自制しろと言ったのにやってきたのは自業自得のSOS。今朝方の手助けには確かに感謝しているが、それとこれとは話が別であると、お説教モードに入る。
「いいですか先生。あなたの趣味にとやかく言うことは基本しません。適度な娯楽は大人にとっても……いえ、大人だからこそ必要不可欠だというのは理解してます。ですが、それはほどほどにこなすからこそ成り立つことで、見境なくなるとーー」
結果として、ケイの通話は大分長くなってしまい……。
(まったく、叩いてみれば出るわ出るわの先生のボロ……)
カイテンロボの発覚に続き、最近の食生活、睡眠時間など、聞いてみたらあれよこれよと言い訳を述べる先生から、怪しいところが14個も現れ、それを徹底的に追求した結果お昼休みがそろそろ終わろうとしていた。
(まぁ、10分もあれば間に合うでしょう。)
急いで食べるのは行儀的には良くないのだが、不可抗力が続いた今、身体活動には必要なことだと切り替えることにしてケイは食堂に入る。見回すとまばらな座席の中に、目印としてはこの上ない存在感を放つスーパー・ノヴァが目に入る。見るに、アリスは既に完食しているようだった。
「あ、ケイ! 大丈夫ですか? すっごくお電話長かったようですが……」
「大丈夫ですよ。思ったより先生との『お話』に花が咲いてしまいまして」
「そうなんですね! ケイも先生もいつも仲良しで、アリスも嬉しいです!」
キラキラと眩しい笑顔がケイの良心に少し刺さる。私の大切なアリス。すいません、実際はくどくどとしたお説教をしていました。
ただ、正直に言うとアリスが変に気を使うだろうから、ケイはそのまま椅子に座り、ようやくありつけるランチを目に入れる。
「今日はトルコライスサラダセットでした!」
ぱんぱかぱーん! と両手を広げるアリス。冷めてしまっているが、眼の前にあるボリューム満点なトルコライスを捉えた視覚は、脳を経由して唾液腺をくすぐり、口の中を湿らせていく。
昼食ということで、高めのカロリーかつ、キャベツとトマトの入ったサラダもセットになったことでバランスの配慮も行き届いている一品だ。
(もう少し野菜の量を増やしたいところですが、トルコライス本体にもキャベツが付け合わされているから十分許容範囲……むしろ、午後からの長丁場を過ごすならこのカロリーは最適解……)
皿の上に乗るのは黄色く飾られたカレーピラフ。ほんのりと香るスパイスの香りが胃袋をくすぐり、ケイの腹の虫が鳴き声を上げる。
(ピラフの上に折り重なるように載せられたロースカツのボリュームが、明らかに女性向けではない……でも、このミレニアムに籍を置く身として、頭脳の回転に必要なのは何よりも糖質。衣にゆっくりと浸透していくカレールーが……まるで私を誘っているかのよう……)
ケイはスプーンを手に取り、香りを楽しむ。ああ、この肉体を得なければ理解できなかった、嗅覚による調味料。生きる楽しさ、食への愛する喜びが体を包み込む。
(その隣にはまるで伴侶のように寄り添う太めのナポリタン……傘のように載せられた目玉焼き……。ガッツリとしたカレーとカツに対し、トマトケチャップの酸味で整えられたナポリタンは合間に口に入れると口腔内を整えてくれる。その次に目玉焼きを口に入れれば白身の淡白さが次の受け入れ準備を整えてくれて、飽きのこないループへと私を誘ってくれる……おっと、いけません。時間がないのに浸ってしまいました)
体を得てからというもの、覚えた感性を深く感じようとしてしまう。特に空腹は最も影響が出やすい。ちらりと時計を見ると、まだ1分しか経っていなかった。
「では、いただきま……」
ケイが手を合わせ、料理に携わった全ての人々に感謝を述べようとしたときだった。
ードゴォォォオォオォォォォォンッッ!!!ー
食堂内を轟音と衝撃が駆け抜け、外壁と天井がガラガラと音を立てて崩れ去り、土埃が舞い上がる。
あちこちで生徒たちが咳き込みながら瓦礫から這い出し、何が起きただの大丈夫かだの声が上がる。
「…………」
幸い、ケイとアリスのいるエリアの崩落は起きず、二人は無事だった。
ただ……ケイの眼の前にあったトルコライスセットは……。
爆風によって、ケイの左5メートル地点に無惨に瓦礫と混じって散乱し……直後、穴の空いた天井から鳥たちが舞い降り、その残骸を一粒残さず平らげて空へと帰っていった。
「け、ケイ……」
アリスはそのあまりにも残酷な光景に言葉をかけることができない。すると。
「ハーッハッハッハ!!! まさかこんなところに新たなる源泉があるとは!! ミレニアムはまさしくブルーオーシャン……いや、ブルーホットスプリング!!」
現れたのは温泉開発部部長のカスミ。片手に起爆装置を持ったまま高らかに笑う彼女の後ろから温泉開発部員がどかどかと食堂内に侵入し、ボーリングの機材を運び込む。
「しかも複数箇所で見つかるなんて……これは超大型温泉都市の開発のテストヘッダーにふさわしい! さぁ、すぐさま温泉の掘削、温泉施設の建築を……」
チュインッ……とカスミの右手から何かが高速で駆け抜ける音がした。彼女がその手を見てみると、さっきまで持っていた起爆装置が数センチだけ残して消えていて……。
顔を前に向けると、憎悪に包まれた表情でカスミを睨む……天童ケイがルミナス・ノヴァを構えていた。
「ふふ……ふふふ……二回目……二回目です」
ぎろりとカスミを睨むケイの瞳は、どす黒い炎で燃えていた。アリスはその横顔を見て震え上がる。
「た、大変です……ケイが、ケイが闇落ちしてしまいました!!」
アワアワと慌てるアリス。そんな彼女に対し、ケイはその見た目からは想像できないほど穏やかな声で語りかけた。
「大丈夫ですよ、アリス。闇落ちなんてしていません。むしろ私は正義の名のもとに、食への冒涜を行った悪を葬り去る使命に燃えています」
(こ、これは正義を名目にしてありとあらゆる破壊を行う、魔王化した勇者のセリフです!!)
そんなアリスの心配を他所に、ケイはカスミを睨みつけ、ルミナス・ノヴァの銃口を向ける。
「……どこの誰か知りませんが」
ジジ、ジジジ……と展開された砲身内に地場が形成される。充電完了のランプが点灯。ケイはオーバーチャージリミッタースイッチを押し込み、100%だった電圧が120%へと跳ね上がる。ガコン、と薬室にサボット弾が装填され、最終発射体制を整えた。
「寝ぼけた理由で、食べ物を粗末にするなぁああああぁぁーーーーーーーーっっっっ!!!!!!!!」
光よ!!! ルミナス・ノヴァが吠える。撃ち出されたサボット弾が、怒りの代弁となる電磁波をまとうと、時速6,120kmで射出。カスミは自身に向かう飛翔体を認識する前に、彼女の立っていた瓦礫の山と、取り巻いていた温泉開発部員を巻き込み、光と衝撃波に飲まれて消えた。
*
温泉開発部の行ったテロ……もとい、掘削爆破はミレニアムの複数地点で行われ、学園内はさながら戦場の様だった。
研究室、格納庫、教室、あらゆるところが被害、またはとばっちりを受けたことで増えていく、研究や開発作品がおじゃんになった生徒たちの阿鼻叫喚……。
これは混沌が巻き起こる……シャーレからミレニアムに急行した先生は、その様子に今日は眠れないことを覚悟し、現場に到着すると……。
「貴様ら貴様らぁぁ!!!!」
爆音と銃声の中に、聞き覚えのある声が混じっていた。見ると爆炎の中から美しい白髪が現れ、その細身な身体が持つにしては、あまりにも大きすぎるレールガンを構えて叫ぶ。
「馬鹿野郎ォォォォォ!!!」
まるでケイの怒りに呼応してるかのように、ルミナス・ノヴァが火を吹き、残った温泉開発部員を吹き飛ばす。
「け……ケイちゃん?」
その激昂した天童ケイの姿に、先生は呆然としてしまう。あれは、ガチのやつだ。まるで大切なものを奪われた魔王のように怒り狂い、復讐心を動力にして破壊をぶちまけるその姿。
「じゃ、邪魔するな! 私達温泉開発部がこの地に新しい娯楽を起こそうというのに!!」
「破壊を強いる部活のどこに娯楽がある……寝言を言うなぁあーーーーっっ!!!」
言うことは主人公のそれだが、戦い方がいかんせん泥臭くて聴覚と視覚が噛み合わない。というかえげつない。
「ケイちゃんが……あんなに感情をむき出しにするなんて、何が……」
今しがた、ケイは気絶してる部員を投げ飛ばし、空高く舞い上がったその体に向けて発射。弾頭が反射し、瓦礫の裏に隠れていたもう二人を吹き飛ばす。
「ひ、人の心がなさすぎる……」
一応、起きている事自体はミレニアム同時多発テロ(仮称)なので彼女から現状をなんとか話を聞けないだろうかと見回すと、
「せんせぇ……」
振り向くと、アリスが涙目でこちらを見ていた。彼女すら涙するこの状況、きっとただ事ではないと先生はアリスに問いかけた。
「あ、アリス! これはどういうこと!? ケイちゃんがあんなに怒り狂って……なにが起きたの!?」
「うぅ……ケイは……ケイは……大切なものを、奪われたんです……」
「大切なもの!?」
一体彼女は何を奪われ、アリスすら涙するこの惨状を引き起こしたのか。
まだ動ける温泉部員たちが、ケイに向かって「邪魔するなー!」とつるはしやスコップを抱えて飛び込むが、ギロリとマゼンタの瞳が光り、ルミナス・ノヴァを振り回して蹴散らし、発砲する。
「それで、ケイは何を奪われたの!?」
「うっ、うっ……ケイは……ケイは……」
チュドンッ! 後方で再度爆発音。陥没した穴から今度は同じく温泉開発部のメグが現れる。
「ケイは……眼の前で、トルコライスを無残に散らされたんです……」
「…………トルコライス???」
トルコライス……トルコライスって、あの? 先生は想像していなかった単語が現れて思考が止まる。
背後では、『頑張れケイちゃんー!』とミレニアムの生徒が、弾薬の入った無人コンテナトラックを走らせてケイに補給物資を届け、ケイは手を突き刺してコンテナに穴をぶち開けると、中からベルトで繋がれたサボット弾を引きずり出す。
「食堂が爆発して、ケイが食べようとしていたトルコライスが目の前で吹き飛んで……その後、鳥さんたちがそれを全部食べて……ううぅ、ケイのご飯がなくなってしまったんです……」
「……トルコライスが?」
「はい……」
「なるほど、トルコライス……」
弾薬を補給したケイの怒りは勢いを増し、低電力モードで弾頭を連射して向かうものを一つ残らず蹂躙する。
なんとか懐に飛び込んだ温泉部員がいたが、だからなんだと言わんばかりに地面に落ちていたスコップの柄をつま先で弾き上げ、舞い上がったそれを掴むと、ほぼノーモーションで振りかぶり、昏倒させる。
「……アリスは食べたの? トルコライス」
先生はケイを見つめる。空になったバッテリーパックが弾き出され、その隙を狙って再度接近戦を仕掛ける温泉開発部員数名だったが、ケイがジャケットの袖を振り下ろすと、一体いつ拾ったのだろうハンドガンが袖口から飛び出し、短く構えていた。
「はい……とても美味しかったです」
「そうか……それは……」
近づいた数人を発砲して無力化し、バッテリーを新品と交換。息を吹き返したルミナス・ノヴァが咆哮を上げ、それを操る彼女の顔は阿修羅すら凌駕する表情だったが……その奥に宿っているのは、朝食と昼食を奪われた悲しき獣……。
「怒るよね……」
それと同時に、彼は感じる。
二度あることは三度あるのだ、と……。
なお、朝と昼にモモトークにてケイから処刑宣告をされたモモイが、たまたまこの場を目撃しており……ケイをここまで憤怒させた自分は一体何をしたのだろうかと戦々恐々するのは別の話である。
*
結局、天童ケイ(狂戦士)バーサクモードの活躍、もとい大暴走により、騒動は夕方頃には沈静化。ようやくミレニアムから爆音は消えたが、被害状況をまとめると学園内のライフラインはほとんど麻痺。学園の技術系部活動総動員で修復作業が始まったが、復旧には丸一日、食堂の再開は最低でも2日は掛かるとのことだった。
「……お腹……すいた……」
時刻は21時、シャーレ執務室内。当番生徒用の机の上でケイは、やるべき仕事の一区切りがつくと同時に、空腹と怒りに狂った自分を思い出し、自己嫌悪を抱えながら机に突っ伏した。
「ケイちゃん……何もそこまで気にしなくても良いんだよ……」
「正当防衛とは言え、怒りに身を任せて暴れ回ったのは事実です。そのせいで巻き込まれた生徒や建物もあります……どうか今は自分を見つめ直させてください……」
ケイはキーボードのタイピングを再開する。その傍らにはすでにコーヒーを飲み干した彼女のカップが置かれており、カフェインに物を言わせて体を動かしていることを嫌でも感じる。
「みんなケイちゃんのおかげで早く解決したって感謝してたよ……それにそんなんじゃ、体壊しちゃうよ」
いや、自分が言えた立場ではないし、キヴォトス人が簡単に死ぬわけはないのだが、今のケイは肉体を持ったばかりの赤ん坊同然。初めて経験するであろう長時間の空腹は、苦痛以外の何物でもない。先生はそっと食事をする機会を与える。
「……そしたらちょっとお願いがあるんだけど、エンジェルマートで買い物できないかな。こっちはゲヘナからの生徒引受人がまだ来てなくてね。席を外せそうにないんだ」
「……わかりました。何を買えばいいんですか?」
「シンプルにお茶と、ガムと……あと、おにぎりとか好きなもの買ってきていいよ。それをご飯にして」
「……ご飯……」
と言われた瞬間、自己嫌悪ですっかり死んでいたケイの胃袋が目を覚まし、ぐうぅぅぅうるる……と音を鳴らす。
「……わかりました。では、行ってきます」
「他にも必要そうなものがあったら買っていいからね。こっちで経費として処理するから」
財布とスマホを片手に、執務室を抜けるケイ。シャーレ居住区内は流石に静かになり、人の気配はほとんどしない。
ーぐぅぅぅうぅ……ぐ、ぐぅう……ー
おかげで、腹の音が異様に大きく聞こえて余計に腹が減る。含んだのは水とコーヒーだけ、腹には入るが昼間のトルコライスの香りが離れず、塩っ気のあるものが欲しくてたまらない。
(でも……コンビニに行けば何かしらはあるはず……もう今日は店にあるもので済ませて……)
と、コンビニに入ったケイは店内を見て固まる。ない。商品棚に食料品が、ない。
「ど、どういう……!?」
いつもならスナック菓子、チョコが置いてある棚から、レジ横のホットスナック。隅の方に置いているパンを陳列してるエリアからスイーツコーナーまでがほとんどが空っぽだった。
ケイは一旦表に出て看板を確認する。今日もニコニコ、24時間いつでもオープンのエンジェル24だ。
もう一度店内を見回し、レジにいたソラを見つけてケイは思わず食い気味に問い合わせる。
「あ、あの!? なんで、食べ物が!?」
「その……ミレニアムで起きた騒動で、こちらに多くの生徒さんが来て……殆どが売り切れてしまいました」
ケイはシャーレ内でがむしゃらに作業をしていた時の記憶を思い返す。思い返せばミレニアムの生徒の多くがシャーレに報告を出すために訪れていた。
(ミレニアム内の購買はとっくに売り切れてたし……私と同様に巻き込まれて、食事を取りそこねた生徒や、徹夜で作業するために物資を買っていく生徒が居てもおかしくない……)
ケイは天を仰いだ。自分がやるべきことは自己嫌悪ではなく、補給だったのだ。普段ならこんなことすぐにでも気づくというのに。
「あ、でも! 確かおにぎりが一個ありました!」
「本当!?」
ケイの目に光が戻る。聞くが早いと、おにぎりのあるコーナーに行く。そこには真っ白な冷蔵棚が並び、しかし……一箇所だけ、黒く染まるデルタのシルエットが目に入る。
キングオブコンビニおにぎり……ツナマヨネーズだ。
それはまさに地獄に垂らされた蜘蛛の糸を見つけたような気分だった。ケイの世界が輝き、眩しく、花畑の上を歩くような高揚感で満たされる。
キヴォトスに祝福を。その花道を歩く自分に喝采を。
魚類と乳製品を米で包んだ握り飯……論理的に言うとまるでミスマッチな組み合わせだと言うのに、その味つけと米のミックスは、あらゆる人間の心を掴んで離さない。その美味しさは、ケイだって知っている。
手をのばす。2メートル、1メートル……50センチ……。
0センチ。
ケイは取った。確保した。最後の一つ……己の朝食であり、昼食であり、夕食である、この唯一無二の握り飯。
ありがとう。
この世の全てに。
ありがとう。
食という概念よ。
(今、私は限りなく幸せです……)
ケイは右手を開く。握りしめられた、ツナマヨネーズおにぎり。その味を想像してじゅるり、と涎が滲んで飲み込む。
すると。
「えー!! もうなにもないのー!?」
レジから随分と幼い少女の声がした。こんな時間に? ケイが声のした方を覗き込むと、二人の生徒……ゲヘナの棗イロハと、丹花イブキがさっきの自分と同じようにソラに問い合わせをしているようだった。
「はい、この騒動でいろんな生徒さんが食べ物を買い占められて……」
「そんなぁ……」
「はぁ。しかたありませんよイブキ。こんな時間ですし、この騒ぎ。先生のオフィスにも物資が残ってないとのことでしたし、早くゲヘナに帰って食事を済ませましょう……」
「うぅ……うん……」
おそらく、先生の言っていたゲヘナからの引き継ぎ要因の二人なのだろうとケイは納得する。
それにしても聞き分けのいい子だ。飛び級でゲヘナに入った学生がいると聞いていたが、傍から見ると小学生のそれである。そんな子がこんな時間まで働いていて、空腹にも耐えてやるべきことをやっている。
「…………」
ケイは握りしめたツナマヨおにぎりを見つめる。考えるまでもないだろう。ケイは、人間だ。人間でたくさんだと歩き出し、二人に声をかけた。
*
「……ケイちゃんマジ天使。いや聖母」
「私は人間です」
時刻は23時58分。空腹も限界だろうに、ケイは目に涙を浮かべながら最後の書類を一心不乱に片付け、3日コースを覚悟していた処理がついに終了。ケイは執務室のソファに倒れ込み、お腹と背中がくっつきそうな感覚をその身で感じていた。もう、腹が鳴る元気すら無いのか、胃袋は沈黙を保っていた。
(三度目は……ケイが自ら受け入れて起こしたということか……)
その選択はきっと選ばなくてよかったものだ。ケイにはその権利がある。それだけの働きをこなしたというのに……。
「ふふ……身体って不便ですね……空腹でこんなにもレスポンスが落ちるなんて」
「け、ケイちゃんは身体持って日が浅いし……慣れてないだけだよ、きっと。あとそうは言いつつ仕事に不備なかったよ?」
「……ありがとうございます。その言葉で今日はとてもいい日になりそうです」
多分、裏を返せばそれまでは最悪だったと弱音を吐きたいのだとわかる。だが、それでも言わないのは彼女の最後のプライドなのだろう。言えば、イブキにおにぎりを譲る決断をした自分すら否定するのだから。
「……まてよ……ケイちゃん、もしかしたら!!」
先生は思い出す。確か、以前ケイと執務室内の大掃除をした時、体に悪いからとインスタント食品をいくつか整理した。その際、せめてこれだけは楽しみにしておきたいと、使ってない引き出しに隠した物の存在を思い出し、先生は目的の引き出しの奥深くに腕を突っ込む。
「……あった、あったよ!」
踵を返してケイのもとに戻り、先生は手に持ったカップ焼きそば『二平さん夜店の焼きそば 大盛り』を見せる。
「ケイちゃんが掃除した時、一個だけ隠してたんだ!」
「…………」
「ね? もうさ、健康があれとか気にしないで……空腹でいるほうが体に悪いからさ。ご飯にしよ?」
無言でカップ焼きそばを見つめるケイ。彼女は言葉を発しなかったが、鳴りを潜めていた胃袋が「ぐううぅ」と返事をし、本人も「お願いします……」とか細い声で答え、先生は給湯室へと向かった。
*
「先生の、自己責任カップ焼きそばクッキング!」
と宣言する先生をソファから見つめるケイ。お湯を入れるだけの調理法なのに何をどうクッキングするのだろうかと、ソファの肘掛けに顎を乗せながら眺める。
「ではまずお湯をいつもどおり入れます。そして90秒待ちます」
「90秒? 3分ではなく?」
「そのとおり。キング・クリムゾン! 能力の発動完了まであと80秒待ってね」
「つまり90秒待つと……」
「はい、では90秒経過しました!」
そう言うと先生はやきそばの汁を捨てて空っぽにし、蓋まで丁寧にベリベリと剥がしていく。
「あ、この時蓋の銀紙が張り付いたままにならないようにね。それと、この作り方はメーカー公式のものではないので、何が起きても自己責任でよろしく!」
「誰に言ってるんですか……あ、いいですメタ発言は序盤だけで十分です」
「お約束だと思ったのに……まぁ、10年これで食ってるけどなんとも無いよ。ほんとに美味しいから試して欲しい」
「……先生がそう言うなら」
蓋を剥がしたカップ焼きそばをレンジに入れ、500wで90秒。ブブブブとマイクロ波がインスタント麺内部で水分を沸騰させ、湯気がガラスを包んだ。
「機種によっては今みたいにガラスが曇ったら完了でも構わないよ」
あっという間に温め完了のブザーが鳴り、容器を取り出すと通常通りの手順でソースを絡め始めた。
「大盛りだと微調整いるからその辺は個人の塩梅で温めてね!」
「急に投げやりすぎません?」
「麺2倍とかじゃなければだいたいこれくらいでいけるよ」
しゃこしゃこ、と麺とソースが絡まっていく。わずかに浮き上がる水蒸気にもその香りが絡みつき、ケイの鼻腔をくすぐり始める。胃袋が息を吹き返し、何度目かわからない鳴き声を上げる。
「この作り方をすることに寄って、麺の中の水分が麺をもちもちに仕上げてくれるんだよ」
ソースを混ぜ終えた先生は、仕上げにからしマヨネーズの封を切り、均一になるように塗りたくる。ほんのすこし鼻がツンとする香りにこってりと絡みつくマヨのハーモニーがケイの身体ソファから突き動かし、ふらふらと台所へと導いていく。
「では、青のりスパイスを振りかけてぇ~~……完成!!」
先生特製、レンチン深夜の背徳カップ焼きそばの完成である。
「ほら、ケイちゃん食べて」
香りに魅入られ、いつの間にか先生の隣に立っていたケイがはっとする。
「わ、私はなにを……」
「洗脳が解除されたヒロインみたいなこと言ってる」
「いつの間に私は先生の隣に……」
「勇者よ、あなたは導かれたのだ……ほら食べよ? 今日は一日お疲れ様」
先生は割り箸を差し出し、ケイはそれ受け取ってじっと湯気とソースの香りを立ち上げるインスタント食品を見つめる。カロリー面、偏ったバランスで食事の選択肢からはほぼ外れている食べ物。
加えて既に日付も周り、食事をするにはあまりにも遅すぎる時間。
だと言うのに、今からそれを食すという背徳感は、ケイの手を動かす。
箸で麺を持ち上げる。茶色くソースで化粧をした縮れタイプのインスタント麺が、照明に照らされて輝いている。
ソースはからしマヨネーズとの相性の良さを、まるで生涯の愛を誓ったカップル画のごとく香りと視覚で刺激し、涎がじわり、じわりと溢れる。
「……いただきます」
もう我慢できなかった。ケイはその持ち上げた一口を、ずるると吸い込み、もきゅもきゅと噛みしめる。
(ほっぺ膨らませて可愛いな……)
と思っているうちに、ケイはもう一口、それも結構な量をまとめて箸で掴むとずぉぉ、と口に中に入れ、ほっぺが更に膨らんでもきゅもきゅ。ゴクリと飲み込み、更にもう一口。ずるるという音に混じって、鼻をすする音が混じった。
「はふ、はふ……んっ、んぐっ……うぅ」
「ケイちゃん?」
「ずるるる……ん、ごくっ……おいしい、です」
その目に涙が浮かんでいた。それは生きる喜びを噛みしめる人間の顔。先生は何も言わず、そっと彼女の頭に手を置いて撫でてやった。
「こんな……こんな時間に……こんな栄養のことなんて何も考えていないのに……うぅ……本当に美味しいんです……」
「これがね。空腹は最高のスパイスってやつなんだよ」
「~~~~ぅ」
ずるるる、ず、ずっぞぞぞとケイは無言になって麺を流し込む。味だけではない。先生の言っていたモチモチの歯ごたえが「食べている」という事実をより強く身体に与えてくれる。
およそ30時間ぶりの食事。それを深夜のカップ焼きそばで迎えるのは、ケイの涙を誘うには十分すぎる味だった。
「こんなの……ずるいです……どんな高級料理よりも……美味しいじゃないですか……」
「身体を得るってことは、その身を持って体験して初めて知れる物事があるからね」
この幸せに至るまでが、本当に苦痛だった。二度と経験したくない理不尽だった。
でも。
今この瞬間だけは。
理不尽を超えた先に掴む、幸せを味わってよかったと。
ケイは箸を進め続けた。
ずるずる、ずるずる……一口、また一口と麺が口の中を、舌の上を駆け抜け、白い歯に青のりが何個かくっついても構わず飲み込み続ける。
「んぐっ、んぐっ……っはぁ……ずるるるっ」
口の周りにソースが付いているのを感じる。だが、止まらない。この箸が止まらないのだ。
「ずぞぞぞ……ごくっ、ごく……んんっ」
時折水で口の中を整理すると、喉を鳴らして再度麺を入れる。するとどうだ、まるで一口目に戻ったかのような感動が再び広がる。溢れた涙が口元に混ざり、ちょっとだけ塩加減が増したが……それすらも美味しかった。
「むぐ、むぐ……ごくっ」
かこかこかこ、と箸が容器を叩く音。ケイはカップを煽ってその最後の瞬間に向けてスパートを掛ける。
「ん、ん…………、はぁ……」
こん、とカップ容器を置き、放心した顔を浮かべるケイ。容器の中は、かやく一つ残さず、まるで新品のように真っ白な状態にされていた。ケイはしばしその純白を見つめた後、飲み込んだソースの味を再度噛み締めて、手を合わせる。
「……ごちそうさまでした」
今は、ただただ感謝を。ケイは深々と頭を下げ、そして先生に向き直る。
「先生……ありがとうございました」
「うん。お粗末さまでした」
ぽん、と頭に手を置かれ、ケイは心地よさそうに目を細める。満たされた食欲と、糖質を嬉々として分解し始める胃液が踊っているかのような幸福感。ほんのりと鼻の奥に残るソースの深みに、彼女はしばし浸り続けていた。
「どう? インスタント食品はこういう時強い味方になってくれるでしょ?」
「そうですね……お陰で死んでもいないのに、生き返るという感覚を知れました」
「そしたら是非、箱買いして備蓄用に……」
「それだけの量食べるのは健康によろしくないです。しれっと即席麺生活に誘導しようとしてもそうはいきませんから」
「バレたかぁ……」
「……でも、まぁ」
ほんの少しだけ声が小さくなり、ケイは先生に表情を見られないように少しだけそっぽを向く。
「……たまになら……また、食べてもいいかなと……思います」
「……ふふ。次は一緒に食べようね」
そうして、その日から天童ケイの脳内にある好きな食べ物リストに、『深夜のカップ焼きそば』が追加され……。
シャーレの食料棚、ケイの家の台所奥深く、先生の自宅に、ひっそりとカップ焼きそばが備蓄されるようになるのであった。