駿府の自身の屋敷に戻ると、木箱から茶碗を取り出した。畳の汚れた黄色の上で、茶碗は緑色に輝いていた。いよいよ嬉しくなった氏勝は元信に自慢したくなり、すぐに岡部屋敷に走るように向かった。
「おお、若殿じゃありませんか。何用でございます?」
「茶を淹れにきたのだ」
「お茶? では、ぜひとも頂戴いたしましょう」
氏勝は木箱から大切そうにそっと緑色の茶碗を取り出すと、元信の前に置いた。
「どうじゃ」
「おお、高麗茶碗ですか。では、頂戴いたします」
その茶碗を使って茶を点てた。外は鳥の声が響いていた。
元信の頬はすっかり緩んでいたが、手合わせの時ほどは楽しんではいなかった。氏勝はみずからの茶の腕が悪かったのではないかと分析して、逃げるように屋敷を後にした。が、今から千宗易に教えを乞うために堺に出向くのも一苦労なため、とにかく皆に茶を振る舞おうと決意した。見様見真似でも続ければ上達するに違いないと考えた。
次に関口氏広の屋敷へと向かった。氏広はコウモリの翼のような口髭を震わせながら快く出迎えてくれた。
「源次郎殿ではございませぬか。よくいらっしゃいました」
「お茶を点てたいと思いましてな」
「お茶?では是非とも頂戴致しましょう。ささ、こちらへ」
案内されたのは屋敷内の小さな一室。真ん中にこじんまりとした囲炉裏があった。氏勝は囲炉裏で鉄瓶を沸かし、茶を高麗茶碗に入れて、茶筅で泡立てた。遠くから水の落ちる音と、ししおどしの軽快な音が響いていた。
「……しかし娘殿が心配ですな。ささ茶を」
「そうなのです。彼奴から連絡はなく……」
氏広は茶碗を持ちながら、ぼおっと遠いところを見つめていた。小窓からの光が顔に当たっていた。「よもや、このようなことになるとは……」ため息混じりに小さく口を開いた。
「松平殿は何を考えておるのでしょう」
「浅学な某は分かり兼ねますが……恐らくは三河を自分たちで護りたいのでしょう」
氏勝にも心当たりはあった。実際今川を、駿河を護りたいという思いはあった。もし他国のものが攻めてきたとしたら、──松平殿はそういう思いだったのだろう。
「結構なお手前でした」
気づけば茶はなくなっていた。外にはししおどしの他にスズメの鳴き声が響いていた。氏勝は氏広の頬が緩んでいたのをみて、ふっと胸を撫で下ろした。共に廊下を歩いて、門へ出ると、氏広は目を細めながら言った。
「ではまたお待ちしておりますよ」
氏勝は深々と頭を下げて、関口邸を後にした。