Fate/Grand Order 第三部 Script of the Palimpsest 作:白瀬 綴
綱吉の耳に届いていた鋼の音。その内側で、剣と刀がぶつかる音は、白く閉じた戦闘領域の中で、何度も、何度も跳ね返っていた。
商店街の一角は、すでに人の生活を残した場所ではなくなっている。シャッターの下りた店先は斜めに裂け、街灯は根元から抉られて倒れ、アスファルトには深い斬撃痕が無数に走っていた。白い膜に閉ざされた通りの中で、風はない。だが、斬撃が走るたびに空気だけが押し潰され、店先のポスターや看板が遅れて震えた。
山本武は、時雨金時を両手で握っていた。呼吸は乱れていない。乱してはいけない。剣士にとって、呼吸は間合いだ。吐く息の長さ、吸う息の深さ、そのわずかなずれが、刀の出を鈍らせる。だが、乱れていないことと、余裕があることは違う。肩には裂傷がある。右の脇腹にも血が滲んでいる。腕は痺れ、指先の感覚も少しずつ鈍くなっていた。
目の前に立つ男のせいだ。
スペルビ・スクアーロ。
ヴァリアーの剣士。かつて剣帝と呼ばれた男を斬り、その名を踏み越えた男。リング争奪戦でぶつかり、未来では直接斬り合うことこそなかったものの、山本へ「剣帝への道」を送りつけ、その剣を鍛えるきっかけを置いていった男。
スクアーロは笑っていなかった。
怒鳴りはする。吼えもする。だが、ベルのように遊んではいない。XANXUSのように怒りだけで燃えてもいない。山本の前に立つスクアーロは、ただ一人の剣士として、まっすぐに刀を向けている。
「う゛おおおおい! どうした山本! 受けてばっかじゃ剣士とは言えねぇぞぉ!」
スクアーロが踏み込む。
剣が振り下ろされる。
山本は時雨金時を斜めに入れて受けた。刃と刃が噛み合い、金属音が耳の奥で弾ける。重い。ただ力が強いのではない。斬撃の重さに、積み上げてきた剣の時間が乗っている。一度受ければ、次に山本がどこへ逃げるか読まれる。受け流せば、流した先へ刃が追ってくる。
山本は一歩下がろうとした。
その瞬間、スクアーロの左腕が動く。
義手。
その左手に装着された着脱式の剣が、人体の関節ではあり得ない角度から跳ね上がる。手首も肘も肩も、人間の可動域とは違う。全方向へ自在に動くその義手は、弱点を補うためのものではなかった。
かつて剣帝テュールの技を理解するため、自ら左手を切り落とした男の剣。
左手を持たない剣帝の間合いを知るために、自分の身体まで切り捨てた剣士の答え。
それが、今、山本の死角を消していた。
「っ……!」
山本は咄嗟に腰を引く。だが、完全には避け切れない。制服の腹部が裂け、薄く血が散った。
「遅ぇ!」
スクアーロの声が落ちるより早く、次の剣が来る。
山本は腹を庇わない。庇えば、その腕を落とされる。痛みを無視して刀を戻し、スクアーロの横薙ぎを受ける。だが、受けた刃の向こうから、左手に装着された剣がもう一度角度を変えた。真っ直ぐ来るはずの剣が、手首の理屈を無視して山本の肩口へ滑り込む。
剣士の剣ではない。
違う。
着脱式の剣を備えた左義手まで含めて、スクアーロの剣だった。
山本は膝を落とす。刃が肩の上を通過し、数本の髪が切られる。避けたと思った瞬間、スクアーロの膝が腹に入った。空気が肺から押し出され、胃の奥が跳ねる。山本は吐きそうになる呼吸を噛み殺し、時雨金時を地面へ突きかけて踏みとどまった。
スクアーロは止まらない。
一撃目で受けを崩し、二撃目で逃げ道を塞ぎ、三撃目で呼吸を奪い、四撃目で刀を握る腕へ圧をかける。山本が流す前に、流れそのものを乱してくる。時雨蒼燕流は雨の剣だ。相手の攻撃を受け、流し、洗う。だが、スクアーロの剣は、雨が流れ出す前に石を投げ込んでくる。水面を乱し、流れを濁らせ、濁った場所へ刃を入れる。
山本は息を吐いた。
たった数合。
それだけで、全身が「この男は危険だ」と叫んでいる。
「……やっぱ、強ぇな」
山本は、それでも笑った。
軽く見せるための笑みではない。怖くないわけでもない。受け損ねれば腕が飛ぶ。踏み違えれば胴を割られる。そんな危険が、スクアーロの剣には当たり前のように宿っている。だが、それでも山本の胸には、剣士としてこの男と向き合っている実感があった。
スクアーロは、その笑みに気づいた。
「笑ってんじゃねぇぞぉ!」
「悪い。なんかさ」
山本は時雨金時を構え直した。
「スクアーロと斬り合ってると、逃げられねーなって思うんだよ」
「ああ?」
「ちゃんと剣士として向き合わないと、すぐ斬られる」
スクアーロの目が細くなる。
山本の声には、いつもの軽さが残っていた。けれど、その奥に逃げはない。冗談のように聞こえる言葉の奥で、山本は剣士としての覚悟を固めている。
スクアーロは、口元を歪めた。
「ようやく分かってきたじゃねぇか」
次の瞬間、スクアーロが踏み込む。
路面が砕けた。
山本も同時に踏み込む。
距離は刹那で消える。
一撃目、スクアーロの袈裟斬り。山本は時雨金時の刃を斜めに入れ、完全には受けない。受け切れば押し潰される。流し切れば追撃される。衝撃の三割を受け、七割を横へ逃がす。肩が軋む。足裏が滑る。それでも軸は残す。
二撃目、左義手の返し。山本は刀を戻そうとするが、スクアーロの刃が先に来る。手首の動きが人間の剣士と違う。身体の流れだけを読めば遅れる。山本は、刃ではなく、スクアーロの目を見る。目線が肩へ向いた瞬間、山本は刀を低く落とした。肩狙いの刃を紙一重でかわし、逆に足元へ切っ先を滑らせる。
三撃目、スクアーロの膝。山本は読んでいた。けれど、読んでいても重い。小さく身を引き、腹へ直撃する寸前で膝の威力を殺す。布が裂れ、腹筋の表面が焼けるように痛む。それでも、内臓までは持っていかれない。
四撃目、山本の反撃。時雨金時が下から跳ね上がる。狙いはスクアーロの左義手、その剣の根元。だが、スクアーロは着脱式の剣を一瞬だけ引き、刃の根元で山本の切っ先を噛む。金属が擦れ、火花が散った。
五撃目、スクアーロの横薙ぎ。
山本は上体を反らす。刃が首の皮膚を掠め、温かいものが流れる。浅い。浅いが、ほんの数ミリ深ければ終わっていた。
まだ五合。
遠い。
スクアーロの剣は、ただ山本を斬ろうとしているのではない。剣そのものが問いかけてくる。
お前は何を背負って剣を振る。
剣士としてか。仲間のためか。
その両方を選ぶなら、その甘さごと俺の剣を越えてみろ。
山本は息を吸った。
「俺はさ」
六合目、スクアーロの剣が正面から来る。
山本は時雨金時を水のように滑らせる。
「背負ってるから、振れるんだよ」
刃と刃が交わる。
時雨蒼燕流。
攻めて、受けて、流して、洗う。戦いを清算する雨。流れた血を洗い流す雨。山本の剣は、斬るためだけのものではない。守るために斬り、終わらせるために受け、仲間の道を濁らせないために流す。
スクアーロは、それを甘いとは言わなかった。
代わりに、剣で答えた。
さらに重く、さらに鋭く。
―――――
遠くで、嵐の炎が爆ぜた。
獄寺とベルの戦場から、赤い光が何度も立ち上がっている。爆音、紅蓮の炎、ワイヤーの弾ける音。それらが白い膜越しに震えとなって届く。スクアーロは一瞬だけ、その方向へ視線を向けた。
「ベルの奴、遊びすぎてやがんな」
山本は刀を構えたまま、少しだけ笑った。
「獄寺も、簡単には負けねーよ」
「知ってるわ」
スクアーロの返答は短かった。
その一言に、山本は目を細める。スクアーロは獄寺を侮っていない。ベルも、獄寺も、それぞれが本気でやっている。なら、こちらも中途半端ではいられない。
スクアーロの右手が、リングへ触れた。
雨の死ぬ気の炎が、ヴァリアーリングから静かに漏れる。青い炎。だが、山本の知る雨とは質が違った。山本の雨は、洗う雨だ。流れを受け、熱を鎮め、戦いを清算する雨。だが、スクアーロの雨は冷たい。荒波ではなく、深海の圧。相手の呼吸を沈め、反応を鈍らせ、次の斬撃へ引きずり込む雨だった。
「そのリング……」
「初見かぁ、山本」
スクアーロが笑う。
「マーモンが用意した高ぇリングだ。使わねぇまま終わらせるには、ちと勿体ねぇだろぉ」
山本は胸元のネックレスへ指を添えた。
スクアーロが上げてくる。
なら、こちらも上げる。
「小次郎、次郎」
静かな呼び声に、雨のネックレスVer.Xが淡く光った。
スクアーロは剣を下げる。
「沈め、鮫」
低い声。
青い炎が渦を巻き、スクアーロの匣から巨大な鮫の影が姿を現す。雨の死ぬ気の炎を纏った捕食者が、空中ではなく、炎の流れの中を泳ぐようにスクアーロの周囲を回った。水のない場所で泳ぐその姿は異様だった。だが、山本の本能に刺さったのは、その鮫の進路だった。
同時に、山本の周囲にも雨の気配が広がる。
雨燕Ver.V、小次郎。
雨犬Ver.V、次郎。
小次郎は空気を切るように山本の肩口から飛び、青い炎を纏って弧を描いた。雨燕の炎が大気中の水分を集め、白い戦闘領域の中に細かな雨粒を散らす。次郎は地面を蹴り、山本の足元へつく。その口元には三本の小刀があり、刃には雨の炎が薄く宿っていた。
スクアーロの鮫が泳いだ場所に、雨の炎の流れが残る。そこへスクアーロの剣が入ると、斬撃の速度が一瞬だけ変わる。速くなるのではない。重くなる。沈む。受けた側の反応を鈍らせるように、剣の間合いそのものが深くなる。
対して、小次郎は空中からその流れを読み、次郎は足元の雨を嗅ぐ。小刀は山本の周囲を低く飛び、スクアーロの鮫が残した炎の筋へ差し込まれていく。
剣士二人の戦場へ、二匹ずつの雨が加わった。
「来るぞぉ、山本」
スクアーロが踏み込んだ。
鮫が同時に走る。
剣と鮫が、別々の方向から来る。山本は剣を受けようとした。だが、鮫の炎が足元を沈める。踏み込みが半拍遅れた。
次郎が低く走った。
雨犬Ver.Vの炎が、鮫の残した雨の流れに噛みつく。完全に消せるわけではない。だが、山本の足元に絡んだ雨の圧が、ほんのわずかに緩む。その一瞬で、山本は踏み込みを戻し、時雨金時をスクアーロの剣へ合わせた。
刃と刃がぶつかる。
受けた瞬間、スクアーロの雨が山本の腕へ入ってきた。痛みではない。痺れでもない。腕が、自分のものではなくなるような鈍さ。
そこへ、スクアーロの技が来る。
「鮫衝撃!」
剣を受けた山本の腕に、振動が走った。
刃と刃がぶつかったはずなのに、衝撃は刀で止まらない。時雨金時を伝い、手首を抜け、肘へ上がり、肩の奥へ入り込む。神経が白く焼ける。握力が一瞬だけ消えた。
「ぐっ……!」
山本は刀を落としかける。
小次郎が飛んだ。
雨燕Ver.Vの青い炎が、スクアーロの剣と山本の刀の間へ薄く差し込まれる。鮫衝撃そのものを止めることはできない。だが、振動の通り道を少しだけ濁らせる。山本はそのわずかな遅れで左手を柄へ添え、時雨金時を握り直した。
その瞬間、スクアーロの二撃目が来る。
左義手に装着された剣が、全方向に動く。人体なら不可能な角度で下から斬り上げる。山本は足を引くが、雨の炎で足が重い。刃が脇腹を裂いた。
続けて、鮫の牙。
スクアーロの剣が、突きに変わる。
速い。
斬撃とは違う。刃が噛みつくように伸びる。空間そのものに穴を開けるような突き。山本は身体をひねる。肩を掠める。掠めただけで、肉が持っていかれたような痛みが走る。
三手で、山本の体勢は崩れた。
スクアーロは逃がさない。
鮫の匣兵器が山本の背後へ回る。前からスクアーロ、後ろから鮫。山本は横へ逃げる。だが、そこには雨の炎が残っている。足が沈む。踏み込めない。次郎が山本の足元へ戻り、その炎を食い破るように牙を立てる。小次郎が上を飛び、スクアーロの剣の軌道を知らせるように鳴いた。
それでも、足りない。
スクアーロの剣が、頭上から落ちた。
山本は受ける。
鮫衝撃。
二度目。
神経が焼ける。腕の感覚がさらに鈍る。時雨金時を握る指が震えた。小次郎と次郎が連携しても、通常のままでは受け止めきれない。剣だけではない。義手だけでもない。リング、鮫の匣兵器、雨の炎、剣帝としての読み、その全てが一つの戦闘として噛み合っている。
だが、山本も沈み切らない。
二の型、逆巻く雨。
小次郎が散らした雨粒を時雨金時が巻き上げる。水はない。だが、雨の炎が水の気配を作る。山本の姿が薄く揺れ、スクアーロの視界をわずかにずらした。義手の刃が山本の肩を狙う。そこへ、次郎が運んだ小刀が横から差し込まれ、軌道を一瞬だけ乱す。
四の型、五風十雨。
山本はスクアーロの呼吸へ自分の呼吸を合わせる。剣帝の呼吸は重い。荒々しく聞こえる咆哮の奥に、斬撃のための正確な間がある。その間へ、山本は雨のように身を沈めた。
七の型、繁吹き雨。
時雨金時が回転し、雨の炎が防御の輪を作る。スクアーロの鮫が突っ込む。炎と炎がぶつかり、青い火花が散った。山本の守りは削られる。だが、小次郎が上から炎を鎮め、次郎の小刀が下から鮫の軌道を裂く。
拮抗。
しかし、完全な拮抗ではない。
スクアーロはまだ余力を残している。山本も、それを分かっている。ここから先、どちらかがさらに一段上げる。上げた方が、相手の首元へ届く。
先に動いたのは、スクアーロだった。
鮫の匣兵器が、彼の左義手へ沈むように重なっていく。噛みつくのではない。腕に鮫を宿すのでもない。雨の炎が、左義手の内部へ潜り込み、着脱式の剣の芯へ入り込む。
低い音がした。
水底で巨大なものが身じろぎするような、耳ではなく骨で聞く音だった。
左義手の剣が、細く、長く、青銀に澄んでいく。刃の縁には雨の炎が極薄く圧縮され、肉眼では一枚の刃にしか見えない。けれど、その輪郭だけがかすかに震えていた。振る前から、刃が空気を沈めている。
それは鮫の顎ではない。
水圧で断つ刃。
深海で獲物の進路を塞ぎ、逃げ道ごと斬り落とすための剣。
山本の肌が粟立つ。
斬られる前から、身体の奥に圧が来ている。首筋、肩、肘、指先。刀を握るために必要な場所へ、見えない重さが乗る。雨の炎が空気を冷やしたのではない。スクアーロの間合いへ踏み込んだものを、深い場所へ沈める準備が始まっている。
「カンビオフォルマ――」
スクアーロが獰猛に笑う。
「鮫帝剣・セガーレ・レゾナンツァ」
左義手が跳ねた。
正面から来る斬撃ではない。左でも、右でも、上でもない。全方向へ動く義手の先で、青銀の刃があり得ない角度から走る。山本が時雨金時を合わせた瞬間、刃と刃がぶつかる音より先に、振動が骨へ入った。
鮫衝撃。
だが、それは技として放たれた一撃ではなかった。
この形態そのものが、鮫衝撃を孕んでいる。
受ければ神経を沈められる。流せば雨の流路を乱される。避ければ義手の可動域が追ってくる。距離を取れば、鮫特攻の突進で間合いごと断たれる。
スクアーロが一歩踏み込む。
その背後に、青い鮫の頭は浮かばない。ただ、背鰭のような青い残像だけが、空気を切って走った。
次の瞬間、山本の前にあったはずの距離が、深海の水圧に押し潰されたように消えた。
「っ……!」
山本は時雨金時を横へ流す。
流れない。
刀の腹へ走った振動が、山本の手首を叩く。受けた衝撃を横へ逃がそうとしたのに、刃の細かな共振が雨の流路を乱し、流す先そのものを切断してくる。押し返されるのではない。流れを断たれる。
山本は一歩下がる。
スクアーロの左義手が曲がる。
曲がる、という言葉では足りない。人体の関節を基準にした予測が意味を失う。刃は正面から外れたはずなのに、横から戻る。下へ逃げたはずなのに、斜め上から刺す。距離を取ったはずなのに、青い背鰭の残像が一瞬で間合いを潰す。
肩が裂けた。
山本は痛みを噛む。
小次郎が割り込む。雨燕Ver.Vの炎が、スクアーロの刃の軌道へ薄く広がる。だが、セガーレ・レゾナンツァの刃は、その鎮静の雨を押し返さない。ただ静かに、極薄の水圧刃で流れを断ち、共振で小次郎の炎の芯を揺らした。
小次郎の軌道が乱れる。
次郎が地を走る。小刀が一本、スクアーロの足元へ差し込まれる。山本の足場を沈める雨の流れを断とうとする。だが、スクアーロはそれを見ていない。見ていないのに、左義手の刃があり得ない角度で下へ跳ね、小刀の軌道を弾いた。
死角がない。
左義手の全方向可動と、共振する水圧刃が組み合わさったことで、スクアーロの間合いはただ広がったのではない。そこに入った攻撃も、防御も、逃げ道も、全て一度、水圧の中へ沈められる。
山本は奥歯を噛む。
通常の時雨金時では無理だ。
小次郎と次郎の連携でも、まだ届かない。
スクアーロの形態変化は、山本の雨を剣ごと断ちに来ている。剣技だけでなく、間合い、呼吸、流れ、その全部を深海の圧へ引きずり込む。
山本は、胸元のネックレスへ意識を落とした。
雨のボンゴレギアが、静かに応える。
―――――
山本の脳裏に、映像が浮かぶ。
未来で見た、剣帝への道。
スクアーロが送りつけてきた映像。直接斬り合ったわけではない。だが、そこにはスクアーロの剣があった。倒してきた剣士たちの剣があった。剣帝へ至る道があった。
あの時、山本は幻騎士と戦った。
スクアーロ本人と刃を交えたわけではない。だが、山本の中には確かに、映像越しに叩きつけられた剣の道が残っている。
今、その本人が目の前にいる。
映像ではない。過去の記録でもない。生きた剣が、山本を沈めに来ている。
「俺もさ」
山本は息を吐いた。
肩から血が流れている。腕は痺れている。足も重い。小次郎と次郎も、スクアーロの鮫の圧に押されている。けれど、口元にはかすかな笑みが残っていた。
「映像で教わっただけじゃ、終われねーんだ」
スクアーロの目が細くなる。
「ああ?」
「今度はちゃんと、あんたの前で振る」
雨のネックレスVer.Xが光る。
山本は静かに言った。
「小次郎、次郎――行くぞ」
青い炎が、時雨金時と小次郎、そして次郎の運ぶ三本の小刀へ走った。
「カンビオフォルマ」
時雨金時が水のように揺らぎ、山本の姿に雨の装束が重なる。和服のように流れる衣が翻り、手には長刀と三本の小刀が現れた。小次郎は時雨金時と合わさり、長刀へ。次郎は三本の小刀を運び、雨の炎を纏った刃が山本の周囲で巨大化する。
朝利雨月の変則四刀。
山本の雨が、形を変えた。
スクアーロは、一瞬黙った。
そして、笑った。
「ようやく出したかぁ」
「出さないと、斬られるからな」
「当たり前だ。こっちは斬る気でやってんだよぉ」
スクアーロが踏み込む。
山本も踏み込んだ。
一撃目、スクアーロの青銀の刃。山本は長刀で受ける。受けた瞬間、鮫衝撃の共振が来る。だが、三本の小刀が同時に動いた。振動が通る位置へ雨の炎を差し込み、力の通り道をずらす。完全には殺せない。腕は痺れる。だが、刀は落ちない。
二撃目、左義手の全方位刃。山本は視覚で追わない。小刀が雨の気配を拾う。どこから来るかではなく、どこへ殺意が流れるかを読む。刃が右下から跳ね上がる。山本は身体を捻り、長刀の腹で刃の勢いを鈍らせる。
鈍らせたはずだった。
だが、刃の輪郭が震えた。
長刀で受けた力が、次の小刀へ逃げる前に、共振で断たれる。山本は顔を歪める。雨の流れを一刀から次の一刀へ繋げようとした瞬間、その継ぎ目をスクアーロの刃が切る。
「流してんじゃねぇぞぉ!」
スクアーロの叫びと同時に、左義手が跳ねた。
三撃目、山本の左下。
小刀が一本、割り込む。刃同士が触れる。骨に振動が入る。小刀が弾かれる。だが、その小刀が弾かれた先へ、山本は長刀の流れを逃がしていた。一本が噛まれるなら、次へ逃がす。次が断たれるなら、その前に別の刃へ雨を渡す。
山本は息を吸う。
四撃目、スクアーロの突き。
鮫の牙ではない。だが、牙より細い。水圧で一点を抜く刃。山本は避けない。小刀二本を交差させ、刃の振動を分ける。右の小刀が痺れる。左の小刀が軌道をずらす。その隙間を、山本の長刀が滑る。
五撃目、山本の反撃。
長刀が走る。スクアーロは左義手で受ける。受けた瞬間、山本は力を入れない。押し込めば共振で手首を潰される。なら、触れるだけでいい。触れた刃に雨の炎を置き、スクアーロの刃の震えを読む。
読んだ直後、山本の腕が痺れた。
遅い。
読み切る前に、振動が骨へ届く。
スクアーロが笑う。
「見えても止められねぇだろぉ!」
青い背鰭の残像が、山本の視界を横切る。
スクアーロが消えた。
いや、突っ込んだ。
鮫特攻の間合い潰し。
距離を取った山本へ、深海の水圧のような圧が一瞬で迫る。足元が沈む。呼吸が重くなる。四刀を構える時間が圧縮される。山本は長刀を縦に置き、小刀三本を半円に飛ばす。
六撃目から十撃目までが、まとめて来た。
正面の斬撃。
斜め下から跳ねる義手。
背後へ回り込む水圧の刃。
足元を沈める雨。
最後に、神経を叩く共振。
山本は、ただ防いだのではない。
一撃目を長刀で受け、衝撃を一番近い小刀へ逃がす。二撃目を小刀で受け、弾かれた刃の回転を利用して三撃目の軌道へ雨を置く。四撃目で足が沈む前に、次郎の運んだ小刀を足元へ突き立てる。五撃目の共振が骨へ届く寸前、長刀の角度を変えて振動を肩ではなく外へ流す。
痛みは消えない。
むしろ増える。
腕は痺れ、肩は裂け、足は沈み、肺は重い。だが、一本の刀で受けていた時とは違う。四つの刃がある。雨の流れを、一つの水路ではなく、複数の水路へ分けられる。
スクアーロの剣が流れを断つなら、断たれる前に流れを分ける。
それでも、スクアーロは止まらない。
「う゛おおおおおい!」
吼える。
青銀の刃が、さらに速くなる。
山本は五風十雨で呼吸を合わせようとした。だが、スクアーロの呼吸が読めない。咆哮の奥にあるはずの間が、共振によってずらされている。剣を振るタイミングと振動が届くタイミングが違う。目で見た一撃と、骨へ来る一撃がずれている。
山本は一瞬だけ、反応を誤った。
左義手の刃が、脇腹を裂く。
深い。
血が飛び、山本の膝が落ちかける。
スクアーロは逃がさない。
次の刃が首へ来る。山本は小刀一本を投げる。小刀が巨大化し、青い炎を纏って刃へぶつかる。ぶつかった瞬間、共振で弾かれる。だが、その弾かれた軌道を山本は使った。小刀が弾かれて戻る位置へ、長刀の流れを重ねる。
十一の型。
「燕の嘴」
突きが走る。
スクアーロのウォッチへ向かう。
だが、スクアーロは身体ごと捻った。左義手の刃が下から跳ね、山本の突きを弾く。弾いた瞬間、鮫衝撃の共振が長刀から肩へ入った。
視界が白む。
山本の握力が落ちる。
長刀が揺れる。
「まだ甘ぇ!」
スクアーロが吼える。
山本の身体へ、青い水圧が迫る。
スクアーロは剣を大きく引いた。
左義手の青銀の刃が、雨の炎を吸い込む。刃の輪郭がさらに薄くなり、震えが強くなる。背後に青い背鰭の残像が伸びる。鮫の頭はない。牙もない。ただ、深海を切り裂く背鰭の線だけが、スクアーロの突進軌道を示していた。
山本の身体が、それを先に知った。
来る。
剣帝を喰った鮫の突撃。
「これを受けて、まだ立ってられるか試してやるよぉ!」
鮫特攻。
スコントロ・ディ・スクアーロ。
形態変化したスクアーロの身体が、青銀の刃と深海の雨を纏って突進する。剣を高速で振るいながら、前方の空間そのものを切り刻む突撃。真正面から受ければ粉々になる。横へ逃げれば水圧刃に断たれる。後ろへ下がれば、足元の雨に沈められる。
山本は一瞬で選択肢を捨てた。
逃げない。
正面から受けるのでもない。
その突進へ、流れを合わせる。
山本は長刀を引き、三本の小刀を低く走らせる。小刀がスクアーロの雨の濃淡を読み、長刀が山本の太刀筋に合わせて静かに震える。
山本は踏み込んだ。
十の型。
「燕特攻」
スクアーロの鮫特攻をヒントに、自分の雨として昇華した型。突っ込む。だが、切り刻むためではない。相手の突進の流れへ入り込み、その軌道の中から雨を通すための突撃。
鮫と燕が衝突した。
衝撃で、商店街の路面が弾ける。
山本の右肩に激痛が走る。スクアーロの剣が肩を裂いた。鮫の炎が足元を沈める。雨の圧で呼吸が止まりかける。それでも、山本は前へ出る。小刀がスクアーロの剣先を掠め、長刀が次の流れを拾う。
互いの技がぶつかった瞬間、山本は理解した。
力では勝てない。
スクアーロの鮫特攻は、ただの突進ではない。剣帝を倒した技。その先へ、ヴァリアーリングと匣兵器と形態変化を重ねた今のスクアーロの鮫特攻は、受ける場所を選ばせない。どこに刀を置いても斬られる。どこへ逃げても追われる。ならば、受ける場所を作るしかない。
山本は小刀の一本を、スクアーロの剣の腹へ滑らせた。
斬られる。
左腕に深い傷が走る。
だが、刃の向きがわずかに変わる。
そのわずかで十分だった。
山本は長刀を引き、突き出す。
十一の型。
「燕の嘴」
鮫の牙に似た、しかし山本の雨を宿した高速の突き。
狙いはスクアーロの身体ではない。
バトラーウォッチ。
スクアーロは反応した。剣を引き戻す。左義手の刃が割り込む。青銀の刃の共振が山本の腕へ噛みつくように入り込む。突きは止まる。届かない。
スクアーロが笑う。
「まだ甘ぇ!」
左義手の刃が山本の脇へ刺さる。
痛みが白く弾けた。
山本の身体が揺れる。
そこへスクアーロの本命が来る。
鮫衝撃。
今度は刀を通してではない。左義手の刃から直接、山本の身体へ振動が叩き込まれる。神経が焼ける。膝が折れそうになる。視界が白む。長刀が重くなる。小刀の感覚が遠のく。
それでも、山本は倒れなかった。
倒れたら終わる。
倒れたら、スクアーロの剣はツナへ向かう。獄寺が開いた道を、自分が塞ぐことになる。獄寺は生きて戻るためにベルを倒した。なら、自分も生きて戻るために、この剣を越えなければならない。
山本は奥歯を噛んだ。
痛みを飲み込む。
雨を吸う。
足元に落ちた自分の血が、雨の炎に触れて薄く広がる。流れる。赤が青へ混ざる。その流れを、山本は見た。
スクアーロの技は、山本を沈める。
スクアーロの刃は、山本の流れを断つ。
なら、沈んだ場所から、断たれた流れをもう一度繋ぐ。
山本は膝を落とした。
倒れたのではない。
沈んだのだ。
スクアーロの目が、一瞬だけ動く。
その一瞬。
山本の小刀が、足元の雨を拾う。長刀が、その流れに同調する。四つの刃が、山本の前後を結ぶ。
雨は落ちるだけではない。
流れる。
溜まる。
洗う。
そして、全ての濁りを連れて、次の場所へ進む。
総集奥義。
時雨之化。
四つの刃が、スクアーロの攻撃へ雨の炎を当てていく。止めるのではない。殺すのではない。速度を、呼吸を、炎を、共振を、沈める。スクアーロの青銀の刃が流れを断とうとするたび、山本の雨が別の刃へ逃げ、逃げた先でまた合流し、断たれた流路を繋ぎ直す。
それでも、スクアーロの刃は届く。
肩を裂く。
腕を痺れさせる。
小刀を弾く。
長刀を軋ませる。
山本の身体が悲鳴を上げる。
だが、山本は前へ行く。
一本で受ければ折れる。
二本で流せば断たれる。
三本で逃がしても追われる。
なら、四本すべてを雨の流れにする。
山本は立ち上がる勢いそのものを剣に変えた。
スクアーロの左義手の刃を小刀で受ける。受けた瞬間、鮫衝撃の残りが腕を痺れさせる。だが、小刀は離れない。長刀が下から滑り込み、スクアーロの剣を持ち上げる。
開いた。
ほんの一瞬、ウォッチへの道が開いた。
山本はそこへ、長刀を入れる。
だが、スクアーロはまだ反応する。
剣帝の読み。
腕ではなく、身体ごと山本の軌道へ割り込む。山本の刀がウォッチへ届く前に、スクアーロの肩が当たる。山本の軌道がずれる。
普通なら外れる。
だが、山本の雨はまだ終わっていない。
左太刀・霧雨。
小刀の一本が、スクアーロの身体ではなく、斬撃が通った空間の匂いを嗅ぎ分ける。そこにあるのは肉ではない。剣でもない。ウォッチの位置。その一点へ、山本の太刀筋が引き戻される。
右太刀・斬雨。
長刀が、山本のイメージする太刀筋に同調する。
雨の炎が、刃先で細く光る。
硝子のような音がした。
スクアーロのウォッチに、亀裂が入る。
まだ割れない。
「う゛おおおおおおい!」
スクアーロが吼えた。
最後の力で剣を振り上げる。山本は受ける。受けて、流す。流して、踏み込む。肩の傷が裂ける。足が滑る。腕が痺れる。だが、身体は前へ行く。
スクアーロの剣が、最後に山本の頭上へ落ちる。
山本はそれを見た。
避けられない。
受ければ、腕が死ぬ。
なら、流す。
山本の雨が、スクアーロの雨へ入り込む。押し返すのではない。消すのでもない。混ざり、流れを変え、沈める雨を、洗う雨へ変える。深海の圧が一瞬だけ緩む。
その一瞬で、山本は刀を滑らせた。
スクアーロの剣が逸れる。
山本の刃が、もう一度ウォッチへ触れた。
ウォッチが砕けた。
―――――
残り時間は、七秒だった。
00:00:07
スクアーロは、砕けたウォッチを見た。
腕から、青い光が漏れる。霧のような粒子が広がり、身体の輪郭が少しずつほどけていく。ベルと同じ、嫌な消え方。敗退というより、どこかへ吸い寄せられるような流れ方だった。
だが、スクアーロは自分の腕ではなく、山本を見ていた。
山本は肩で息をしている。全身傷だらけで、長刀を支えにしてようやく立っている。それでも倒れていない。倒れず、剣を握っている。
スクアーロは、口元を歪めた。
「……やりやがったな、山本」
「ギリギリだった」
「当たり前だぁ。俺を簡単に倒せると思うんじゃねぇ」
粒子が肩へ広がる。
スクアーロは、剣を下ろさなかった。消えかけてもなお、剣士として立っていた。
「甘ぇままなら死ぬぞぉ」
低く、しかし確かに、スクアーロは言った。
「だが、剣だけは鈍らせんな。あの黒フードを斬る時までな」
山本の表情が変わる。
黒フード。
ヴィンディチェを思わせる、あの異質な存在。スクアーロも、あれを意識していたのだ。
「スクアーロ……」
「泣きそうな面すんな。気色悪ぃ」
スクアーロは鼻を鳴らす。
「勝ったなら背負え。剣士だろぉが」
山本は、ゆっくり頷いた。
「ああ。背負う」
「ならいい」
スクアーロの身体が粒子へほどけていく。
青い粒子が空中へ流れ、戦闘領域の奥へ吸い込まれるように消えていく。山本はその流れを見て、眉を寄せた。ベルの時と同じ。敗退というより、どこかへ持っていかれるような消え方。
スクアーロは最後まで、その流れを見なかった。
山本だけを見ていた。
「次に斬り合う時まで、鈍るんじゃねぇぞぉ」
その言葉を残して、スペルビ・スクアーロの姿は完全に消えた。
00:00:03
00:00:02
00:00:01
山本は、刀を握り直した。
勝った。
だが、軽い勝利ではない。スクアーロの剣が、雨が、言葉が、重く肩へ残っている。獄寺がベルを倒して開いた道。その先を、自分もまた開いた。
戦闘領域の膜が揺れる。
遠くで、XANXUSの怒りの炎と、ツナの大空の死ぬ気の炎がぶつかっている。
山本は血の流れる肩を押さえ、静かに息を吸った。
雨は、まだ止んでいない。
それは流れた血を洗い、戦いを清算し、仲間の道を濁らせないために、静かに降り続けていた。