Fate/Grand Order 第三部 Script of the Palimpsest 作:白瀬 綴
綱吉が視界の端で捉えた銀の軌跡。その内側で、ベルフェゴールの笑い声は、閉じた戦闘領域の壁に跳ね返っていた。
白く隔てられた商店街の一角に、細いワイヤーが張り巡らされている。シャッターの下りた店先、傾いた看板、蛍光灯の切れかけたアーケード、誰もいない歩道橋の支柱。その全てが、王子を名乗る殺し屋の遊び場に変わっていた。見える糸はまだいい。厄介なのは、光を受けた時にしか浮かばない糸、爆風で粉塵が舞った時に初めて輪郭を持つ糸、そして見えている糸を避けた先に置かれた、本命の糸だった。
獄寺隼人は、その中央で息を殺していた。頬には浅い切り傷、袖は裂け、足元には燃え残ったダイナマイトの破片が転がっている。傷はまだ浅い。けれど、ベルの攻撃は一撃で仕留めるものではない。ナイフで選択肢を奪い、ワイヤーで空間を縫い、挑発で判断を濁らせる。避けたと思った刃が戻り、爆風で弾いたナイフが別のワイヤーに拾われ、足を置いた瞬間に見えない糸が靴底へ触れる。戦場そのものが、獄寺の呼吸を測っていた。
ベルは細いワイヤーの上で、爪先を揺らしている。立てるはずのない足場。揺れるはずの身体。それでも彼は、地面に立つより自然にそこへいた。前髪に隠れた目は見えない。だが、見えないはずの視線が獄寺を値踏みしていることだけは分かる。
「ししっ。右、左、上、下。どこ見ても王子の糸だよ。動けば切れるし、止まれば刺さる。隼人くん、どうする?」
「その呼び方すんな。殺すぞ」
「怖い怖い。でもさぁ、君って昔から分かりやすいよね。怒る。爆発させる。突っ込む。王子、そういうの好きだよ。壊すの楽だから」
獄寺の指が、ダイナマイトの筒を握る。
怒るな、と自分へ命じる。怒りはある。消えるはずがない。目の前の男は十代目を玩具のように語り、仲間の命すらゲームの駒に変える。そういう男だ。今すぐ叩き落として、二度と笑えないようにしてやりたい。だが、その衝動こそがベルの待っているものだった。怒りで突っ込めば、糸に絡め取られ、ナイフで刻まれ、十代目の道を塞ぐことになる。
昔の自分なら、それでも突っ込んだかもしれない。十代目のために死ぬ覚悟を、強さと勘違いしていた頃なら。けれど、今は違う。自分は十代目のために死ぬ右腕ではない。十代目の理想を体現し、仲間を守り、自分も生きて、その隣で笑うために戦う右腕だ。ここでベルに足を止められることも、ここで死んで満足することも、どちらも許されない。
獄寺は戦場を見る。
見えるワイヤーは十数本。見えないものはその倍以上。壁の支点、看板の裏、アーケードの梁、シャッターの隙間。ベルが跳べる位置、ナイフが反射する角度、爆風で煙が走った時に浮かぶ糸の揺れ方。ベルは直感で戦場を支配する。理屈を積み上げているのではない。身体が、勘が、獲物の嫌がる場所へ刃を置いている。だからこそ、理論で追うだけでは遅い。
なら、理論で先に潰す。
ベルが選べる選択肢そのものを削る。
「……昔の俺なら、もう突っ込んでたな」
獄寺は低く言った。
ベルの笑みが深くなる。
「ししっ。じゃあ今は違うって?」
「ああ。俺は十代目の右腕だ。てめぇの遊びに付き合ってる暇はねぇ」
「へえ。言うじゃん」
次の瞬間、ナイフが降った。
最初に見えたのは八本。しかし、そのうち二本は投げられた直後にワイヤーへ触れ、軌道を変える。一本は高く跳ね、一本は低く戻り、残りの刃は獄寺の逃げる方向を塞ぐように広がった。正面から避ければ背中を切られる。爆風で弾けば足元の糸へ追い込まれる。足を止めれば、戻ってきた刃が手首のウォッチを狙う。
獄寺は動かなかった。
右手のチビボムを足元へ落とす。小さな爆発が床の埃と砂を低く巻き上げた。攻撃ではない。可視化のための爆発。白い粉塵が地面すれすれを走り、床近くに張られた透明なワイヤーが一瞬だけ輪郭を持つ。
見えた。
獄寺はその一本を踏まないように半歩だけ横へずれ、同時に左手のロケットボムを壁へ放った。火薬の噴射で途中から軌道を曲げ、ベルの身体ではなく、壁に打ち込まれたワイヤーの支点へ向かわせる。爆発。糸が一本切れ、その張力の乱れが別の二本へ波及する。
ベルの足場がわずかに揺れた。
「おっと」
ベルは軽く跳ぶ。だが、跳んだ先に獄寺の二発目のロケットボムが待っている。爆発のタイミングをわざとずらしてある。ベルが着地する一瞬前、空中で爆風が広がり、直撃こそ逃したものの、マントの端を焼いた。
「……へえ。ちょっとは王子を楽しませるじゃん」
獄寺は答えない。
まだ一手入っただけだ。ベルは傷すら負っていない。けれど、分かったことはある。ワイヤーの密度。ベルの初期配置。誘導路。ナイフの戻り角。そして、ベルが不安定な足場を好む理由。
自分だけが不安定を制御できるという優位。
だったら、その優位を奪う。
―――――
少し離れた場所で、マーモンはその戦いを見ていた。
フードの奥の表情は読めない。けれど、その視線は獄寺とベルの盤面を追っている。
「ベルが遊びを減らした」
小さな呟き。
リボーンはそれを聞き逃さない。
「珍しいか」
「珍しくはない。けど、面白くはないね。あの子が遊びを減らす時は、相手を少し認めた時だから」
「なら、獄寺も成長したってことだ」
「君の生徒は面倒だね」
マーモンはそう言って、別の方向へ視線を移した。
XANXUSはツナを撃っている。スクアーロは山本を押している。盤面全体で見れば、まだヴァリアー側が押していると言える。だが、ベルが獄寺をすぐに落とせていない。その一点が、マーモンの計算にわずかなずれを生んでいた。
「ボスが勝てば、それで終わる」
マーモンは言った。
リボーンは帽子のつばを下げる。
「本当にそう思ってるのか」
「思ってるよ。ボスは負けない」
「ベルもスクアーロもか」
マーモンは沈黙した。ほんの一瞬だけ。
「……高い買い物なんだ。無駄にされたら困る」
リボーンはそれ以上何も言わなかった。
その沈黙が、マーモンの言葉より重かった。
―――――
ベルのナイフが、さらに増えた。
いや、増えたように見えた。いくつもの刃が空中で軌道を変え、ワイヤーに沿って滑り、光の反射で本数を誤認させる。真正面から来るものは少ない。必ず一度、壁や看板や支柱を使って角度を変える。そのせいで、避けるべき方向が一拍遅れて分かる。
獄寺は壁際へ追い込まれていた。逃げ場は少ない。だが、完全には塞がれていない。ベルはそれを分かっている。あえて一つ、逃げ道を残している。そこへ逃げ込めば、待っているのは戻り刃か、足元の糸か、ベル自身の跳び込みだ。
「どうしたの? 右腕さん。逃げ道、そこしかないよ」
獄寺は息を吐いた。
普通に見ればそこしかない。左の路地はワイヤー。右の壁にはナイフ。上にはベル。足元には細い糸。残るのは前方のわずかな隙間だけ。だが、ベルが用意した道など使わない。
獄寺は嵐のバックルVer.Xへ意識を落とした。
赤い炎が灯る。怒りとは違う。怒りを燃料にしながら、怒りに飲まれないための炎だ。腰のバックルが低く唸り、そこから複数の機構が立ち上がる。かつての匣兵器を別々に開くのではない。ボンゴレギアへ統合されたNEW SISTEMA C.A.I.が、獄寺の炎に応じて内部機構を展開する。
腰の周囲に十五の機構が並ぶ。
嵐、雨、雷、雲、晴。複数属性の波動を組み合わせ、戦況に応じて最適解を組むための戦闘体系。単体で意味をなす道具ではない。火力だけでも足りない。状況を読み、属性を選び、組み合わせ、相手の一手先へ置く。獄寺自身が“パズル”として組み上げてきた戦法は、ベルの本能的な天才とは正反対の場所にある。
ベルは直感で戦場を支配する。
なら、獄寺は理論でその支配を分解する。
まず、赤炎の矢の機構が腕へ展開した。
髑髏をあしらった腕固定型の火炎放射器。獄寺はそこへダイナマイトを差し込み、発射口を絞る。拡散ではなく収束。嵐の炎をレーザー状に絞り、ワイヤーの密集地帯へ撃ち込む。直線的な赤い光が走り、見えない糸をまとめて炙り出した。
次に、嵐+雨。
骨を模したパーツで構成された防御用の輪が、ボンゴレギアの機構から展開され、空中に浮かび上がる。中央に薄い障壁が張られ、雨の鎮静と嵐の分解が同時に揺れた。ベルのナイフが来る。盾が受ける。刃に纏った殺気と炎の勢いが、雨で鈍り、嵐で削られる。完全には止まらないが、獄寺の身体へ届く前に速度が落ちた。
ベルの声に、興味が混ざる。
「へえ。それが君のやつ?」
「初見か」
「うん。王子、こういう玩具見るの好き」
「玩具じゃねぇ」
獄寺は次の機構へ波動を通す。
嵐+晴。弾帯が展開し、マシンガンのように弾丸が吐き出される。晴の活性を受けた弾は速度を上げ、軌道を不規則に変えながらベルの足場へ向かう。ベルは笑って跳ぶ。だが、弾はベルを追っていない。ワイヤーの支点を撃っている。爆ぜる。支点が壊れる。
続けて、嵐+雲。
一直線に伸びるレーザー状の炎が放たれ、途中で枝分かれする。ワイヤーの密集地帯を横から貫き、見えない糸をまとめて炙り出した。ベルは身を翻すが、枝分かれした炎の一本が頬の近くを掠めた。
まだ当たらない。
ベルの勘が、ギリギリで避ける。理屈ではなく、ここにいてはいけないと身体が先に知っている。なら、次は硬さで押す。
嵐+雷。
極太のフレイムアローに赤い雷が絡みつく。赤炎の雷。獄寺はそれを床へ叩き込むように撃った。爆発的な衝撃が床を走り、床下に隠されていたワイヤーのいくつかが弾ける。ベルの足場がさらに減る。
ベルの笑みが、少しだけ細くなった。
「……思ったより面倒だね」
「てめぇの舞台ごと消してやる」
「でも、王子も昔のままじゃないんだよね」
ベルが指を鳴らす。
そのリングが赤く光った。
ヴァリアーリング。
炎がナイフへ流れ込む。刃の縁に嵐の死ぬ気の炎が宿り、赤く揺れた。
「マーモンが用意したリング、ちゃんと使えるじゃん。高かったらしいよ。王子、お金のことはよく分かんないけど」
「金で買ったリングで調子乗ってんじゃねぇ」
「でも、強いよ?」
ナイフが放たれる。
獄寺は雨と嵐の盾で受けようとした。だが、刃が盾の表面を削る。同じ嵐。ベルのナイフに宿った炎は、ワイヤーの軌道変化と組み合わさることで、防御の一点だけを集中して削ってくる。盾の性能が低いのではない。ベルの攻撃の当て方が異常だった。ここを刺せば崩れると、本能で選んでくる。
獄寺は盾を回転させ、二枚目を重ねる。
ベルは笑う。
「そこ、重ねると思った」
ナイフが戻ってくる。背後。獄寺は肩をひねる。刃が脇腹を掠め、血が滲んだ。
「やっと当たった。でも、浅いね」
「てめぇのナイフなんざ、その程度だ」
「ふうん」
ベルは首を傾ける。
その時、獄寺の嵐+晴の加速弾が、ベルの頬を掠めた。
浅い傷。
血が一筋、流れる。
時間が、止まったように見えた。
ベルの指が自分の頬に触れる。赤い血が、指先につく。
「……」
獄寺は、その瞬間に空気が変わるのを感じた。
ベルの笑みが深くなる。前髪の奥で目は見えない。けれど、見えないはずの視線が熱を帯び、こちらへ向いた気がした。
「ししっ」
笑い声が、低く震える。
「血、出ちゃった」
それは、スイッチが入った音だった。
ベルフェゴールという殺し屋の、本質が起きた音。
「思い出すなぁ。こういうの。痛くて、熱くて、ぐちゃぐちゃで、楽しいやつ」
次の瞬間、ベルが消えた。
いや、消えたように見えた。
速い。ワイヤーを蹴り、ナイフを支点にし、商店街の狭い空間を立体的に飛ぶ。獄寺の視界に映った瞬間には、もう別の場所にいる。ナイフが先ではない。ベル自身が先に来る。至近距離から刃を振り、離れた瞬間にはワイヤーで軌道を変えたナイフが追ってくる。
獄寺は雨嵐の盾を出す。
破られる。
照準コンタクトがベルの動きを追う。だが、追尾表示が追いつく頃には、ベルはもう別の足場へ跳んでいる。理論で補正しても、直感の速度がその上を行く。肩が裂ける。腕が切れる。脚に傷が入る。ベルの笑い声が四方から聞こえ、ナイフの軌道が、音より早く獄寺の防御の薄い場所を探し当てる。
「ししっ、遅い遅い遅い! さっきまでの右腕さん、どこ行ったの? 王子を楽しませるんじゃなかったの?」
「っ、調子に……乗んな!」
獄寺は通常ダイナマイトを二倍、三倍とばら撒いた。爆風でベルの軌道を潰す。だが、ベルは煙の濃淡すら読むように、その隙間から刃を通してくる。ならばとチビボムを混ぜる。通常サイズのダイナマイトと小型爆弾の遠近差で、爆発タイミングを錯覚させる。ベルは一度だけ足を止めた。だが、その停止すら次の跳躍への溜めだった。
速さだけではない。
勘がいい。
理屈で見れば不合理な動きなのに、結果だけは最適になる。獄寺が作る理論の網を、ベルは笑いながら隙間から抜ける。天才。嫌な言葉だ。だが、認めるしかない。ベルは戦闘の天才だった。
獄寺は奥歯を噛む。
ここで押されて終わるわけにはいかない。
ベルが血で昂るなら、自分は何で立つ。怒りか。違う。十代目の右腕としての誇りか。それもある。だが、それだけでは足りない。獄寺隼人は、十代目のために死ぬためここにいるのではない。十代目と共に生きるため、仲間と共に勝ち抜くため、ここに立っている。
獄寺はバックルへ炎を込めた。
「瓜」
呼び声に応じ、嵐のバックルVer.Xが赤く燃える。
ボンゴレギアに融合した嵐猫Ver.Vが、炎の輪郭を持って獄寺の傍らへ顕現する。小さな猫の姿でありながら、その目は鋭い。赤い嵐の死ぬ気の炎が、尾と爪に宿っていた。
ベルが足を止める。
「猫?」
「ただの猫じゃねぇよ」
瓜が跳ぶ。
ベルはナイフを投げる。瓜は空中で身体を捻り、尾の嵐の炎でナイフの軌道を削った。刃が逸れる。ベルは笑う。
「へえ。かわいいじゃん。解体したらどう鳴くかな」
その一言で、獄寺の表情が消えた。
「……てめぇ」
瓜がベルの顔面へ爪を振るう。ベルは紙一重でかわす。だが、瓜の狙いは顔ではなかった。ベルの背後のワイヤー。爪に宿った嵐の炎が、細い糸を分解する。
ベルの足場が崩れる。
同時に獄寺がNEW SISTEMA C.A.I.の機構をさらに展開した。
瓜が前を荒らす。雨でベルの炎を鎮静させる。雷で自分と瓜の防御を繋ぐ。雲で弾道を枝分かれさせる。晴で瓜の動きを一瞬だけ活性化する。そして嵐で、ベルのワイヤー空間を分解する。
戦場が、ようやく五分へ戻った。
ベルは空中で体勢を整え、頬の血を指で拭った。
「いいね。やっぱり君、昔より面白い」
「こっちは面白くねぇ」
「でも、王子は楽しい」
ベルが匣を取り出した。
獄寺の目が細くなる。
ヴァリアーリングの嵐の死ぬ気の炎が、匣へ流れ込む。
開匣。
赤い炎が渦を巻き、そこから小さな獣が現れた。
嵐ミンク。
ヴィゾーネ・テンペスタ。
ベルの前髪を思わせるような毛並みを揺らし、その獣は鋭く鳴いた。尾に嵐の死ぬ気の炎が灯る。床に触れた瞬間、摩擦で赤い火花が散った。
獄寺は直感する。
まずい。
あれは、ただの匣兵器ではない。
「紹介するね。王子のミンク」
ヴィゾーネ・テンペスタが走る。
床を、壁を、ワイヤーを。尾に宿った嵐の炎が、触れたものを分解し、同時に摩擦熱でさらに炎を増やしていく。赤い炎が線となり、戦場全体に広がっていく。ベルのワイヤーが、その炎を運ぶ導火線になった。
商店街の空間が、赤く染まる。
「紅蓮の炎」
ベルが囁くように言う。
次の瞬間、炎が咲いた。
―――――
獄寺は雷を重ねた盾を最大まで張った。
それでも足りない。
紅蓮の炎は面で来る。ナイフのように避けられない。爆風のように受け流せない。ワイヤーを伝い、床を走り、壁を這い、空気そのものを焼きながら迫る。しかも嵐の死ぬ気の炎だ。触れたものを分解し、守りを削り、身体の表面を細かく裂いていく。
瓜が前へ出る。
「下がれ、瓜!」
獄寺が叫ぶが、瓜は下がらない。嵐猫Ver.Vの尾に炎が宿り、ヴィゾーネ・テンペスタの炎とぶつかる。嵐と嵐。赤い火花が散り、二つの獣が戦場の中央でぶつかった。
瓜は押される。
ベルの嵐ミンクは速い。しかもベルのワイヤー空間と連動している。ミンクが走るたび、ベルのナイフの軌道も変わる。獄寺は瓜を守りながら、ナイフも避けなければならない。
苦しい。
だが、獄寺の目はまだ死んでいない。
NEW SISTEMA C.A.I.は、一つの属性で勝つためのものではない。組み合わせるためのシステムだ。雨で紅蓮の炎の勢いを沈める。雷で自分と瓜の防御を繋ぐ。雲で小型弾の配置を増やす。晴で瓜の動きを一瞬だけ活性化する。そして嵐で、ベルの炎の流れそのものを削る。
獄寺は腰の機構へ次々と波動を通す。身体への負担が増え、脳が熱を持つ。複数属性の制御は、ただ炎を出せばいいものではない。波動の質、出力、タイミング。少しでも狂えば、自分の攻撃が自分を削る。だが、やるしかない。ベルの直感が一瞬で最適解を選ぶなら、自分はその一瞬より前に、選択肢を組んでおく。
ベルは炎の向こうで笑っている。
「すごいすごい。王子の紅蓮、まだ耐えるんだ」
「てめぇの炎なんざ……!」
獄寺は言いかけて、息を呑む。
ベルの姿が消えた。
違う。炎に紛れた。
ヴィゾーネ・テンペスタの紅蓮の炎を目隠しに、ベル自身が動いている。ナイフだけではない。血で昂ったベルが、自分の戦場へ完全に溶け込んでいる。
背後。
獄寺は振り向く。間に合わない。ベルのナイフが、獄寺のバトラーウォッチへ伸びた。
瓜が割り込んだ。
刃が瓜の側面を掠める。嵐猫が鳴く。獄寺の頭に血が上りかけた。だが、怒鳴らない。怒りで崩れるな。ここで怒りに視界を渡せば、ベルは喜んで次の刃を通す。
「猫を庇わせるの? 右腕さん、ひどいね」
「黙れ」
「怒った?」
「黙れって言ったんだ」
獄寺の声は低い。
赤い嵐の炎が、静かに濃くなる。ベルは、その変化に気づいた。獄寺がただ怒っているのではないことに。怒りが、形を持ち始めていることに。
獄寺は嵐のバックルVer.Xへさらに炎を込めた。
これは昔へ戻る力ではない。
ダイナマイトで戦っていた自分。SISTEMA C.A.I.を学んだ自分。瓜と共に積み上げた自分。ボンゴレギアへ至った自分。その全てを、今の右腕として束ねるための武器だ。
バックルが光る。
形態変化。
獄寺の身体に、ダイナマイトを帯びたベルトが装着される。パイプ型の発火装置が腰から伸び、嵐の死ぬ気の炎がダイナマイトへ灯る。火薬の匂い、赤い炎、NEW SISTEMA C.A.I.の理論、ボンゴレギアの形。全てが一つに噛み合った。
ベルが楽しそうに笑う。
「それ、いいね。昔の君っぽいけど、昔より危なそう」
「見世物じゃねぇ」
獄寺は低く言う。
「瓜、行くぞ」
瓜が鳴いた。
次の瞬間、獄寺はダイナマイトをばら撒いた。
ただの二倍ボム、三倍ボムではない。チビボムを混ぜ、ロケットボムを仕込み、火力だけではなく視覚の距離感と爆発の時間差をずらす。ボムスプレッズでベルの懐へ迫り、すれ違いざまに爆風を置く。だが、ベルはそれでもかわす。ナイフとワイヤーとミンクの紅蓮を使い、獄寺の爆撃の隙間を本能で抜ける。
だから獄寺は、さらに一手を置く。
マタタビ。
ベルは一瞬だけ眉を動かした。
「何それ」
「教えるかよ」
瓜が飛ぶ。
ただし、ベルではなく、獄寺が撒いた小さな匂いの跡を追う。瓜自身を爆弾化する瓜ボム。その動きは、ベルの予想した攻撃線とは違った。敵を直接追うのではない。獄寺が仕込んだ誘導点を経由し、ベルの視界から外れた角度で迫る。
ベルが振り向く。
遅い。
瓜ボムが爆ぜる。
直撃ではない。ベルは寸前でかわした。だが、ヴィゾーネ・テンペスタの炎の流れが一瞬だけ乱れる。紅蓮の炎の面が欠けた。
獄寺はその瞬間を待っていた。
嵐猫Ver.VとNEW SISTEMA C.A.I.が連動する。赤炎の矢の機構が展開し、瓜の炎と合体する。複数の機構が腰の周囲で開き、赤い炎が一つの形へ束ねられていく。
ベルの笑みが、ほんの少し止まった。
「何、それ」
獄寺は答えない。
赤い炎が弓を形作る。
Gの弓矢。
ボンゴレ初代嵐の守護者の名を宿す形態変化。嵐の死ぬ気の炎が、矢として収束する。
戦場の空気が変わった。
ベルはしばらくそれを見て、それから笑った。
「ししっ。いいじゃん。王子、そういうの大好き」
ベルのヴァリアーリングがさらに光る。
ヴィゾーネ・テンペスタがベルの周囲を走り、紅蓮の炎を集めていく。炎はナイフへ、ワイヤーへ、そしてベルの両手へ流れ込んだ。彼の周囲で、ナイフが王冠のように浮かび上がる。ワイヤーがそれを繋ぎ、嵐ミンクの紅蓮の炎が輪郭を与える。
ベルが笑う。
「自分だけカンビオフォルマできると思った?」
赤い刃の冠が、ベルの周囲で回る。
「王子、天才だから即興でできちゃうんだよね♪」
「悪趣味だな」
「褒め言葉」
獄寺はGの弓矢を引いた。
腕が軋む。複数属性を維持し、嵐の炎を一点へ束ね、さらにボンゴレギアの爆撃線と瓜の軌道まで計算に入れる。身体の内側が焼ける。肩の傷が開き、血が流れる。だが、矢は揺れない。
ベルもまた、血を流していた。頬だけではない。獄寺の爆発と瓜の爪で、腕にも腹にも傷がある。その血を見るたび、ベルの笑みは深くなっていく。痛みを恐れていない。むしろ、痛みによって戦闘能力が上がっている。
狂っている。
だが、強い。
だからこそ、倒す価値がある。
―――――
ウォッチの数字は、残り三分を切っていた。
00:02:58
戦闘領域全体が赤く燃えている。ベルの紅蓮の炎、獄寺の嵐の炎、瓜とヴィゾーネ・テンペスタの衝突、Gの弓矢とベルの即興の刃冠。すでに、ただのナイフとダイナマイトの戦いではなかった。
嵐と嵐。
分解と分解。
盤面を削り合う戦い。
ベルの赤い刃の冠が動く。ワイヤーで束ねられたナイフ群が、空中でいくつもの軌道を描きながら獄寺へ迫る。一本一本が本命になり得る。しかもヴィゾーネ・テンペスタの炎がそれを繋ぎ、避けた先を紅蓮で潰す。
獄寺は雨の炎を矢に混ぜた。
矢の周囲の空気が沈む。ベルの炎の勢いが一瞬だけ鈍る。雷を混ぜる。矢の軌道に防御膜を纏わせ、ナイフの分解を耐える。雲を混ぜる。小型の炎矢が周囲に増える。晴を混ぜる。瓜の動きが一瞬だけ加速する。そして、嵐。主軸の赤い矢が、ベルの中央へ向く。
「赤竜巻の矢――」
獄寺が呟く。
ベルは、笑っていた。
「来なよ、右腕」
ヴィゾーネ・テンペスタが走る。紅蓮の炎が爆ぜる。ベルの刃の冠が一斉に回転し、赤い処刑場のように獄寺を取り囲む。
獄寺は弦を離した。
「トルネード・フレイムアロー!」
赤い矢が放たれる。
同時に、ベルの刃の冠が降り注ぐ。
衝突。
戦闘領域の一角が赤く染まった。
嵐の炎が嵐の炎を削る。ナイフが矢を裂こうとし、矢がナイフを分解する。紅蓮の炎が面で押し、獄寺の矢が一点で貫く。瓜がヴィゾーネ・テンペスタへ飛びかかり、二匹の獣が炎の中でぶつかる。
だが、ベルはそこにいなかった。
獄寺の目が見開かれる。
ベルは、赤い炎の陰に紛れて、矢の軌道を避けていた。自分の刃の冠すら囮にして、獄寺の背後へ回っている。
狙いは、バトラーウォッチ。
ベルのナイフが、獄寺の手首へ伸びる。
「王子の勝ち」
ベルが囁く。
その瞬間、獄寺の口元が動いた。
「読んでた」
ベルの動きが、一瞬だけ止まる。
獄寺が放った赤竜巻の矢は、本命だった。だが、全てではない。周囲に散らした小型の炎矢、ガトリング・アロー。それらはベルの逃げ道を追うためではなく、ベルが最後に通る位置へ先に置いてあった。
血で昂ったベルは、最後に必ず自分の手で獄寺のウォッチを破壊しに来る。ナイフだけでは終わらせず、獲物の顔を近くで見に来る。天才だからこそ、そこを外さない。獄寺はそこまで読んだ。
ガトリング・アローが、ベルの背後で一斉に火を吹いた。
「っ――!」
ベルが反応する。
速い。
だが、遅い。
小型の炎矢がベルのワイヤーを切り、ナイフの支点を潰し、足場を消す。ベルは空中で身を捻るが、そこへ瓜が飛び込んだ。嵐猫Ver.Vの爪が、ベルのバトラーウォッチを掠める。
亀裂。
まだ割れない。
ベルは笑う。
「惜しい」
「まだだ」
獄寺は、残った最後のチビボムを手にしていた。
それをベルへ投げるのではなく、足元へ落とす。
爆発。
爆風で獄寺自身が飛ぶ。
ベルとの距離が、一気に詰まる。
ベルのナイフが獄寺の肩を貫く。獄寺の血が飛ぶ。ベルの笑みが深くなる。
だが、獄寺は止まらない。
血で昂るのは、ベルだけでいい。
自分は違う。
痛みも、怒りも、血も、全部、十代目の道を開くために使う。だが、それは死ぬためではない。ここで倒れて美談になるためではない。十代目と共に進むために、仲間と共に笑うために、獄寺隼人はここを生きて越える。
獄寺の左手が、ベルの手首を掴んだ。
「捕まえた」
ベルがナイフを振る。
獄寺は肩で受けた。刃が刺さる。だが離さない。
右手が、ベルのウォッチへ向かう。
ベルの笑みが消えた。
「ししっ……マジ?」
「マジだ」
獄寺の嵐の死ぬ気の炎が、手のひらに灯る。
「俺は、十代目のために死ぬ右腕じゃねぇ」
炎が、ベルのバトラーウォッチへ触れた。
「十代目と一緒に笑うために、生き残る右腕だ」
亀裂が広がる。
「だから、ここでてめぇに止められるわけにはいかねぇ」
ウォッチが砕けた。
―――――
音は、思ったよりも小さかった。
硝子が割れるような高い音。
その直後、ベルの身体から赤い光が漏れた。
ウォッチの数字は、残り三十秒を少し切っていた。
00:00:28
獄寺は肩で息をしていた。全身に切り傷がある。血も流れている。立っているのが不思議なほど、身体は重い。けれど、立っている。
ベルは、自分の手首を見た。
砕けたバトラーウォッチ。
そこから、霧のような粒子が広がっていく。
「あーあ」
ベルは、少しだけ首を傾げた。
「王子の負けか」
獄寺は何も言わない。
ベルは笑った。
最後まで、笑った。
「やるじゃん、隼人くん」
「だからその呼び方すんな」
「ししっ。最後くらいいいじゃん」
ベルの身体が、少しずつほどけていく。
獄寺は、その消え方を見て眉を寄せた。普通ではない。代理戦争の敗退。そう呼ぶには、あまりにも嫌な流れ方だった。粒子がベルの身体から離れ、戦闘領域の奥へ細く引かれていく。影炎体を倒した時に見た、あの流れに似ている。
ベルもそれに気づいたのか、自分の指先を見た。
「……変な感じ」
声が、少しだけ低かった。
「負けたのに、死ぬ感じじゃない。でも、どっかに持ってかれる感じ」
「ベル」
「何その顔。勝ったんだから喜べば?」
ベルは最後まで、軽口をやめない。
だが、その視線が遠くへ向く。
マーモンのいる方角。
「マーモン」
粒子が肩まで上がる。
「報酬、取り逃がしたら許さないから」
獄寺は言葉を失った。
ベルは、遊んでいただけではなかった。少なくとも最後のその言葉だけは、マーモンへ向けたものだった。
ベルは最後に、獄寺を見る。
「王子を倒したんだからさ。ちゃんとボスの道、開けなよ」
その言葉を残して、ベルフェゴールの姿は霧の粒子へ分解された。
粒子は一瞬だけその場に漂い、やがて細い流れとなって、戦闘領域の奥へ吸い込まれるように消えていく。
00:00:24
獄寺は奥歯を噛んだ。
勝った。
間違いなく勝った。
だが、何かを奪われたような感覚が残る。ベルの戦い。ベルの炎。ベルの情報。そのすべてが、どこかへ持っていかれた。
それでも、立ち止まるわけにはいかない。
獄寺は血の流れる肩を押さえ、XANXUSとツナの戦場を振り向く。
「十代目……!」
―――――
マーモンは、ベルが消えた場所を見ていた。
フードの奥から表情は読めない。
ただ、ほんのわずかに、空中で浮かぶ身体が揺れた。
「ベルが……」
リボーンの声が静かに落ちる。
「負けたな」
マーモンは答えない。
合理的に考えれば、戦力の一つを失っただけだ。まだボスがいる。スクアーロもいる。自分もいる。勝ち筋が消えたわけではない。そう考えればいい。
けれど、耳に残っている。
報酬、取り逃がしたら許さないから。
ベルは遊びで動いていた。けれど、それだけではなかった。マーモンの呪いを解く可能性に、本気で付き合っていた。
それが、遅れて胸の奥へ触れる。
「……高くついたね」
マーモンは小さく言った。
リボーンは目を細める。
「まだ続けるか」
「当然だよ」
マーモンの声が、少しだけ低くなる。
「ベルが負けたなら、なおさら引けない。ボスとスクアーロが残っている」
戦闘領域の膜が揺れる。
ベルの敗退を告げるように、獄寺の周囲の白が薄くほどけていく。けれど、完全には晴れない。遠くで、山本とスクアーロの刃がぶつかる音が響いている。XANXUSの怒りの炎が、再び戦場を赤く照らす。ツナの大空の死ぬ気の炎が、それを受け止める。
獄寺は傷だらけの身体で立ち上がった。
ベルを倒した嵐は、まだ消えていない。
それは休むことなく吹き荒れ、次の戦場へ向かう道を開くため、赤く燃え続けていた。