影響   作:ぽりぷろぴえん

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第1話

 夕暮れ、私は学校からの帰り道であった。駅の側の家電量販店の横道を歩いていると、前から犬の散歩をする婦人が向こうに見えた。太陽は赤く街を照らして、家々の植物は赤と緑を組み合わせた言いようのない色の諧調を呈していた。私はこの道を、後五分程歩く。その間、私は考えようと思う。今日私がした行いに就いて。

 私は今日、学校で大人しく読書をしていたところ、直にホームルームが始まった。先生が教壇に立つと彼は何やら人数分の紙を握っており、さて彼は「出席番号順に一学期の成績書を取りに来い」と言い放った。教室を敷き詰める生徒のうちで、最もこの声に怯んだのは私であった。

 私は私の学力に自信がある訳ではない。実際の成績もこれまで芳しくなかった。然し、私は今回の学期では、一等を目指して努力する必要があった。理由は、父が私に言いつけて、「今回の試験にても成績の向上が見られなければ、お前を塾へ入れさせる」などと。問題は私が塾へ入れられることではなく、それが相応しいと見做されているという薄々の可能性が翻って瞭然と認められたことである。嫌々に鉛筆もて、然し念入りに教科書の傍用問題集に取り組んだ。さて私はしたがってその心持して成績表を遂に渡されるのである。

 私は出席番号二番、直ぐに呼ばれるや否や、さあその重要な書を先生が一枚取り出して私に向けたのを、稍気にしながら、一方で見たくない気でもってそれを手に受けた。私は未だ見なかった。私は机に戻るまでの歩行時間で私自身の気を静めようと思った。周りの人間、列を成したる学友の私を見る不思議の目は、つまり何故成績を一度見ないのかという意味で、然し私は気の鎮めについて集中する許りで、遂にそれを貫いて席に着いてみると、そこには裏の真白さに透けて見える科目を縦に、その横に得点を又縦に並べて整頓した表が見えて、その枠線の中にぼんやりとした数字が見えた。私は、えいとその紙を覆した。そして数字の羅列を注意深く観察した。それの数字の形までもが確り目の中で把握されるまで目線を同じ数字の上に置いて脳の解釈を待った。動悸がした。酷くはない、軽度の動悸だ。

 席次の欄には「七十八」と書いてあった。途端私は不安に思った。私は、どれだけの成績の向上を父に見せれば良いのか聞けばよかったと考え始めた。私の常の席次は九十番台から百番台、それが七十八番になったからどうなのだ。どうだと言うのだ。明らかにしたい。そして軽い動悸がしたのである。

 左の窓は開いていて、風が強くぶうと吹くと、教室に提がった布の類い――例えばそれは横に束ねられたカーテンの下部――が端なく揺れる。教室へ来た風の行方を私は気にしなかった。担任から連なった人の列の乱れや口の動きの程度を意識すると、その遠くに父の言いつける様子を見た。父が私を離れないということは、それだけの視覚の歪みの影響を知らずに受ける訳で。

 嗚呼私の未来の続くべき曲線の行く末を想定するも、それがさしたる危険を催さず、さては異常が常になれば気にも留めまい、無意識の豹変に誰が気付こうというのだろう。何れにせよ――。

 私は私が私だけであることに夢中だった。文字通りそれはいきなり声を掛けられれば覚めて。隣の席の木下が群衆の不思議の面持ちで肩を叩くと私は吃驚して頓狂な声を上げそうになって掠れた。

「君はそこに何を見ている? 只の紙一枚の奥に見るそれは君にとって重要なのか?」

 私は木下と目を合わせた。そして木下を思い切り撲った。

 驚きに付した周りの人間らはどっと騒ぎ始めて、先生は配る手を止めて、木下は被害を被った顔つきをして見せた。私は構わぬ、三発の拳を頭蓋に御見舞すると、先生の手が私の手首をぐいと掴んで「辞めなさい」と言うので私は辞めた。私は大変満足した。先生は「ホームルーム後に職員室へ来い」と言うので、やあやあ仕方のあるまいよ、参上しようじゃあないか。

 職員室にても私は平然の顔して先生の前に突っ立って見せると先生が「なぜ人を殴った」と問うので、「彼が私を侮蔑したからです。お前にとってその順位が重要なのかと云って。彼は定めし私をこう貶めようとしたんです、お前の順位は余程低く、それを気にするのは頗る滑稽であると。これも暴力の一に当らないのですか」と返した。

「当らない。外的な傷を伴わないからだ」

「外的と内的とで何の違いが認められるのですか」

「外的な傷は誰からでも見える。治療が必要かどうかははっきりと判る」

「内的ならば自分が傷ついていても判らないと言うのですね。それでは敢えて申し上げましょう。貴様は教師として屑ですよ」

「何」

「斯く申し上げた私に腹が立つ? 上等です。それが私ですよ。今すぐ木下も喚ぶ可きです。そして彼を叱り飛ばしなさい。さもなくば貴方は自己矛盾を孕むでしょう?」

「沢山だ。帰ってくれ」

 このような事を思い出した。そして私は到着した家の扉を開いて、中へ入っていった。

 私は恥ずかしくなった。人は他人を傷つけてはならなくて、それは誰しもが遵守するものであって、であるのに私は其に違反した。それは自身の機関が上手く作動していないという幼稚さの開示であって、私はそれで恥ずかしくなったのである。

 また、木下の言及した通り、たかが一枚の紙切れに並ぶ数字を酷く気にしている様子は、傍から見ればどうした事かと気がかりになるし、それを隠すのに意固地になって短絡的に拳を振るうという行動は恥ず可きことである。

 夕日は殆ど消えかかって、家の中は暗かった為電気を点けた。すると人工的な光が天井から流れ落ちてきて、その橙色が私には鬱陶しく思われた。しかし暗い中で過ごすのは変であるから、消すことも儘ならず、スイッチの前で数秒立ち尽くして、後、ソファに座った。かなり柔らかいソファだった。

 人は他に居ない。居ないからと言って羽目を外す心境ではない。寧ろ何か誰かに監視でもされている意識で、例えば私が先刻立ち尽くしたから変に思われるかもしれないと云う心理の働きが、私をして自然な腕の動作からテレビを点けしめた。

 テレビには全国放映のアニメが流れていた。途中から見始めた私にはそれがどんな物語の始まりを持って居たのか検討が付かず、それさえ私を苛立たせて、私はテレビを見たく無くなった。しかし直ぐに消して仕舞うのは人の自然な動きに比して変である。私はテレビを前に、それ以外の考え事を巡らせ始めた。すれば、又先程の恥ずかしさが込み上げてきて、私は人生に含まれるこの一日の上手くいかなさ加減に辟易した。そして人は他人に暴力を振るっては不可なかった。

 私はソファに横たわった。それは私の身体が愈休息を必要としたからだった。いずれの内に私は睡眠の底に落ちていた。

 気がつくと親が帰ってきた。

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