【朗報】転生したら世界帝国の伯爵令息でした   作:昼夜健康

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第10話 じゃがいものガレットと伯爵家の名

ハロルド料理長が「鴨の脇に置いてみる」と言った翌々日の午後、グレイヴェル館の厨房では、鉄鍋がまた火床の前に据えられていた。

 

今日は家族だけの試食の日ではない。

 

父の客人であるヘイワード卿が夕食に来るらしい。

大きな晩餐会ではなく、領地の境の道と橋について話すための食事会とのことだ。

厨房にとっては皿を失敗できない合図だった。

 

作業台の上には、細切りにされたじゃがいもが布に包まれていた。

鴨はすでに下ごしらえされ、焼き汁を受ける皿が火床の近くに置かれている。

小鍋には、ベリーと葡萄酒と肉汁を合わせるための材料が並び、バターの黄色い角が燭の光を受けていた。

脂の匂い、灰の匂い、じゃがいもの青い匂い。

その中でハロルドは、いつもより静かに眉間へ皺を寄せていた。

 

「まず、試します」

 

ハロルドはそう言って、一枚目のガレットを焼いた。

ちりちり、と音がする。

芋の端が白から薄い金色へ変わり、油の泡が細かくなる。

厨房の者たちも、あの「焦げた敷物」を思い出しているのか、誰も急かさない。

 

ハロルドは広いへらを差し込んだ。

今度は丸いまま持ち上がる。

返した面は金色で、ところどころ濃い茶色がある。

いい。

とてもいい。

 

焼き上がったガレットを、ハロルドは布の上へ置いた。

油が少し染みる。

そこから銀の皿へ移し、鴨の切り身を仮に置き、赤茶色のソースを脇へ細く落とした。

 

「大きい」

 

ハロルドが言った。

 

俺は皿を見た。

ガレットは丸く、香ばしく、見た目は悪くない。

だが、鴨の脇にあると少し主張が強い。

肉の付け合わせというより、芋が「私が本日の主役です」と言っている。

 

ハロルドは帳面に書いた。

 

「一枚目、大きすぎ。鴨の脇で目立ちすぎる」

 

前世の俺は、食卓で皿の余白など気にしたことがなかった。

定時後に食べる惣菜は、皿より胃袋が優先である。

貴族の食卓は、団子より花らしい。

 

二枚目は小さく作られた。

端はきれいに立ち、中心も厚くない。

ハロルドはそれを鴨のすぐ横へ置き、ベリーと葡萄酒のソースを細く垂らした。

 

最初は美しかった。

金色の芋、飴色の鴨、赤茶色のソース。

 

だが、少し待つと、ソースに触れた端がじわりと重くなった。

かりっと立っていた芋の先が、しんなり沈む。

 

「近すぎます」

 

俺が小さく言うと、ハロルドはへらを止めた。

 

「よくお分かりで」

 

たぶん褒められた。

 

ハロルドは、ほんの少しだけ位置を直した。

鴨の切り口から出る肉汁の届くぎりぎり外側。

ソースは肉の脇へ。

ガレットの端には触れない。

上には塩をほんの少しだけ。

 

皿が急にまとまった。

 

ただの芋ではない。

鴨の脂とベリーの赤を横から支える、控えめだが頼れる脇役だった。

 

「悪くございません」

 

ハロルドが言った。

 

「かなり?」

 

「今は、かなりとまでは申しません」

 

厳しい。

 

「温度と時刻がございます。先に焼けば冷めます。皿に置いたまま待てば油じみます。遅れれば給仕が乱れます」

 

同じものを何枚も、同じ大きさで、同じ時刻に、同じ温度で出す。

それはもう、厨房の小さな戦であり、帳面と手順の領分だった。

 

「料理長に任せます」

 

俺が言うと、ハロルドは少しだけ目を細めた。

 

「賢くなられましたな」

 

「少しです」

 

 

夕方、俺は着替えを済ませた。

 

子供用の上着はきちんとしていて、首元が少し苦しい。

晩餐の前に鏡の前へ立たされ、クララが襟を整え、ネルが袖口を直した。

俺は自分では何もしていないのに、礼儀正しい幼児が一体仕上がっていく。

貴族生活は、本人の努力より周囲の手で形が整うことが多い。

その代わり、中身が変だとすぐばれる。

 

リディアが廊下で俺を見て、くすりと笑った。

 

「お兄様、厨房の匂いがします」

 

「そうかな」

 

「します。油と、お芋」

 

兄が夕食前に油と芋の匂いをまとっている。

どう考えても普通ではない。

 

「家のためです」

 

俺は言った。

 

リディアは首をかしげた。

 

「お兄様がそう言う時は、おなかのためでもあります」

 

妹よ。

なぜ君はそんなに核心を突くのがうまいのか。

 

「少しだけ」

 

「やっぱり」

 

リディアは楽しそうに笑った。

その声を聞いて、廊下の端にいた母セシリアが振り向いた。

 

「アーサー」

 

「はい」

 

「今夜はお父様のお客様がいらっしゃいます。厨房のことを得意げにお話ししてはいけませんよ」

 

「はい」

 

「料理が褒められたら、料理長を褒めなさい」

 

「はい」

 

母は満足そうにうなずいた。

たぶん、俺が何か関わっていることには気づいている。

気づいた上で、食卓の手柄の置き場所を教えているのだ。

 

食堂の窓の外は日が暮れかけ、燭台の火が細く揺れている。

 

父エドマンドの向かいには、ヘイワード卿が座っていた。

白い口髭のある老紳士で、声は穏やかだが、橋の修繕費の話になると目が鋭くなる。

 

俺は子供用の席に座り、背筋を伸ばした。

普通の顔。普通の顔。

たぶん今日も無理だろうが。

 

前菜のあと、鴨の皿が運ばれてきた。

 

皮は濃い飴色で、切り口から淡い湯気が立つ。

ベリーと葡萄酒のソースは肉の脇に細く置かれ、赤茶色のつやを持っている。

そして、皿の片側に小さな金色があった。

 

ガレットだ。

 

大きすぎない。

ソースに浸かっていない。

鴨から離れすぎてもいない。

端は細かく立ち、中心はほどよくまとまり、ほんの少しの塩が表面に光っている。

厨房で見た三枚目より、さらにきれいだった。

 

ヘイワード卿が皿を見た。

 

「これは、芋ですかな」

 

父が少し眉を上げた。

母は穏やかに微笑んだ。

 

「料理長が、鴨に合わせて整えたものですわ」

 

母の声は軽い。

 

ヘイワード卿は、まず鴨を少し切り、ソースをほんのわずかにつけた。

それからガレットの端をフォークで割った。

 

小さく、かり、と音がした。

 

俺の耳には大きく聞こえた。

 

「ほう」

 

老紳士は一口食べた。

しばらく黙る。

父も食べる。

俺は膝の上で指を握った。

 

ヘイワード卿は皿をもう一度見た。

 

「うちの村では、芋は鍋に入るものと思っておりましたが」

 

悪い意味か。

俺の胃が一瞬沈む。

 

「これは、皿の上でずいぶん顔が変わりますな」

 

母の笑みが深くなった。

父も口元を緩める。

 

「ハロルドは昔から手堅い男ですが、近ごろ少し洒落たことをします」

 

父が言った。

 

手堅い男。

それはたぶん、父にとってかなりの褒め言葉である。

 

ヘイワード卿はガレットをもう一口食べた。

 

「外は香ばしく、中は柔らかい。肉の汁を受けても、崩れすぎない。なるほど、これはただの芋ではありませんな」

 

ただの芋ではない。

 

俺は心の中で万歳をした。

実際に手を上げたら、ロウリーが背後で気配を鋭くするので、心の中だけである。

 

父もガレットを割った。

端がかりっと砕け、中心の白い芋が見える。

彼は鴨の脂を少しつけて食べ、次にソースをほんのわずかに合わせた。

 

「重くない」

 

父は言った。

 

「芋は腹にたまるものだと思っていたが、これは鴨を邪魔せん」

 

母がうなずく。

 

「皿も明るくなりますわ」

 

食卓の空気が少し浮いた。

ただ、客人がもう一口食べた。

父が満足そうに黙った。

母が、ほんの少し誇らしげに笑った。

 

皿一枚で、家の顔は変わる。

 

俺はガレットを見た。

ただの芋、出世したな。

 

「お兄様」

 

リディアが小声で言った。

 

「はい」

 

「顔が、勝った顔(ドヤ顔)です」

 

「してない」

 

「しています」

 

ロウリーが背後で咳払いをした。

俺は慌てて鴨を食べた。

 

自分の皿のガレットは、小さく切られていた。

外側はかりっとして、噛むと焼けた芋の香りが広がる。

中はほくっと甘い。

鴨の脂を少し受けてもべちゃりとはならず、ベリーソースの酸味が来ると、芋の甘みが前へ出る。

 

俺は小さく息を吐いた。

 

「おいしい」

 

声は小さかったが、近くのリディアには聞こえたらしい。

 

「お兄様、やっぱりおなかのためです」

 

否定できないのがつらい。

 

 

食後、父はヘイワード卿と書斎へ移り、橋の話を続けた。

俺は母に呼ばれて、小さな文机のそばに立った。

母は細いペンを取り、ルディオンに住む知人への手紙を書いているところだった。

 

「見てもよろしいですか」

 

「少しだけなら」

 

母は便箋を少しだけ傾けた。

そこには天気、父の客人、道のぬかるみ、リディアの刺繍のことが品よく並んでいた。

そして、その中に一行だけ、今夜の料理のことがあった。

 

鴨にベリーと葡萄酒の香りを添え、焼いた芋を小さなガレットにして合わせたところ、客人がたいそう興味を示した。

 

ただの一行。

だが、ルディオン(王都)の誰かがその一行を読む。

その誰かが茶会で少し話すかもしれない。

 

「料理は、手紙にもなるのですね」

 

俺は言った。

 

母はペンを止めた。

 

「そうよ。だから、雑に出してはいけないの」

 

短い言葉だった。

厨房より怖い。

焦げた敷物なら笑って済むが、焦げた家名は笑えない。

 

「ハロルドを褒めます」

 

俺は言った。

 

母は少し笑った。

 

「よろしい」

 

そこへ、父が書斎から戻ってきた。

橋の修繕費の話を終えたあとらしく、少し疲れた顔をしている。

 

「アーサー」

 

「はい」

 

「料理に興味を持つのは悪くない。家の食卓を良くするのも、大事なことだ」

 

「はい」

 

「だが、厨房は仕事場だ。料理長の邪魔をしてはいけない」

 

「はい」

 

「それから、古典ヴァル語の稽古から逃げるために厨房へ行くのも、いけない」

 

ばれている。

 

「はい」

 

父は少しだけ笑った。

 

「お前は、食べ物のことになると目が動く」

 

「家のためです」

 

「半分くらいは、そうだろう」

 

父にも半分見抜かれた。

この家族、食い意地への検査精度が高すぎる。

 

「ただ、今夜の皿は良かった。ハロルドにも伝えておく」

 

「はい」

 

俺はほっとした。

俺が褒められるより、その方が次の厨房の扉は開きやすい。

 

 

寝る前、ロウリーに連れられて廊下を歩いていると、厨房の前でハロルドに会った。

夕食の後片づけはほとんど終わっている。

扉の向こうからは、水音と、皿を棚へ戻す小さな音が聞こえた。

 

ハロルドは帳面を持っていた。

 

「若様」

 

「はい」

 

「旦那様より、お褒めの言葉を頂戴しました」

 

「よかったです」

 

「ヘイワード卿も、料理長の名をお尋ねになりました」

 

「すごい」

 

俺は素直に言った。

 

ハロルドは真顔のままだったが、耳のあたりが少しだけ赤い気がした。

 

「若様」

 

「はい」

 

「本日の皿は、厨房の仕事でございます」

 

「はい」

 

「ですが」

 

ハロルドは帳面を開いた。

ガレットの行に、今日の分が書き足されている。

 

芋は小さく円く。

鴨の脇、ソースより少し離す。

焼き上げは給仕直前。

油じみ注意。

庶民の芋でも皿映え可。

 

最後の一行の横に、短くこうあった。

 

若様、共犯。

 

「消してください」

 

俺は言った。

 

「記録でございます」

 

「料理長の成果です」

 

「若様の思いつきがきっかけでございます」

 

俺は帳面を見た。

チップスの行。

ベリーと葡萄酒のソースの行。

ガレットの行。

その横に、焦げた敷物もちゃんと残っている。

俺の恥が、少しずつ厨房の手順になっていく。

うれしいような、つらいような。

 

ハロルドは帳面を閉じた。

 

「若様」

 

「はい」

 

「次は、何をなさいます」

 

俺は口を開いた。

そして、すぐ閉じた。

 

聞くだけ、ではなかった。

料理長の方から聞いてしまった。

 

勝った。

たぶん勝った。

 

「少し、考えます」

 

俺は慎重に言った。

 

ハロルドはうなずいた。

 

「では、少しだけお考えください」

 

ロウリーが隣で、なぜか深いため息をついた。

 

厨房の奥で、最後の皿が棚へ収まる音がした。

ガレットは、ただの芋では終わらなかった。

そして俺も、ただ食べたいだけの若様では済まなくなりつつあった。

 

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