【朗報】転生したら世界帝国の伯爵令息でした   作:昼夜健康

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第27話 侯爵令嬢に届く噂

ルディオンのアスターフェル侯爵家では、朝食前から手紙が届いていた。

 

アスターフェル侯爵家の食堂には、銀の盆に載せられた手紙が三通、朝食の前から置かれていた。

 

一通は母イザベルの友人から。

一通は侯爵家の出入り商人から。

もう一通は、郊外の屋敷を回って帰ってきた家令の控えである。

 

エレノア・アスターフェルは、薄いパンに魚の身を少し載せたまま、母が封を切る手元を見ていた。

 

「グレイヴェル伯爵家ですって」

 

母は面白そうに言った。

 

その名は、知らない家ではない。古くはあるが、今のルディオンで大きな派閥を持つ家ではない。舞踏会で一番先に名が出る家でも、銀行家が目を輝かせる家でもない。

 

ただ最近、妙に細かな噂が流れてくる。

 

「例の、料理が変わったという伯爵家ですか」

 

エレノアが尋ねると、母は扇を開く代わりに手紙を軽く振った。

 

「ええ。鴨にベリーと葡萄酒のソース、じゃがいもの小さな焼き物、それから赤いジャムの菓子。若い跡取りが厨房へ入り込んでいるとか、温室で食べる葉を育てているとか」

 

「厨房へ」

 

食卓の端で、父レジナルドが新聞から目を上げた。

 

「伯爵家の長男が厨房か。若い者の道楽としては、かわいらしい部類だな」

 

母は続けた。

 

「道楽なら話は簡単なのですけれど。泥だらけになって羊に負けたとか、蜂に刺されて大騒ぎしたとか、厩肥の匂いでお母上の茶会を台無しにしかけたとか。こちらは皆さま、たいそう楽しそうに話していらっしゃるわ」

 

エレノアは思わず口元を押さえた。

 

変わり者の若様。よくある田舎貴族の小話。社交界では、少し失敗が混じった話ほど広まりやすい。

 

けれど、銀盆の上には三通の紙があった。

 

同じ家について、料理の手紙、商人の控え、家令の報告が同じ朝に並ぶことは、そう多くない。

 

侯爵家の情報収集は、物語のように黒い外套の男を走らせることばかりではない。

招待状の返事、商人の請求書、駅で濡れた荷の苦情、家令が訪問先で聞いた一言、客間で菓子を褒めた夫人の表情。

そういう情報が、毎朝、家令の手でまとめられる。

 

だからこそ、笑い話だけで終わる噂か、家の判断材料になる噂かは、早めに見分ける必要があった。

 

「お母様。そのジャムは、どなたからの話ですの」

 

「マーロウ夫人の親戚筋。瓶の布と札がきちんとしていて、由来の話まで添えてあったそうよ。雨の日の荷出しで少し手間取ったらしいけれど、届いたものは良かったと」

 

「荷出しで手間取った話まで、出ているのですか」

 

「失敗談はすぐ広まるものです」

 

母は軽く笑った。

 

ただの失敗談なら、笑って終わる。

だが、そこに札と控え札の話がついてくるのは少し違う。

 

エレノアは魚の皿を脇へ置き、小さな帳面を開いた。令嬢が朝食の席で帳面を開くのは行儀の良いことではない。だから彼女は、母の手紙の端へ視線を落とすふりをした。

 

料理。

保存。

輸送。

 

まず三つが並んだ。

 

「ほかには」

 

父が家令の控えを手に取った。

 

「井戸周りを清める日を、教会と組んで通したらしい。村の水桶、洗濯場、側溝、つるべ桶の台。医師と牧師が、冬の共同鍋の後から発熱の記録を続けている」

 

「体調まで良くなった、と?」

 

エレノアが尋ねると、父はそこで初めて少し笑った。

 

「そう言っていないところが、引っかかる」

 

母が眉を上げた。

 

「引っかかる、とは」

 

「普通は言う。少しでも数字が良く見えれば、わが家の慈悲と工夫で村が健やかになった、と。だがこの控えでは、医師と牧師の記録を続けている、に留めている」

 

エレノアは、帳面に四つ目を書き足した。

 

水。

記録。

 

「料理の話から、ずいぶん遠くへ行きましたわね」

 

「遠いかしら」

 

母が首を傾ける。

 

母イザベルは社交の人である。誰が誰の名前を出したか、誰が褒め言葉の端に棘を入れたか、誰が黙ったかを読む。料理の評判が家の評判へ変わる早さを、よく知っている。

 

父レジナルドは、母とは別の点を見ていた。

 

「アスターフェルの名前で近づけば、グレイヴェル家には好機だろう。伯爵家の小さな品が侯爵家の食卓に上れば、社交界はそれだけで意味を読みに来る」

 

「お父様は、好機ではなく危険と見ていらっしゃるのですね」

 

「好機だから危険なのだ」

 

父は短く言った。

 

その言い方に、エレノアは少しだけ背筋を正した。

 

「グレイヴェル伯爵家が本当に料理道楽だけなら、笑って一瓶受け取ればよい。だが、厨房の保存、雨の日の荷札、村の水、発熱記録、畑の試験、羊毛、蜂、温室までつながっているなら、話が変わる」

 

「若様が全部なさっている、と見るのは危ういですわ」

 

エレノアは母の手紙の一節を見た。

 

そこには、料理長ハロルドの腕、執事ロウリーの手配、土地差配人ベネットの慎重さ、庭師の温室、医師と牧師の記録が、それぞれ別の人物の名で書かれていた。

 

若様の奇行として語るには、登場人物が多すぎる。

 

「その通り」

 

父はうなずいた。

 

「一人の少年が、万能の天才として領地を変えている、などという話なら信用しない。だが、妙な発想をする若様がいて、周囲の実務家がそれを小さく切り、戻せる形で試し、失敗を帳面へ残しているなら、信用する価値が出る」

 

父はそこで、家令の控えをもう一枚めくった。

 

「支出も見ている。派手な新築はない。村へ命じて一斉に何かを変えた形跡もない。畑は屋敷預かりの端で試し、温室は奥の小さな区画、井戸周りは教会の名を借りた共同の清め。どれも、失敗した時に全領地を巻き込まない大きさだ」

 

「慎重ですのね」

 

「慎重な者だけなら、そもそも蜂の巣へ不用意に近づかない」

 

母がそこで小さく吹き出した。

 

エレノアも、今度は笑いを隠しきれなかった。

 

社交界では、失敗は隠すものだ。隠しきれない時は、笑い話に変える。誰かの責任にする。古い慣例のせいにする。天候のせいにする。

 

グレイヴェル家も、おそらく外へ出せない失敗を抱えている。厨房へ入り込む若様がいるなら、むしろない方が不自然だ。

 

エレノアは、笑い話の部分を一度外して考えた。

 

羊に負けた。

蜂に刺された。

泥まみれ。

匂い。

 

すると、残る内容はあまり華やかではなかった。

 

しかし、食卓から始まって、瓶へ進み、荷車と駅へ進み、井戸と教会へ進み、畑と家畜へ戻っている。

 

「話がつながっていますわ」

 

彼女は言った。

 

母が目を細める。

 

「何がつながっているのかしら」

 

「料理です。けれど、皿の上だけではありません。食べ物を作る場所、保存する瓶、運ぶ道、届ける相手、口にした後の体調、次に同じことをする時の記録まで。普通の料理道楽なら、皿が褒められたところで終わります」

 

「グレイヴェルの若様は、終わっていないと?」

 

「終われていない、のかもしれません」

 

エレノアは少し笑った。

 

噂の若様が立派な改革者かどうかは、まだ分からない。もしかすると、ただ変なことを思いついては、周囲の大人を胃痛にしているだけかもしれない。

 

だが、それでも周囲が動いている。

 

料理長が皿を整え、執事が手順を整え、母親が茶会の言葉へ変え、土地差配人が畑と村の損を測り、医師と牧師が記録を残す。

 

本人がどれほど理解しているかは別として、その家は失敗を笑い話だけで終わらせていない。

 

「エレノア」

 

父が名を呼んだ。

 

「お前は、どう見る」

 

問われて、彼女はすぐには答えなかった。

 

窓の外では、ルディオンの石畳を馬車が通っていく。午前の訪問、昼の約束、午後の茶会。馬車の主たちは、今日も誰かの噂や縁談や派閥の話をするのだろう。

 

美しいドレス。

よく磨かれた言葉。

褒めているようで褒めていない会話。

婚約の噂。

派閥の機嫌。

 

エレノアは得意だった。だが、最近は少し、同じやりとりを繰り返している気がしていた。

 

そこへ、泥と蜂とジャムの話である。

 

あまりに洗練されていない。

けれど、退屈ではない。

 

「単なる道楽息子ではありませんわ」

 

彼女は答えた。

 

母が楽しげに笑った。

 

「では、社交上は好機ね。伯爵家の可愛らしい品を褒め、若様の噂を少し温かく扱えば、グレイヴェル家は喜ぶでしょう」

 

「お母様なら、瓶一つで三つの茶会を動かせますもの」

 

「三つで済ませるかは、品次第ね」

 

母はさらりと言った。

 

父は新聞を畳んだ。

 

エレノアは噂の中心にいる少年を少し想像した。

 

厨房で料理長に叱られ、泥で土地差配人に止められ、蜂に刺され、母の茶会で自分の名前がどこまで運ばれたか知らないまま、次の小さな困りごとを見ている。

 

それが善良なのか、危険なのか。

 

あるいは、善良だから危険なのか。

 

「調べる価値はあります」

 

エレノアは帳面を閉じた。

 

「調べる、だけか」

 

父が問う。

 

エレノアは、朝食の白身魚をもう一口だけ食べた。きちんと火が入り、香草も悪くない。侯爵家の食卓として不足はない。

 

けれど、噂の料理長が作る皿は、どんな料理なのだろう。

 

そして、その料理に関わる帳面には、何が書かれているのだろう。

 

「一度、見てみる価値がありますわ」

 

そう言うと、母イザベルは扇を開き、父レジナルドはほんのわずかに口元を緩めた。

 

そのころ、グレイヴェル伯爵家の若様は、自分の話が侯爵家の朝食で扱われているとは思っていない。

 

ジャムの小瓶と温室の葉の話は、すでにルディオンの侯爵家まで届いていた。

 

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