Fate/Grand Order 第三部 Script of the Palimpsest 作:白瀬 綴
第1話
再び、世界を救う旅路へ
「所長……?」
藤丸の声に、オルガマリーの青い瞳が揺れた。
「ええ。そう呼びなさい。少なくとも今、この場で指揮を執れる人間が必要でしょう」
「でも、どうしてここに」
「知らないわ」
返事は早かった。組んだ腕の片方へ指を食い込ませたまま、オルガマリーは大型モニターから目を逸らさない。
「私が一番知りたいの。自分がどういう状態なのかも、なぜここにいるのかも、説明できない。でも、ここにいる以上は仕事をする。それだけよ」
ダ・ヴィンチちゃんが端末を送り、横から補う。
「スキャンしても、彼女はオルガマリー本人としか言いようがない。ただ、通常の肉体とも霊基とも値が噛み合わない。ありがたいことと、気味が悪いことは同時に成立するよ」
藤丸はすぐに返せなかった。
オルガマリーの目がわずかに伏せられる。
「何よ、その顔。化け物でも見るみたいに見られるよりは、ずっとましだけど」
「違います。そういう意味じゃなくて」
「じゃあ、何」
「また会えて驚いて……それと、少し安心しました」
頬が強張る。
数秒だけ藤丸を見返したあと、オルガマリーは大型モニターへ顔を戻した。
「そう。なら、その驚きは後で処理しなさい。今は報告を聞く時間よ」
ムニエルが小声で息を吸った。
「所長、照れて──」
「誰が照れているの。ムニエル、続きを言ったら減給にするわよ」
「まだ言い切ってません!」
「言い切る前に分かるわ。貴方、顔に出るもの」
「予測で裁くのは横暴じゃないですか!?」
セレシェイラが入力欄を埋めながら、短く息を吐いた。
「でも、たぶん当たってる」
「エルロンまで!?」
「現実を受け入れたら、ムニエル」
「その台詞、今日二回目だぞ!」
「なら、そろそろ効果が出てもいい頃ね」
藤丸の横で、マシュの肩からわずかに力が抜けた。
次の瞬間、彼女の視線が管制室を巡る。
笑い声が引いた先に、空いた席があった。見慣れたはずの配置に残った欠けへ、マシュの目が止まる。
「……ゴルドルフ新所長は?」
セレシェイラの指が止まった。
「施設内反応なし。シオンさん、キャプテン・ネモも同じです。記録は残っていますが、このカルデアにはいません」
ダ・ヴィンチちゃんが自分の胸元を軽く指す。
「それに、僕自身もそうだ。僕は前のダ・ヴィンチが残した記憶と知識を受け継いだ二代目で、彼女本人とは別の人工サーヴァントだ。記憶はあっても、その時間を過ごしたのは僕じゃない。なのに、このカルデアには彼女がいた記録も、その後を僕が引き継いだ記録も残っている。どこかの過去へ戻ったわけじゃないし、今までのカルデアがそのまま続いているわけでもなさそうだ」
「いる側と、いない側の基準が分からないってことかよ」
ムニエルの声が低くなる。
「そう。そこが一番まずい」
ダ・ヴィンチちゃんが人員一覧を閉じた。
オルガマリーは中央卓へ一歩寄る。
「ゴルドルフがいないなら、今は私が指揮を取る。シオンがいないなら残った観測系を使う。ネモがいないなら、使える設備で移動手段を組む。空席を眺めていても装置は直らないわ」
「設備は動いてる。なら使える」
ダストンが転送系統の警告灯を睨んだ。
「まず外部から確認しよう」
ダ・ヴィンチちゃんが観測画面を中央へ拡大する。
白い霧へ伸びた複数の線が、途中で揺らいでいた。
「通信、観測、座標固定。どれも霧へ伸ばした途端に乱れる。ただ、
「全部ではない?」
マシュが拾う。
白く染まった観測図へ、淡い反応が四つ浮かんでいた。
「霧の中で、この四箇所だけが観測線に引っかかっている。向こうから返事があるわけじゃない。完全な空白にも落ちない。それだけだ」
ムニエルが眉間へ皺を寄せる。
「こういう時の例外って、だいたい良い意味じゃないんだよな……」
「感想は分かる。けど、手は止めないで」
「止めてないって。怖がりながらでも仕事はしてる」
「なら十分。怖がっても指が動く人の方が、私は信用できるわ」
シルビアは画面から目を離さない。
「褒められてる気がしないんだけど」
「褒めてる暇がないだけ」
ダストンが一本の観測線を拡大した。カルデアから伸びた線は、白い層へ触れるたびに細くなっている。
「断線じゃない。途中で出力だけ持っていかれてる。機材の故障なら直せるが、こいつは外側で何かに吸われてる」
藤丸は画面を見つめた。
白へ沈んでいく線が、あの廊下を思い出させる。
「……目が覚める前、白い廊下にいたんだ」
ダ・ヴィンチちゃんの指が止まった。
マシュが藤丸を見る。
「白い廊下、ですか?」
「奥に扉があった。いくら歩いても近づけなくて、その向こうに女性がいた」
藤丸は、自分を待っていたような声だったことを話した。会ったことがあるとも、初めてだとも答えなかったこと。戻る前に通るところだと告げられたこと。
ムニエルの顔が引きつる。
「いや、それ普通に怖くないか?」
「ムニエル」
「ごめん。でも、怖いもんは怖い」
藤丸は胸元へ手を当てた。
「あの廊下と、この霧が同じだとは思ってない。ただ、あの白さを見ると、ここが冷える」
ダ・ヴィンチちゃんは藤丸の手元を見てから、端末へ記録を入れた。
「分かった。君自身の体験として残す。夢で片づけるのも、この霧と同じだと決めるのも早い」
オルガマリーも否定しなかった。
その時、四つの反応のうち一つが強く明滅した。
セレシェイラが表示範囲を絞る。白い霧の層に道路らしき線が浮かび、建物の輪郭が数秒だけ続いて薄れた。
「座標、仮固定できます」
ダ・ヴィンチちゃんが照合欄を走らせる。
「特異点に近い。だけど、僕らが知っている発生の仕方とは違う。人理の内側で生まれた歪みなら、もう少し馴染みのある痕跡が残る。今回は、霧の内側へ別の町が綴じ込まれて、その一部だけがこちらへ触れているように見える」
藤丸が画面へ近づいた。
「特異点じゃないなら、何て呼ぶ?」
ダ・ヴィンチちゃんは数秒だけ考え、表示へ新しい識別を置いた。
「今は局所的な接続点として扱う。仮称──偏綴点」
「偏綴点……」
「第一偏綴点。音声片と文字片から、ナミモリを暫定識別に使用します」
セレシェイラが別の測定線を開く。
「観測線に残った値では、大気中のマナに相当する反応はほとんど拾えていません」
「拾えていない?」
「現地の空気を直接測ったわけではありません。白い霧の外縁を通って戻った値です。到着後に異なる結果が出る可能性は残ります」
さらにもう一つ、細い測定線が表示された。
「熱量上昇を伴わない炎状反応も、断続的に検出しています」
「炎なのに、熱が上がらない?」
「はい。ただし、現地固有の現象か、観測そのものが乱された結果かは切り分けられていません」
藤丸は白い町の断片を見た。
分からないことが多い。
それでも、画面の向こうに何かがあることだけは確かだった。
「行けるの?」
「行く方法は組める」
ダ・ヴィンチちゃんが投影を切り替えた。
カルデアから伸びた光が白い層へ触れ、何度も揺れながら、一箇所だけ薄くなった部分を抜けて町の断片へ届く。
「シバで霧の外縁を読み、トリスメギストスで内部座標を仮固定する。そこへカルデア式の存在証明を繋いでレイシフトする。通常より細い経路になるけど、第一偏綴点までなら届く可能性がある」
「安全な経路だと思うなよ」
ダストンが光の揺れへ指を置く。
「転移炉の出力を上げすぎれば、白い霧に押し返される。力で抜こうとすれば、送り出す側の配線が先に焼ける。開いているところへ出力を合わせるしかない」
「低マナ環境用の霊基安定補助、簡易魔力循環バッファ、カルデア側からの存在証明維持も使うわ」
オルガマリーが藤丸を見る。
「万能だと思わないこと。現地で身体、視界、通信、同行するサーヴァントに変化が出たら、すぐ報告しなさい」
「了解です」
ダ・ヴィンチちゃんが別の画面を開いた。
「第一波の戦力候補は三騎。エミヤ、マンドリカルド、ジャンヌ・オルタ」
三つの霊基反応が並ぶ。
エミヤとマンドリカルドの欄には安定率が表示されていた。
最後の一つだけ、赤い警告が重なっている。
LINK LOST。
その表示を読んだ瞬間、藤丸の呼吸が止まった。
イドで交わした最後の時間が胸へ刺さる。別れ際の声と、背を向けた姿が赤い文字へ重なった。
会いたい。声を聞きたい。
その熱のすぐ後ろで、彼女が選んだ別れを自分の都合で引き戻す怖さが喉を締める。
「ジャンヌ・オルタは……どういう状態なの?」
「僕らが通常接続を戻したわけじゃない」
ダ・ヴィンチちゃんの声が低くなる。
「切れた縁の傷跡を、今のカルデアが一時的に拾っている。録音でも過去ログでもない。本人側から意思反応が返ってきている」
「本人が望んでるか、確かめられる?」
「そこを最初に確認する」
オルガマリーの返事は速かった。
「嬉しいなら、その気持ちは捨てなくていい。でも、嬉しさを理由に相手の選択を奪わないこと。声が届くなら本人へ聞きなさい」
藤丸は頷いた。
「会いたい。だから、本人の声を聞きます」
ダ・ヴィンチちゃんが接続確認を開く。
「エミヤ、マンドリカルド。応答できるかい」
淡い霊基光が立ち上がり、先に赤い外套が輪郭を得た。
『状況は聞こえている。マスター、まずは呼吸を整えろ』
「エミヤ」
『ああ。君がまた妙なところへ巻き込まれていることだけは分かった』
「そこは否定できないかな」
『それと、管制室にいる誰かが「食堂も安心だ」と言ったのも聞こえた』
ムニエルは目を逸らした。
「いや、だってさ。エミヤがいると、なんか全体的に安心感があるっていうか」
「それ、本人に聞こえてるわよ」
シルビアが横から釘を刺した。
「……褒めてるからセーフだろ?」
「セーフかどうかは本人が決めることね」
エミヤの声に、わずかな苦笑が混じる。
『任務前に食堂の話をする余裕があるなら、まだ最悪の状況には至っていないらしいな』
『状況が不確かなら、こちらも油断はしない。君は自分だけで判断を閉じるな』
「了解。頼りにしてる」
その横で、もう一つの反応が揺れた。
『えっと……俺も聞こえてます。こういう時に俺でいいのか、ちょっと自信ないんすけど』
「マンドリカルド。来てくれると助かる。マイフレンド」
『うわっ。いや、行きますけど! それを管制室で真正面から言うの、やめてもらっていいっすか!』
藤丸の口元が緩む。
その時、赤い警告が二度点滅した。
『……なに笑ってんのよ』
表情が止まった。
「ジャンヌ・オルタ」
『何よ、その顔。私は聞いての通りここにいる。完全な状態じゃないけど、声は届いてる。それで十分でしょ』
藤丸は握り込んでいた掌を開いた。
「来てくれて、ありがとう」
『礼を言うのは早いわよ。私はあんたの都合で呼ばれたわけじゃない。こんな雑な繋ぎ方をされて、黙っていられないだけ』
「うん。分かったつもりで済ませない。ここにいる理由も、今の状態も、ちゃんと確かめる」
『だったら顔を上げなさい。暗い顔でこっちを見るくらいなら、いつも通り指示を出しなさいよ、マスター』
藤丸は息を吸った。
「三人とも、よろしく」
『了解した』
『了解っす』
『足を引っ張ったら燃やすわよ』
「それ、味方に言う台詞かな?」
『味方だから言ってんのよ』
張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。
その横で、マシュの視線が自分の両手へ落ちる。
盾はない。白い手袋に包まれた指が、そこにあるはずの持ち手を探すように曲がった。
ダ・ヴィンチちゃんは、その動きを見逃さなかった。
「マシュ。君の同行には、まだ許可を出せない」
「理由を聞かせてください」
「パラディーン霊基の深層覚醒は確認できている。でも、盾と装備の接続、表層展開時の負荷、白い霧を越える際の変動は未確認だ。今の状態で送り出す危険を、僕は測れない」
マシュの唇が開き、閉じる。曲がっていた指は、すぐには戻らなかった。
藤丸は、その横顔を見た。
隣に立ってほしい。
そう頼めば、マシュはたぶん頷く。
だからこそ、今は頼めなかった。
「マシュ。管制側で支えてくれる? 声が聞こえるだけで、俺は落ち着ける」
マシュは目を伏せ、それから藤丸を見る。
「はい。通信は私が担当します。先輩が戻ってくるまで、こちらから繋ぎ続けます」
「頼りにしてる。でも、マシュも無理はしないで」
「それは、先輩もです」
返された声に、藤丸は小さく頷いた。
オルガマリーの掌が中央卓へ触れる。
「第一偏綴点の固定率が落ち始めているわ。目的は現地調査、現地法則の確認、聖杯に近い固定反応の有無、そして可能なら異常の解除。何かを倒すことより、まず情報を持ち帰りなさい」
「分かりました」
「それと、藤丸立香」
「はい」
青い瞳が、まっすぐ藤丸を見る。
「生きて戻りなさい。原因が掴めなければ、そのまま報告すればいい。現地で勝手に背負い込んで、一人で片をつけようとしないこと」
藤丸は頷いた。
「了解です、所長。必ず戻ります」
「よろしい。出撃準備」
管制室の空気が切り替わった。
転送系統、霊基安定補助、通信、存在証明。各卓から必要な確認だけが飛び、藤丸と三騎を送り出す作業が動き始める。
* * *
準備を終えた藤丸が転送区画へ立つ。
エミヤ、マンドリカルド、ジャンヌ・オルタの霊基反応が近くに並び、マシュは通信卓からこちらを見ていた。
ダ・ヴィンチちゃんが最終確認を読み上げる。
「現地法則への過干渉は禁止。魔力反応が低くても無理に出力を上げないこと。令呪も慎重に。異常が出たら、戦う前に共有して」
「了解」
「エミヤ、前衛と状況判断。マンドリカルド、藤丸くんの近接護衛。ジャンヌ・オルタ、火力担当。現地の炎状反応へ接触した場合は、すぐ報告して」
『了解した』
『了解っす』
『命令口調は気に入らないけど、聞いておいてあげる』
ダストンが転送値を確認する。
「存在証明ライン、接続。白い層で引っかかったらこちらから戻す。ただし、引っ張り返せる保証はない」
「縁起でもないこと言わないで」
シルビアが顔をしかめた。
「黙って失敗するよりはましだ」
「そこは同意する」
オルガマリーが中央卓へ手を置く。
「第一偏綴点、識別名ナミモリ。藤丸立香、同行三騎。カルデア側より存在証明を維持──行きなさい」
「はい」
藤丸は最後にマシュを見た。
「行ってくる。すぐ戻る」
「はい。いってらっしゃい、先輩」
光が視界を満たした。
身体の重さが薄れ、カルデアから伸びる存在証明の感覚が残る。三騎の霊基反応もすぐ近くにあり、通信にはマシュの声が乗っていた。
『先輩、存在証明は維持できています。三騎の霊基反応も──』
耳の奥で音が潰れた。
白い層が視界へ割り込む。
薄い膜が幾重にも重なり、その隙間へ身体ごと押し込まれた。上下の感覚が崩れ、胃が持ち上がる。さっきまで隣にあった三騎の反応が、薄い壁を挟んだ向こうへずれた。
「っ……!」
『藤丸くん、応答して! 座標が違う。送り出す側の値じゃない! 何かが存在証明へ触れてる!』
ダ・ヴィンチちゃんの声が遠ざかる。
『白い層がラインを噛んだ! 出力を上げるな、存在証明の方が裂けるぞ!』
ダストンの声に警告音が重なる。
『先輩! 先輩、聞こえますか!』
「聞こえる……大丈夫、まだ──」
三騎の気配がさらに遠のいた。
エミヤの赤い外套が霞む。マンドリカルドが腕を伸ばし、ジャンヌ・オルタの口が動いた直後、三人との間へ白い膜が滑り込む。
『マスター、繋がりを手放すな!』
『マスター! こっちです! 手、伸ばせます!?』
『勝手に消えたら許さないわよ!』
藤丸も腕を伸ばした。
マンドリカルドの指先まで、わずかに届かない。
もう一枚、白い膜が通り抜ける。
距離が開いた。
背骨の奥へ冷たさが走る。
皮膚に触れた感覚はない。それでも胸の内側から肋骨の幅をなぞられ、肩、腕、指先へ冷気が移り、次に頭蓋の奥が痺れた。
全身を調べられている。
その感覚が走った瞬間、白い廊下の細い窓が脳裏へ浮かぶ。
『存在証明、急速低下! 藤丸くん、今戻す──』
通信が切れた。
『先輩!』
最後まで追いかけてきたマシュの声も、白い層の向こうへ消える。
藤丸は返事をしようとした。
大丈夫。戻る。
どちらも声になる前に、身体の重さが抜け落ちた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第2部終章の熱がなかなか冷めず、あまりにもFGOの新たな物語が読みたくて、「それなら自分で作ればいいじゃん!」となって書き始めた作品です。笑
本当はパスト・カルデアが始まる前にある程度形にしたかったのですが、気づいたら当日になっていました。時間の流れって怖いですね……。
本作は『Fate/Grand Order』第2部終章後を想定したファンメイド第三部になります。
独自解釈・独自設定を含む作品ではありますが、お付き合いいただけますと幸いです。