Fate/Grand Order 第三部 Script of the Palimpsest   作:白瀬 綴

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※序盤構成の整理に伴い、偏綴点Ⅰの話数表記・一部構成を更新しています。主要な勝敗・大筋に変更はありませんので、既読の方は本話からそのままお読みいただけます。


第11話 膜界激突

 γ(ガンマ)の右手で、雷のマーレリングが白く濁った。

 

 すぐに緑へ戻る。ほとんど同時に、左の路地を塞ぐ白い膜が内側へ撓み、ユニの胸元で大空のおしゃぶりが震えた。指を添えると、冷たさが胸の奥へ刺さる。

 

 住宅街は白い膜に囲まれていた。低い塀と電柱、閉じた門扉、玄関脇の植木鉢。道は正面で右へ折れ、左には細い路地が伸びている。どちらの先も白に塞がれ、ウォッチの赤い表示が減るたび、右側の膜が民家の塀を少しずつ呑み込んでいた。

 

 ユニは瞼を閉じる。

 

 大空のおしゃぶりを受け継いでこの町へ落とされてから、以前なら不意に訪れていた未来の光景は、一度も現れていない。

 

 目を開く。

 

 白く閉ざされた道路の前に、γの背中があった。

 

「姫。どこか痛むか」

 

 γはユニへ背を向け、ビリヤードキューを右手に構えている。左足を塀側へ寄せ、道路中央へ右足を残し、その間にユニが路地へ抜けられる幅を空けていた。見慣れた守り方だった。

 

「大丈夫です。γは?」

 

「俺のことはいい」

 

「よくありません」

 

 γの肩が僅かに強張る。返事の代わりに左足をさらに外へずらし、退路を広げた。

 

「……動ける。姫は俺の左から離れるな。下がる時は、そのまま路地へ入れ」

 

「はい」

 

 背後から、場違いなほど軽い声が近づいてきた。

 

「γクン。そのリング、ちょっと見せてよ」

 

 白蘭(びゃくらん)が膜の際から歩み寄る。左手の大空のマーレリングへ触れたまま、γの右手を覗き込んだ。

 

「お前と話すことはねぇ」

 

 γは振り返らない。

 

「相変わらず冷たいなぁ♪」

 

 白蘭は気にした様子もなく笑った。

 

 γは雷のマーレリングへ炎を通す。未来で白蘭から渡された模造品は、炎を流すたび粗く膨らみ、腕へ噛みつくような反発を返した。今、指にあるリングは違う。緑の炎は細い雷へ整い、手首から肘まで引っ掛かりなく走った。

 

「……違う。あの偽物みてぇに、流した炎が暴れねぇ」

 

 中指を曲げる。リングは指の根元に収まったまま、炎だけを素直に通した。

 

「これが、本物かよ」

 

 白蘭の笑みが僅かに薄くなる。自分のリングを親指でなぞった。

 

「僕も知らないなあ。今の僕の指にこれが嵌まるなんて、どの未来でも見た覚えがないよ」

 

「白蘭様」

 

 桔梗が一歩前へ出る。白蘭のリングを確かめ、周囲の膜へ目を向けた。

 

「ハハン。私のものも、未来で使ったマーレリングと同じ反応です」

 

「本物だろうが何だろうが、姫には近づくな」

 

「承知しています」

 

 γのキューが持ち上がる。桔梗はそこで止まった。

 

 未来で、桔梗は白蘭の側に立ち、ユニを追い詰めた。けれど今、彼はキューを向けられた位置で止まっている。白蘭も距離を詰めず、薄い笑みを浮かべたままだった。

 

 γの右肩が固くなる。

 

 ユニはその袖を掴んだ。

 

「待って、γ」

 

 キューの先が止まる。

 

「……私は、もう少し二人を見たいです」

 

 γが横目を向けた。

 

「γも、もう少しだけ待ってください」

 

 袖を掴む指へγの視線が落ちる。白い膜が民家の塀をまた削った。

 

「そばにいてください」

 

 γは奥歯を噛み、白蘭へ向けていたキューを道路の奥へ戻した。

 

「……俺の前から出るな」

 

「はい」

 

 ユニが袖を離す。γは左の路地を塞がず、白蘭も桔梗も距離を詰めない。

 

 その静けさを、三叉槍の石突が叩き割った。

 

 紫の霧の死ぬ気の炎がアスファルトの亀裂へ走る。六道骸(ろくどうむくろ)が白い境界を越え、その後ろからフラン、柿本千種、ヴェルデが続いた。

 

「クフフ。再会を喜ぶには、少々騒がしいところですね」

 

「やあ、骸クン。君もこっちなんだ♪」

 

「貴方に会いに来たつもりはありませんよ。ですが、目の前にいる以上、槍を下ろす理由もありません」

 

 三叉槍の穂先が白蘭の喉へ向く。桔梗が踏み出しかけたところで、白蘭が左手を上げた。

 

「骸クンは僕が相手するよ。桔梗ちゃんはユニちゃんの方へ」

 

「しかし」

 

「大丈夫。彼、僕のこと嫌いだからね♪」

 

「嫌悪を向けられるだけの振る舞いを、貴方が積み重ねた結果でしょう」

 

 骸の耳元で霧のボンゴレギアが紫に灯る。三叉槍を握る両手の手袋にも火が走り、フランの右手も紫に染まった。ヴェルデは一歩下がった位置で小型観測器を開く。

 

「科学者さんは自分で殴らないから楽でいいですねー」

 

「生憎、僕は殴り合いより確かめたいことがある。有幻覚装置は渡した。さっさと始めたまえ」

 

「つまりミーとパイナップル師匠が働いて、博士は見てるだけですかー」

 

「誰がパイナップルですか」

 

「口を動かす暇があるなら始めたまえ」

 

 フランの指先から紫の火花が散った。

 

 右へ折れるはずの道が、白蘭たちの方へ滑ってくる。十数メートル先にあった曲がり角が三歩先まで迫り、反対に左の路地は引き伸ばされた。路肩の植木鉢が倒れる。割れた陶片は何もないはずの場所で跳ね、アスファルトを擦って止まった。

 

 通常の幻覚は知覚を欺く。有幻覚は、そこから先へ踏み込む。

 

 ヴェルデ製の手袋型装置が、骸とフランの霧で組み上げた虚像へ重さと衝撃を与える。存在しない道路が足を取る。幻の刃でも肉を裂く。生物の姿を取らせれば、その牙や爪も現実へ触れる。

 

 強く複雑なものほど、維持には炎と集中を食う。それでも、正体を見破っただけでは消えない。避けるか、壊すしかない。

 

 ヴェルデの観測器では、陶片が跳ねた瞬間とフランの出力上昇が重なった。

 

 骸の三叉槍が白蘭の左脇から突き上がる。ほぼ同時に、窓ガラスの奥からもう一本の穂先が伸びた。

 

 白蘭は刃を追わない。左の人差し指を窓枠の右上へ向けた。

 

白指(しろゆび)

 

 白い閃光が窓枠を貫く。実体を得た槍が根元から紫の粒へ崩れ、本物の三叉槍だけが白蘭の肩先を掠めて抜けた。

 

 石突が鳴る。白蘭の右足側へ亀裂が走るより早く、白指が根元を穿った。刃は地上へ出る前に散る。

 

 骸の右手が柄を滑る。返るはずの軌道には、白蘭の左掌がもう差し込まれていた。大空の炎が弾け、槍が止まる。

 

「クフフ。こちらが出す前から潰しますか」

 

 白蘭は笑うだけだった。

 

 骸が踏み込む。

 

 その足が路面へ着く前に、白蘭は右へ身体を流した。まだ何も起きていない場所を避けるように。

 

 遅れて、路面が沈む。

 

 沈んだのは、白蘭が逃げ込んだ先だった。

 

 フランの手袋から紫の火花が跳ねた。有幻覚が、それまでと違う時機で重さを持つ。足を取られた白蘭へ、骸本人が逆側から入った。

 

 三叉槍の穂先が左肩を裂く。

 

 白い上着へ赤が散った。

 

「白蘭様――」

 

 桔梗が動く。

 

 白蘭は骸を見たまま左手を上げた。桔梗は踏み止まり、ユニの右へ残る。γもキューを握り直したが、先端は白蘭へ向かなかった。

 

 ヴェルデは動かない。跳ねた波形を保存し、フランの手袋へ目を移す。

 

「まだ、未来の僕を見ていますか」

 

 骸の声は穏やかだった。

 

 白蘭の笑みが、ほんの少しだけ薄くなった。

 

 弾かれたガラス片が道路中央へ散る。その一枚をγがキューで払った直後、千種の円盤が低く左へ回り込んだ。

 

 γは糸をキューの先で弾き、正面の亀裂へ雷球を落とす。緑の火花が路面を這い、ユニの足元まで伸びてきた紫を押し返した。

 

 右側で桔梗の匣が開く。

 

 雲の死ぬ気の炎を纏った(ヌーヴォラ)ヴェロキラプトルが飛び出し、千種の二枚目の円盤へ爪を叩きつけた。雲の炎で増えた二頭が左右へ散る。一頭はユニの右へ入り、もう一頭はフランのいる塀際へ走った。

 

 千種は糸を引き、獣の前脚へ円盤を絡める。着地が鈍った隙にフランが塀の陰へ滑り込み、獣が糸を噛み切る。跳ね返った円盤が千種の手の甲を浅く裂いた。

 

「柿ピー、正面きつそうですねー」

 

「めんどい。分かってるから、早く」

 

 二枚の円盤が交差した。一枚がγのキューを外へ弾き、もう一枚が路面を削る。白い粉塵が跳ねた。右ではヴェロキラプトルの爪が塀を抉り、砕けたモルタルとガラス片まで舞い上がる。

 

 そこへフランの霧が重なった。

 

 左の路地が消えた。

 

「姫、左だ。そこから動くな!」

 

 返事がない。

 

 γはキューを正面へ残したまま、粉塵と霧の向こうへ目を凝らした。

 

 右で、小さな咳がした。

 

「姫?」

 

 粉塵の奥から、小さな影がよろめき出る。胸元では大空のおしゃぶりが揺れていた。

 

「γ……」

 

 γの左手が、伸ばされた小さな手へ動きかけた。

 

 路面すれすれを、銀色の円盤が滑った。

 

「γ!」

 

 今度は左から、ユニの声が飛んだ。

 

 γは左手首を反射的に返した。円盤の刃が掌を裂き、バトラーウォッチの外縁を削った。掴んだ糸へ雷の死ぬ気の炎を流す。緑の放電が霧を裂き、千種まで走った。

 

 同時に、桔梗のヴェロキラプトルが右の影へ飛びかかった。

 

 牙が肩を捉えた瞬間、ユニの輪郭が紫の霧へ崩れる。

 

 その奥で、リンゴ帽子が跳ねた。

 

「あと少しだったんですけどねー」

 

 フランは身を沈めて獣の爪をかわし、塀の陰へ滑り込んだ。

 

 γの左掌から血が落ちる。

 

「γ、その手……」

 

「後だ。今止めたら、あの路面が姫の足元まで来る」

 

 右手はキューから離せない。γは裂けた左掌を柄の根元へ添え、石突を本来の道路と有幻覚の境へ押し込んだ。血が木肌へ広がり、せり上がっていた路面が僅かに押し返される。

 

 ユニの手が、その左掌へ伸びた。

 

「無茶をしないでください」

 

 γは顔を動かさず、目だけをユニへ向ける。

 

「……姫も同じだろうが」

 

 伸びた指が止まった。

 

 ユニは胸元のおしゃぶりを握り直し、小さく頷いた。

 

 γがキューの根元で路面を叩く。

 

 三つの雷球が跳ねた。一つは沈んだアスファルトを砕き、一つは塀に残った糸を焼く。最後の一つが道路中央の亀裂へ収まり、緑色の電磁防壁を立ち上げた。

 

 糸を焼いた雷球は、塀際でまだ火花を散らしていた。

 

 左掌へ反動が返る。γは漏れた雷を路面へ逃がし、防壁だけを残す。

 

 桔梗のヴェロキラプトルがユニの右へ戻った。

 

 γは塀際に残った雷球をキューの先で道路中央へ弾き出す。

 

「右は任せる。姫に一発でも届かせてみろ。次はお前を撃つ」

 

「ハハン。承知しました」

 

 桔梗は獣をユニの右へ据えた。

 

 γはすぐには正面を向かなかった。ヴェロキラプトルの牙がフランへ向いたのを確かめてから、キューを前へ戻す。

 

 ユニは唇を結んだ。

 

 道路中央で雷球が緑に明滅する。その向こうで、γの左手から血が一滴ずつ落ちていた。

 

 右から伸びた霧を、ヴェロキラプトルの尾が弾く。γの上体がそちらへ引かれかけても、キューの先は正面から逸れない。

 

 ヴェルデの観測器では、中央へ移った雷球に合わせて針が振れた。少し遅れて、白い膜を示す波形も揺れる。

 

 ヴェルデは保存キーだけを押した。

 

 道路中央の雷球が、緑に明滅する。

 

 その向こうで、骸の耳元の霧のボンゴレギアが強く灯った。紫の炎が三叉槍へ流れ込み、柄から嘴を思わせる刃が幾重にも開く。三本の穂先を持つ錫杖状の武装へ変わった。

 

形態変化(カンビオ・フォルマ)

 

 骸が踏み込む。錫杖が白蘭の脇腹へ走った。

 

 白蘭が上体を逃がした瞬間、骸は錫杖を横へ返す。実物の塀を削る刃の陰から、有幻覚の路面に別の穂先がせり上がった。

 

 避けきれない。

 

 別の穂先が脇腹を打ち、白蘭の身体が塀へ叩きつけられた。

 

「白蘭様!」

 

 桔梗が踏み出す。

 

 白蘭は左手だけを上げた。

 

 桔梗は歯を噛み、足を戻す。ユニの右では、ヴェロキラプトルの爪が路面へ深く食い込んだ。

 

 骸は間を与えない。右眼の数字が四へ変わる。六道輪廻(ろくどうりんね)、第四の道。残像が消え、錫杖の穂先、返した柄、膝が近距離から白蘭を追った。

 

 知っている骸なら、ここで左へ退く。

 

 白蘭の右足が反射的に下がりかける。

 

 止めた。

 

 骸の右肩が沈む。左肘が内へ絞られる。

 

 白蘭は外へ身を逃がした。遅い。錫杖の穂先が頬を裂き、血が顎へ流れた。

 

 次の踏み込みでは、白蘭の目が軸足へ落ちた。

 

 骸が左足を置く。その直前、白指がアスファルトを弾いた。踏み場を失った骸が腰を捻り、錫杖の軌道が外へ膨らむ。

 

 窓へ霧が走る。

 

 白蘭は窓を見なかった。骸の左肩が沈んだ方へ身体を寄せる。窓の陰から出た錫杖が空を切り、白指がその足元を抜いた。

 

「クフフ。ようやく、目の前の僕を見る気になりましたか。随分と不愉快でしたよ」

 

 白蘭は頬の血を親指で拭った。

 

「今の骸クンの方が、ずっと楽しいしね♪」

 

「それは結構。――では、ここからですよ」

 

 霧が窓へ重なる。

 

 骸の左肩が沈む。

 

 白蘭は窓を捨てて右へずれた。錫杖がその影から空を切る。

 

 次は路面が沈む。その前に、骸の腰が右へ入った。

 

 白指が反対側の舗装を穿ち、有幻覚の穂先が形を失う。

 

 幻の形は変わる。それでも、本命を通す直前だけ、骸の身体には小さな偏りが残った。

 

 踏み込みを一つ潰す。窓の支点を抜く。続く白指が骸の左肩を掠めた。

 

 骸の右肩が沈む。

 

 白蘭の左指は、もうその踏み込み先へ向いていた。

 

 骸は動かない。

 

 紫の火花は、フランの右手から散った。

 

 白蘭の足元だけが沈む。同時に、別の窓から実体を持った破片が二枚走った。

 

 白指は骸が来るはずだった場所を撃ち抜く。

 

 一枚を焼く。

 

 もう一枚が右肩へ入った。

 

 白蘭の右腕が落ちる。白い袖へ赤が広がった。

 

「そっか。そこは君が動かすんだ♪」

 

「今さら気づいたんですかー」

 

 骸は返さない。錫杖の切っ先だけを白蘭へ向け直す。

 

 白蘭が一度だけ道路中央を見る。

 

 ユニの正面には電磁防壁。右には桔梗のヴェロキラプトル。その内側で、ユニは立っている。

 

「そこ、ちゃんと守っててね♪」

 

「誰に言ってやがる」

 

 γがキューを押し込み、桔梗は無言で獣の爪を深く食い込ませた。

 

 骸とフランが違う時機で動かした三枚の破片が、白蘭の首、胸、左腿へ閉じてくる。

 

 白蘭は左手を胸の前へ運び、傷ついた右腕も持ち上げた。

 

 掌が触れる寸前、右肩の傷が開く。腕が落ちた。

 

 歯を食いしばり、もう一度持ち上げる。

 

白拍手(しろはくしゅ)

 

 掌が鳴った。

 

 大空の炎が円状に弾ける。窓ガラスがまとめて砕け、有幻覚の槍も段差も紫の粒へ押し戻された。余波はγの電磁防壁まで届き、緑の壁を大きく撓ませる。

 

 骸は錫杖を路面へ刺して踏み止まった。

 

 傾いていた看板の支柱が折れる。

 

 骸へ倒れ込む看板へ、千種が円盤の糸を巻きつけた。横へ引く。看板は道路中央を擦り、γが置いた雷球を押した。

 

 緑の球は浅い溝へ落ち、白蘭と骸の間で止まる。

 

 フランは看板の陰へ飛び込み、折れたリンゴ帽子の葉を片手で押さえた。

 

「白蘭さん、ミーまで入ってるんですけどー」

 

 白蘭は痺れる両手を離し、左指だけをひらりと振る。

 

「そこは頑張って避けてよ♪」

 

「雑ですねー」

 

 返事が終わる前に、白蘭の右腕がまた落ちた。

 

 道路中央まで届いた余波が、ユニの胸元を打つ。

 

 大空のおしゃぶりが強く震えた。冷たさが胸の奥へ走り、膝から力が抜ける。

 

「姫!」

 

 γが振り返りかけた。

 

 ユニは片膝で踏み止まった。胸元を押さえ、浅い息を整えながら顔を上げる。

 

「γ」

 

 その声で、γの肩が止まる。

 

 ユニは首を横に振った。それから、キューの根元を赤く染めるγの左手へ目を落とした。

 

「私も、今度はちゃんとγに話します」

 

 γの左掌から血が落ちた。

 

 ユニは膝を伸ばす。γも背後の呼吸を聞いたまま、正面へ顔を戻した。

 

「……今の約束、忘れんなよ。姫」

 

「はい」

 

 キューの石突が路面へ沈み、撓んでいた電磁防壁が厚みを取り戻す。

 

 桔梗の声が飛んだ。

 

「白蘭様、こちらはお任せを」

 

 ヴェロキラプトルの尾が飛んできた破片を弾く。γは振り返らない。

 

 白蘭が返すより先に、薄くなった霧の向こうで骸が錫杖を持ち上げた。残った炎を穂先と白蘭の足元へ絞る。フランの手袋にも、紫の火が細く残っている。

 

 白蘭は傷んだ右腕を下げたまま、左の人差し指へ大空の炎を集める。

 

 二人の間で、さっき転がった雷球が緑に明滅している。

 

 骸が踏み込む。

 

 白蘭も退かない。

 

 左指から白い閃光が走った。

 

 低く伸びた光が雷球の表面を掠め、緑の火花を弾く。

 

 同時に、紫の霧を纏った錫杖の穂先が正面から突き込まれた。

 

 白指に凝縮された大空の炎、雷球の雷、錫杖を覆う霧が同じ一点へ噛み合う。

 

 白い膜の全周が、低く軋んだ。

 

 狭まり続けていた境界が止まる。

 

 ウォッチの表示が一斉に明滅した。

 

 ヴェルデの観測器では針が端まで跳ねる。端末を胸元へ引き寄せ、親指で保存キーを押した。振り切れた波形が画面に残る。

 

 膜の表面へ細い亀裂が走った。

 

 その奥で、銀色の仮面が動く。

 

 ユニのおしゃぶりが、今までで最も強く震えた。冷たさが胸元から広がり、息が詰まる。

 

 銀色の仮面。黒い外套。

 

 白い境界の向こうから、何かがこちらを見ている。

 

 γのキューがユニの前へ入り、桔梗のヴェロキラプトルが首を上げる。フランは霧を引き寄せ、千種の指が残った糸へ触れた。ヴェルデも観測器から顔を上げた。白蘭の笑みが消え、骸の右眼も亀裂の奥へ向く。

 

 遅れて、硬いものを地面へ引きずる音が届く。

 

 鎖の音が、聞こえた。

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