【朗報】転生したら世界帝国の伯爵令息でした   作:昼夜健康

22 / 29
第21話 温室は食べられるか

グレイヴェル家の温室は、伯爵家らしい見栄を見せるための場所だった。

客人が散策した時、季節より少し早い花や、異国風の葉を眺めて、女主人の趣味と家の余裕を感じる。

庭師頭にとって、小さな舞台であり、硝子の中に作った迎賓館だった。

確かトマトももともと観賞用とか聞いたことがある。

 

俺はそのたいへん重要な場所で、たいへん不用意なことを言った。

 

「花より団子、と申しますし」

 

庭師頭が、持っていた剪定鋏を静かに閉じた。

音は小さい。

だが、よく切れそうだった。

 

「若様」

 

「はい」

 

「温室は美を見せる場所です」

 

「庭師頭。全部を畑にしたいわけではありません。隅の方で、少しだけ」

 

「少しだけ、と言っていろいろなものを変えて来ているではありませんか?」

 

ひどい。

だが、心当たりがいっぱいあるので反論しにくい。

 

庭師頭は鉢棚の間を歩き、硝子の一枚を指で示した。

そこだけ、他より少し曇り方が違う。

 

「先月、風で枝が当たり、ひびが入りました。取り替えるだけで、村の小屋一つの屋根を直すほどではなくとも、安いものではございません」

 

ガラスは今の時代そんなに高いのか...

 

温室という響きには、どうしても農業施設めいた期待が混じる。

だが、目の前にあるのは、伯爵家が費用を払って維持する、繊細で面倒な硝子の部屋だった。

 

 

話を聞いた母セシリアは、温室の入口で俺と庭師頭を見比べた。

白い手袋の先で、苔のついた鉢を軽くなぞる。

母は汚れを嫌ったのではなく、手入れを見ていた。

 

「アーサー。あなたは、温室で何をしたいのです」

 

「早い時期に、少しだけ食べられる葉と香草を育てたいです。ハロルド料理長が皿に使えますし、苺が少しでも採れれば、茶会にも」

 

「少しだけ、ですね」

 

母はその言葉をたいへん丁寧に繰り返した。

少しだけ、という言葉は、最近の俺にとって信用残高の低い硬貨である。

 

「はい。全面改造ではありません」

 

「庭師頭」

 

母が呼ぶと、庭師頭は背筋を伸ばした。

 

「この温室の正面は、客人が庭から見る場所です。そこを乱すことは許しません」

 

「はい、奥様」

 

「けれど、実用が恥というわけでもありません。美しく見せられるなら、話題になります」

 

庭師頭は少し沈黙した。

俺は黙っていた。

ここで勝った顔をすると、あまりに大人気ない。

いや、今は子供か...

 

「正面の花棚はそのままで、奥の壁際、今は空鉢を置いている低い棚を、試験の場所にしましょう。客人に見える時は、春を先取りする小さな庭として見せるのです」

 

「小さな庭」

 

庭師頭がゆっくり言った。

 

「レタスも香草も、植え方と縁取り次第で見られぬものではございません。苺は花も実も見せられます」

 

母はそこで俺を見た。

 

「ただし、食べるために美を壊すのではありません。美しく見せたものの一部を、食卓にも使うのです」

 

なるほど。

 

「花より団子は撤回します」

 

俺が言うと、庭師頭は少しだけ顎を引いた。

 

「若様。花も団子も、置く皿や花瓶が悪ければ台無しでございます」

 

 

試験は、思っていたより地味だった。

土箱を温室の奥へ置き、底に小石を敷き、庭師が選んだ軽い土を入れる。

香草は厨房でよく使うものを少しだけ。

レタスは小さく柔らかい葉を取るため、詰めすぎない。

苺は花が見えるよう、低い鉢へ移した。

 

俺が何かをしたかと言えば、ほとんど見て、札を書き、余計な場所に手を出さないよう我慢しただけである。

庭師頭が水の量を決めて、

見習いが朝の曇りを拭いた。

硝子職人が枠のゆるみを直した。

そして料理長が

 

「若様、これはよい香りでございます」

 

料理長は、少し機嫌がよかった。

新しい食材に喜んでいるのに、表情はあくまで仕事の顔である。

 

数週間後、土箱の中には、柔らかな緑がそろった。

早い時期のレタスは、まだ手のひらに収まるほどで、香草も束と呼ぶには遠慮深い。

苺は、赤い実がいくつか。

皿いっぱいの豊作ではない。

けれど、寒さの残る朝に見る赤は、たいへん強い。

 

ハロルドはその日の昼、焼いた白身魚の皿に、ほんの少しだけ刻んだ香草を散らした。

魚の皮は薄く焼け、端が香ばしく、身は湯気を立ててほぐれる。

そこへ温室の柔らかな葉を二枚、葡萄酢を控えめにした軽いソースを一筋。

香草の青い匂いが、魚の油をふっと持ち上げた。

 

「うまい」

 

俺は正直に言った。

 

「量は少ないですが」

 

「少ないからこそ、皿の上で仕事をします」

 

ハロルドは淡々と言ったが、口元が少しだけ上がっている。

食材は量だけではない。

一枚の葉が、皿の季節を変えることがある。

 

ただし、レタス箱一つ分の燃料代を思い出すと、少し胃が現実に戻った。

胃薬がほしい。

今回の敵は、帳面である。

 

 

それから冷たい朝と柔らかな午後をいくつか挟み、庭師頭は葉を摘みすぎぬ量だけ切り、苺の鉢を少しずつ茶会に見せられる位置へ寄せていった。

 

母の茶会は、晴れた午後に開かれた。

温室の正面は花で整えられ、奥の低い区画には、小さな札と編み柵が置かれている。

札には、春先の小庭、と庭師頭の字で書かれていた。

俺の案の名残は、だいぶ上品に更生していた。

 

茶卓には、小さな焼き菓子と、薄く切った苺が並んだ。

苺は山盛りではない。

白い皿の上に、赤い点を置くように配され、香草の小さな葉が添えられている。

焼き菓子には蜂蜜をほんの少し使っていた。

 

客人の夫人が、皿の苺を見て目を細めた。

 

「まあ、この時期に」

 

母は穏やかに微笑んだ。

 

「庭師が、温室の奥で小さな春を作ってくれましたの。食卓を飾るほど、ほんの少しですけれど」

 

夫人たちは温室を見た。

正面の花を褒め、奥の小庭を覗き、苺の花と小さな実に顔を近づけた。

庭師頭は少し離れて控えていたが、夫人の一人が言った。

 

「花も実も見せるなんて、面白うございますね」

 

庭師頭の肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。

 

「ありがとうございます」

 

その声は控えめだった。

だが、嫌がっている声ではない。

 

俺は温室の外で、ベネットと並んでその様子を見ていた。

 

「通りましたね」

 

俺が小声で言うと、ベネットは帳面を閉じた。

 

「奥様と庭師頭の仕事でございます」

 

「俺の案は」

 

「材料でございます」

 

なるほど。地位が低い。

 

 

茶会の後、庭師頭が温室の奥で苺の鉢を見ていた。

赤い実はほとんど摘まれ、残っているのは青い小さなものと白い花だけだ。

 

「若様」

 

「はい」

 

「食べられるものも、見せ方次第では温室に置けます」

 

「分かりました」

 

庭師頭は、少しだけ温室の奥を見た。

 

「花より団子、ではございません」

 

「はい」

 

「花も団子も、客人が美しいと思うように置くのでございます」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。