集まれ〜江戸時代藩内政シミュレーション〜 作:星野林(旧ゆっくり霊沙)
「失敗した真珠は溶かしてそれを着色料にしてー」
錬金は領民達が加工に失敗した真珠を一旦ドロドロに溶かし、加工前の簪や櫛に真珠層のコーティングを施していた。
「真珠は漢方として使えるって言われたから狩野先生にも渡したけど、失敗作や歪んじゃってる真珠もあったから、それらを使ってねー」
漬け終わると乳白色かつ滑らかな肌触りの櫛や簪が完成していた。
「うーん……まだ残ってるな……安物の器とかでも試してみるか」
錬金が何気なく作った真珠の成分でできた櫛や簪、そして数種類の茶碗は日高藩の宝物として保管されることになり、将来高値で取引されることになるのであった……。
江戸にて俺は家康様と秀忠様に関ヶ原後の改易で出た浪人を雇ってもよろしいか……という願い出で出していた。
その中でも石田三成の嫡男で寺に入っていたために処罰を免れていた石田重家をどうしても家臣として召し抱えたいとお願いしたのである。
「何故そんなに石田の倅に固執するのだ? 徳川家としては寺に入っていたから処罰をしなかっただけなのであるが」
「いえ、欲しいのは諸侯を動かしていた石田三成の手腕の一端です。その嫡男であれば、うちの江戸屋敷はまだまだ困窮していますし、蝦夷送りがよろしければそれでもいいのですが、経営手腕の一端でも吸収できればと思いまして……何なら僧として蝦夷に送りたいくらいです。蝦夷の領地に行きたがる坊主もいませんので……」
「それを出汁に西軍配下だった浪人を召し抱えたいのであろう?」
「はは!」
「管理ができない浪人が増えるよりはマシか……よかろう。儂や秀忠は特に西軍の諸侯の配下を召し抱えても文句は言わん」
「ありがとうございます」
ということで、商人達に頼み、居場所が判明している人物に手紙を送って召し抱えたい旨を書き記し、江戸に一度来てもらった。
多くの者は警戒してこなかったのであるが、一部困窮している者は仕官先を求めてうちの江戸屋敷の門を叩いた。
数十人やってきたが、大物は石田三成の嫡男の石田重家、大谷吉継の息子でこれまた僧になっていた大谷泰重(たいちょう)の2人であるが、他にも宇喜多秀家(西軍で一番兵力を抱えていた大将格の1人 現在島流し)の若い家臣が仕官に応じてくれた。
「拙者と大谷殿は既に僧籍に入ったが故に徳川家から許された身なので、召し抱えるのはまずいのでは?」
「家康様と秀忠様、それに徳川重臣の方々より監督責任を負うのであれば受け入れても構わないと許可をもらっている。うちは正直に言うと家臣の質も高いとは言えない故に、若い君達でも即戦力だ。徳川の目が気になるのであれば本領の蝦夷に行く手もあるが……」
「流石に蝦夷は……」
「だろうな。あそこは少々過酷故にな……とりあえず旅の疲れを癒やしてから政務の説明を行う。皆の力に期待しているぞ」
「「「はは!」」」
ちなみに大坂の陣で活躍するような人物には連絡を入れなかった。
家臣としては欲しいけど、出奔されて大坂方に参加されたらたまったものではないからな。
管理できる身分にとどめておいたのだ。
西軍大将格の息子を家臣に加えても特に江戸城での扱いは変わることは無く、まぁ末端かつ地の果ての大名なので影響力はほぼ無いに等しいと思われているのだろう。
それでもいいさ……将来必ず影響力を行使できるようになってやるからな……。
蝦夷の日高に視点は戻り、星獣が遂にヒグマの親子のテイムに成功し、早速紅壱がその熊に改造を施し、体長2メートル級のヒグマに仕上がっていた。
領民達は最初怯えていたが、星獣が母熊に跨り、九尾や狸達と領内を巡回する姿を見て、次第に落ち着きを取り戻していったが、クリティカルの反応を見せたのはアイヌの人々であった。
アイヌの人々はヒグマを神獣として扱っており、それを使役できるとなれば神の使いとして尊敬と畏怖を集める結果になったのである。
星獣はよく取引しているユワレに定住する意思はないかと持ちかける。
『狩猟ばかりしていた我々が、定住した生活に馴染めるとは思えんが……』
「そんなのやってみないとわからないでしょ! やってみて上手く生活できればそれで、駄目なら駄目で狩猟中心の生活に戻っても全然いいからさ! やってみようよー」
聖獣の使いである星獣がそう言うならとユワレのグループ250人が村に来たあと、秋翁が彼らに知識をインストール。
すると価値観が変わったらしく、
「狩猟中心よりも安定して食えるならそのほうがいいわな」
と、短期間で同化してしまい。
領民として迎え入れることになるのだった。
「鮭に関する天啓が降りてきたな」
俺こと秋翁は領民達(最近加入したアイヌの人々や元武士だった人達も)を連れて本拠地日高の村に近い位置にある大きな河川……沙流川に来ていた。
日高の村には日高門別川という川が生活、農業用水として使われ、鮭も少数登ってくるのだが、本命は日高村の領主屋敷から6から7キロ地点にある沙流川である。
基本日高の畑や家がある範囲は日高門別川と沙流川の間に集中していて、一応道もあるので生き来はしやすい。
秋になれば鮭が戻ってくるので、鮭の産卵をしやすい環境を整え、鮭の漁獲量を増やし、領内での消費や交易、ネット通販での換金に使いたいということである。
鮭は母川回帰の習性という産まれた川に戻ってきて卵を産む習性があるので、川の流れが激しい……鮭にとっては登るのに過酷な場所の手前に分流を設けて、そこを鮭がこれ以上登れないような行き止まりにするのと、藁や蔦、柴を使い柵を作り、鮭が卵を産みやすく、そして外敵から守れる環境を整えるのである。
そうすると、鮭の個体数が爆増するのである。
このやり方は江戸時代後期に新潟の藩で発明され、明治時代全国に広まり、人工養殖が始まるまで使われ続けた方法である。
ちなみにこの方法使うと個体数が数年で3倍から4倍まで増える。
それだけ産卵場所にたどり着くことなく淘汰される鮭が多いのである。
鮭だけでなくマスとかもこの方法で増えたりするが……。
やるなら大きな川の方がいいので、今回は沙流川を選んだのである。
「鮭が登ってくるまでに環境を整えるぞ!」
「「「おう!」」」
美味しい鮭にありつくために、領民達は一丸となって川の整備を行うのであった。