【朗報】転生したら世界帝国の伯爵令息でした   作:昼夜健康

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第23話 ジャムという名の貴族商品

冬の朝、厨房を訪ねると小さな籠が置かれていた。

古い果樹園から来た小ぶりなリンゴだった。形は悪く、皮には斑点があり、枝に擦れた傷もある。

温室の苺も数粒、小皿に分けられていた。こちらは赤くてかわいいが、いかにも量が少ない。

ほかに、厨房でソース用に残していたベリーが少し。

どれも、今日か明日には使わなければならない顔をしていた。

 

「これは、捨てるんですか」

 

「悪いところを落として、厨房で使います。残れば、煮て甘いものにいたします」

 

ハロルド料理長は普通に答えた。

普通に答えられると、こちらの未練が目立つ。

俺は、昨日のトムの子供が椀の底を名残惜しそうに見ていた顔を思い出した。冬は、温かいものがありがたい。けれど、温かいだけではないものも、時々ほしい。

寒い季節に、赤くて甘いもの。

たいへん俗っぽい欲望である。

だが、胃袋の欲望は、たいてい生活改善の入口にいる。少なくとも俺の場合はそうだ。

 

「料理長」

 

「何でございましょう」

 

「冬にも、おいしい果物を食べたいです」

 

ハロルド料理長は、しばらく俺を見た。

怒られるかと思ったが、料理長は籠のリンゴを一つ取り、傷の周りを親指で押した。

 

「若様だけではございません」

 

その声は小さかった。

 

「厨房の者も、冬に赤いものを見れば、少し気が晴れます」

 

おお。

共犯の扉が開いた音がした。

 

 

「果物を砂糖で煮て、瓶に詰めるのはどうでしょう」

 

俺が言うと、ハロルド料理長はすぐに眉を動かした。

 

「果物の甘煮なら、珍しいものではございません」

 

ですよね。

世界は、俺が思いつくよりずっと前から腹を空かせている。甘い果物を煮るくらい、人が放っておくはずがない。

 

「発明ではなく、使い方です。傷みかけの果物を無駄にしないで、冬に少しずつ食べられるように」

 

「砂糖は安くございません」

「蜂蜜も、まだ増えたと言えるほどではありません」

「瓶も貴重でございます」

 

三方向から現実が飛んでくる。

ここにベネットがいたら、さらに人手と帳簿と置き場所が飛んできただろう。いないうちに始めよう、という考えが頭をよぎった。

 

「小さく。食べられなくなる分だけ。厨房の試作として」

 

「奥様には?」

 

「まだ、言うほどのものでは」

 

ハロルド料理長は、俺を見た。

見た、というより、厨房帳面に俺の言い訳を書き込む場所を探している顔だった。

 

「若様」

 

「はい」

 

「隠し事ではなく、試作でございます」

 

「はい」

 

料理長も、少し食べたいのだ。

俺はそこに希望を見た。

 

 

ハロルド料理長は、果物を乱暴に鍋へ放り込まなかった。

リンゴは傷のあるところを厚めに落とし、酸味の強いものと香りのよいものを分ける。ベリーはつぶれた粒を先に寄せ、苺は温室から来た少量だけを別皿に残す。砂糖は多すぎても少なすぎてもいけないらしい。

 

「保存だけ考えれば、甘くできます」

 

「食べることも考えると?」

 

「甘さの中に、果物が残らねばなりません」

 

 

銅鍋の中で、ベリーが赤紫の泡を立てた。

木べらを動かすたび、砂糖と果物の匂いが湯気に乗って広がる。

ハロルド料理長は火を強めすぎず、弱めすぎず、鍋の底を木べらで混ぜながら煮ていく。

 

「若様。見るのは構いませんが、近すぎます」

 

「手は出していません」

 

「袖が危ないのでございます」

 

袖を押さえた。

リンゴの鍋は、淡い金色になった。

薄く切った実がゆっくり透き通り、汁に少しとろみがつく。匙ですくうと、逃げすぎず、固まりすぎない。バターを塗った薄いパンに乗せると、端で光った。

苺は、ほんの少しだけ。

鍋にするほどの量ではなく、小さな片手鍋で、火から少し離して扱われた。赤い実がつやを増すと、厨房の空気が一段明るくなる。

 

 

瓶は、ハロルド料理長が自分で棚から選んだ。

口の欠けたもの、曇りの強いもの、蓋の合いにくいものは使わない。

小さな木札には、果物の種類、煮た日、砂糖の量、鍋の番号が書かれた。

 

 

ひっそり試作していたつもりだった。

もちろん、厨房で火を使い、砂糖を煮て、果物の匂いを廊下まで流しておいて、ひっそりも何もない。

甘い匂いは、扉の隙間や廊下の角をたいへん上手に曲がる。

午後、母セシリアとリディアは、迷いなく厨房の入口に現れた。

 

「アーサー」

 

母の声は穏やかだった。

穏やかであるほど、逃げ道がなくなる種類の声だった。

 

「あなたは、厨房で何を隠しているのです」

 

「隠してはおりません」

 

「では、なぜロウリーに言わず、私にも言わず、厨房の奥で甘い匂いを立てているのです」

 

「試作です」

 

「なぜ隠してこそこそと?」

 

完全敗北である。

リディアは俺の横から鍋を覗いた。

 

「兄様だけ、冬に甘いものを食べるつもりでしたか」

 

「家族のためでもあります」

 

「今、言いましたね」

 

妹の耳は、砂糖より鋭い。

ハロルド料理長は、こちらを見なかった。共犯とは、時にたいへん孤独なものである。

結局、瓶に詰める前の少量が小皿へ移された。ベリー、リンゴ、苺。どれも、さすが料理長と言うべき出来だった。

紅茶ではなく、厨房の作業台での味見だった。

それでも、空気は変わった。

ベリーは濃い赤で、薄焼きパンの上に小さく光る。舌に乗せると、甘さの奥に酸味が残り、熱い茶が欲しくなる。

リンゴは淡い金色で、香りがやわらかい。口の中でほどけ、バターを塗ったパンと合わさると絶品だった。

苺は、量が少ない。

 

「おいしいです」

 

リディアが言った。

その一言で、試作品はほぼ消えた。

母も、静かに二度目を取った。

俺は空になった小皿を見つめた。

 

 

保存食とは。

 

保存する前に、家族の胃袋へ保存されている。

 

 

「若様」

 

ハロルド料理長が静かに言った。

 

「はい」

 

「お分かりになりましたか。保存の敵は、腐敗だけではございません」

 

たいへん重要な知見だった。

 

 

母は、味見を終えた後、すぐに褒めなかった。

ベリーの赤、リンゴの金、苺の少量を見て、瓶を見て、最後に俺を見た。

 

「これは、まだ外へ出せません」

 

「家で食べる分には?」

 

「家で食べる分にも、まず数を見なさい。おいしいものは争いを生みます」

 

たしかに、いま目の前で争いが起きかけた。

 

「それから、アーサー。これを人へ渡すなら、それはもう家の顔を少し持ちます」

 

母は、ハロルド料理長が選んだ小瓶を一つ持ち上げた。

ただのおいしいものをこっそり食べるという目的が、なぜか貴族への贈答品という話になっている。

 

「味だけでは足りません。瓶。布。ラベル。由来。そこまで整って、初めて貴族の品です」

 

貴族の品。

冬に甘いものを食べたいだけだったものが、急に重くなった。

 

「由来、とは」

 

「古くからある果樹園のリンゴ。温室の苺。領地の手仕事。そういう言い方です。『貴族の長男がこっそり煮たもの』ではありません」

 

ロウリーが呼ばれ、すぐに小さな紙片と紐、薄い布が用意された。

伯爵家の紋章を小さく押した紙に、品名と日付、果物の種類を書く。

布は派手すぎない色を選び、瓶の口を覆う。結び目はロウリーが一度結び、母が角度を直した。

 

「数は、いくつ残せますか」

 

ロウリーが聞いた。

 

「ベリーが二瓶、リンゴが二瓶。苺は小瓶一つにも足りません。これは味見で終わりでございます」

 

料理長が答えると、リディアが少し残念そうな顔をした。

母はそれを見て、微笑まなかった。

 

 

数日後、母は小さな茶卓で、家族だけに瓶を出した。

外の客へ出す前に、家の中で見栄えを確かめるためだという。母の世界では、食べる前から勝負が始まっている。

白い皿の端に、ベリーの赤をほんの少し。リンゴは焼き菓子の横へ。苺は量が足りないので、今回は皿の上へ出ない。

 

リディアは少しだけ唇を尖らせた。

 

「苺は?」

 

保存されませんでし(母とリディアが食べつくしまし)た」

 

母は赤い小瓶を手に取り、布とラベルを見た。

 

「これは、よいです。瓶が小さいことも、かえって悪くありません」

 

「少ないのに?」

 

「少ないからです。希少価値です」

「ただあまりにも少ないので、もう少し作り溜めてから手土産として渡しましょう」

 

 

厨房へ戻ると、ハロルド料理長は聞こえていないふりをして、鍋を磨いていた。

口元が、ほんの少しだけ動いている。

 

「料理長」

 

「何でございますか」

 

「少し、増やせませんか」

 

鍋を磨く手が止まった。

 

「若様」

「砂糖、瓶、人手、果物の量。どれも、余っているわけではございません」

 

「では、屋敷の特別費用として父に掛け合ってきます」

 

その夕方、厨房棚には、紋章入りの小さな紙を貼った瓶がいくつか並んだ。

ベリー、リンゴ、少しだけ苺。

日付、鍋の番号、砂糖の量、果物の出どころ、瓶を選んだ者。

俺は満足して帳面を閉じた。

閉じる直前、棚の端の一本で、赤い中身の縁に小さな泡がついているのが見えた。

 

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