【朗報】転生したら世界帝国の伯爵令息でした   作:昼夜健康

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第18話 母の怒り

晩秋のグレイヴェル館では、帳簿部屋の窓に薄い霜が残る朝が増えていた。

 

「家畜小屋の糞と藁を、落ち葉と一緒に積んで、畑へ戻す」

 

前世のどこかで聞いた堆肥作りである。

ただし俺は前世で、子供のころに家庭菜園を少し手伝ったぐらいだった。

覚えているのは、どこかで読んだだろう知識の糞、藁、落ち葉、水分、空気、くらいだ。

料理で言えば、材料名だけ見て晩餐を作ろうとしているに近い。

過去の俺なら「まあ何とかなる」と言っただろう。

最近の俺は少し成長している。

 

「まあ、ベネットがいれば何とかなる」

 

ベネット土地差配人は、机の向こうでたいへん静かな顔をしていた。

 

「若様。堆肥は珍しいものではございません」

 

「はい」

 

「家畜小屋から出たものを畑へ戻すことも、落ち葉を腐らせることも、村では昔からございます」

 

「はい」

 

「ただ、まとめて積み、時期を見て運び、畑へ入れるとなりますと、量、場所、水、風、人手が問題になります」

 

「風」

 

俺はメモ帳に書いた。

ベネットが前回から言っていた、匂いの正体である。

匂いは帳簿には薄くしか載らない。

名言だ。

 

「置き場は家畜小屋の近くでよいのでは」

 

「運ぶ手間だけを考えれば、そうでございます」

 

家畜小屋の裏手には、藁置き場があり、落ち葉も庭の端に集められる。

そこへ小さな囲いを作り、糞と藁と落ち葉を層にして積めば、運搬は短くて済む。

小さく試す。

戻せる形。

見える場所。

前回学んだ良い言葉を並べると、だいたい正しいことをしている気分になれる。

 

「では、試験として小さく。家畜小屋の裏手で」

 

ベネットはすぐには止めなかった。

その沈黙で、俺はもう少し疑うべきだった。

だが、白いソースで腹を痛め、カブで食卓を圧迫し、ハーバーボッシュ法に逃げられた俺にも、まだ楽天性は残っていた。

しぶとい。

 

「小さくならば」

 

ベネットは言った。

 

「ただし、旦那様へ通し、家畜番と庭師にも聞きます」

 

「もちろんです」

 

もちろんと言える時、人はだいたい何かを見落としている。

 

 

家畜小屋の裏手は、冬へ向かう乾いた草と湿った藁の匂いが混ざっていた。

牛が鼻を鳴らし、馬が横目で俺を見た。

若干呆れた目をしている気がする。

 

家畜番たちは、糞の混じった藁を掻き出した。

重い。

湯気が立つ。

藁の黄色と黒く湿った塊が混ざり、獣の熱が鼻へ来る。

不快かと言われれば不快である。

ただ、堆肥になると考えると少しだけありがたく見える。

鼻はまったく納得していないが。

 

庭師たちは、庭の端から落ち葉を運んできた。

濡れた葉は黒っぽく重く、踏むと甘く腐りかけた匂いがする。

俺が想像していた「ふかふかの秋の落ち葉」とは違い、現実の落ち葉は水と泥を含んで、ぐちゃぐちゃで重そうだ。

 

「若様、こちらへ積みますか」

 

家畜番が聞いた。

 

家畜小屋の裏。

藁置き場に近い。

屋敷へ向かう勝手口からは少し離れている。

庭の見栄えにも、ぎりぎり入らない。

 

「ここで」

 

俺は言った。

 

ベネットが俺を見た。

庭師頭も俺を見た。

二人の視線には、同じ種類のためらいがあった。

 

「何か」

 

「いえ」

 

庭師頭は短く答えた。

 

「冬の北風なら、屋敷とは反対へ流れます」

 

「なら、良いですね」

 

「冬の北風なら」

 

彼は繰り返した。

 

その言い方に、俺は少し引っかかった。

しかし、家畜番たちはもう作業を始めている。

木の叉が藁をすくい、落ち葉が重ねられ、上から少し水が撒かれた。

乾きすぎても駄目で、びしょ濡れでも駄目らしい。

前世知識は、肝心なところで急に寡黙になる。

 

「下に粗い枝を少し入れます」

 

庭師頭が言った。

 

「水が抜け、空気も通ります」

 

「なるほど」

 

俺はメモした。

 

粗い枝。

糞藁。

落ち葉。

水は少し。

上に古藁。

日付。

作業者。

天気。

 

木札も立てた。

厩肥試験。

触る者はベネットへ。

 

村の男たちが、遠巻きに見ていた。

 

「若様が糞の山に札を立てた」

 

「畑より札が好きなんだろう」

 

小さな笑い声がした。

馬鹿にされている、というより、珍しいものを見た人間の笑いだった。

俺は聞こえないふりをした。

 

その日の終わり、厩肥の山は思ったより立派になった。

湯気が少し上がり、古藁の蓋の下で黒い湿り気が眠っている。

畑へ戻すための山。

悪い輪を少し逆に回すための山。

 

俺は満足してメモ帳を閉じた。

 

◇◇◇

 

三日後、南寄りの湿った風が吹いた。

 

その朝、グレイヴェル館の廊下は、いつもより忙しかった。

母セシリアが近隣の夫人たちを茶に招いていたからである。

客間には磨かれた銀器、薄い陶器の茶器、焼き色のよい小さな菓子が並んだ。

厨房からは、焼けた小麦とバターの甘い香りがした。

ハロルド料理長は、刻んだ干し果物を入れた小さな焼き菓子を出す予定らしい。

外は冷え、客間には炭火が入る。

窓の内側が少し曇り、茶の湯気が白く立つ。

 

そこへ、厩肥が来た。

 

正確には、厩肥の匂いが来た。

見えない。

しかし、いる。

廊下の角を曲がり、客間の前をかすめ、玄関ホールの花の香りを横から殴る。

バター、茶、干し果物、磨いた木、そして家畜小屋。

混ぜてはいけないものが混ざった。

 

俺は廊下の途中で足を止めた。

 

「これは」

 

「若様」

 

ロウリーが横に立っていた。

いつからいたのか分からない。

執事という生き物は、匂いより静かに現れる。

 

「奥様がお呼びでございます」

 

「今ですか」

 

「今でございます」

 

その声は、白いソース事件の時より穏やかだった。

穏やかであることが、かえって怖い。

 

母は客間ではなく、隣の小さな控え室にいた。

扉が閉まると、茶の香りと厩肥の匂いが少し薄くなった。

母は微笑んでいた。

たいへん美しい微笑みだった。

そして、たいへん危険だった。

 

「アーサー」

 

「はい」

 

「領地は大事です」

 

「はい」

 

「畑も大事です」

 

「はい」

 

「ですが、客間へ厩肥をお招きする必要はありません」

 

「申し訳ありません」

 

俺は即座に頭を下げた。

正しい判断である。

ここで言い訳を始める者は、たぶん領地改革の前に家庭内で討ち死にする。

 

母は声を荒らげなかった。

だからこそ、言葉の一つ一つがよく刺さった。

 

「実用は恥ではありません。畑も家畜も、伯爵家の暮らしを支えています」

 

「はい」

 

「けれど、屋敷には屋敷の顔があります。女主人は、それを整えるのが仕事です」

 

俺は顔を上げられなかった。

母の怒りは、匂いが嫌だというだけではない。

 

「正しいことでも、置き場所を間違えれば嫌われます」

 

母は静かに言った。

 

「覚えておきなさい」

 

「はい」

 

俺は心のメモ帳にも書いた。

正しいこと。

置き場所。

嫌われる。

 

紙からは匂いがしない。

だから、余計に危ない。

 

 

その日の午後、俺はベネットと庭師頭に助けを求めた。

平謝りである。

貴族長男にも、頭を下げるべき時はある。

むしろ貴族長男だからこそ、頭を下げる相手を間違えると大事になる。

 

ベネットは厩肥の山の前で、少しも勝ち誇らなかった。

それがありがたく、少し痛い。

 

「若様。常に北風が吹くわけではありません」

 

「はい。たいへんよく分かりました」

 

「湿った南風では、屋敷へ向かいます」

 

庭師頭が、庭の木立と屋敷の窓を指した。

 

「こちらは厨房の裏窓へも回ります。洗濯場にも近うございます。客人の馬車が通る時、風が変われば避けられません」

 

ベネットは地面を杖で示した。

 

「さらに、ここは雨の後の水が勝手口の溝へ向かいます。厩肥の汁が流れれば、匂いだけでは済みません」

 

俺は黙ってメモした。

風向き。

排水。

距離。

窓。

洗濯場。

厨房。

客人の通り道。

 

「では、どこなら」

 

ベネットと庭師頭は、すでに考えていた。

屋敷の端から離れ、古い果樹園のさらに向こう。

村道から丸見えではないが、作業道から荷車が入れる場所。

井戸から離れ、小川へ直接水が落ちない。

北風でも南風でも、屋敷の窓へまっすぐ流れにくい。

生け垣で目隠しができ、近くに落ち葉も集められる。

 

「遠いですね」

 

「匂いも遠くなります」

「運ぶ手間が増えます」

 

厳しい。

だが正しい。

 

俺は家畜番たちと庭師たちに、移し替えを頼むことになった。

もちろん、ただ頼むだけでは済まない。

誰が何刻から何刻まで作業するか。

通常の仕事をどこで軽くするか。

手当をどうするか。

荷車は何台使うか。

父にも通す。

母にも通す。

 

 

 

厩肥の移設は、地味で、臭く、そして意外なほど大仕事だった。

 

古藁をはがすと、中は熱を持っていた。

湯気が立ち、湿った甘苦い匂いがぶわりと出る。

家畜番が木の叉で崩し、庭師が落ち葉と枝を分け、荷車へ積む。

俺も少し手を出そうとしたが、ベネットに見られた。

 

「若様」

 

「はい」

 

「手伝うお気持ちはありがたく存じます」

 

「はい」

 

「ですが、本日は誰が何をしたかを記録してください。若様が泥に足を取られると、作業が一つ増えます」

 

俺はメモ係に戻った。

 

村の男たちは笑った。

ただし今度は、前より近い場所で笑った。

 

「若様の糞山が引っ越すぞ」

 

「屋敷に叱られたんだな」

 

「うちの女房に言われるより先でよかったじゃねえか」

 

その最後の声には、周りが大きく笑った。

家の中の匂い問題は、どうやら貴族も農民も共通らしい。

俺は苦笑して、メモ帳に書いた。

 

新しい場所では、庭師頭が先に粗い枝を敷いた。

その周りに浅い溝を掘り、雨水が堆肥の下を抜けすぎないよう、ただし溜まりすぎないようにした。

ベネットは、家畜番へ水を撒く量を尋ね、庭師へ落ち葉の乾き具合を聞いた。

俺の雑な「適度な水分」は、彼らの手の中で、握った時にしっとりするが水が滴らない程度、という形になった。

 

山の上には古藁をかぶせ、さらに薄く土を散らした。

匂いは消えない。

だが、先ほどよりは少し丸くなった。

厩肥の山というより、畑へ戻る前に寝かされた材料の山に見えた。

 

 

厩肥場の記録には、新しい欄が増えた。

 

日付。

天気。

風向き。

作業者。

入れたもの。

水分。

匂い。

屋敷への影響。

 

最後の二つは、母の怒りによって追加された。

たいへん実用的な怒りである。

 

数日後、母は帳簿部屋でその欄を見て、静かにうなずいた。

 

「匂いを記録するのですね」

 

「はい。薄くしか載りませんが、載せないよりはましだと分かりました」

 

母は少しだけ笑った。

 

その日の夕食には、焼いた羊肉と玉ねぎの澄んだ汁、そして小さな皿にカブの酢漬けが出た。

羊肉は表面が香ばしく、切ると中から湯気が立つ。

肉の脂は重すぎず、玉ねぎの甘みが温かい汁に溶けていた。

カブの酢漬けはしゃきっとして、塩と酸味が羊の脂をすっと切る。

しばらく見たくないと思っていたカブも、量と置き場所を間違えなければ役に立つ。

 

俺は一口食べて、少し安心した。

食卓に厩肥の匂いはなかった。

それだけで、今日は勝利である。

 

「アーサー」

 

父エドマンドが言った。

 

「厩肥場の移設費用は、領地勘定へ入れる。ただし、試験の失敗分として明記する」

 

「はい」

 

「成功だけ残すな」

 

「分かっています」

 

 

冬の間、厩肥場はときどき湯気を上げた。

家畜番は、糞と藁を入れる日を決めた。

庭師は、落ち葉と古枝の量を見た。

ベネットは、雨の後に溝を確認した。

俺は、風向きと匂いを記録した。

 

村の男たちは、通りがかりに笑った。

ただ、笑いながらも足を止めた。

 

「前より臭わねえな」

 

「あの藁をかぶせるのは効くのか」

 

「畑に入れるのは春か」

 

興味である。

 

◇◇◇

 

春先、試験区画の端に、少し寝かせた厩肥を入れた。

量は少ない。

畑の全部ではない。

カブの時と同じく、見える場所で、失敗しても小作人の取り分へ響かない場所。

 

土は、手で崩すと前より少し柔らかかった。

俺の気のせいかもしれない。

ベネットも断言しなかった。

 

俺はメモ帳を開いた。

 

厩肥試験。

全面導入しない。

見える場所。

失敗して困る人を先に考える。

匂いは少し増える。

風向き、排水、距離。

屋敷の体面も条件。

カブは増えすぎる。

保存と置き場も重要。

 

そこまで書いて、いったんメモを閉じた。

 

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