氏真に報告が終わり、自分の屋敷に戻るころ、客人が待っていることを小姓から聞いた。鵜殿氏長だった。彼は三河と遠江の国境を守る国衆だった。彼はまだ十二歳で、治めているのは彼の父だった。黄色の衣を着ている彼は茶を振る舞うために足を運んだらしい。
氏勝はそんな彼の茶の誘いを受けないわけにもいかず、「是非とも」と頂戴した。とはいえ、氏勝は茶の嗜みがあまりわかっていなかった。彼が持ってきた茶器はそこそこ価値のある丹波茶壺だった。それは綺麗な紫を描いていた。見様見真似で何とか茶を飲み、鳥の声だけが響く時間があっという間に過ぎ去った。
「結構なお手前であった」
「悦んでもらえて何よりでございます。ではこれにて……」
鵜殿どのは去っていった。その小さい背中が消えた後、氏勝はすぐに屋敷に布団を引いて眠った。体力がなければいざ戦に出ても役に立たない。九日間何もしなかった。
評定の前日は朝比奈信置と手合わせを行った。友好関係を保つためだった。信置も今川の重臣で、槍を得意としていた。はじめて戦う相手に苦戦しつつも、何とか勝ちを収めた。そして評定が始まった。
「皆、揃っているようだな」
家臣たちはいつもの部屋で、一斉に頭を下げている。その前で氏真が上座に座っている。二回目ともなるとさすがに見慣れてきた。
「まず、前回の主命の達成状況を比べてみるか」
脇に控えていた小姓が、書状を持って氏真のもとへ行った。両手でそれを手渡すと、氏真は広げて読んだ。そこには四名の名前と主命、そして成果が書かれている。一つだけ「天晴れ」と赤文字で記されていた。
「源次郎の働きがいちばんであった。源次郎、見事であった。褒美にこれを取らせる」
別の小姓がそっと末席にいる氏勝のもとへ歩いて、布で編まれた袋を手渡した。
「そこには金塊が入っておる」
氏真の高い声が響いた。氏勝は目いっぱい頭を下げて叫ぶように声を出した。
「ははっ!ありがたき幸せにございます!」
その時、隣から小言が漏れていた。
「源次郎さまに敗れるとは……一生の不覚……」
氏勝は何も言わず、ただ畳を見ていた。
「それでは今後についてだ」
氏真が話を切り出した。
「今月は軍備を行いたいが、いいか?」
「それが良いと存じます」
関口氏広が口を開いた。
氏勝にくだされた命は相変わらずだった。評定が終わると岡部屋敷に向かったが、二人ともいなかった。そこで朝比奈信置のもとで弁舌について学ぶことにした。二十日間信置とともに弁舌の勉強をし、ようやく初歩を学んだ。しかも信置から技の伝授もあった。
「もう私から教えられるものは何もございません」
「いえいえ、三郎兵衛殿。ありがとうございまする」
信置と別れた後、行く宛がなくなった氏勝は駿府の町へと足を運んだ。そこでたまたま友野屋の辰之助と出会った。
「おや、どちら様で?」
「梅木源次郎と申す」
「ほう、梅木殿……お初にお目にかかる。友野屋の辰之助と申します」
友野屋とは今川家の御用商人だった。とはいえ、氏勝は名前を知っているくらいだった。興味が湧いた氏勝は辰之助とともに友野屋へと向かった。
「辰之助か、よく戻った……おや?源次郎さまではございませぬか」
氏勝は当主・次郎兵衛が自分を知っていることに驚いた。上等そうな淡い青の絹の衣を身にまとっている次郎兵衛は微笑んでいた。
「どういったご用件でございましょう?」
「えっと……そうだな……」
大したお金も持っていなかった氏勝はどもった。ふと脳裏に氏真の命を思い出した。そういえば商人のもとで修行することもできると母に聞いたことがあった。
「御館様の命で、修行に来たのだ」
「算術修行は厳しいですよ?」
「構わぬ」
「ではこちらに……」
次郎兵衛は笑顔を絶やさないまま、氏勝を奥へと案内した。そして懐から算盤を取り出した。
「……2貫もらいますがよろしいでしょうか?」
「金を取るのか……まあ良い」
氏勝は4貫手渡した。二十日間算盤と帳簿を見比べて計算し続けた。が、上達しない。また2貫手渡した。さらに十日間修行を続けて、ようやく算盤術が身についた。その間、商人たちとの交流もあって人脈が広がった。
「ありがとうございました」
「いえいえ、今度は品物も見ていってください」
氏勝は友野屋を後にした。