【朗報】転生したら世界帝国の伯爵令息でした 作:昼夜健康
グレイヴェル家の温室は、伯爵家らしい見栄を見せるための場所だった。
客人が散策した時、季節より少し早い花や、異国風の葉を眺めて、女主人の趣味と家の余裕を感じる。
庭師頭にとって、小さな舞台であり、硝子の中に作った迎賓館だった。
確かトマトももともと観賞用とか聞いたことがある。
俺はそのたいへん重要な場所で、たいへん不用意なことを言った。
「花より団子、と申しますし」
庭師頭が、持っていた剪定鋏を静かに閉じた。
音は小さい。
だが、よく切れそうだった。
「若様」
「はい」
「温室は美を見せる場所です」
「庭師頭。全部を畑にしたいわけではありません。隅の方で、少しだけ」
「少しだけ、と言っていろいろなものを変えて来ているではありませんか?」
ひどい。
だが、心当たりがいっぱいあるので反論しにくい。
庭師頭は鉢棚の間を歩き、硝子の一枚を指で示した。
そこだけ、他より少し曇り方が違う。
「先月、風で枝が当たり、ひびが入りました。取り替えるだけで、村の小屋一つの屋根を直すほどではなくとも、安いものではございません」
ガラスは今の時代そんなに高いのか...
温室という響きには、どうしても農業施設めいた期待が混じる。
だが、目の前にあるのは、伯爵家が費用を払って維持する、繊細で面倒な硝子の部屋だった。
◇
話を聞いた母セシリアは、温室の入口で俺と庭師頭を見比べた。
白い手袋の先で、苔のついた鉢を軽くなぞる。
母は汚れを嫌ったのではなく、手入れを見ていた。
「アーサー。あなたは、温室で何をしたいのです」
「早い時期に、少しだけ食べられる葉と香草を育てたいです。ハロルド料理長が皿に使えますし、苺が少しでも採れれば、茶会にも」
「少しだけ、ですね」
母はその言葉をたいへん丁寧に繰り返した。
少しだけ、という言葉は、最近の俺にとって信用残高の低い硬貨である。
「はい。全面改造ではありません」
「庭師頭」
母が呼ぶと、庭師頭は背筋を伸ばした。
「この温室の正面は、客人が庭から見る場所です。そこを乱すことは許しません」
「はい、奥様」
「けれど、実用が恥というわけでもありません。美しく見せられるなら、話題になります」
庭師頭は少し沈黙した。
俺は黙っていた。
ここで勝った顔をすると、あまりに大人気ない。
いや、今は子供か...
「正面の花棚はそのままで、奥の壁際、今は空鉢を置いている低い棚を、試験の場所にしましょう。客人に見える時は、春を先取りする小さな庭として見せるのです」
「小さな庭」
庭師頭がゆっくり言った。
「レタスも香草も、植え方と縁取り次第で見られぬものではございません。苺は花も実も見せられます」
母はそこで俺を見た。
「ただし、食べるために美を壊すのではありません。美しく見せたものの一部を、食卓にも使うのです」
なるほど。
「花より団子は撤回します」
俺が言うと、庭師頭は少しだけ顎を引いた。
「若様。花も団子も、置く皿や花瓶が悪ければ台無しでございます」
◇
試験は、思っていたより地味だった。
土箱を温室の奥へ置き、底に小石を敷き、庭師が選んだ軽い土を入れる。
香草は厨房でよく使うものを少しだけ。
レタスは小さく柔らかい葉を取るため、詰めすぎない。
苺は花が見えるよう、低い鉢へ移した。
俺が何かをしたかと言えば、ほとんど見て、札を書き、余計な場所に手を出さないよう我慢しただけである。
庭師頭が水の量を決めて、
見習いが朝の曇りを拭いた。
硝子職人が枠のゆるみを直した。
そして料理長が
「若様、これはよい香りでございます」
料理長は、少し機嫌がよかった。
新しい食材に喜んでいるのに、表情はあくまで仕事の顔である。
数週間後、土箱の中には、柔らかな緑がそろった。
早い時期のレタスは、まだ手のひらに収まるほどで、香草も束と呼ぶには遠慮深い。
苺は、赤い実がいくつか。
皿いっぱいの豊作ではない。
けれど、寒さの残る朝に見る赤は、たいへん強い。
ハロルドはその日の昼、焼いた白身魚の皿に、ほんの少しだけ刻んだ香草を散らした。
魚の皮は薄く焼け、端が香ばしく、身は湯気を立ててほぐれる。
そこへ温室の柔らかな葉を二枚、葡萄酢を控えめにした軽いソースを一筋。
香草の青い匂いが、魚の油をふっと持ち上げた。
「うまい」
俺は正直に言った。
「量は少ないですが」
「少ないからこそ、皿の上で仕事をします」
ハロルドは淡々と言ったが、口元が少しだけ上がっている。
食材は量だけではない。
一枚の葉が、皿の季節を変えることがある。
ただし、レタス箱一つ分の燃料代を思い出すと、少し胃が現実に戻った。
胃薬がほしい。
今回の敵は、帳面である。
◇
それから冷たい朝と柔らかな午後をいくつか挟み、庭師頭は葉を摘みすぎぬ量だけ切り、苺の鉢を少しずつ茶会に見せられる位置へ寄せていった。
母の茶会は、晴れた午後に開かれた。
温室の正面は花で整えられ、奥の低い区画には、小さな札と編み柵が置かれている。
札には、春先の小庭、と庭師頭の字で書かれていた。
俺の案の名残は、だいぶ上品に更生していた。
茶卓には、小さな焼き菓子と、薄く切った苺が並んだ。
苺は山盛りではない。
白い皿の上に、赤い点を置くように配され、香草の小さな葉が添えられている。
焼き菓子には蜂蜜をほんの少し使っていた。
客人の夫人が、皿の苺を見て目を細めた。
「まあ、この時期に」
母は穏やかに微笑んだ。
「庭師が、温室の奥で小さな春を作ってくれましたの。食卓を飾るほど、ほんの少しですけれど」
夫人たちは温室を見た。
正面の花を褒め、奥の小庭を覗き、苺の花と小さな実に顔を近づけた。
庭師頭は少し離れて控えていたが、夫人の一人が言った。
「花も実も見せるなんて、面白うございますね」
庭師頭の肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。
「ありがとうございます」
その声は控えめだった。
だが、嫌がっている声ではない。
俺は温室の外で、ベネットと並んでその様子を見ていた。
「通りましたね」
俺が小声で言うと、ベネットは帳面を閉じた。
「奥様と庭師頭の仕事でございます」
「俺の案は」
「材料でございます」
なるほど。地位が低い。
◇
茶会の後、庭師頭が温室の奥で苺の鉢を見ていた。
赤い実はほとんど摘まれ、残っているのは青い小さなものと白い花だけだ。
「若様」
「はい」
「食べられるものも、見せ方次第では温室に置けます」
「分かりました」
庭師頭は、少しだけ温室の奥を見た。
「花より団子、ではございません」
「はい」
「花も団子も、客人が美しいと思うように置くのでございます」