因果は巡り、支配者は消える   作:Ark’s

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他の作品更新してないのにまた思いつきで作ってしまった。


現実世界編
プロローグ ー赤と銀の残滓ー


痛かった。

 

何が、どこが、どうして――そんなことはもうわからない。

 

ただ、痛かった。

 

骨の髄まで焼かれるような痛み。

皮を剥がれ、肉を抉られ、命そのものを少しずつ噛み千切られていくような苦しみ。

 

喉は裂けるほど叫んだはずなのに、声はもう自分のものではなく、耳に届くのは獣じみた呻きだけだった。

 

怖かった。

 

暗く、湿って、臭くて、狭い。

 

血と汗と、腐臭と、焼け焦げたような匂い。

 

人の泣き声。

助けを呼ぶ声。

祈る声。

途中で祈ることすらやめた声。

 

何も見たくないのに、瞼を閉じる力すら残っていない。

 

何も聞きたくないのに、耳は最後まで世界の残酷さを拾い続ける。

 

誰かが笑っていた。

 

人ではない何かが。

 

人の形をしているのに、人では決してありえない何かが。

 

それは慈悲の欠片もなく、こちらの苦痛をただの材料としか思っていない声だった。

 

いやだ、と思った。

 

死にたくない、と。

 

助けてくれ、と。

 

けれど、そんな願いが届く場所ではなかった。

 

ここは地獄だ。

 

そう思った瞬間、どこかで足音がした。

 

遠く。

けれど確かに。

 

駆ける音。

鎧の擦れる音。

怒号。

 

誰かが叫んでいた。

 

突入だ、と。

急げ、と。

まだ生きている者がいる、と。

 

銀。

 

その瞬間、視界のどこかに、鈍く、けれど確かに光る色が差し込んだ気がした。

 

銀色のきらめき、救いの色、遅すぎた希望の色。

 

そして同時に、赤。

 

燃え上がるような赤、血の色、肉の色。

絶望を嘲笑うように爛々と灯る、獣じみた赤。

 

赤と銀。

 

その二つだけが、焼き印のように魂に刻まれた。

何かが、私の中で弾けた。

 

それは知識だったのか。

呪いだったのか。

あるいは生まれながらに埋め込まれていた、最後の悪意だったのか。

 

世界の裏側が、ほんの一瞬だけ見えた。

 

どうして自分がこんな目に遭っているのか。

 

どうして無関係な人々が蹂躙され、嬲られ、家畜のように扱われなければならなかったのか。

 

誰の都合で、思惑で、遊戯の延長として。

 

理解してしまった。

 

理解してはいけないものを。

 

それはとても巨大で、あまりにも身勝手で、覆しようのない理不尽だった。

 

この地獄は偶然ではない。

災厄ですらない。

 

意志だ、都合だ。

選ばれもしなかった者たちの命を、石ころのように踏み砕く存在たちの――気まぐれの結果だ。

 

『魔導国』『魔導王』

 

その言葉が、焼けた脳髄に杭のように打ち込まれる。

 

ふざけるな、と思った。

 

何もかも奪われ、何も知らされず、何の意味もなく苦しめられて。

その果てにあるのが、そんな理由であっていいはずがない。

 

こんなのは、あっていいはずがない。

 

憎い、と思った。

けれど、その感情を抱いた瞬間にはもう遅かった。

 

赤が迫る、銀は届かない。

世界が千切れる。

 

死ぬ。

 

死ぬ、死ぬ、死ぬ――

 

いやだ。

 

いやだいやだいやだいやだいやだ。

 

こわい。

 

いたい。

 

くるしい。

 

たすけ――

 

 

ーーー暗転ーーー

 

 

 

次に意識が浮かび上がったとき、世界はひどく柔らかかった。

 

ぬるい。

暗い。

 

けれど、さっきまでの闇とは違う。

 

何かに包まれている。

遠くから響く音がある。

規則正しい鼓動。

 

とく、とく、とく、とく。

 

命の音だ。

 

私は、泣いていなかった。

泣くことすら忘れるほど、直前の死が深く染みついていたからかもしれない。

 

あるいは、もう泣き疲れていたからかもしれない。

けれど、理解だけはしていた。

 

終わっていない。

私はまだ消えていない。

 

そんなはずはないのに。

あれだけの恐怖と絶望の果てに、なおも「私」が残っている。

ありえない。

 

けれど、ある。

やがてその柔らかな闇も終わり、世界は再び眩しさを伴って開いた。

 

光、音。

冷たい空気、誰かの歓声。

何人もの声。

聞き取れない言葉。

泣き声――今度は、私自身の。

 

生まれたのだ、と。

 

そう気づくのに時間はかからなかった。

私は赤子になっていた。

 

意味がわからなかった。

 

死んだはずなのに。

あの地獄で、確かに終わったはずなのに。

なのに私は、もう一度はじまっていた。

 

混乱しながらも、意識は奇妙に冴えていた。

 

赤子の未発達な身体と裏腹に、内側では何かが静かに積み上がっていく。

 

知っている。

 

私は、この世界を知っている。

 

そう思った。

 

まだ言葉にならない断片。

映像の切れ端。

古びた記憶。

荒廃した世界。

灰色の空。

巨大複合企業。

絶対的な格差。

環境汚染。

管理された居住区。

アーコロジー。

仮想現実。

ダイブ式ゲーム。

そして――ユグドラシル。

 

その名を、私は知っていた。

 

けれど、おかしい。

 

私が知っているのは、まるで物語か設定資料のような知識ばかりだ。

 

世界の仕組み。

社会の歪み。

時代背景。

遠い未来の常識。

 

それらは確かに私の中にあるのに、では私は誰だったのかと問われると、そこが曖昧だった。

 

私は、誰だ?

 

どこで生まれた?

何をしていた?

どうしてこの世界を知っている?

 

答えは出ない。

 

代わりに、胸の奥から得体の知れない嫌悪だけが湧き上がった。

 

赤を見るのが怖い。

銀を見ると、泣きたくなる。

 

理由はわからない。

 

なのに、わからないこと自体が恐ろしかった。

 

「この子はきっと、優しい子になるわ」

 

女の声がした。

耳に柔らかい、幸福そうな声だった。

 

「あぁ。私たちの自慢の娘だ」

 

男の声も続く。

穏やかで、安堵に満ちていた。

 

その声を聞いた瞬間、私は本能的に理解した。

この人たちは、今の私の両親なのだと。

 

温かな手が私を抱き上げる。

 

恐る恐る目を開けると、滲む視界の向こうに、整った服装と清潔な部屋の輪郭があった。

高品質の医療設備。

閉じられた居住空間。

管理された空気。

外界と切り離された、巨大な人工都市の内側。

 

裕福なのだ、と幼い頭でもわかった。

 

けれど、その温かさの中にいてもなお、私は震えていた。

 

怖かったからではない。

いや、怖かった。

 

だがそれ以上に、忘れていることが恐ろしかった。

 

私は一度、確かに地獄を見た。

なのに、その地獄の形はもう崩れはじめている。

掴もうとすると、霧のように散っていく。

 

残るのは感情だけだ。

 

耐えがたい苦痛、底の抜けた絶望。

焼けつく憎悪。

そして、赤と銀。

 

赤と銀。

 

その二色だけが、何度も、何度も、何度も、夢の底から浮かび上がってくる。

やがて私は成長し、この世界の名を、時代を、社会を知ることになる。

 

アーコロジーに守られた富裕層の一人娘として育ち、外の荒廃を画面越しに知り、理不尽に慣れきった大人たちを見て、それでもどこかで馴染めない自分を自覚していく。

 

たぶんその頃には、今この瞬間の違和感すら、薄れているのだろう。

 

私は忘れていく。

 

かつての死を。

かつての憎しみを。

かつて、自分が何者であったかを。

 

けれど、魂は忘れない。

 

どれだけ記憶が削れても、どれだけ新しい人生が上塗りされても、魂のどこかで、私は知り続ける。

 

この世界は物語の始まりの前日譚に過ぎないことを。

そして、いつか再び、あの世界へと繋がる扉が開くことを。

 

そのとき私は、何を思い出すのだろう。

 

救いを求めて届かなかった銀か。

すべてを踏みにじった赤か。

それとも――

 

自分が、一度目の人生で誰を憎み、誰を呪いながら死んだのかを。

赤子の私は、何も言えずにただ泣いた。

 

祝福の産声のように聞こえたそれは、きっと違う。

 

あれは悲鳴の続きだ。

 

終わらなかった地獄の、その続きだった。

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