【朗報】転生したら世界帝国の伯爵令息でした 作:昼夜健康
朝食でグレイヴェル伯爵家の話をした日の昼、私は席順表を見下ろしていた。
アスターフェル侯爵家の昼食会は、家族だけの食事とは違う。誰を父の近くに座らせるか。誰を母の近くに案内するのか。誰の隣に私を置くか。
「エレノア、そんなに真剣に見ても、席順は変わらないわよ」
母イザベルが、少し面白そうに言った。
「誰か腹痛でも起こしてくださったら、今日の昼食会も中止になりますのに」
「まあ。侯爵令嬢らしくない本音」
「お母様の前だけですわ」
母は小さく笑った。
私は家族と仲が悪いわけではない。父も母も、私の話を聞いてくれる。父は時々、私に帳面を見せて意見まで求める。母は社交界の面倒な話を教えてくれる。
ただ、外向けになると話は別だ。
私は、感じがよく、行儀がよく、少しだけ賢い令嬢でいなければならない。賢すぎると可愛げがない。黙りすぎると退屈な娘。話しすぎると出しゃばり。
ちょうどよいところで笑って、ちょうどよいところで驚いて、ちょうどよいところで知らないふりをする。
それは得意だと思います。
ただ得意ですが、退屈です。
「今日の客は、北部鉄道に関わる実業家、地方の品を扱う商会主、その商会へ融資している銀行家。それから財務委員会に近い子爵ね」
母が席順表を指で押さえる。
「私の席は」
「銀行家と商会主の近く」
「お母様」
「退屈しないでしょう?」
「退屈するほど数字のお話をしてくださるなら、むしろ助かりますわ」
「その返しは、客の前ではもう少し柔らかくね」
「はい。にこやかに聞いてまいります」
そこへ父レジナルドが入ってきた。
「にこやかに、何を聞くつもりだ」
「お父様が聞きたいことです」
「それは便利だな」
父は席順表を一目見て、すぐに察したらしい。
「グレイヴェル家の話か」
私は少しだけ肩をすくめた。
「令嬢の猫かぶりにも、限度がありますわ」
「限度を越えないから、お前に任せる」
◇
昼食会が始まると、私は言われた通りに、にこやかな令嬢として席に着いた。
アスターフェル侯爵家の食堂は、客を迎える時だけ少し温度が変わる。銀器はいつもより多く、給仕の動きも速い。グレイヴェル伯爵家の食卓を見たことはないが、うちとは違うはずだ。
最初のスープ、次に白身魚の香草蒸しが出た。料理長の腕は良い。火の通し方も、香草の使い方もちょうどよい。
「魚は今朝の便ですか」
商会主の妻が母に尋ねた。
「ええ。氷室の扱いで、料理長が朝からうるさく申しておりました」
「うちでは夏の魚は怖くて。商会でも、瓶詰めや塩漬けならともかく、生のものは本当に手間です」
商会主がそこで話に入った。
「保存品といえば、近ごろ赤いジャムの小瓶の話を聞きましてね」
来た。
私は魚を切る手を止めないようにした。
「まあ、可愛らしいお話ですこと」
母がさらりと言う。
「可愛らしければよいのですが。瓶に布と札をつけ、由来の話まで添えてあったそうです。見た目は良い。ただ、最初の荷出しで少し手間取ったとか」
「どちらのお家かしら」
母の声は軽い。
商会主は少し迷ってから答えた。
「グレイヴェル伯爵家の筋だと聞いております。若いご嫡男が、厨房や温室に興味をお持ちだとか」
子爵が笑った。
「若い跡取りが厨房か。平和な道楽だ」
銀行家は、そこでカップを置いた。
「道楽で済むなら平和です。ただ、侯爵家や有力な家が一言褒めると、周りは商売の匂いを嗅ぎます。小さな品でも、急に注文が増える」
「注文が増えると、困りますの?」
私は、少しだけ知らないふりをした。
「困ります。瓶が足りない、次の品が同じ出来にならない。そうなると、品ではなく家が疑われます。金を貸す側も慎重になります」
銀行家はそこで、私ではなく父を見た。
「侯爵家のお名前が近づくなら、なおさらです」
父は穏やかにうなずくだけだった。
母はそこで、わざと軽い声を出した。
「あら。私が『おいしいジャムでした』と一言書くだけでも、そんなに大げさになりますの?」
「夫人のお言葉なら、十分に」
商会主が即答した。
「次の茶会で話題になり、別の夫人が欲しがり、商人が探し、同じものを出せと言われる。小瓶一つでも、そういう順で大きくなります」
「怖いわね。私はただ、お菓子を褒めたいだけなのに」
「お菓子を褒めるだけで終わらないのが、侯爵家です」
銀行家が真面目な声で言ったので、母は扇の陰で少し笑った。
私は思わず、魚を切る手元へ視線を落とした。
母は分かっていて聞いている。
客に説明させたのだ。
「では、私も気をつけなければなりませんわね」
私は、何も知らない令嬢らしく言った。
「お嬢様が?」
「はい。珍しいものを見て、つい『素敵ですわ』と言ってしまうかもしれませんもの」
商会主は一瞬だけ返答に困り、それから笑った。
「それは、商人には嬉しくも怖くもありますな」
「嬉しいだけではありませんの?」
「嬉しいだけなら、どれほど楽か」
場に笑いが起きた。
侯爵家の一言は、品物の評判を上げる。その後で失敗すれば、品物だけでなく、褒めた側の目も疑われる。
私は魚を口へ運びながら、内心で少しだけ身を乗り出した。
朝の噂だけなら、変わった若様の笑い話でしたが、別々の人が別々の話をされている。
鉄道家、商会主、銀行家と、市にはもっと早く話題が巡っているかもしれない。
どれも、グレイヴェル家の中身を知っている話ではない。外から見えた、ごく薄い断片だ。
それでも、断片が同じ方向を向いている。
昼食会が終わると、客たちは隣室へ移った。母は夫人たちを茶へ案内し、父は子爵と実業家を短い談話へ誘う。
私は商会主の妻と少し話してから、食堂へ戻った。
給仕たちが皿を片づけている。家令が、残ったワインと手をつけられなかった皿を控えていた。
「エレノア」
入口に父が立っていた。
「今日の席で、何を拾った」
「銀行家は、侯爵家の名前が近づくなら注意が必要だと言いました」
「続けなさい」
「それぞれは別の話です。けれど、朝に届いた噂と合わせると、料理、保存、輸送、評判がつながります。全部が正しいとは限りません。でも、放っておいてよい話でもありません」
父は満足そうにうなずいた。
「グレイヴェル家に近づくなら、調べる必要がある」
「侯爵家として調べに行けば、相手が身構えます」
「では、どうする」
私は少し考えるふりをした。
本当は、もう答えは決めていた。
「お母様に茶会を依頼して頂きます」
父の眉が少し上がる。
「茶会か」
「はい。セシリア夫人へ、ジャムと温室の葉のお話を伺いたいと書いていただきます。私は母に同行します。料理を褒めに行くのではなく、夫人同士のご挨拶です」
「それで視察をするつもりか」
「視察などと、恐ろしいことは申しませんわ」
私はにこりと笑った。
「珍しいジャムのお話を聞き、温室を見せていただき、もし食卓に招かれたなら、ありがたくいただくだけです」
「猫をかぶったな」
「令嬢の必修科目ですわ」
「その必修科目を、そういう使い方にするとは思わなかった」
「お父様もお母様も、私に令嬢らしくしろとおっしゃいますもの」
「言うな」
「ですから、令嬢らしく茶会へ行きます」
「便利に使う」
「便利でなければ、退屈なだけです」
父はとうとう笑った。
夕方、母の部屋で、私は同じ話をした。
母は侍女に髪飾りを外させながら、楽しそうに聞いている。
「つまり、あなたはセシリア夫人とお茶をしながら、伯爵家の様子を見たいのね」
「お母様。私はただ、珍しいジャムと温室の葉に興味があるだけです」
「その言い方、客の前では通じるわ」
「お母様には通じませんか」
「母ですもの」
母はあっさり言った。
その言い方が少し嬉しくて、私はすぐに返事をせず、茶器の縁を指で軽く押さえた。
「退屈していたのね、エレノア」
「少しだけです」
「少しだけ?」
「少しだけ」
母は笑った。
「では、退屈しない訪問にしましょう。セシリア夫人への手紙は、私が書きます。表向きは茶会。あなたは、行儀よく猫をかぶっていらっしゃい」
「はい、お母様」
私は完璧な令嬢らしく答えた。
手紙はこのあと書かれる。グレイヴェル伯爵家に届くのは、これからのことだ。
ただ、アスターフェル侯爵家からの茶会兼訪問は決まった。
猫をかぶること。
これは忘れない方がいい。
できれば、上品な笑顔も一緒に。
エレノア視点を一人称にしました。