Fate/Grand Order 第三部 Script of the Palimpsest   作:白瀬 綴

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かくして偽りの代理戦争へ

脇道へ逃げ込んだ後も、誰もすぐには足を止められなかった。

 

 商店街の表通りから一本外れただけの細い道。古びた室外機、壁に貼られた色褪せたポスター、積まれたままの酒瓶ケース。普段なら、どこかの店の裏口から人の声や調理の匂いが漏れてきてもおかしくない場所だった。けれど今は、生活の形だけを残して、人だけが綺麗に抜き取られている。足音が壁に当たって返ってくるたび、その空白が余計に耳へ残った。

 

 綱吉は藤丸を抱えたまま、建物の陰へ入る。腕にかかる重さは軽い。軽いはずなのに、指先が強張っていた。落とさないように抱えるだけなら、まだいい。問題は、いつ背後からあの鎖が伸びてくるか分からないことだった。黒い外套、銀色のマスク、沈黙、そしてこちらを見定めるような冷たい圧。あの姿を思い出すだけで、喉の奥が重くなる。

 

 藤丸も、綱吉の腕の中で何度か息を整えていた。小さくなった身体は、走ったわけでもないのに疲労が早い。揺れただけでも胸の奥が詰まり、首元の空の器が、脈のように嫌な感覚を返してくる。

 

「……ごめん、ツナ。ずっと抱えてもらって」

 

「いいよ。藤丸のせいじゃないし」

 

 綱吉はすぐに答えた。けれど、その声にはわずかな息切れが混ざっていた。藤丸はそれを聞き逃せなかった。申し訳なさで小さな手に力が入る。

 

 獄寺が即座に近づいた。

 

「十代目、俺が代わります」

 

「いや、獄寺くんは周りを見てて。今また襲われたら、すぐ動ける人が必要だから」

 

「ですが――」

 

「頼む」

 

 短い言葉だった。獄寺はそれ以上食い下がらなかった。表情には納得していない色が濃く残っていたが、爆薬を握る手を戻し、脇道の入口へ視線を向ける。

 

 山本は反対側で、時雨金時を握ったまま、さっきの黒い刀もどきと打ち合った手首を軽く回していた。

 

「やっぱ、あの影みたいなやつ、さっきより動き変わってたな」

 

 冗談のような軽さは薄い。目は笑っていなかった。

 

「俺の動き、真似してたってことだよな」

 

 エミヤが低く答える。

 

「完全な模倣ではない。だが、接触した戦闘情報を保持している可能性は高い。次に同じ相手と戦えば、さらに厄介になる」

 

「倒しても、あの黒い粒みたいなのがどこかに流れてたしね」

 

 藤丸が呟く。

 

 ジャンヌ・オルタが鼻を鳴らした。

 

「倒して終わりじゃない敵とか、最高に面倒ね。燃やしても持って帰られるとか、気分悪いにもほどがあるわ」

 

 彼女の指先には、まだ炎が揺れている。だが、その炎は普段のように迷いなく荒れ狂うものではなかった。細く、鋭く、しかしどこか不安定だ。藤丸の契約が揺れているせいで、彼女たち三騎も本来の力を出し切れていない。

 

 マンドリカルドは綱吉のすぐ近くに立っていた。剣を握る手に力はある。けれど、視線は何度も藤丸へ向かう。何か言いたそうにしながら、言えない。自分が代わるべきだという思いと、今の霊基でそれを引き受けていいのかという不安が、顔にそのまま出ていた。

 

 リボーンが、帽子のつばをわずかに下げる。

 

「まず、さっきの黒フードだ」

 

 その一言で、空気が変わった。

 

 脇道の狭い空間が、急に冷える。

 

「ヴィンディチェに似てた」

 

 山本が静かに言う。

 

「あの沈黙だけで、嫌な記憶が戻るな」

 

 獄寺が舌打ちする。

 

「似てるだけで十分気味悪いんだよ。あの黒い外套、顔を隠したマスク、何も喋らねえ圧……シモンの時に見た連中を思い出すには十分すぎる」

 

 綱吉は黙っていた。

 

 ヴィンディチェ。

 

 沈黙の掟を破った者を裁く存在。

 

 マフィアの世界の奥底から現れる、普通の争いとは違う場所にいる者たち。

 

 あの時の記憶と、さっきの黒フードの気配が、綱吉の中で重なって離れなかった。こちらの感情や事情を一切汲まず、罪人を見定めるような冷たさだけが、脇道の暗がりにまで残っている。

 

「ヴィンディチェが関わってるなら……なんで」

 

 綱吉の声は小さかった。

 

「俺たち、何かしたのかな」

 

「十代目が沈黙の掟を破るようなことをするわけありません!」

 

 獄寺は即座に言った。

 

 山本も刀の柄に手を置いたまま、表通りの方を見た。

 

「でも、あの感じは普通じゃなかった。何かを言いに来たってより、見に来た感じだったよな」

 

「そこだ」

 

 リボーンの声は短い。

 

「あいつが何者かは分からねえ。だが、ヴィンディチェを知ってる俺たちが警戒するには足りる。問題は、あいつが影炎体と同じ場に出てきたことだ」

 

 藤丸は首元の器を押さえた。

 

 通信の奥で、ざり、とノイズが跳ねる。

 

『ヴィンディチェ……イタリア語で“復讐者”という意味ね』

 

 オルガマリーの声だった。少し遠いが、はっきりしている。

 

『でも、カルデアでいうアヴェンジャーとは別物。その世界の裏社会における裁定者、あるいは処刑機構に近い存在、という理解でいいのかしら』

 

「大体そんなところだ」

 

 リボーンが答える。

 

「マフィアの世界で、沈黙の掟を破った者を裁く連中だ。普通のマフィアが相手にする存在じゃねえ」

 

 ムニエルの声が小さく混ざった。

 

『裏社会の処刑機構って……また重いのが出てきたな。しかも、それっぽい奴が影炎体と同時に現れたってことは、アイツが裏で糸を引いてる可能性もあるのか?』

 

『その可能性は見ておくべきだね』

 

 ダ・ヴィンチちゃんの声が続いた。

 

『黒フード、影炎体、戦闘領域の膜。どれも同じ場所で動いている以上、切り離して考える方が危険だ。こちらでは三つの反応を並行して追う。次に接触した時、取りこぼしを減らすためにね』

 

 リボーンはそれに頷く。

 

「分かってるならいい。次に同じような奴が出たら、絶対に油断するな」

 

 綱吉は藤丸を抱え直した。

 

 黒フード。

 

 影炎体。

 

 戦闘領域の膜。

 

 消えた人たち。

 

 そして藤丸の身体。

 

 分かったことは増えた。けれど、それは安心ではない。危険の形だけが、少しずつ増えていく。

 

 ―――――

 

 ダ・ヴィンチちゃんの声が、少しだけ硬くなる。

 

『それと、藤丸くんと同行サーヴァントの状態についてだ。さっきの戦闘と移動中の反応で、カルデアから同行した三騎が、ツナくんの大空の死ぬ気の炎に近づいた時だけ輪郭を取り戻す変化を少し拾えた』

 

 藤丸が顔を上げる。

 

「補助式、できそう?」

 

『できる、とはまだ言わない。仮組みだ。しかもかなり危ない橋になる』

 

 オルガマリーがすぐに続けた。

 

『藤丸、これはカルデアの既存術式じゃないわ。未知の力の系統を、あなたの首元にある危険な器を通して扱うことになる。少しでも違和感が強くなったらすぐ言いなさい。我慢は許可しない』

 

「分かった」

 

 藤丸は頷く。

 

 首元の空の器は、相変わらず冷たい。自分を助けるためのものではない。あれは、自分をこの町の仕組みに押し込むために付けられたものだ。そう分かっているのに、今はその気味の悪い接続を使わなければならない。

 

 エミヤが静かに問う。

 

「何をするつもりだ」

 

『ツナくんの大空の死ぬ気の炎を再現するわけじゃない。死ぬ気の炎は魔力ではないからね。無理に変換すれば、藤丸くんの身体か、君たちの霊基へ想定外の負荷が出る』

 

 ダ・ヴィンチちゃんは、いつもの軽さを抑えていた。

 

『ただ、ツナくんの炎の近くにいる時、三騎の霊基の輪郭が安定しているのは確かだ。魔力を補っているというより、霊基の不安定さを一時的に抑え、現界状態を補助しているように見える。だから、その反応痕を参照して、藤丸くんの擬似おしゃぶりと通信を噛ませる。出力は最低限。安全域を越えたら即停止する』

 

 ジャンヌ・オルタが腕を組む。

 

「つまり、ちょっとはマシに動けるかもって話ね」

 

『言い方は雑だが、その通りだ』

 

「なら早くしなさいよ。いつまでも他人の炎頼りとか、腹立つのよ」

 

 藤丸は少しだけ眉を下げる。

 

 彼女の苛立ちは、自分自身へ向いている。守るために喚ばれたのに、満足に力を出せない。そのことが彼女を苛立たせている。

 

 マンドリカルドは黙っていた。

 

 ただ、藤丸を見ている。

 

 エミヤはその視線を横目で捉え、淡々と口を開いた。

 

「補助が成立したとしても、藤丸を一人で歩かせるのは危険だ。戦闘になれば足手まといになる」

 

「言い方」

 

 藤丸が小さく抗議する。

 

「事実だ。今の君は転べばそれだけで致命的な隙になる」

 

「それは……うん」

 

「だから、運ぶ役がいる」

 

 その瞬間、マンドリカルドの肩がわずかに跳ねた。

 

 嫌な予感が顔に出ていた。

 

 エミヤは容赦なく続ける。

 

「私は後衛で射線を維持する。ジャンヌ・オルタは前衛火力として動いた方がいい。ならば、最も藤丸の近くで機動的に動けるのは君だ、マンドリカルド」

 

「……いや、ちょ、待ってください。俺っすか。いや、俺が嫌とかじゃなくて、その、マスター運ぶって責任が、めちゃくちゃ重いっていうか、胃が」

 

「君がやれ」

 

「今、めちゃくちゃ雑に押しつけませんでした?」

 

「君は藤丸のサーヴァントだろう」

 

 その一言で、マンドリカルドは口を閉じた。

 

 逃げ道を塞がれたからではない。いや、塞がれたのもある。けれど、それ以上に、その言葉が胸の奥へ落ちた。

 

 藤丸のサーヴァント。

 

 自分が強いと思っているわけではない。エミヤやジャンヌ・オルタに比べれば、できないことばかりだ。けれど、藤丸を運ぶ役が必要で、それを任せると言われた。

 

 胃が痛い。

 

 けれど、嫌ではなかった。

 

「……分かりました」

 

 声は小さかった。けれど、逃げてはいなかった。

 

「補助が組めたら、俺がマスターを運びます。ツナさんに全部預けっぱなしってわけにもいかないっすから」

 

 藤丸は思わずマンドリカルドを見る。

 

「マンドリカルド」

 

「やめてください。その顔、重いっす」

 

「ありがとう」

 

「そういうのが一番重いんすよ、マスター……!」

 

 山本が少しだけ笑った。獄寺はまだ気を張っていたが、反対はしない。了平はランボを背負ったまま「極限に任されたな!」と言いかけて、リボーンに睨まれ、口を閉じた。

 

 クロームもそのやり取りを見て、小さく息を吐いた。さっきの霧の負担はまだ残っている。腹部の奥に、薄い不安がある。それでも、皆がそれぞれ自分の役割を引き受けようとしているのを見て、彼女も槍を握る指に少しだけ力を戻した。

 

 ダ・ヴィンチちゃんが言う。

 

『藤丸くん、始めるよ。首元の器に強く触れなくていい。意識だけ向けて、通信を受ける感覚を保ってくれ』

 

「了解」

 

 藤丸は目を閉じる。

 

 冷たい器。空っぽの硬さ。そこに残る、奪われたものの痕跡。

 

 その奥へ、ノイズ混じりのカルデア通信が細く重なった。

 

 痛みではない。

 

 けれど、気持ち悪い。

 

 身体の外側から、輪郭をなぞられるような感覚。白い幕の中で触れられた時とは違う。あの時は奪われた。今は、危ない場所に指をかけながら、落ちないように支えを探している。

 

『ツナくんの大空の死ぬ気の炎を直接変換しない。反応痕を参照。霊基の揺れ幅を抑える。出力は最低限……』

 

 ダ・ヴィンチちゃんの声が少し遠くなる。

 

『通すよ』

 

 首元の器から、薄い熱が広がった。

 

 熱いわけではない。冷え切っていた輪郭に、線だけが戻るような感覚だった。藤丸は綱吉の腕の中で、ゆっくり指を動かす。さっきより、自分の手の位置が分かる。重心も、ほんの少しだけ掴める。

 

 同時に、三騎の輪郭がわずかに濃くなった。

 

 エミヤの肩口の揺らぎが収まり、ジャンヌ・オルタの炎が鋭さを取り戻す。マンドリカルドの剣を握る手にも、さっきより力が入った。

 

「完全ではないが、動ける幅は広がったな」

 

 エミヤが低く言う。

 

 ジャンヌ・オルタは口元を歪めた。

 

「まだ足りないけど、さっきよりはマシ」

 

 マンドリカルドは自分の手を開閉し、次に藤丸を見た。

 

「マスター、どうです?」

 

「ちょっと気持ち悪いけど……さっきより、身体が分かる」

 

 綱吉がほっと息を吐いた。

 

「よかった」

 

 その瞬間、エミヤが当然のように言う。

 

「では、役割を移す。マンドリカルド」

 

「今っすか」

 

「今だ。補助が安定しているうちに移動形態を変える。藤丸を綱吉に抱えさせ続けるのは戦術上も危険だ」

 

 正論だった。

 

 あまりにも正論だったので、マンドリカルドは反論できなかった。

 

「……マスター、こっち来てください。俺が運びます」

 

 藤丸は綱吉の腕の中で少し迷った。

 

「肩、大丈夫?」

 

「大丈夫じゃなくてもやる場面ってあるじゃないスか」

 

「いや、それは大丈夫じゃないって言ってるよ」

 

「そこは聞き流してください」

 

 綱吉は慎重に藤丸を渡した。赤ん坊に近い小さな身体は軽い。だが、軽いからこそ、少しでも雑に扱えば壊れそうで怖い。マンドリカルドは受け取る直前、見て分かるほど緊張していた。

 

 最終的に、藤丸はマンドリカルドの肩に近い位置で支えられる形になった。片腕で支え、もう片方の手で剣を扱えるよう、身体の横へ抱える形に近い。藤丸は小さな手で、マンドリカルドの肩口の布を掴む。

 

 視界が変わった。

 

 綱吉の腕の中とは違う。不安定だ。けれど、マンドリカルドの呼吸が近い。

 

「重くない?」

 

「マスター、今のサイズでその質問は逆に心に来るんでやめてください」

 

「ごめん」

 

「謝られるのもキツいっす……!」

 

 ジャンヌ・オルタが横目で見て、鼻を鳴らした。

 

「落としたら燃やすわよ」

 

「そういうプレッシャー追加しないでください!」

 

 短い笑いが、ほんの少しだけ場に落ちた。

 

 だが、それはすぐに消えた。

 

 綱吉の手首で、ウォッチが震えた。

 

「え……?」

 

 淡い光が浮かぶ。

 

 同時に、獄寺、山本、リボーンの手元にも光が走った。マンドリカルドのボスウォッチ、エミヤとジャンヌ・オルタのバトラーウォッチも、ほとんど同時に震える。

 

 数字が浮かぶ。

 

 00:30:00

 

 次の瞬間、町の空気が変わった。

 

 商店街の奥で、何かが爆ぜる音がした。爆発ではない。だが、空間が内側から弾けるような、硬い音。白い幕の向こうで、複数の光が同時に立ち上がる。

 

 クロームが息を呑む。

 

「……たくさん、閉じていく」

 

 リボーンの目が細くなる。

 

「戦闘領域か」

 

 ダ・ヴィンチちゃんの声が緊張する。

 

『複数地点で空間反応。これは一つじゃない。同時に、いくつも戦場が形成されている』

 

 ムニエルが叫ぶ。

 

『ちょ、待て待て待て! こっちの表示、急に増えたぞ! 反応が町中に散ってる!』

 

 オルガマリーの声も硬い。

 

『全員、離れないで。分断されるわ』

 

 その警告は、遅かった。

 

 ―――――

 

 脇道の出口に、鋭い銀光が走った。

 

 刃だった。

 

「う゛おおおおおい!」

 

 耳を裂くような怒号とともに、長い剣が山本へ向かって振り下ろされる。山本は反射で時雨金時を抜いた。刃と刃がぶつかり、金属音が脇道に響く。

 

 山本の目が見開かれる。

 

「スクアーロ……!」

 

 白い長髪が揺れる。鋭い目が山本だけを捉えていた。

 

「てめぇと斬り合う機会が来たんだ。逃げんじゃねぇぞぉ、山本武!」

 

 山本が受け止めた衝撃で、脇道の空気が割れた。

 

 同時に、上から軽い笑い声が降る。

 

「ししっ。こっちは王子がもらうね」

 

 獄寺が顔を上げるより早く、無数のナイフが光った。ワイヤーが空中を走り、壁から壁へ張られる。獄寺は爆薬を投げ、ナイフの軌道を逸らす。

 

「ベル……!」

 

「久しぶり。まだ怒るだけの雑魚だったら、王子すぐ飽きちゃうよ」

 

「てめぇ……!」

 

 獄寺のこめかみに青筋が浮かぶ。だが、すぐに爆薬を握り直した。怒りで突っ込めば、ベルの思う壺だと分かっている。

 

 さらに、重い銃声が鳴った。

 

 脇道の壁が抉れる。綱吉は反射的に身を引いた。そこにいたのは、黒い外套を纏う王ではない。もっと荒々しく、もっと傲慢な、見慣れた怒りそのもの。

 

 XANXUSが、片手に銃を構えて立っていた。

 

「ようやく面見せやがったか、沢田綱吉」

 

 綱吉の喉が詰まる。

 

「XANXUS……!」

 

 XANXUSの背後には、マーモンが浮かんでいる。フードの下の表情は読めない。だが、その声には普段よりもわずかな熱があった。

 

「報酬が本物かどうか、確かめるには勝つのが早い。呪いを解く権利があるなら、僕は取りに行くよ」

 

 リボーンが睨む。

 

「マーモン、お前」

 

「ただ働きはしない主義なんだ。君なら知ってるだろ」

 

 マーモンの言葉に、スクアーロは笑わない。ベルは楽しそうにナイフを揺らし、XANXUSはツナだけを睨んでいた。

 

 綱吉は藤丸の方を見ようとする。

 

 だが、その前に空間が裂けた。

 

 ウォッチの数字が動く。

 

 00:29:59

 

 白い膜が、綱吉と藤丸の間へ走った。

 

「藤丸!」

 

「ツナ!」

 

 藤丸の声は、マンドリカルドの腕の中で跳ねる。マンドリカルドは即座に藤丸を抱え直し、後ろへ下がる。エミヤが前に出る。ジャンヌ・オルタの炎が膜へ向かって走ったが、炎は膜の表面で滑るように逸れた。

 

 リボーンが叫ぶ。

 

「ツナ! そっちはそっちで耐えろ! 藤丸たちは離脱を優先しろ!」

 

「でも!」

 

「迷うな!」

 

 その声が飛ぶ。

 

 綱吉は歯を食いしばった。

 

 XANXUSが笑う。

 

「余所見してんじゃねぇぞ、カス」

 

 再び銃声。

 

 綱吉は身を翻し、炎を灯すために死ぬ気丸へ手を伸ばす。

 

 藤丸たちの側では、膜が周囲を閉じ始めていた。だが、それはリボーン陣営とマーモン陣営の戦闘領域とは別の膜だった。さらに外側、町の別方向へ引きずられるような感覚。

 

 ダ・ヴィンチちゃんの声が飛ぶ。

 

『藤丸くん、補助式を維持する! マンドリカルド、藤丸くんを落とさないで!』

 

「言われなくてもっす!」

 

 マンドリカルドの声は裏返りかけていたが、腕はしっかり藤丸を支えていた。

 

 ―――――

 

 町の別方向で、別の光が立ち上がる。

 

 そこには、白い笑みを浮かべる男がいた。

 

 白蘭。

 

 その手にはマーレリング。

 

 手首にはボスウォッチ。

 

 彼の背後に、ユニが立っている。小さなおしゃぶりが、淡く揺れる。γはユニを庇う位置に立ち、桔梗は静かに周囲を見ていた。

 

 向かい合うのは、骸。

 

 その傍らに、フランと千種。そして、少し離れた位置でヴェルデが端末を操作している。

 

 白蘭が笑う。

 

「へえ。君が相手かぁ」

 

 骸もまた、楽しげに笑った。

 

「クフフ。実に面倒で、実に不愉快で……少しだけ面白い盤面ですね」

 

 フランは、ちらりと桔梗を見る。

 

「じゃあ、まずは嫌がらせから始めますかー」

 

 その声が、白い膜に呑まれて消える。

 

 ―――――

 

 別の場所では、重い鉄球が地面を抉った。

 

 家光が顔を上げる。

 

「……おいおい、随分懐かしい顔がいるじゃねぇか」

 

 ランチアが静かに立っていた。

 

 その手元の鉄球に、紫がかった雲の死ぬ気の炎が揺れる。

 

 雲雀は家光ではなく、その背後のランチアへ一度だけ視線を向けた。

 

「君、黒曜の時にいたね」

 

「ああ。あの時は、俺も自分の意志で立っていたとは言えなかった」

 

「なら、今は?」

 

「俺の足で立っている」

 

 雲雀はわずかに口角を上げた。

 

「なら、後で噛み殺す」

 

 家光が肩をすくめる。

 

「おいおい、順番待ちにされるほど暇じゃねぇんだよ。今のお前の相手は俺だろ」

 

 雲雀はようやく家光を見る。

 

「強いなら、相手をしてあげる」

 

 家光は拳を軽く鳴らし、笑った。

 

「怖ぇ中学生だな」

 

 少し離れた場所で、バジルは三角定規に似たブーメラン状の剣を構えていた。

 

 ランチアの鉄球が、低く唸る。

 

「拙者がお相手いたします」

 

「なら、こちらも手は抜かない」

 

 別方向では、ラルがイーピンと向かい合っていた。イーピンの拳には、まだ荒い嵐の死ぬ気の炎が揺れている。フォンは静かに見守り、コロネロは銃を構えながらも、赤ん坊の身体ゆえに前へ出すぎない。

 

 ―――――

 

 同時に、別の膜の中で炎真が顔を上げた。

 

 アーデルハイトと青葉紅葉が両側に立つ。スカルは震えながらも、必死に声を張っていた。

 

「な、なんでオレの代理人ばっかり、こんなヤバそうな連中と当たるんだよぉ!」

 

 その前方に、藤丸たちの反応が近づいている。

 

 藤丸はマンドリカルドの腕の中で、次々に閉じていく戦場の気配を感じていた。補助式の薄い熱が首元で揺れる。身体はさっきより動く。けれど、安定しているとは言えない。三騎の霊基も、戦闘領域の膜へ触れるたびにざらつく。

 

 ウォッチの数字が進む。

 

 00:29:42

 

 00:29:41

 

 00:29:40

 

 町のあちこちで、同じ数字が刻まれている。

 

 戦いが始まった。

 

 誰かの願いを餌にした、偽りの盤面が。

 

 それぞれの覚悟を試すように、白い町の中で同時に口を開いた。

 

 綱吉はXANXUSの銃口を見据える。

 

 獄寺はベルのワイヤーの先を追う。

 

 山本はスクアーロの剣圧を受け止める。

 

 白蘭は骸と笑みを交わす。

 

 γはユニの前に立ち、桔梗は静かに指を鳴らす。

 

 家光は雲雀の眼を見て、ラルはイーピンの拳を測り、バジルはランチアの鉄球から目を離さない。

 

 藤丸はマンドリカルドの肩口を掴み、エミヤとジャンヌ・オルタは前へ出る。

 

 リボーンの声が、白い膜の向こうから最後に届いた。

 

「生き残れ。話はそれからだ」

 

 そして、膜が完全に閉じた。

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