【朗報】転生したら世界帝国の伯爵令息でした   作:昼夜健康

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第22話 小作人トム一家

温室の小さな春が茶会で褒められてから、季節はゆっくり冷たい方へ傾いた。

 

霜が朝の草を白く縁取り、村道の轍には薄い氷が張る。

 

「若様。屋敷の春は、よく整いました」

 

ベネット土地差配人は、荷車道の脇でそう言った。

 

「ありがとうございます」

 

「ですが、領地の冬は、厳しいものでございます」

 

前にも聞いた気がする言葉だった。

その朝、俺は彼に連れられて、小作人トムの家へ向かっていた。

 

 

トムの家は、畑と低い生け垣の間にあった。

壁は古く、藁屋根は丁寧に直されているが、すきま風が入ってきている。戸口には薪が積まれていた。乾いているものは奥へ、湿ったものは手前へ分けてある。

 

いい置き方だ、と俺は思った。

ただし、その量は少なかった。

 

「若様」

 

トムは戸口で帽子を取った。

日に焼けた顔に、笑おうとして止めたような皺がある。妻のメアリは、下の子を片手で引き寄せ、もう片方の手で粗末な前掛けを押さえていた。奥では、上の子が椀を持ったまま、こほん、と咳をした。

 

「急に来てすまない」

 

「ベネット様から聞いております。中は狭うございますが」

 

狭い、とトムは言ったが、実際には狭さだけではなかった。

土間に近い床は冷え、炉の火は細く、鍋から立つ湯気も弱い。

湿った薪を無理に燃やす煙と、薄く煮た根菜の甘い匂いが混ざっている。

 

鍋の中には、カブの切れ端と少しの豆が浮いていた。

水の方が多い。

 

「よい匂いですね」

 

俺が言うと、メアリは少し困った顔をした。

 

「よいものではございません。冬前は、こんなものです」

 

トムは俺ではなく、ベネットの方を見た。

 

「試し畑のカブは、悪くなかったと聞いております。村道から見える場所でしたから、みんな見ておりました」

 

「興味はございますか」

 

ベネットが静かに聞く。

 

トムは一拍置いた。

 

「興味はございます。けれど、うちの畑で外れれば、笑い話では済みませぬ」

 

その言葉は礼儀正しかった。

四輪作も、屋敷では試験で失敗しても問題ない。

だが、トムの家では、そのまま一家離散につながるだろう。

 

寒さが、土間の足元から上がってきた。

 

「若様は、悪くしようとなさる方ではないと、ベネット様は言います」

 

メアリが小さく言った。

 

「ですが、悪くしようと思って悪くなる冬ばかりではございません」

 

 

館へ戻る道で、俺は馬車の中でも黙っていた。

 

ベネットは俺を急かさない。

それがまた、たいへん重い。

 

「温かいものを、配れないでしょうか」

 

ようやく言うと、ベネットは窓の外の畑を見たまま答えた。

 

「施しでございますか」

 

「カブ、じゃがいも、豆、余った根菜を使って、冬のスープを。屋敷で余らせている分もありますし、試し畑のカブも、全部食卓に上げるよりは」

 

「若様」

 

「はい」

 

「施しは、面子を冷やすこともございますし、働くなる恐れもごさいます」

 

分かっていなかったわけではない。

だが、分かっているつもりでも、口に出されると鈍く刺さる。

 

「どうするとよいでしょうか?」

 

「奥様にお聞きなさいませ。私が考えるより、よほど人の目を読まれます」

 

そこで母の名が出るのは、納得だった。

実用は恥ではないが、見せ方を間違えれば嫌われる。

 

 

母セシリアは、話を最後まで聞いた後、すぐに答えを出さなかった。

 

茶卓には、温室の香草をほんの少し使った薄い焼き菓子があった。甘い香りの向こうで、母は指先を重ねて考えている。

 

「教会と組みましょう。冬前の礼拝後、貧しい家だけではなく、村の者が温かい椀を受け取れるようにします。屋敷は野菜と薪と鍋を出す。村からも、出せる家は少しずつ根菜を出す。受け取るだけの列にしないこと」

 

なるほど。

全員を受け取る側にすれば、特定の家だけが恥をかかない。

出せる者は出す。出せない者も椀を持てる。

慈善というより、冬前の共同鍋に近い。

 

「母上、すごい」

 

「すごい、ではありません。女主人の仕事です」

 

母は淡々と言った。

 

「それから、スープはおいしすぎてはいけません」

 

「えっ」

 

「毎日ほしくなるものにしてはいけません。けれど、冷えた体にありがたいものではなければなりません。料理長に言いなさい。味より、温度と配り方です」

 

味より温度。

ハロルド料理長が聞いたら、どういう顔をするだろう。

 

たいへん見たい。

たいへん怖い。

 

 

ハロルド料理長は、予想通り不機嫌な顔をした。

 

「ですが、薄い湯を出すなら、この屋敷の厨房の名を出してはなりません」

 

「では」

 

わざとおいしいものを作らないということは、プライドを損ねて作ってくれないだろうか。

 

「作ります」

 

結局作ってくれるらしい。

 

大鍋には、カブ、じゃがいも、豆、玉ねぎに似た香味野菜、少しの燻製肉の端が入った。

豆は前の晩から水に浸す。

じゃがいもは煮崩れてとろみになる分と、形を残す分に分ける。

カブは大きすぎると冷めた時にぼそぼそするので、子供でも匙で割れる大きさに切る。

温室の香草は、最後にほんの少しだけ。

 

大鍋から湯気が上がる。

燻製肉の香りは強すぎず、豆の厚みと、カブの甘さを後ろから支えていた。じゃがいもが少し溶け、汁はただの水ではなくなる。

 

匙で味を見ると、派手ではない。

だが、喉を通ると胸の下がじんわり温まった。

屋敷の皿のような華やかさはない。

 

「うまいです」

 

「温かいのでございます」

 

ハロルドは短く言った。

 

 

初回の礼拝後、村の教会の前は、思っていたより早く混雑した。

 

湯気の立つ大鍋を見れば、人は集まる。

寒ければなおさらである。

 

「押さないでください」

 

牧師の声は穏やかだったが、子供たちには気にせず近寄ってくる。

椀を持った手が前へ伸び、後ろの男たちが様子を見ながら詰める。誰が先か、どの家が多いか、どの家が少ないか。温かい椀一つで、人の目は忙しく動く。

 

列が崩れかけた時、ロウリーが一歩前へ出た。

 

「椀をお持ちの方は、こちらへ一列に。子供と年寄りを先に。お代わりは、全員へ行き渡ってからでございます」

 

ベネットはすぐに木杭と縄で列の口を作り、村の男たちを二人呼んで、空の椀と受け取った椀の流れを分けた。

ハロルドは俺から柄杓を取り上げた。

 

「若様は、数を」

 

「俺も配れます」

 

「こぼします」

 

たいへん信用がない。

 

俺は横で木札を動かし、何椀出たか、何度鍋を温め直したか、どの家が受け取らなかったかを記録した。

 

湯気が鼻先に触れ、子供たちが両手で椀を抱える。カブの白、豆の薄茶、香草の小さな緑。燻製肉の端はほとんど見えないが、匂いはちゃんといる。

 

トム一家は、少し離れたところにいた。

 

メアリが子供の背を押す。

トムは帽子を握ったまま、まだ迷っている。

 

「トム」

 

ベネットが呼んだ。

 

「これは屋敷だけのものではない。村の根菜も入っている。おまえの畑の豆も少しな」

 

トムは困ったように笑った。

 

「少しだけでございます」

 

「少しも入れば、鍋の味でございます」

 

ベネットが言うと、トムはようやく列に入った。

 

下の子が椀を受け取り、両手で抱えた。すぐ飲もうとして、メアリに止められる。

 

「熱いよ」

 

「いい匂い」

 

トムは俺に帽子を下げた。

 

「若様」

 

「はい」

 

「これは、ありがたいです」

 

礼の言葉は短かった。

けれど、家で聞いた警戒の刃は、少しだけ鞘に戻っていた。

 

俺は妙にほっとして、うっかり大きくうなずきそうになった。

そこで母の顔を思い出す。

勝った顔をしてはいけない。

これは施しの勝利ではなく、寒い日の一椀が、ぎりぎり屈辱にならず渡っただけである。

 

「こちらこそ、豆をありがとうございます」

 

俺が言うと、トムは少し驚いた顔をして、それからまた帽子を握り直した。

 

 

その日の記録は、思ったより厚くなった。

 

使ったカブ、じゃがいも、豆、薪。

前夜の豆の浸し時間。

鍋を運んだ人数。

最初に列が崩れかけたこと。

子供と年寄りを先にしたこと。

お代わりは一巡後にしたこと。

受け取らなかった家がいくつかあること。

味への不満より、冷めた椀への不満があったこと。

 

ハロルドは、鍋を見下ろして言った。

 

「次は鍋を二つに分けます。片方を配る間、片方を温める」

 

「次があるのですね」

 

ベネットは帳面を閉じた。

 

「若様。今日、腹が温まった者はおります」

 

「はい」

 

「それで、畑の試験をすぐ信じる者が増えるわけではございません」

 

「はい」

 

「ですが、若様が冬の土間を見たことは、村に残ります」

 

俺は教会の前を見た。

湯気はもう薄く、空の椀が洗い桶に積まれている。トムの子供は、まだ椀の底を名残惜しそうに見ていた。

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