【朗報】転生したら世界帝国の伯爵令息でした   作:昼夜健康

22 / 22
第21話 温室は食べられるか

グレイヴェル家の温室は、伯爵家らしい見栄を見せるための場所だった。

客人が散策した時、季節より少し早い花や、異国風の葉を眺めて、女主人の趣味と家の余裕を感じる。

庭師頭にとって、小さな舞台であり、硝子の中に作った迎賓館だった。

確かトマトももともと観賞用とか聞いたことがある。

 

俺はそのたいへん重要な場所で、たいへん不用意なことを言った。

 

「花より団子、と申しますし」

 

庭師頭が、持っていた剪定鋏を静かに閉じた。

音は小さい。

だが、よく切れそうだった。

 

「若様」

 

「はい」

 

「温室は美を見せる場所です」

 

「庭師頭。全部を畑にしたいわけではありません。隅の方で、少しだけ」

 

「少しだけ、と言っていろいろなものを変えて来ているではありませんか?」

 

ひどい。

だが、心当たりがいっぱいあるので反論しにくい。

 

庭師頭は鉢棚の間を歩き、硝子の一枚を指で示した。

そこだけ、他より少し曇り方が違う。

 

「先月、風で枝が当たり、ひびが入りました。取り替えるだけで、村の小屋一つの屋根を直すほどではなくとも、安いものではございません」

 

ガラスは今の時代そんなに高いのか...

 

温室という響きには、どうしても農業施設めいた期待が混じる。

だが、目の前にあるのは、伯爵家が費用を払って維持する、繊細で面倒な硝子の部屋だった。

 

 

話を聞いた母セシリアは、温室の入口で俺と庭師頭を見比べた。

白い手袋の先で、苔のついた鉢を軽くなぞる。

母は汚れを嫌ったのではなく、手入れを見ていた。

 

「アーサー。あなたは、温室で何をしたいのです」

 

「早い時期に、少しだけ食べられる葉と香草を育てたいです。ハロルド料理長が皿に使えますし、苺が少しでも採れれば、茶会にも」

 

「少しだけ、ですね」

 

母はその言葉をたいへん丁寧に繰り返した。

少しだけ、という言葉は、最近の俺にとって信用残高の低い硬貨である。

 

「はい。全面改造ではありません」

 

「庭師頭」

 

母が呼ぶと、庭師頭は背筋を伸ばした。

 

「この温室の正面は、客人が庭から見る場所です。そこを乱すことは許しません」

 

「はい、奥様」

 

「けれど、実用が恥というわけでもありません。美しく見せられるなら、話題になります」

 

庭師頭は少し沈黙した。

俺は黙っていた。

ここで勝った顔をすると、あまりに大人気ない。

いや、今は子供か...

 

「正面の花棚はそのままで、奥の壁際、今は空鉢を置いている低い棚を、試験の場所にしましょう。客人に見える時は、春を先取りする小さな庭として見せるのです」

 

「小さな庭」

 

庭師頭がゆっくり言った。

 

「レタスも香草も、植え方と縁取り次第で見られぬものではございません。苺は花も実も見せられます」

 

母はそこで俺を見た。

 

「ただし、食べるために美を壊すのではありません。美しく見せたものの一部を、食卓にも使うのです」

 

なるほど。

 

「花より団子は撤回します」

 

俺が言うと、庭師頭は少しだけ顎を引いた。

 

「若様。花も団子も、置く皿や花瓶が悪ければ台無しでございます」

 

 

試験は、思っていたより地味だった。

土箱を温室の奥へ置き、底に小石を敷き、庭師が選んだ軽い土を入れる。

香草は厨房でよく使うものを少しだけ。

レタスは小さく柔らかい葉を取るため、詰めすぎない。

苺は花が見えるよう、低い鉢へ移した。

 

俺が何かをしたかと言えば、ほとんど見て、札を書き、余計な場所に手を出さないよう我慢しただけである。

庭師頭が水の量を決めて、

見習いが朝の曇りを拭いた。

硝子職人が枠のゆるみを直した。

そして料理長が

 

「若様、これはよい香りでございます」

 

料理長は、少し機嫌がよかった。

新しい食材に喜んでいるのに、表情はあくまで仕事の顔である。

 

数週間後、土箱の中には、柔らかな緑がそろった。

早い時期のレタスは、まだ手のひらに収まるほどで、香草も束と呼ぶには遠慮深い。

苺は、赤い実がいくつか。

皿いっぱいの豊作ではない。

けれど、寒さの残る朝に見る赤は、たいへん強い。

 

ハロルドはその日の昼、焼いた白身魚の皿に、ほんの少しだけ刻んだ香草を散らした。

魚の皮は薄く焼け、端が香ばしく、身は湯気を立ててほぐれる。

そこへ温室の柔らかな葉を二枚、葡萄酢を控えめにした軽いソースを一筋。

香草の青い匂いが、魚の油をふっと持ち上げた。

 

「うまい」

 

俺は正直に言った。

 

「量は少ないですが」

 

「少ないからこそ、皿の上で仕事をします」

 

ハロルドは淡々と言ったが、口元が少しだけ上がっている。

食材は量だけではない。

一枚の葉が、皿の季節を変えることがある。

 

ただし、レタス箱一つ分の燃料代を思い出すと、少し胃が現実に戻った。

胃薬がほしい。

今回の敵は、帳面である。

 

 

それから冷たい朝と柔らかな午後をいくつか挟み、庭師頭は葉を摘みすぎぬ量だけ切り、苺の鉢を少しずつ茶会に見せられる位置へ寄せていった。

 

母の茶会は、晴れた午後に開かれた。

温室の正面は花で整えられ、奥の低い区画には、小さな札と編み柵が置かれている。

札には、春先の小庭、と庭師頭の字で書かれていた。

俺の案の名残は、だいぶ上品に更生していた。

 

茶卓には、小さな焼き菓子と、薄く切った苺が並んだ。

苺は山盛りではない。

白い皿の上に、赤い点を置くように配され、香草の小さな葉が添えられている。

焼き菓子には蜂蜜をほんの少し使っていた。

 

客人の夫人が、皿の苺を見て目を細めた。

 

「まあ、この時期に」

 

母は穏やかに微笑んだ。

 

「庭師が、温室の奥で小さな春を作ってくれましたの。食卓を飾るほど、ほんの少しですけれど」

 

夫人たちは温室を見た。

正面の花を褒め、奥の小庭を覗き、苺の花と小さな実に顔を近づけた。

庭師頭は少し離れて控えていたが、夫人の一人が言った。

 

「花も実も見せるなんて、面白うございますね」

 

庭師頭の肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。

 

「ありがとうございます」

 

その声は控えめだった。

だが、嫌がっている声ではない。

 

俺は温室の外で、ベネットと並んでその様子を見ていた。

 

「通りましたね」

 

俺が小声で言うと、ベネットは帳面を閉じた。

 

「奥様と庭師頭の仕事でございます」

 

「俺の案は」

 

「材料でございます」

 

なるほど。地位が低い。

 

 

茶会の後、庭師頭が温室の奥で苺の鉢を見ていた。

赤い実はほとんど摘まれ、残っているのは青い小さなものと白い花だけだ。

 

「若様」

 

「はい」

 

「食べられるものも、見せ方次第では温室に置けます」

 

「分かりました」

 

庭師頭は、少しだけ温室の奥を見た。

 

「花より団子、ではございません」

 

「はい」

 

「花も団子も、客人が美しいと思うように置くのでございます」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

最強ギルドマスターは十年前のゲーム世界に転生した 〜未来知識だけを武器に、見習い傭兵から王座を目指す〜(作者:窮北の風)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

ゲーム開始十年前。最強だった男は、最弱の見習い傭兵として戦場に立つ。▼かつて俺は、世界的人気ゲーム『Throne of Glory』で最強ギルドを率いるギルドマスターだった。▼しかしギルド任務の最中、操作していたキャラクターは強敵に倒されてしまう。▼……次に目を覚ました時、俺はそのゲーム世界に転生していた。▼しかも時代は、ゲーム開始の十年前。▼今の俺は、ただ…


総合評価:2981/評価:8.44/連載:61話/更新日時:2026年06月10日(水) 21:48 小説情報

セックスが淘汰された世界で、唯一の『クソオス魔装鍛冶師』(作者:北川ニキタ)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

「この世界の女は、おっぱいに対する羞恥心がなさすぎる!」▼魔素のおかげで単為生殖が可能なので、セックスとか恋愛とかが概念ごと淘汰された世界▼だけど、前世で童貞のまま死んだ男――ディートは諦めきれず、今度こそ脱童貞を目指して魔装鍛冶師になるのだった。


総合評価:2952/評価:8.26/連載:13話/更新日時:2026年03月26日(木) 19:09 小説情報

暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜(作者:パラレル・ゲーマー)(オリジナル歴史/戦記)

現代日本で死んだ主人公が転生した先は、江戸幕府を開いた徳川家。▼身分ガチャは大当たり――かと思いきや、幼名は国松。▼のちに兄・徳川家光と対立し、「暴君」と呼ばれて破滅するはずの徳川忠長だった。▼将軍の座など絶対にいらない。▼生き残るためには、兄・竹千代を全力で支え、「敵」ではなく「便利で忠実な弟」になるしかない。▼そう決意した国松が最初に始めたのは、天下の根…


総合評価:1057/評価:7.7/連載:57話/更新日時:2026年06月11日(木) 14:58 小説情報

ダンジョンから帰ったら五十年経ってたんだが。~え?昔の仲間が今や大手ギルドの代表?なにそれ知らん……こわ……~(作者:蝉時雨)(オリジナル現代/冒険・バトル)

 世界にダンジョンという、いくつもの『扉』が出現してから、早五十年。▼ ▼ 人類はこの未知の脅威に対し、慎重に対処をしようとしていた。しかし、その『扉』から現れた異形のモノたちが蹂躙をはじめる。▼ 現代の兵器は異形には届かず、為す術なしかに思われた。▼ だが、人類は諦めなかった。▼ 自ら『扉』に乗り込み、戦果を持ち帰るものが現れ始める。『扉』の先で得た素材で…


総合評価:988/評価:7.11/連載:20話/更新日時:2026年06月11日(木) 00:00 小説情報

異世界でカドショ開いたけど、常連客がヤバいヤツばっか(作者:イカド)(オリジナルファンタジー/日常)

異世界にカードゲームがあったので、カドショ店長になった。▼魔物倒したりダンジョンを攻略する冒険者の話を聞きながら、のんびりカードをしばければ俺はそれで良かったんだ。▼だけどなんで俺の店にやってくるのはSランクの冒険者だの、一国の王女だの、竜王だの、魔神だの、ヤバいヤツしかいねえんだ。▼やめろ、俺の店で世界の興亡に関わる話をするんじゃない、俺をこんな奴らの元締…


総合評価:3221/評価:7.98/連載:7話/更新日時:2026年04月03日(金) 07:03 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>