【朗報】転生したら世界帝国の伯爵令息でした   作:昼夜健康

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第25話 父への報告書

雨の日の初出荷は、報告書にすると三行で済む。

 

一、瓶は安全確認済みのものだけを選んだ。

二、道が悪く、積み荷を減らした。

三、駅には間に合ったが、荷札が濡れた。

 

これだけなら、たいしたことは起きていないように見える。

だが、その三行を書くまでに、俺の胃になぜかダメージが入っていた。

 

 

朝から雨だった。

 

昨夜から窓を叩いていた冷たい雨は、翌朝になってもやむ気配がなかった。空は灰色で、屋敷の庭道は黒く濡れ、車輪の跡には薄い水が溜まっている。

 

厨房の作業台には、小さな木箱が並んでいた。

中身は、ハロルド料理長が見張って詰め直したジャム瓶と、温室から採った少量の葉もの、それから母が選んだ手紙である。送り先はマーロウ夫人。母の茶会につながる相手で、最初に渡すには大きすぎず、小さすぎない家らしい。

 

「瓶は、これだけですか」

 

俺が数えると、ハロルド料理長は腕を組んだ。

 

「外へ出せるものは、これだけでございます」

 

ロウリーは箱の側面に札をつけ、紐を結び、控えの紙へ行き先と中身と数を書いている。

 

「ロウリー、その札、雨で濡れませんか」

 

「濡れないよう布をかけます」

 

「布も濡れますよね」

 

「濡れます」

 

「では」

 

「だから急ぎます」

 

外では、御者と車大工が荷車を見ていた。荷台は小さく、箱を置くと少し心もとない。俺は前世の感覚で、ワレモノ注意の札を張って黒猫さんにお願いしたくなる。だが、ここにあるのは木箱と藁と布と紐と、少し機嫌の悪い馬である。

 

「若様、この道では揺れます」

 

御者が言った。

 

「ゆっくり行けば」

 

「列車に遅れます」

 

車大工も、車輪を手で押しながら首を振った。

 

「箱が浅いですな。瓶を立てるなら、もう少し深い箱が要ります」

 

「今から作れますか」

 

「無理です」

 

ですよね。

 

 

最初の轍で、箱が傾いた。

 

荷台の中で、木箱がごとりと音を立てる。俺の胃も同じ音を立てた気がした。

 

「止めてください」

 

御者が馬を止め、ロウリーが布をめくる。

ハロルド料理長が、俺より先に箱へ手を伸ばした。瓶を一本ずつ見る。その顔が、だんだん無表情になっていく。

 

無表情の料理長は怖い。

 

「一本、ひびがございます」

 

ひびの入った瓶は即座に外された。さらに、その隣にあった瓶も揺れが強かったとして、外すことになった。

 

車輪がハマりそうなぬかるみには、ベネットの指示で板を敷いた。重い箱を下に、軽い籠を上にする。布を多めに挟む。等々雨に打たれながらの出荷作業だった。

 

駅に着いたころには、俺の靴も裾も泥だらけだった。列車の時間にはぎりぎり間に合った。

黒い煙を吐く機関車がホームの向こうにいる。

 

かつて俺の蒸気機関チートを葬った、あの鉄の塊である。

 

だが、今日は機関車に感動している場合ではない。

荷置き場には、他家の箱や袋や木樽が集まっていた。濡れた外套の駅員が、帳場の紙を押さえながら次々に荷を確認している。

 

「グレイヴェル伯爵家、マーロウ夫人方へ」

 

ロウリーが落ち着いた声で告げる。

駅員が札を見る。布をめくる。そこで眉を寄せた。

 

「こちらの札、読みにくくなっております」

 

俺は凍った。

 

札の端に水が染み、墨がにじんでいる。

読めなくはない。読めなくはないが、雨の中で、他の荷と混ざり、急ぐ駅員の前に出されたら、十分に事故の種だった。

 

「控えは」

 

ロウリーがすぐ紙を出した。

駅員はそれと札を照合し、何とか受け取ってくれた。

 

荷は出た。

列車にも間に合った。

割れた瓶は外した。

 

成功と言えなくもない。

 

だが、駅の荷置き場で濡れた札を見た瞬間、俺は分かった。

瓶を安全にしても、箱を閉めても、道を越えても、最後の紙切れが濡れれば荷は迷う。

鉄道はもうある。

だからこそ、その手前と向こう側の雑な部分(改善の余地)が目立つ。

 

 

本当の問題は、雨が上がってから来た。

 

二日後、マーロウ夫人方から手紙が届いた。

品は無事に届いた。ジャムは美しく、温室の葉も珍しく、母への礼も丁寧だった。

だが、最後にこう書かれていた。

 

荷の確認に少し時間がかかりました、と。

 

礼状である。

礼状なのに、俺の胃にだけ苦情として届いた。

 

さらに駅からも、ロウリー宛に短い確認が来た。

雨の日は荷札が読みづらく、同じ方向の荷と紛れかけた。次から控えを分かりやすくしてほしい。

 

俺は父の書斎で、その紙を前にして言った。

 

「駅の荷置き場を直しましょう」

 

父エドマンドは、眉を上げた。

 

ベネットは、俺の横で小さく息を吐いた。

 

「若様」

 

「はい」

 

「駅は、グレイヴェル家だけの場所ではございません」

 

「ですよね」

 

「屋根を直すにも、置き場を分けるにも、鉄道会社、駅長、他家、商人、荷役の都合がございます」

 

「ですよね」

 

俺は言いながら、心の中で駅前倉庫改善計画に線を引いた。

やりたいことは多い。棚を作り、雨よけを増やし、行き先ごとに置き場を分け、帳場の流れを整えたい。

だが、それはグレイヴェル領と管轄が違う。

 

父が静かに言った。

 

「まず、こちらの荷を迷わせない工夫だ」

 

ロウリーが紙を置いた。

 

「札は二重にいたします。外側は油を引いた紙で覆い、内側に同じ行き先の控え札を入れます。紐は行き先ごとに色を分け、箱の側面へ焼き印を足します」

 

「焼き印」

 

「紋章では大げさですので、グレイヴェルの頭文字と番号だけでよろしいかと」

 

ベネットも続ける。

 

「駅の帳場では、こちらの控え番号と駅の控えを合わせてもらう。駅員に余計な手間だけ押しつけるのではなく、迷った時に探しやすい形にします」

 

「雨よけの布は」

 

「箱ごとに用意します。ただし、高い布は使いません。濡れてもよいものを」

 

 

同じ机に、別の紙束も積まれていた。

 

冬のスープ。

井戸周りの清めの日。

側溝の泥取り。

つるべ桶を地面に置かない台。

 

そして、村の発熱報告。

 

俺は、その数字を見て少し身を乗り出した。

 

「減ってませんか」

 

父は答えなかった。

代わりに、隣に座っていた医師が咳払いをした。教会の牧師も、紙を指で押さえる。

 

「減っている気がします」

 

医師は言った。

 

「気がします、ですか」

 

「気がする、です。今冬は寒さの出方も、雨の日も、村人の出入りも昨年と同じではありません」

 

牧師もうなずいた。

 

「教会へ来られなかった者、家で休んだだけの者、医師を呼べなかった者もおります。椀を受け取ったから熱が減った、井戸を磨いたから病が減った、と今ここで言うことはできません」

 

俺は口を閉じた。

 

減った。

そう書きたかった。

冬のスープも、井戸周りも、側溝も、意味があったのだと書きたかった。

そう思いながらメモを書く。

 

「若様のメモ帳は、畑より荒れておりますな」

 

ベネットが言った。

ひどい。

 

父は、笑わずに俺の紙を見た。

 

「アーサー。これは一枚にするものではない」

 

「でも、つながっています」

 

「つながっていることと、同じ紙に書くことは違う」

 

父は、俺の紙の上に三枚の白い紙を置いた。

 

「一つ。外へ出す言葉。相手にどう伝わるかを考える紙だ。母上が見る」

 

母が静かにうなずいた。

 

「一つ。領地の勘定。費用、手間、誰がどれだけ動いたかを見る紙だ。私とベネットが見る」

 

ベネットがうなずく。

 

「一つ。家の中で見る失敗と再発防止。これは、恥も消さずに残す紙だ。ロウリーとハロルドが見る」

 

ロウリーはすでに紙を分け始めていた。ハロルド料理長は、瓶の項目だけを俺の地獄表から救出している。

 

俺のメモは解体された。

悲しいが、見やすくなった。

 

母は外向きの紙へ、さらさらと文を書いた。

 

「雨の道を考え、最初の品は数を絞りました。行き先の確認を重ね、届く数を守りました」

 

「割れた瓶は」

 

「家内の記録です」

 

「荷札が濡れたことは」

 

「再発防止の記録です」

 

「嘘では」

 

母は俺を見た。

 

「すべてを同じ紙に書かないと嘘、ではありません。ただし、どこの記録からも消すと嘘です」

 

父は発熱報告の紙に、ゆっくり書いた。

 

「教会と医師の記録上、今冬の発熱報告は少ない。ただし原因は未確定。水場の清掃との関係は、次季も記録を継続する」

 

 

夕方、母は外向きの紙をもう一度読み直していた。

マーロウ夫人への礼状の返事に添える抜粋である。

 

「味、由来、共同の水場の清掃、丁寧な荷出し」

 

母は指で順に追った。

 

「それ、伝わると面倒になりませんか」

 

母の答えは早かった。

 

「アーサー。茶会の話題は、料理の味だけではありません。この家は今なにをしていて、これからどうなっていくのかも噂になります」

 

ロウリーが封蝋の準備をしながら言った。

 

「マーロウ夫人の次の茶会には、ルディオン(王都)からのお客様もあるそうでございます」

 

「ルディオン」

 

俺の声が少し上ずった。

 

母は、何でもないことのように言った。

 

「アスターフェル侯爵家に近い方がいらっしゃると聞いています」

 

部屋の空気が、ほんの少しだけ変わった。

父は何も言わない。

 

俺だけが、椅子の上で固まった。

 

侯爵家。

格上。

 

なぜかお腹が痛くなってきた。

雨でぬれたせいだろうか。

 

母は封をした手紙を見て、静かに微笑んだ。

 

「次は、茶会です」

 




日曜日から予約投稿ミスしていてました、すみません。
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